第27話

「これでいいか」


 紙に書いた物語の製本作業を終えて最後のページまで確認すると、俺は片手で本を閉じた。

 背もたれに体重をかけて背筋を伸ばした後、立ち上がって窓から商店街を見下ろす。

 賑わう商店街を行き交う人々の顔は、暴政で支配されていた頃とは違い明るかった。生活を縛っていた物が無くなって、開放感に満たされているのだろう。

 人々の様子を観察していると、部屋の扉が開いた。廊下から、丸腰のメルトが姿を現す。


「ノール、何してるの?」

「製本が終わったんでな、開放感を満喫していたところだ」

「あ、完成したんだ~。すごいね。あたしじゃあ一ページも書けないと思うよ。もしかしたら、一文字すら書けないかも」

「記録として残しておきたかったからな。物語風にするのは骨が折れたが、無事に完結できて良かったぜ」

「おつかれさまっ!」

「ああ」


 労いの言葉をかけてくれたメルトが俺に近寄ってくる。彼女は隣に並ぶと、俺と同じように窓から外を眺める。


「みんな楽しそうな顔してるね~」

「けっ、虫のいい奴らだ。自分の力で解決したわけでもねぇのに、心の底から安堵してやがる」

「ねぇノール、良かったの?」

「あぁん? 良かったって何の話だ?」

「本当は誰が国王を倒したのか、みんなに教えなくて良かったのって話だよ。言えば、ノールはきっと英雄みたいに褒められるよ?」

「あぁ、そのことか」


 トラヴィスを討ち取ったのはマルティンということにしておいた。国民にも、そのように周知されている。

 マルティンは当然のように拒んだ。だが、俺がまだ若いことと、そうした方が色々と都合がいいと考えて、渋々ながら英雄の称号を得ることを受け入れた。

 マルティンは、次期国王の筆頭候補として名前があがっている。俺が彼に英雄の肩書きを押し付けたのは、もちろん俺が国王なんてガラじゃないからだ。


「んなもん、どうでもいい。俺は誰かに賞賛されたくて奴を倒したわけじゃねぇからな」

「あっ! そうそう忘れてたっ!」

「あぁ? 今度は何だ?」


 口元に手を当てて驚くメルト。話題をころころと変える彼女に、俺は少しばかり苛立った。


「さっき街でマノリアさんと会ったんだけど、やっと直ったんだって」

「なにッ。てめぇ、そういうことは早く言えよ」

「後から迎えに来るって言ってたから、すっかり忘れてたよ~。――あっ、噂をすれば、あれマノリアさん達じゃない? 見て見てっ、ノールっ!」


 メルトは窓から身を乗り出して眼下の通路の一角を指差す。その先に視線を向けると、確かにマノリアがたくさんの子供達を連れて歩いていた。

 メルトが大声で存在を示すと、マノリア達も俺達に気づいた。子供達がこちらを指差して、両手をぶんぶんと振って返事している。

 俺は作りたての本を道具袋にしまい、いつまでも手を振り続けるメルトに声をかけた。


「行くぞ、メルト」

「あっ、早っ! 待ってよノール~」


 俺達は借りている部屋から宿の廊下に出て、マノリア達と合流した。

 


 〝主人公とヒロインは家族のもとへ戻る。〟

 〝かつて焼失した家が再建される。〟

 


 トラヴィスには国王を倒す一文が物語の最後と言ったが、あれは嘘だ。俺が書いた物語には続きがあった。といっても、これを物語と呼べるかはかなり怪しい。本の力を行使して、マノリア達の無事と孤児院の再建を確約させただけなのだから。

 ここまでで十三行。トラヴィスも言っていたように、本にはまだ一行分の余白が残っていた。

 当初は、この残りの一行にも文章を綴るつもりでいた。

 俺達の生活が永遠に平穏であるということを、本の最後に綴ろうとした。

 だが、やめておいた。

 それは時間を止めることに等しいからだ。生きていれば、必ず困難と向き合わなければならない時がくる。その困難を乗り越えていくからこそ、未来に価値が生まれるのだと思う。

 未確定の未来には、更に大きな壁が待っているのかもしれない。平穏を確約しておけば良かったと後悔する日も訪れるかもしれない。

 けれども、それが未来だ。一度成功したからといって終わるわけではない。何度もぶつかって、その度に乗り越える。その繰り返しが、終わらないということだ。

 


 都を出て懐かしささえ覚える森を奥に進んでいくと、樹木の新緑色の傘が途切れて、かつて孤児院が建てられていた広間に到達した。

 そこには、理不尽な理由で焼失した孤児院が完全に復元されていた。新品の木材を使用して造られたのか、表面が陽光を浴びて光沢を放っている。


「おお~、なんだか前より立派になったね~」

「元通りだ……元に戻ってるよ! あたし達の孤児院が元に戻ってるっ!」


 頬に手を当てて静かに驚くマノリア。メルトは大声ではしゃぐと、大股で跳んで孤児院の中へと入っていった。


「メルトお姉ちゃん待ってよー!」

「あたしも行くー!」


 孤児達もメルトの後に続き、開けっ放しにされた玄関から次々と中へ入っていく。


「みんな元気ね~。ね、ノール?」

「そんだけ嬉しいんじゃねぇか。ここは俺達の家だからな」

「も~、そうやってまた斜に構えて~! ノールだって嬉しいんでしょ~?」

「まぁな」

「ん~? なんだか今日のノール、やけに素直じゃな~い。熱でもあるのかな~?」


 いつもの修道服を着たマノリアが、背伸びして自分の額を俺にくっつけようとする。予期せぬ行動に驚きつつ、俺は咄嗟に身を引いた。邪魔なものを排除するように手を払う。


「熱があんのはてめぇの方だろうがッ! パーティの準備があんだろ? さっさと行けやッ!」

「お姉さんは熱ないよ? でも、元気そうだね~。じゃ、お姉さんパーティの準備を始めるね~。ノールも後から手伝ってよ~?」

「ああ。わかったよ」


 マノリアが孤児院に入っていくのを見送る。

 それから、俺は都に戻るために再び森の方を向いた。


「ノールお兄ちゃん、どこ行くの?」

「あぁん?」


 幼い男の子の声に足止めを食らい、俺は振り返る。

 孤児の男の子の一人が、純真無垢な瞳で俺の顔を見上げていた。無視するわけにもいかず、俺は道具袋から自分で書いた本を取り出す。


「こいつが売れるか、都の奴に訊きに行くだけだ。せっかく書いたんだからよ、金になるなら金にしねぇともったいねぇだろ?」

「わぁ~ノールお兄ちゃんの本、完成したんだねっ! 見せて見せてっ!」

「しゃあぇねぇなぁ。落とすんじゃねぇぞ」


 俺は身を屈めて男の子に本を渡した。男の子は嬉しそうに受け取るが、本の表紙に目を落とすと不思議そうな顔を見せる。


「あれー? 表紙に何も書かれてないよ? この本、なんて名前なの?」

「んっ……?」


 指摘されて確認してみると、確かに本の表紙には名称が書かれていなかった。しばらく題名のない本を読んでいたから、物語に名前をつけていないことに不自然さを感じられなかったようだ。


「そういや忘れてたな。売るなら、名前をつけなきゃ駄目だよな」

「ねーねー、ここでつけてよー」

「ああ、もちろんそうするぜ。そうだなぁ……」


 男の子の期待の眼差しを受けつつ、俺はじっくりと思案する。

 とある本に運命を否定されつつも、諦めず、本の予言を覆して未来を掴む者の物語。

 生きていれば誰もが直面する困難を乗り越えて、勝手に絡めつけられた鎖を断ち切り、その先にある〝本当〟を掴む物語。


 ――決めた。


 俺はこの物語の主人公に向けて、思いついた本の名前を教えてやった。


「この物語の題名は――」

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アフター・ザ・ストーリー のーが @norger

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