第22話

 マノリアの家を出発したノールとメルト。ふたりは国王を討つことを目的としているが、向かったのは城ではなく、工業区の路地裏にある地下水路への入口だ。

 水質調査でもしていない限り閉ざされている水路の入口は、この日は真夜中にも関わらず開かれていた。無論、調査員が閉め忘れたというわけではない。

 それは、ノールが仕組んだからでる。


「ここが地下水路か~。こんな場所があったなんて知らなかったよ」

「城の周りに池が張ってんだから、どっかから水を引いてるのはあたりめぇだろ? ここはその通り道ってわけだ」

「暗いねー。ノール、明かりは用意してあるの?」

「俺がそれを忘れるような間抜けに見えるのかよ」


 ノールは道具袋から小皿と蝋燭を取り出す。小皿の中心には針が貫かれており、蝋燭をその針に刺して固定した。一旦皿を地面に置いてマッチ箱を手に取ると、一本取り出して蝋燭に火を灯し、使い終わったマッチを地面に捨てた。

 明かりの灯った皿を手に取ると、ノールはメルトを見てから地下水路に続く階段を下り始めた。

 


 地下水路は中央の深く広い溝に水が流れており、その両端に人ひとり分の足場がある。十歩先ですら暗闇に支配される道を、ノールは儚い光を頼りに進んでいく。メルトは彼の背中についていく。地下の空気は地上より冷たく、視界が悪いことと相まってふたりの緊張感を高めた。

 何か不測の事態でも起きるのではないだろうか。そういった不安を心の片隅に抱きつつも、ノールはメルトに心配させないよう、毅然とした足取りで水路の奥に進んでいく。

 一つ目の突き当たりを、ノールは迷わず左に曲がる。次にぶつかった交差点も、目的地を知っているかのように躊躇わず左を選んだ。


「地下水路を通るのは何回目なの、ノール」

「今日が初めてだぜ? こんな薄暗くて湿っぽい場所、誰が好き好んで来るかよ。今回は相手が相手だから、仕方なく奥の手を使ってんだ」

「その割には道を知ってる感じだよね。なんでなの?」

「じいさんに教えてもらったんだよ。あのじいさん、どういうわけか地下水路の構造に詳しいからな。まったく、恐ろしいじじいだぜ」

「なぁんだ、そいうことだったんだ。あたしを置いてこんな楽しい場所に遊びに行ってた時があったのかと思った」

「そんな風に思うのは、この都でもてめぇとあのじいさんくれぇだろうよ」


 突き放すように言って、ノールは老人から聞いた城への行き方を反芻する。記憶に従い、次の角を右に曲がった。

 左、左、右、左。その順番で曲がれば城の池に着けると、事前に地下水路の入口の鍵を破壊してくれた老人が、ノールにそう教えた。無論、許される行為ではないが、責任の全てをノールが背負うことと、相応の金銭を払うことを条件に商人の老人は要求された仕事をこなした。


「ここを曲がれば、見えるはずだ」


 そう口にして左に曲がると、突き当たりに牢屋のような鉄格子が縦に六本、人がすり抜けられない間隔で設置されていた。その鉄格子の左隅の一本には縄が縛り付けられており、縄は付近の水路に浮かぶ〝何か〟に結ばれている。

 格子の隙間から覗く月明かりに照らされた〝何か〟の存在に気づき、メルトは訝しげに指差した。


「あそこ、何か浮かんでるよ、ノール」

「じいさん、しっかり払った分の仕事は完遂してくれたみてぇだな。アレが俺の秘策ってわけだ」

「あれもノールが商人のおじいさんに用意させたものなの?」

「そういうこった」


 水面に浮かぶ縦長の影。格子の方を向いた先端は尖っており、全体が丸みを帯びている。尖った部分に、格子に繋がれた縄が巻かれていた。

 ノールは影のそばに立つと、屈んで蝋燭の皿を水路側に回す。丁寧に加工された木製の表面が、炎によって赤く照らし出された。その物体が複数の木材を頑丈に組み合わせて構成されていることは、加工技術には疎いメルトでも理解することができた。同時に、それが見慣れない形であることにも、彼女はすぐに気づいた。


「なんだか凄そうな物っていうのはわかるけど、何なの、これ」

「なんだメルト、おめぇこいつを知らねぇのか? まぁ、無理もねぇか。本を読まねぇおめぇには、目に見える世界が全てだろうし、この辺じゃあ見かけねぇ代物だからな」

「あたしが知らないだけで、そんなに有名なものなの?」

「国によっちゃあな。前に話したと思うが、この世界には海がある。この国はあたりめぇのように地面の上に存在しているが、世の中には海の上で生活してる国もあるらしい。そういった場所では、国民の全員がこいつを使ってるらしいぜ」

「水の上で食べたり寝たりしてるってこと!? そんなの、全然想像できないよ」

「世界は広いってことだ。まぁ今はそんな関係ねぇ話をしてる状況じゃねぇ。さっさとそれに乗ってくれ」

「これにあたしが乗るのっ!? ほんとに大丈夫なの? 沈んだりしない?」

「人を乗せるための道具だ。大丈夫じゃなけりゃあ指示したりしねぇよ」


 未知の乗り物を前にして驚愕するメルト。彼女の心境など知らず、ノールは鉄格子に近寄って、ホルダーからナイフを引き抜いて縄を切断した。

 メルトの不安げな視線をかわし、ノールは何の躊躇いもなく水面に浮かぶ乗り物に片足を乗せて、次いで身体を地面から水上に移動させる。


「ほら見ろ。大丈夫じゃねぇか。さっきも言ったが、こいつは舟と呼ばれててな、水の上を人が移動するための道具だ。わかったらさっさと乗りな」

「う、うん」


 メルトは恐る恐る片足を差し出して、空いている舟の後部に重心を移動させる。足裏が接触した時、力が加わえられたことによって舟が僅かに揺れた。


「ひゃぅっ! ゆ、揺れてるよ」

「んなもん大したことねぇだろ! ……ったく、世話の焼ける奴だ。ほら、俺の手を取れ。そうすりゃ揺れも多少は抑えられるだろ」


 伸ばされたノールの手を両手で握り、メルトは意を決して舟に身体を移した。直後は不安定な足場に戸惑うメルトだが、武術に秀でている彼女は瞬時に感覚を掴み、安定して立てるようになった。


「……いつまで手を握ってるつもりだ? もういいだろ」

「あ、うん。ありがと、ノール」

「んなことでいちいち礼を言うんじゃねぇよ。とにかく、そこに座れ」


 メルトに指示しつつ、ノール自身も舟に腰を下ろす。

 向かい合って座る二人の間には、薄い正方形の板が二枚あった。これが舟を進める櫂の役割を担うことになる。ノールは櫂を使って舟を鉄格子のそばに寄せると、中央にある格子の一本を手で掴んだ。そして、掴んだ鉄の棒を手前に引っ張ると、棒は簡単に外れてしまった。


「えっ! ノール、いつの間にそんな力をつけたの? あたしでも鉄の棒を折ることなんて無理なのに」

「んなわけねぇだろが。こいつもじいさんの仕業だ。切断面を見てみろ。こんな綺麗に千切れるわけねぇだろ」


 いちいち過剰に反応するメルトに呆れつつ、ノールは取り外した棒をメルトに渡す。彼女がまじまじと断面を観察している間に、残りの中央寄りの三本の鉄格子を外して水中に投げ捨てた。

 不思議な顔をしながら、メルトもノールに倣って鉄棒を水中へと手放す。

 ノールは再び櫂代わりの板を手に取り、背中を向けている出口に首を回す。

 切断された鉄格子の奥。彼が鋭くする視線の先には、月明かりに照らされた巨大な城が水上にそびえている。


「いいかメルト。城のそばに舟を着けるまでは、喋らずに背中を丸くしていろよ」

「堂々と池を進んだら、それだけでバレないかな?」

「そうなる確率を下げるために、気配を殺せってことだ」

「うん。わかった」


 腰に装備しているトンファーを外して脇に置き、畳んだ膝の上に顔をのせるメルト。

 ノールは近づけられた彼女の顔と、上目遣いで見上げてくる視線が気になった。けれども自分で指示した故に注意もできず、仕方なくそのまま舟を地下水路の出口から城の池へと進めていった。

 


 波音を可能な限り抑えて水面を進む小さな舟。街には明かりが灯っている箇所がいくつかあり、巡回している兵士の姿もあった。敵兵を注視しつつ、舟を城に寄せていく。

 地下水路の出口は、城の後方に繋がっていた。城を見上げると、一階部分にバルコニーのような出っ張りを視認できた。おそらく食堂だろう。真夜中では明かりが点いておらず、人の影も見当たらない。

 ノールは慎重に舟を進める。危うい失敗もなく舟を城の壁面に着けると、そこから側面へと回り始める。彼の計画を遂行するには、舟を城門の右側面に止める必要があった。

 器用に力加減を調節して、城の角を曲がる。遠くの明かりに再び兵士の影を見つけたが、こちらに気づいた様子はない。

 予定していた場所に舟を止めると、ノールは緊張をほぐすように溜め込んだ息を吐いた。


「第一段階はクリアだ。だが、ここからが本番だぜ」

「もう喋っていい?」

「ああ。だが大声は出すなよ。城門の警備に聞かれるかもしれねぇからな」


 メルトは眼前の壁を見上げてから、ノールを見た。


「この壁を、のぼるんだね」

「流石にわかるか。つっても素手でのぼれなんて無茶は言わねぇ。そのための道具も、ちゃんと用意してあんぜ」


 道具袋に手を入れて、布で包まれた大きな塊を取り出して舟の上に置く。布を捲ると、先端付近で直角に曲がった刃が付いた手袋が現れた。ノールは刃に触れぬよう注意して、両手に手袋をはめる。


「鉤爪っつー道具らしい。こいつを石材の隙間に刺し込みつつ、僅かな段差に足を置いてのぼっていく作戦だ。目標地点は、二階部分のバルコニー。あそこは資料室に繋がっていて、そこから中に侵入することが可能だ」


 資料室から脱出した経験のあるノールは、溢れる自信でそう教える。

 少し気がかりだったのは、以前脱出の際に使用した縄が、完全に取り除かれていることだ。脱出の方法を知ったのだとしたら、同じ場所から侵入することを警戒する可能性も考えられる。人がのぼれる高さではないが、資料室で待ち伏せされていないとは断言できない。相手は、常識の通じない国王なのだ。

 だが、ノールは行動を変えようとは思わなかった。

 全てを知る彼には、ここで終わらないだけの自信があった。


「ノール、こんな高い壁、本当にのぼれるの?」


 鉤爪を装着したメルトが、正面のノールに問う。


「弱気を吐くたぁ、おめぇらしくねぇじゃねぇか」

「あたしは大丈夫だと思うよ。だけど、これって相当な体力が必要だよね。ノールがのぼりきれるのか、あたし心配だよ」

「てめぇは自分のことだけ考えてりゃいい。作戦を考えたのは俺だ。自分で提案しておいて、守らずに死んだりしねぇよ」

「それでも心配なものは心配だよ」

「じゃあどうすりゃいいんだ」


 制止するメルトに具体的な案を求めると、メルトは立ち上がってノールを見下ろした。


「ノール、縄って持ってない?」

「縄だぁ? 持ってるには持ってるが、それがどうかしたのか?」

「片方をあたしの腕に巻いてくれない? もう片方は、ノールの腕に」

「おめぇ……あぁわかった。待ってろ」


 ノールは付けたばかりの鉤爪を外して、道具袋から頑丈な縄を取り出す。長い縄を短く切って、片方を自分の右腕。もう片方を、差し出したメルトの左腕に結んだ。


「よしっ! ノール、危なくなったらあたしがノールを守るからねっ。これで安心でしょ?」

「……良い案じゃねぇか。言ったからには、しっかりと頼むぜ」

「えへへっ、あたしが考えた作戦を褒められたの、初めてかも」

「あんまり浮かれんじゃねぇぞ。気を緩めるのは、全部終わってからだ」

「わかってるよっ」


 結ばれた腕の鉤爪を壁面に刺して、ふたりは顔を見合わせて頷きあう。


「行こっ」

「ああ」


 ふたりの声には、緊張はさほど混じっていなかった。

 共に戦い、勝利する。

 本には記されていなかったが、ふたりはその未来が訪れることを信じて疑っていなかった。

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