第12話

 ノールは咄嗟に外していたホルダーを拾い上げてナイフを引き抜き、空のホルダーを床に捨てつつ逆手で構える。メルトもベッドから飛び起きて、部屋の隅にまとめた武器には手を出さず、徒手空拳のまま扉の方を注視する。


「二〇二号室の方います――ひっ、な、なななんですか!?」


 部屋に入ってきた小太りの中年は、臨戦態勢のふたりを目の当たりにして、眠そうな細い目を瞼が裂けそうなほどに大きく見開いた。思わず一歩後退する。

 ふたりはその人物の姿を確認すると、肩の力を抜いて腕を下げた。ノールは落胆してナイフを置くと、入ってきた男に向き直る。


「わりぃ、ノックもなしに入ってきたもんだから、暴漢かと勘違いしちまった。許してくれ、旦那」

「え、ええ。ノックしなかったのは私の責任ですから、お互い様ですよ。いやぁ、それにしても驚きましたよ。殺気を肌で感じたのは初めてです。もう、腰が抜けそうでしたよ」

「悪かったって。それで、宿の主人が客に何の用だ? 食い物でも分けてくれんのか? その手に持ってる籠、パンか何かが入ってんだろ?」

「ええ。よく気づきましたね。近所のパン屋が売れ残ったパンを持ってきてくれまして、お客さん達に分けて回ってる最中なんですよ。というわけで、どうぞ」


 宿屋の主人は籠から紙袋を一つ取り出すと、部屋の机に近づき、開かれたままの本の脇に置く。

 本の存在には気づいていたが、特にそれを不思議がることはない。もう一つ紙袋を取り出して、先に置いた紙袋の隣に並べた。


「二つもいいのか?」

「宿泊者一人につき一袋ずつ配ってますからね。お気に召さなかったら言ってください。こちらで処理いたしますので」

「ああ、わかった。用件はそれだけか?」

「いえ、もう一つあります。と言っても情報展開だけですが」

「前に城の牢屋から脱走した犯罪者の目撃情報とかか?」

「ご存知でしたか。注意喚起のために伝えておくべきかと思いましたが、知っておられるのであれば無用ですね」

「いや、最新の情報までは知らねぇ。奴はどこで目撃されたんだ?」

「この街の中ですよ。周知させるべきと判断したのもそのためです。どこかに隠れ家があって、そこに潜んでいるのでしょうね」

「街中か……まぁ、そうだろうな」


 これからのことを考えれば、現段階で外に逃げている確率は低い。ノールは彼の見解に納得した。


「それでは私はこれで。どうぞごゆっくり」

「ありがとねっ、おじさん」


 メルトから声をかけられ微笑むと、宿屋の主人は音を立てないよう丁寧に扉を閉めて去っていった。

 登場人物が一人消えたところで、ノールは軽いため息をついた。ペンで黒く塗りつぶした文章に目を落とす。


「はぁ。わかっていたが、やっぱこんな程度じゃ駄目だな」

「でも、書いてないことも起きたよね? パンを貰えるなんて本には書いてなかったじゃん」

「それを言っちまえば、俺が文章を塗りつぶす展開だって書かれちゃいねぇ。本に書かれていれば確実に起きるが、書かれていないことだって起こせるってわけだ。この辺りの法則を踏まえて思索すれば、抜け道が見つかりそうな気がするんだがな」

「うーっ……難しいなぁ……」


 眉根を寄せて呻き声あげると、メルトが苦しげに片手で頭を抱える。


「おめぇは無理に考えるこたぁねぇよ。こういうのは俺の担当だ」

「なにか、他にも考えがあるんだね」

「まあな。こいつも大して期待できることじゃねぇんだが、試すだけ試してみるか」


 気持ちを昂ぶらせたりせず、ノールは冷静に本を机から拾い上げると、躊躇いなく文章に取り消し線を引いた次のページを引きちぎった。紙の繊維を裂く軽快な音が室内に響き、メルトが驚きを隠せずノールと本を交互に見る。


「え、破っちゃったの? いいの、それ?」

「こうしても効力が残るかの検証だ。これもさっきと同じ、どうでもいい部分だからな。今度は一文だけじゃなくて二ページ分の記述が対象になるが、物語にあってもなくてもいい本筋とは関係ねぇ場面のまとまりだ。読んでみりゃあわかるぜ」


 ちぎったページを乱雑に丸めると、メルトの胸に投げる。なにかと道具を投擲することの多い彼は制御が上手く、紙の球は狙い通りに飛んでメルトが難なく受け取った。

 彼女は皺が無数に作られた紙を伸ばして、そこに書かれた物語を読んでいく。


「〝見知らぬ男の喧嘩を仲裁して感謝される〟って最後にあるけど、どういうことだろう」

「わからねぇが、意地でも部屋から出なけりゃ他人の喧嘩に巻き込まれるわけがねぇ。いつ起きるか判然としねぇから、とりあえず引き篭もって様子を見るか」

「あたしに買い物をさせたのは、篭城するためでもあったの?」

「そういうことだ。いつまで続けるか決まってねぇからな」

「結構先まで考えてたんだね。ノールはやっぱすごいよ」

「おめぇの分まで頭を働かせてるだけだ。キレたマルティンを止めてくれた借りもあるからな」

「あんなの、大したことじゃないよ」

「そいつは頼もしい限りだ」


 褒めたつもりだったが、己の功績を誇ろうともせず、メルトは純粋な感想を口にする。マルティンが聞いたらさぞ悔しがるだろうと想像しながら、ノールは意味もなく窓から空を見た。

 あの男が〝盗賊〟だとすると、この後の物語でも何度か登場する。つまり、あの男もまた、物語によって踊らされている一人というわけだ。ノールは、それもまた物語の展開を覆す要因となるのではないかと、心境とは対照的に晴れた空を眺めながら漠然と思った。

 メルトはベッドの上に寝転がっていたが、瞼は閉じていない。何もない天井の一点を見つめて、考え事に耽っていた。直接訊いたわけではないが、ノールは彼女がマノリア達の現在を想っているのだと解釈した。

 しばらく静かな時間が流れたが、どこかから漏れ聞こえてくる怒声が平穏に侵攻する。商店街で値段を巡った諍いでも起きたのかと思い、ノールは窓から街を見下ろした。

 行き交う人々や立ち並ぶ商店と商人達に変わった様子はない。

 しかし、怒声は依然として続いている。


「おいおい冗談だろ……」


 苦虫を噛み潰した表情で振り返ると、こもった音の怒鳴り声が扉の反対から漏れ聞こえてくる。どういう状況なのか想像もつかないが、それは着実にノール達の部屋へ近づいてきているようだった。

 まさか室内にまで侵入してこないだろうなと心配すると、返答代わりに騒々しい衝撃音と共に入口の扉が破壊された。留め具と板が床に落ち、悲鳴を上げた若い青年が二人、取っ組み合いながらメルトの足元を転がる。

 喧しい騒動にメルトが上体を起こす。彼女は目の前で倒れた青年達を不機嫌そうに見下ろした。


「お兄さん達、勝手に入っちゃ駄目じゃん。ここ、あたし達の部屋なんだよ? 使いたいなら宿泊料金半分払ってよ?」

「えっ、あ、いや、その、すみません」

「迷惑をかけるつもりはなかったんだ。こいつに突き飛ばされてな」

「なんだとッ!? 嘘をつくなッ! そっちが先に袖を引っ張ったんだろッ!」

「他人が見てるんだ。少しは落ち着け」

「お前はそうやって正しいフリをして周りを味方につけようとするッ! そういうとこが前々から気に食わなかったんだッ!」


 馬乗りになった青年が激昂した様子で倒れている男の襟首を掴む。掴まれている男があと一言でも挑発すれば、片手を襟首から離して殴りかかりそうな雰囲気だ。

 ノールは彼らがどうなろうと興味がなかったが、メルトに任せていても邪魔者が退散するまでに時間がかかりそうだったので、椅子から立ち上がって睨み合う青年達の脇に立った。


「おいてめぇら――」


 言いかけて、ノールは本の文章を思い出した。

 〝見知らぬ男の喧嘩を仲裁して感謝される。〟

 このまま下手に注意すれば、本と同じ結果を導きかねない。二人の青年は、それぞれ手を止めてノールに視線を向けている。

 中途半端に黙るのも不自然かと過ぎったが、ノールはそれ以上は口にせず、本に操られたかもしれない苛立ちを抱えて椅子に戻る。

 わけがわからないと言わんばかりに呆けた顔の青年がノールを見る。彼らの視線に気づくと、ノールは黙したまま威嚇するような表情をしてみせた。

 その瞳から何を感じ取ったのか、青年達は顔を見合わせた後、立ち上がってノールとメルトを交互に見る。


「その、申し訳ない。扉を壊して勝手に侵入したのを真っ先に謝罪すべきだったのに、それすらもできず情けない」

「悪かった。扉の修理代はこいつと俺で負担する。あんた達に冷めた目で見られていたら、くだらない理由で意地を張ってる自分の間違いに気づいたよ」


 唐突に清々しく締め括ろうとする青年の発言に、ノールはたまらず抗議する。


「扉の修理代を払うのは言うまでもねぇだろ。慰謝料請求されないだけありがたく思え。それと、てめぇらまさか、俺様達のおかげで鉾を収められたとか言うんじゃねぇだろうな?」

「いや、実際にそうだと思う。偶然とはいえ君達の部屋に侵入したからこそ、俺達は争いを馬鹿馬鹿しく捉えることができたんだ」

「あんた達のおかげだ。感謝してる」

「……わかった。それでいい。好きにしろ。これで満足か? なら、さっさと出ていけ」


 追い払うように手の甲を外側に振ると、二人は頭を下げて扉の無くなった出入口から出て行った。

 その事実にノールが刺激を受ける。思わぬ成果があったのかと驚き、メルトの横に放置されていた丸まった紙を拾い上げる。

 けれども、彼が紙の皺を伸ばして広げることはなかった。


「……俺は出て行けと言ったはずだぜ。まさかこの距離で聞こえなかったってことはねぇだろ」


 紙を握ったまま背後の気配に目をやると、追い払ったばかりの青年の一人が扉のあった枠に立っていた。馬乗りになっていた方の青年だ。


「怒らせたならすまない。だが、お詫びと礼をさせてくれないか?」

「必要ないといったら帰ってくれるか?」

「そう言われれば引き下がるが……実は、こう見えて俺は飲食店を経営してるんだ。是非料理をご馳走させてくれないか? 無論、味は保証する」

「知ってる」

「えっ?」


 結局は何も変わらない。手にした紙くずを部屋の隅に投げ捨てて、予期していた来客から目を逸らした。


「場所を教えてくれ。気が向いたら世話になるかもな」

「ありがとう。これが地図だ。基本的に毎日朝から晩まで営業してるから、好きな時間に来てくれ。満席でも席を用意するからさ」

「当然だ」


 懐から取り出したチラシをノールに手渡すと、彼は上機嫌で廊下の先に歩いてった。

 常に広告を携えているのは、彼が経営者だからなのか。

 それとも、最初からノールに渡すためだったのか。

 どちらも正しいように思えるが、後者は否定しなければならない。


「メルト、いまの男の誘いだが、行きたいか?」

「部屋に篭ってなくていいの?」

「もう意味がなくなった。篭ってる理由はねぇ」

「じゃあ、せっかくだしご馳走になろうよ。タダで食べさせてくれるって言うしさっ!」

「ああ。なら、ひとつだけ先に教えておく」


 ノールにもノールなりの思惑があり、青年の営む飲食店には顔を出そうと考えていた。それが物語に忠実な行動でも、意図した目的が果たせないとは限らない。

 だが、メルトが感情を制御できなくなったらお終いだ。彼女は断ったが、少しでも激情を抑えられるよう、この先に起きる出来事を事前に教えておくことにした。


「あの男の店に行けば、俺達はトラヴィスと再会する」


 それが、避けようのない運命が導く次の事件だった。

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