第14話

「国王陛下のご帰還だッ! 開門せよッ!」


 商店街から富裕層の住宅街を抜けて、ノールは城に連行された。城を囲む広大な池は陽光を浴びてキラキラと水面を輝かせている。この池は都の近くを流れる川から地下水路を伝って流れてきているという、昔マノリアから聞いた話をノールは思い出していた。

 防衛のために溜められた水辺に一箇所だけ、池の中央へ続く橋が架かっている。橋の先端は直接城門となっており、その門の両脇に控えていた門衛が、トラヴィスの前を歩いていた近衛兵の一声に従って扉を開く。

 二人がかりで開けられた城門はノールの身長の四倍か五倍ほどの高さがあり、横幅にしても一〇人で横一列になっても通過できる大きさだ。


「何を立ち止まっているッ! 早く進めッ!」


 城の外観を見上げていたノールの背中を、彼の後ろにいた兵士が乱暴に押した。躓きかけたノールだったが体勢を立て直し、反射的に振り返って兵士を睨む。


「まぁそう興奮しないでください。兵士の貴方も、彼は一応私の客人なのですからね?」

「し、失礼いたしました。以後気をつけます」


 トラヴィスに注意されると、兵士は緊張した様子で頭を下げた。


「ノールくん、城に来るのは初めてでしょう? でしたら、この建物の外観に魅了されてしまうのも仕方のない話です」

「八年前の結果によっちゃ、ここに住んでたかもしれねぇけどな」

「仮定の話に意味はありません。それはただの妄想ですからね」


 背後の扉が音を立てて閉まり、城内を照らす明かりは壁に点在する燭台の炎だけとなる。しかし数が多く、屋外と遜色ない明るさを保っている。


「もういいだろ。これを外してくれねぇか」


 トラヴィスに聞こえる声で頼み、ノールは縛られた手首を顎で示す。


「もう少しの辛抱です。まだここは、事情を知らない方が大勢いらっしゃいますからね」

「腐った貴族共に勘違いされようが構わねぇよ。せっかくの初登城だってのに、これじゃあ窮屈で満喫できねぇじゃねぇか」

「贅沢は言わない方が身のためですよ。それに、城内では拘束具の持つ意味が変わるのです。貴方に意味もなく暴れ回られては困りますからねぇ」

「大人しくついてきた奴が、今更暴れると思うか?」

「それはそうでしょう。急に従順になったら、化けの皮を被っていると疑うのが筋です。ノールくんの場合は心配しておりませんが、私はとても臆病でしてね。その辺りはご容赦ください」

「ちっ」


 現段階での拘束の解除を諦めたノールは、腕を封じられたまま城内を見回す。単純な興味があったのも事実だが、いつかこの城に攻め込む日のために、できるだけ内部の構造を覚えておこうという魂胆も背景にあった。

 中央の広間の天井は城門より高く、左右と正面の壁に、いくつもの同じ形をした扉が取り付けられている。左右の扉は閉め切られていたが、正面に並んだ扉は全て開け放たれており、食欲を誘う香りが嗅覚を刺激する。ノールはそれで、昼食をご馳走になる前に店を出てきてしまったことを思い出した。

 この城の一階部分の構造に関しては、本の中では触れられていない。ならば隠したりはしないだろうと、ノールは手近な兵士に直接訊ねてみた。


「おい、正面は食堂だとして、左右は何の部屋なんだ?」

「口の利き方を考えろッ! 貴様に教えることなど何もないッ!」

「つまらんことを言うな。俺様は純粋に興味があるだけだ。教えてくれてもいいだろ。なぁ、トラヴィス」

「私の城に関心を持っていただくとは、嬉しい限りですねぇ。兵士さん、そう熱くならず、彼の質問に答えてあげてください」

「は、はぁ……ですが、この者の良からぬ計画の手助けになる可能性が……」

「心配無用です。それは私が保証しましょう」

「……承知いたしました」


 トラヴィスには頷いたが、兵士はノールに不満そうな目を向けた。その状態で彼は説明を始める。


「貴様の言ったように、正面は食堂だ。今は昼時だから人の出入りが激しいが、食事の時間以外は殆ど閉め切られている。右の三つの扉は別々の会議室に繋がっている。ここでは頻繁に国王陛下や有識者達の会議が行われている。左は客室だ。扉の先に廊下があり、遠方からの客人などが宿泊される個室が用意されている。他に知りたいことはあるか?」

「一階は充分だ。続けて二階も頼む」

「なにぃ? 何故貴様が上階の情報を知る必要がある」

「これから上がるんだろ。歩きながらでいいから教えろ」

「貴様ァ……」


 今にも帯剣した武器の柄を握りそうな兵士に、トラヴィスが命じた。


「従いなさい。ノールくんの言ってることは本当ですよ。彼には、私の私室まで来ていただきます」

「し、私室にッ!? いくら命令でもそれは……」

「では拒みますか? となると、君には下の階へ行っていただくことになりますが、それでよろしいですかねぇ?」

「い、いえ……失言でした。ご無礼をどうかお赦しください」

「聞かなかったことにしましょう。さ、上へ参りますよ」


 広間の左手に、城門と向き合う形で幅広の階段が設置されている。その裏側には、階下の牢屋へ続く別の階段が存在していた。マルティンや処刑された脱走者はここから逃げ出したのだろうと、ノールは当時の光景を想像した。

 前後を兵士に挟まれ、彼らの鎧兜と同じ鉛色の階段をのぼっていく。

 最後の段を踏むより先に、紹介を頼まれた兵士が二階の構造について語り出した。


「二階へのぼってすぐ隣にある扉は、我々近衛兵の詰所だ。正面は国政を務める重鎮の執務室となっている。右は資料室だ。様々な図書や書類が保管されている」

「執務室と資料室の割り当てが妙にでけぇな。何か隠してんじゃねぇのか?」

「執務室は一つではない。資料室が広いのは、我々の所有している図書が貴様の想像より遥かに多いだけだ」


 二階の広間を移動しつつ、嫌々といった表情ながら兵士は素直に質問に答える。


「にしても、ここは結構な高さなんだろ? 展望台とかねぇのかよ」

「詰所と資料室にバルコニーがある。貴様も外から見ただろう」

「そういやあったな」


 城へ向かう途中で、城の中腹辺りの両端に小さな出っ張りがあるのを見た。発見した時は遠くて正体が不明だったが、あれはバルコニーだったのだとノールは納得した。

 トラヴィスは近衛兵を引き連れて、一定の歩調を乱さず三階へ続く階段に向かう。

 二階の階段は、一階にあった物とは違い、上階と階下へ続く物が別々の位置に設置されていた。

 二階の広間では、左奥に階下への階段があり、手前の右側に、壁に沿うようにして上階への階段が設置されている。資料室の手前の扉の真正面に階段があるという、不自然な造りだ。


「妙な造りだな。どうして三階にあがる階段だけ横向きなんだ?」

「この城の建造当時の資料によれば、王の間を広くするためだったそうだ」

「バランスの悪い造りだな。おめぇもそう思わねぇか?」

「知らん」


 三階にあがると、兵士に教えられた意味がわかった。

 階段は一階と二階を繋ぐ物より長く、段差は建物の端まで続いていた。のぼりきると右手には高い壁がそびえており、反対側の端までそれが続いている。まるで、城の中に城壁があるようである。

 城壁の中央には、城門と同じ大きさの巨大な扉があった。トラヴィスはノールを一瞥して微かに笑うと、兵士に扉を開けさせて中へ入る。ノールも彼の後に続き、城の最重要区画に足を踏み入れた。

 ノールを招き入れると、巨大な扉が完全にしまってからトラヴィスは振り返った。


「どうです? こちらが最上階の王の間ですよ。城に興味があるのでしたら、心ゆくまでじっくりとご覧になってください」


 油断せぬよう気を張りつつも、荘厳な内装にノールは圧倒される。支柱が奥に向かって二本ずつ等間隔で並んでおり、小さな階段を超えた先に赤と金の素材で出来た玉座がある。絵に描いたような国王の君臨する空間だが、陳腐だなと毒を吐ける気にはなれなかった。


「八年前、貴方の父上は戦乱の渦中とはいえ、ここまで迫ってきたのですよ。あれは生涯忘れないでしょうねぇ。兵士が束になっても薙ぎ倒して突進してくるものですから、底知れぬ恐怖を覚えました」

「親父は一人だったのか?」

「ええ。多数の同士を連れて攻城戦を仕掛けてきましたが、こちらも万全の防御を布いておりましたからねぇ。長い階段をのぼりきれたのは、彼一人だけでした」

「……待て」


 トラヴィスに当時のことを聞かされ、ノールの顔が青ざめていく。

 八年前、ノールの父親が率いていた反乱軍は、国王討伐を掲げて行動を起こした。そのために都は炎上して、国全体を巻き込む大きな戦争に発展したのだ。数え切れない犠牲者が出た。だが反乱は失敗に終わった。トラヴィスが健在であることが何よりの証拠だ。

 しかし、反乱軍の総大将であるノールの父親は、国王の首元まで迫っていたという。

 幼いノールの待つ自軍の拠点まで、白紙の本を持ち帰ってきた彼の父親が。


「……つーことは、親父はここまで来たのに、てめぇを殺さず本だけ持ち帰ってきたとでも言うのか?」

「ここからは込み入った話になります。続きは、奥にある私の部屋でいたしましょう」


 この場で会話を続けることを一方的に拒むと、トラヴィスは玉座の前にある短い階段をのぼる。豪奢な椅子には座らず、その横を素通りした。ノールが黙って彼の後に続く。

 ノールが一歩踏み出すと、脇に控えていた兵士が勝手についてきた。トラヴィスは玉座の左後ろにある扉の前に立つと、ノールの到着を待った。やがて彼が追いつくと、付き添いの兵士に目を向ける。


「この先は私と客人だけで話します。近衛兵の皆さんは、貴方を除いて通常の仕事に戻ってください」

「お二人だけで、ですか? しかしそれでは国王の身が……」

「おやおや、私に逆らうのですか?」

「……いいえ、失礼いたしました。ですが、私は何をすれば良いのでしょう?」

「私の部屋の見張りですよ。いくら無害な客人といえど、用心することは大事でしょう?」

「仰る通りでございます」


 過去に自分の殺害を謀った者と二人だけになるなど、まともな奴ならば考えもしない。トラヴィスを守る兵士達が彼の命令に疑問を抱くのは当然だ。それに従ってしまうのは、彼の威厳が成せる業なのか。それとも、特別な力でそうさせているのか。


「ノールくん、こっちですよ。狭い所ですが、どうぞお入りください」


 自分が仇敵に手を出せずにいるのも、従っているのも、全てそうさせられているからなのかもしれない。実際に逆らおうとは思えず、真相を知る術もない。

 けれどもノールは知っていた。

 この城の最奥部である国王の私室で、その真相を知ることになる未来の存在を。

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