第13話

 翌日の昼間、来客が掃ける時間を見計らい、ノール達は昨日恩を着せられた青年の飲食店を訪れていた。飲食店と大雑把に紹介していたが、来ててみればそこは酒場だった。細長い店内の手前には長いカウンターがあり、カウンターの内側の棚には酒瓶が所狭しと並んでいる。棚の隣には小さな扉があり、そこが食材置き場になっているようだった。

 ノール達が来店すると、酒瓶の棚に手を伸ばしていた青年が即座に気づき、嬉しそうに店の奥にあるテーブル席を案内した。

 店内には、男の他に従業員の女性が二人と、ノールとメルトがいるだけだった。ノール達以外に、客と呼べる者はどこにもいない。


「随分と寂れてんだな。こんな客入りでやってけるのか?」

「偶然ですよ。普段はこの時間でも結構賑わってるんですよ? どういうわけか、貸切にしたわけでもないのに今日は昼過ぎから客が来なかったんです」

「そういうことか……まぁ、俺としては静かな方が好みだから別に構わねぇけどよ」


 意味のない会話を交わした後、ノールとメルトは隅にある席に腰を下ろした。席につくと女性店員が水を運んできて、人気のある料理を勧めてくる。ノールに全権を任されたメルトは、一番人気の料理を二人前注文した。

 ノールはコップに注がれた水を一口で半分ほど飲む。メルトはコップには手をつけず、隣にいる彼に目を向けて、他の者に聞かれないよう声を潜めた。


「ノール、本の通りには行動しないって言ってたのに、どうして素直に来ることにしたの?」

「こいつも検証になるかと思っただけだ。良い手がひらめかねぇから、何もしねぇよりはマシって程度の期待しかねぇけどな」

「塗りつぶしてもちぎっても駄目で、水に浸けても燃やしても効果がなかったもんね。あたし的には、それだけの数の対処方法を思いついただけでもすごいと思うよ」

「おめぇに褒められたって意味ねぇんだよ。トラヴィスに否定された燃焼行為まで試しちまったのは、引き出しが無くなった証拠だ。他に考えが浮かばねぇなら、逆のことを試してみるのは悪くねぇはずだ」


 現在思いつく限りの打開策を試して撃沈したノールが考えたのは、至極単純なことだった。

 どうやっても本の内容に逆らえないのなら、どうやっても本の内容の通りになるか否かを検証する。物語に反した行動を取ろうとしたことは何度もあったが、意識して物語に沿ってみようと考えたのはこれが初めてだ。


「これからこの店に客が来る。物語と同様に俺達以外に客がいねぇ閑散とした店に、まず普段なら立ち寄らねぇはずの珍しい客が来る」

「珍しい客って、あの男だよね。あいつが本当に来るかどうかで、本の影響力を判断するの?」

「いや違う。トラヴィスは作者だ。本人なら喜んで本の通りに動くだろう。あいつの行動は信用しねぇ。大事なのはその前だ」

「前? あの男が来る前に、誰か来るの?」

「ああ。例の〝盗賊〟がな」


 ノールが何も知らないメルトに語っていると、入口の扉が開いた。反射的に女性店員が声をかける。その間にも入口からは続々と客が入店してきて、四人目の者が後ろ手で扉を閉めた。


「奥のテーブル席へどうぞ」

「感謝する」


 そのグループは全員が麻のローブを頭まで被っていて、遠目では鼻から下しか視認できないが、先頭の者は店員に礼を言った際の声色から男性であるのは間違いない。他の三人も、体幹の太さから男性であると想像できる。

 ローブの集団は床を軋ませながら奥のテーブル席に進む。カウンター席と仕切りができている位置まで近づくと、先頭の男が自分を見上げている先客の視線に気がついた。


「……ッ! キサマは――」


 煽るつもりはなかったが、つい癖で嘲笑してしまうノールの視線と、ローブの下で口を開けた男の眼光が交錯する。


「よぉ。なんつーか、めんどくせぇ偶然だなぁ。あんたもそう思うだろ? マルティン」

「飯を食わせてもらいに来たが、このような形式で頂くことになるとはな」


 膝まで垂れたローブをめくり、内側から剣を引き抜いて顔を見せる。剣尖はノールの首元を捉えており、その光景を目にした店員達が悲鳴と共に退いた。

 メルトは自身の役目を果たすため、臨戦体勢に移行しようとする。

 しかしトンファーにかけた彼女の手を、隣にいるノールが静止した。


「抵抗する必要はねぇ」

「でも、マルティンさん本気だよ。目が殺気に満ちてる」

「そんなもん、俺だって見りゃわかる。だがな、あいつは殺せない。俺はここで死んだりしねぇからな」

「まさか、それも本に書いてあったの? だとしても、命をかけるのは危ないよ」

「俺の命はもう天秤の上に載っかっちまってんだ。それに、俺達はいつだって命がけで金を稼いできただろ?」

「そうだけど……」

「いいから。俺を信じろ」

「っ! それを言われたら、何も言えないじゃん……」


 戦意を喪失して弱々しくメルトは呟く。異様に聞き分けが良くて疑問を抱くノールだったが、刃を向けている男に応対することが優先だとして、彼女の問題は頭の隅に追いやった。


「こっちの相談が終わるまで律儀に待ってるくれるたぁ。義賊サンはお優しいねぇ」

「キサマとは違う生き物だからな。理解してくれなくて構わない。俺もキサマのことは理解しようと思わん」

「悲しいねぇ。俺様だって優しいとこはあるんだぜ? 例えば、こうしておめぇが来るのを待ってやっていたのも、その一つだ」

「適当なことを言うな。我々がこの店に来ることを、伝えてもいないお前にわかるはずあるまい」

「そうか? 俺様は未来を予知できるからなぁ。まぁ、説明したところで違う生き物のおめぇには理解が及ばねぇだろうが」

「くだらん。話はそれだけか?」


 突きつけた剣を水平にして、ノールの首の寸前に構える。

 我慢できずに動こうとしたメルトの膝を、ノールは片手で抑えた。


「メルト、君は抵抗しないのか? 君との再戦まで見据えて、上等な剣を新調してきたのだがな」

「マルティンさんじゃあたしに勝てないよ」

「承知の上だ。しかしこの男を滅したいのなら、避けては通れないと覚悟している。それとも目が覚めたか? この男に守る価値などないと、気づいてくれたか?」

「そんなわけ――ッ!」

「メルト」


 抑止している手を振り払って立ち上がるメルトに、刃の迫った状況に微動だにしないまま、ノールが諫めるように名前を呼ぶ。不満そうなメルトが座るのを待ってから、ノールは眼球だけを動かしてマルティンを眺めた。


「こいつの相手なんざすんじゃねぇ。こいつは浸りたいだけだ。優位な立場でいることに喜びを感じてんだよ。三人も仲間を引き連れておいて手を出させねぇのも、それすら必要ねぇと悦に浸るためだろうよ。俺様に刃を向けてるのも同じだ。手を下すつもりなんてありゃしねぇ。相手が怯える姿を見て楽しみたいだけの悪趣味な野郎だ。ったく、トラヴィスと変わらねぇなぁ。くっくっくっ、ま、俺様も人のことを言えた身じゃねぇけどよ」

「黙れッ! その口が二度と物を言えぬようにされたいのかッ!」

「やれねぇよ。冷静に考えてみろ。この状況で俺様を脅迫して何の意味があるってんだ? 意味なんざねぇよ。てめぇは自分が脅迫という行為を取ってる理由すら自覚しちゃいねぇ」

「俺がキサマのような下衆を何人この手で葬ってきたと思っている。今さらキサマ一人を殺すことに躊躇などないッ!」

「なら試してみりゃあいい。どうせ俺様の言葉を信用する気なんざねぇんだろ? だったら殺してみろ。そのために刃を向けてると、そう思ってんだろ?」


 少し背中を押されれば転落する断崖絶壁に立たされているのに、ノールには焦る様子も気配もない。余裕の笑みすらこぼして、自らの首を斬り落としてみろと、正気では飛び出さない提案を敵であるマルティンに持ちかける。

 あまりの精神力の強さに気圧されたのか、マルティンの持つ剣先が微かに震える。動揺を断ち切るように、マルティンは一旦刃を引いて両手で縦に構えた。


「そうか。その度胸は立派だ。それは素直に認めよう。だが、キサマはここで終わりだ。キサマのような男は危険すぎる。無茶をして俺の計画を台無しにされては困るのでな。店の者には悪いがここで死んでもらう」

「いいから早くやってみろや」

「ッ! そんなに死にたいのなら、望み通りにしてやるッ!」


 紛うことなき本物の殺気をまとい、心を決めるように勇ましく声をあげるマルティン。だというのに、殺されそうなノールは、先日も似たようなことがあったななどと暢気に記憶を思い返していた。あの時の心境とは大違いだなと、そんなことも思った。

 メルトはトンファーに手をかけていたが、座って膝を抑えられている体勢では、マルティンの剣の鋭さには間に合わないと理解していた。振り下ろされれば阻止はできないと内心で焦っていた彼女は、最悪の現実を認めまいと目を逸らす。

 だが、今回も定められた運命が変わることはなかった。

 その場にいる誰もが、店の入口を注視して硬直していた。扉が再び開かれている。来店してきた男達は、鎧と兜で全身を覆っていた。唯一中心にいる男だけが、場違いな派手な服装で佇んでいる。

 ノールを招いた店の主人は新たな客の容姿を目の当たりにして、信じられないといった言葉を表情で語り、たじろいだ。


「お、王様っ!? な、なぜこんな店なんかに?」

「控えろッ! 国王陛下が貴様のような庶民の店で食事をするわけなかろう」

「で、でしたらなぜ?」

「貴様には関係ないッ! 黙っていろッ!」


 近衛兵の男が恫喝すると、店員達は店の隅で固まり、ありえない客人の動向を怯えた目で観察する。

 国王は、そんな彼らを愉快そうに眺めた。


「まぁまぁ、そう怯えなくてもいいではありませんか。ここには私の待ち人がいるのです。私は、その人物に会いに来ただけですから」

「ま、待ち人、でございますか」

「左様。そうでしょう? ノールくん」


 笑いを含んで奥のテーブル席に向けて名前を呼ぶトラヴィス。彼の声は、ノール達の耳にも鮮明に届いていた。

 相変わらず癇に障る態度のトラヴィスに苛立ちながらも、ノールは刃と共に静止しているマルティンに囁く。


「おいマルティン。おめぇは逃げろ」

「なにっ? なぜキサマに指図されなきゃならん」

「んなもんどうだっていいだろうが。正面の入口は見ての通り使えねぇから、カウンターの裏にある扉を使え。繋がってるのは食料庫だが、その先にある扉が外に通じてる」


 来店するのが初めての店の構造を、関係者であるようにマルティンに伝える。


「……キサマに従うわけではないが、俺達もここで捕まるわけにはいかん」

「御託はいいからとっとと行け。まだ向こうは俺様にしか気づいちゃいねぇんだ」

「キサマは、逃げないのか?」

「ああ。俺様は、どうやったって逃げられねぇからな」

「は……?」

「いいから行け。その三人を連れてな」


 釈然としない顔で対峙していたマルティンだったが、悩む時間はないと判断したのだろう。刃を鞘に納めてローブを頭まで被ると、カウンターを飛び越えて食料庫に続く扉を開ける。


「貴様何をしているッ! 動くなッ!」

「放っておきなさい。今日は人に会いに来ただけなのですから、余計な面倒事は避けたいのですよ」

「ですが、逆賊である可能性も……」

「関係ありませんよ。私には、何人も逆らえないですからね。ひっひっひっ」


 特有の不気味な笑い声を響かせながら、トラヴィスは奥のテーブル席に座る二人の客のもとに近寄っていく。

 はっきりと顔を視認できる距離で立ち止まり、一層気味悪く口元を三日月型に歪めた。


「お待たせしましたね、ノールくん」

「ああ。待ってたぜ、トラヴィス」


 約束なんて交わしておらず、するわけもないというのに、ノールはトラヴィスが今日この店に来ることを知っており、トラヴィスもまた知っていた。現実に、それは物語と同じ展開を迎えている。

 伝えておいたはずだが、メルトが感情に従い武装して席を立つ。


「落ち着けメルト。席に座れ」


 またもノールが宥めるが、彼女は素直に従わなかった。


「ノールおかしいよ。目の前にいるのは国王だよ? 親を殺した男なんじゃないの? あたし、わからないよ。どうして何もしないの?」

「無駄だからだ。おめぇを止めるのも、同じ理由だ」

「そんなのやってみなくちゃわからないっ! あたしは、そのために強くなったんだからっ!」

「おめぇ個人には怨恨なんざなかったんじゃねぇのか」

「いまはあるよ。この男は、あたしの一番大切な場所を壊した」


 冷たく燃える激情を瞳に宿して、メルトはトラヴィスを凝視する。彼女から危険を感じ取り、二人の兵士が国王の前に出て盾となった。

 ノールも立ち上がると、内に秘めた炎を鎮火させようとメルトの肩に手を置いた。


「そうだったな。すまん。だが、ここでは殺せねぇんだ。俺が何を根拠に言ってるか、わかんだろ?」

「本で否定されてるから無駄な抵抗はしないって言うの? そんなの……うまく言えないけど、おかしいよ」

「渡らなくてもいい危ねぇ橋を渡る必要なんざねぇだろ」

「じゃあ、ずっと物語に身を任せるの? いつかは渡らなきゃ、目的地には着けないよ?」

「ああ。だから渡る時は俺が決める。そしてそれは今じゃねぇんだ」


 そう説得して、ようやくメルトは胸の前に構えたトンファーを下ろした。席には座らず、トラヴィスの姿を瞳に映し続ける。

 向けられていた殺意が和らぎ、トラヴィスは楽しそうな様子でノールとメルトを交互に見据えた。


「いやいや、殺すだの殺さないだの、物騒な話を始めるものですから震えてしまいましたよ。怖いですねぇ」

「けっ、戯言を垂れやがって。トラヴィス、てめぇ俺様を迎えに来たんだろ?」

「ええ、そうです。ひっひっひっ。私は嬉しいですよ、ノールくん。君が自身の運命を受け入れてくれたようですからね。それでいいのです。君は私を楽しませる〝喜劇〟の主人公を忠実に演じてくれればいいのです。そうやってね」

「ちっ……だが、もし俺様が拒否すると言ったらどうする?」

「わかっているでしょう? 拒否などできませんよ」


 どこからか騒々しい足音が聞こえてきたかと思えば、開けっ放しにされた食料庫への入口から兵士が四人現れた。マルティン達が逃げたことにより、外に待機していた兵士が裏口の存在に気づいたのだろう。もっとも、全て想像の及ばない超越した力が原因と説明することもできる。

 メルトが飛び出さないか心配して彼女を見ると、彼女は不安げな目でノールを見つめていた。その姿は儚げで、ノールは彼女の存在が普段より小さくなったと錯覚する。


「ねぇノール、迎えに来たってどういうこと?」

「メルト。俺はこれからトラヴィスに捕まる。だが、絶対に死んだりはしない。だからおとなしくしていてくれ」

「えっ!? 捕まるって、死なないって、そんな保証……っ! それも、本に書かれてるの?」

「……そうだ」


 運命に逆らう姿勢を見せてくれないノールに、メルトは声もなく非難の目を浴びせる。ノールはそれがつらかったが、彼女から意思を背けることで逃げた。

 ノールはトラヴィスと向き合い、文字通り抵抗を無駄と判断するしかない状況に白旗を揚げる。


「わかった。おめぇの望み通り、捕まってやるよ」

「違いますよ。これは招待です。私が、自分の客人を自分の城へ招待するのですよ」

「どっちだっていい。それより条件がある」

「ふむ。これだけの兵士に囲まれながら、そんな言葉を口にしますか。やはり君はおもしろいですねぇ。で、条件とは何ですか?」

「メルトには危害を加えるな。それだけだ」


 背後で空気が振動した気がしたが、ノールは振り向かなかった。

 トラヴィスはノールの交渉に歓喜して答える。


「そんなことですか。いいでしょう。その条件を呑んでさしあげます。ですが、こちらが危害を加えられそうになったら、相応の対処をさせてもらいますよ?」

「それで構わねぇよ。こんなとこにいても店の迷惑だ。行くならさっさと行くぞ」

「ひっひっひっ、ノールくんはせっかちですねぇ」


 トラヴィスは『招待』と言ったが、承諾したノールに近づいてきた兵士は彼の手首を縄で縛った。


「これは手厚い待遇だな」

「君のためを思っての処置です。束縛せずに私と歩いていたら、目撃者から寝返ったように勘違いされてしまうでしょう?」

「それもそうだな。さすが、『招待』と口にするだけあるぜ」

「満足していただけたようでなによりです。では、行きましょうか」


 兵士と国王を先頭に、隊列の末尾で連行されてノールが店から出て行く。途中、何か言いたそうに口を半開きにさせて、僅かに身体を震わせているメルトと目が合った。


「無茶すんじゃねぇぞ」


 これから彼女が起こす行動を考えると、ノールが彼女にかけられる言葉はそれで精一杯だった。

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