第15話
トラヴィスの私室は確かに狭かったが、物があまり多く置かれておらず、綺麗に掃除と整理が隅々まで行き届いていて清潔感があった。孤児院にあったマノリアの私室の家具を、全て国王御用達の高級品に差し替えればこんな風になるだろう。
背後にいたトラヴィスが部屋に入って扉を閉める。彼はノールに近づくと、その胸元に手を伸ばしてホルダーからナイフを引き抜いた。銀色の軌跡がノールの眼前を走る。
「お借りしますよ。さ、手を出してください」
縛られた両腕を前に出すノール。トラヴィスはそこへ刃を下ろすと、肌に傷をつけないよう細心の注意を払いつつ、拘束具を切断した。解放されたノールが、感覚を確認するために手首を振る。自由を取り戻した彼は、近くの壁に立てかけられていた黄金の剣を奪い、左手に持った鞘から刃を引き抜いた。
「舐められたもんだな。こんな大層な武器まで用意しておいてよぉ」
「ふむ。あれだけ言ったのに、まだわからないのですか?」
「何の話だ」
自身を狙う凶刃になど目も向けず、トラヴィスは後ろ手を組んで書類と書籍が混ざり合った棚まで悠然と歩いていく。そこに着くと、本棚を背にノールへ振り返った。
「先ほどの話の続きをしましょう。ああ、その前に、これを返さなければいけませんね」
本棚の隣にあるペンとインクが転がっている作業机と思しき場所に、ノールから借用したナイフが置かれる。
「刃物ですからね。直接お渡しするのは危ないでしょう。どうぞ、ご自身で取ってください」
「……」
不審と疑念を込めて鋭く睨みつつ、ノールは左手の鞘を地面に落とし、警戒しつつ作業机に近寄る。ノールがその気になれば簡単に殺されるはずなのに、トラヴィスの表情は対照的に柔らかかった。
ここでトラヴィスを殺しても、その後で兵士達に殺されるかもしれない。不倶戴天の敵を討てるならそれでもいいと思えたが、何かがノールの足を止めていた。
どうするべきか悩んだまま左手で拾い上げたナイフをホルダーに戻すと、ノールはトラヴィスに斬りかかるのではなく、彼と一旦距離を取った。
「さて、先ほどの続きを話しましょうか」
「俺様が、こんなチャンスを逃すと思うか?」
「ご冗談を。それが不可能であることは、ノールくんもよくご存知でしょう。君の父上は理解しませんでしたから、気力と体力を浪費しておりましたがね。父上の真似事をしたいのであれば、無理に止めはしませんが」
「てめぇが親父に勝てるとは思えねぇ。嘘を言うな」
「ええ。戦えば、私は勝てなかったでしょうね。しかし剣を交える必要などなかったのです。それは、決められた未来でしからね」
不意に、酒場でマルティンに対しての自分の行動が、ノールの頭に蘇る。あの時の状況と、現在と、おそらくは父親の直面した場面もすべて同じだ。殺そうと思えば簡単に殺せたのに、実際には論理が破綻した結果を迎えている。
「親父も、てめぇの本に踊らされてたっていうのか」
「ご名答。その物語の写しが、こちらになります」
本棚から隅に穴を空けて紐でまとめた書類の束を引き抜き、それを作業机に出す。
ノールは抜き身の剣を手にしたまま再度机に近づき、紙の束に目を落として左手でめくっていく。
「少し、昔話をしましょうか。といっても、別に耳を傾けていただく必要はありません。私が、ただ話したいだけですからね。父上の物語に興味があるのであれば、そちらに集中してもらって構いませんよ」
おとなしく傾聴するのはプライドが許さなかったが、トラヴィスが未来を予言する本に関する話をしようとしているのは、彼の口ぶりからして明白だ。おとなしく聞いていると思われるのも癪に障るので、ノールは書類を読んでいるフリをして耳に神経を集中する。
「私はね、この国の長となるまでは物書きの仕事をしていたんですよ。幼い頃からの夢でしてね。背景にあったのは単純でつまらない感情です。誰かから尊敬されるような立派な人間になりたい、という漠然としたものでした。多くの者は成長の過程で捨ててしまうそんな荷物を、私は大人になっても捨て切れなかった。その夢を叶える手段として物書きを選んだのは、単なる偶然でした。やがて私は本を売るようになった。ですが、どうにもあまり売れなくてですね。これでは駄目だと、焦燥に駆られながらも文章を書き続けた。そうして書いた物語は、やはり売れず、購入された物が道端で泥を被っていたりもしました」
自業自得だとノールは心中で嘲った。表向きは、無表情で書類をめくり続けている。
「道を誤ったのだと、私は後悔しました。物書きは私の天職ではなかったのだと。それから私は熟考の日々を送りました。幼い頃に抱いた夢は何だったか。やがて、誰かから尊敬される究極系とは、誰からも尊敬されることだと気づきました。この国に住まう全ての人々から敬われる存在になることが、私の求めている真の夢だと自覚したのです。それはつまり、国を治める王となること。ですが、当時の国王は世襲で決まっており、私のような純血の平民が成りあがることは無理でした」
仮に民意で決められる制度だったとしても、トラヴィスでは候補にも挙がらないだろう。そんな感想を心中で吐きながら、いつ本の話が出てくるのかを気にかけつつ、ノールは次の紙に目を落とす。
「永久に自分の夢は叶わない。それを知った私は、自分が望む地位にいる国王をひたすらに憎みました。憎み憎み憎み、怨恨の感情を仕事で培った能力で紙に綴り続けました。部屋は罵詈雑言と呪いの言葉が記された紙で埋まり、なおも眠気も忘れて私は書き続けた。あの男がいなくなれば、私が国王になる機会もある。当時の国王はまだ若く、正妻や妾も後継者を身篭っておりませんでしたからね。あの男を殺して嫡流が途絶えれば、風習が変わり自分も機会を得られると考えたのです。いや、そうなれば自分が国王として君臨するのだと、己に誓いました」
身勝手で倒錯している男の話の結末が、段々と見えてきた。現代でトラヴィスが国王の座に就いているということは、そういうことなのだ。
「何日間そうしていたのか覚えておりませんが、気づけば私は一つの物語を書き上げていました。紙くずの山の唯一開けた箇所にまとめられた物語は、主人公がとある国の王を倒し、自らが新たな王となる結末で締め括られていました。せっかく書き上げたものを腐らせるのも勿体ないので、私はそれを本にすることにしました。その時に、不思議なことが起きましてね。製本してから開いてみると、文字が全て消えていたのですよ」
「……それで、文字が再び現れたら、書いたことが次々と現実になったわけか」
「ええ。おかげで私は夢を叶えられました。重畳ですよ。この力があれば、万が一にも国王の座を下ろされることもありませんからねぇ」
めくるべき紙がなくなり、ノールは他にすることもなく言葉を挟んだ。黙っていることもできたが、あまりに馬鹿げた話に、看過することができなかった。
〝主人公とヒロインの国王討伐は叶わず、二人の旅はそこが終点となった。〟
最後の紙の左端には、その一文が書き記されていた。
「つまりてめぇは、本に書かれた出来事がどうして現実になるか理解してねぇんだな?」
「否定はしませんよ。しかし検証を重ねて法則は発見できました。強い思いを伴えば、製本の段階で文字が消えることがある。そうなれば、空想の物語は現実になるという法則をね。物語が始まるのは、再び文字が現れる時。転じてそれは、私の身に危機が迫った時ということです。国王たる私の命は、絶対的な抗力で護られ保障されているのです。貴方の父上には感謝していますよ。身を以って本が有する力を証明してくださいましたからね。私を倒せば英雄と呼ばれ、次期国王になれたのかもしれませんが、無論、私はそのような話は書きませんでした」
「親父にも本のことを話したんだな?」
「せめてもの慈悲ですよ。私は自らの脅威となった者を排除したいだけで、貴方の父上を消したかったわけではありませんからね。最後に、真相をお伝えしました。長いこと否定されましたが、どうやっても私に傷一つ付けられない現実から、徐々に信じてくれました。すると、私がお見せした本を無理に奪って燭台に投げ込みましてね。それが無意味だと知ったら、完成したばかりの本を手にとって城を出て行きましたよ。本を奪われるのは定めた未来ではなかったので少々焦りましたが、結果的には楽しい展開に繋がったので良しとしました」
無類の強さを誇っていた父親がなぜ殺されてしまったのか、なぜ命がけで本を奪い取ったのか、ノールは時折過去を思い出しては疑問に感じることがあった。その答えが、八年経ってようやくわかった。本をなんとかしなければトラヴィスを倒すことはできず、本を持ち帰ることに専念してしまったがために、敵に隙を与えて重症を負ったのだ。それでも並外れた気力で、自軍の拠点まで到達してノールに自らの願いを託した。
『国王を殺せ』
その国王が、目の前にいる。
ノールは手にしている剣を振り抜きたくなる衝動を抑制して、本を無効化するための情報収集に努めようと国王に質問する。
「親父に本を燃やされても動じなかったっつーことは、その前に試してたんだな?」
「当然ですよ。燃やせば効力を失うなどという脆さでは、信用するに足る価値はありませんからね。他にもあらゆる検証を繰り返しました。その末に導かれたのは、一度文字が消えてしまえば、いかなる真似をしようとも物語の展開は変えられない、という結論です。賢いノールくんのことですから、色々と試したんでしょう。しかし無意味だと諦め、受け入れることに――」
虚空を裂く鋭い音が響く。
傀儡に成り果てたと侮辱されたノールが、言葉で否定する代わりに刃をトラヴィスの首元に放ったのだ。
だがそれは、描く軌道を知っていたかのような最小限の動きでかわされた。
「怖いですねぇ。当たらないと知っていても、本能は警鐘を鳴らしてしまうのですよ。気力と体力は浪費すべきではありません。それがお互いのためでしょう?」
「ちっ……」
剣を両手で握ってはみるが、もう一度試してみようとは思えなかった。
それが自己嫌悪を加速させ、冷静であることを忘れさせようとする。
「一つ教えろ。なぜ回りくどいことをする? 未来を思いのままにできるなら、単純に誰かが死ぬ。何かが起こる。それだけでいいじゃねぇか。なぜ長々と無駄なことを並べて、てめぇにとっちゃ利益のない救いの場面まで用意する?」
「そこは矜持というやつですよ。私も物書きでしたからね。しかし、考えてみてください。幸福な結末を迎える物語は、途中に数々の困難や絶望を乗り越えるからこそ引き立つのです。同じく、不幸で終幕する物語も、数々の幸福の先にあるからこそ楽しめるのだと思いませんか?」
「ふざけやがって……」
空想の出来事と現実を同列に語るトラヴィスに、ノールは行き場のない殺意を漂わせる。けれどもそんな剣呑な空気などそ知らぬ振りで、トラヴィスは斜めを見上げて何かを思い出したような顔を見せた。
「さて、私の話も終わりましたから、そろそろ〝頃合〟ではないですかね。ノールくん、覚えていないのですか? 覚えていないのであれば、この場で確認してもいいですよ。その道具袋に収めてあるのでしょう?」
「頃合だぁ? …………ッ!」
白々しい言葉を聞いたノールが両目を見開いた瞬間、部屋の扉が外側から二回叩かれる。
「まったく、運命というのは時間に正確ですねぇ。どうぞ入ってください」
トラヴィスは呟いた後、許可を出して見張りの兵士を室内に招き入れる。
「失礼いたしますッ! 先ほど逆賊が城門前に現れ、現在橋の上で交戦中との知らせが入りました。どうやら、城に攻め込もうとしているようです」
「ふむ。一応訊いておきますが、人数は何人ですか?」
「単身で乗り込んできたそうです」
「性別は?」
「やたら腕の立つ少女とのことです」
「目的はわかりますか?」
「そこにいる男を釈放しろと――」
最後まで聞かず、ノールは兵士に向かって黄金の剣を投げた。
鎧で防御姿勢をとった兵士に刃が当たり、甲高い音が拡散する。
兵士の防御が解除されるのと同時に、ノールは全体重を乗せた体当たりを食わせる。衝撃を受けて、兵士は無様に仰向けに倒れた。
「そう急いだところで、結果は変わりませんよ」
ノールも心のどこかでは、トラヴィスと同じ考えを持っていた。
だが、だとしても、彼女に危害が及ぶのに何もしないでいられるわけがなかった。
〝ヒロインは囚われた主人公を救出するが、重症を負ってしまう。〟
その運命が変えられないものだとしても、ノールは主人公として相応しい行動を選んだ。
「君は本当におもしろい人だ」
飛び出していった足音の残響を聞きながら、トラヴィスは一人で不気味な笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます