第9話
「かかったなッ! やっぱてめぇは大馬鹿野郎だッ!」
ノールが高らかな声をあげた瞬間、裂かれた包みから大量の砂が飛散する。
包みは目潰しの役割を見事に果たし、マルティンの視界を奪うことに成功した。
再び拳を固くして殴りかかるノール。
マルティンは瞼を閉ざしたまま闇雲に薙ぎを暴れさせる。的確な防御ではなかったが、ノールの奇襲を防ぐには充分だった。
「ちッ!」
咄嗟にナイフを構えて、マルティンの薙ぎを受け止める。
だが、はっきりと受け止めたはずなのに、ノールは猛獣の突進を食らったように後方へ弾き飛ばされた。
マルティンが瞼を開く。
「情けない男だ。そのような卑劣な手を使っておいて、指一本触れることすら叶わないとはな。恥ずかしくないのか? 王を討つなどと大層なことを口にしながら、現実では他人の手を借りなければ何もできない無力なガキが」
片膝をついたノールを睨みつつ、マルティンは剣を鞘に納めた。
「おいおい、しまっちまうのか。なんだ、もう終わりかよ。この程度で、俺様がくたばるとでも思ってんのか?」
「違うな。この程度で倒れてしまっては困るんだ」
「あぁ? なら剣をしまうんじゃねぇよ。続けんだろ?」
「その通りだ。だが武器はもう必要ない。キサマごとき格下の相手には、刃を振るうことすら恥だ」
「んだと、てめぇ……」
「疑うならかかってくるといい」
マルティンは直立したまま、差し出した腕で手招きしてノールを挑発する。
顔を紅潮させたノールが突き出したナイフを、身を翻して易々とかわす。
刃が薙ぎで追いかけてくる前にマルティンは回りこみ、ノールの膝を裏側から蹴った。
関節を強制的に曲げられて転びかけるノール。しかし踏ん張り、身体を捻りつつ背後にナイフを振り回す。
瞬間、手首に強烈な痛みが走り、反射的に開いた手のひらからナイフが消える。寸秒の後、遠くの雑草が音を立てた。
相手に武器を蹴り飛ばされたのだとノールが理解する頃には、彼は髪を引っ張られて仰向けに倒されていた。
マルティンは呆けた顔の相手に馬乗りになり、目覚しと呼ぶには過剰な力で顔を殴りつける。
「痛いか? キサマは俺が抹殺すべき人間ではない。だから殺しはしないが、やられて終わりでは俺の気が済まない」
「ぐっ、ならこれで充分だろ。満足したならさっさとどいてくれねぇか? 重いんだよてめぇ」
「黙れッ!」
虚勢を張るノールに苛立ちを増幅させて、マルティンは彼の首元を膝で圧迫する。
「これは他ならぬキサマ自身がやってきた行為だ。自分が痛めつける側ならば相手の言葉には聞く耳もたず、鬱憤を晴らす玩具として気の済むまで必要以上に痛めつける。にも関わらず、立場が逆転すればプライドを捨てて助けを乞うだと? キサマ、どこまで卑劣な男なんだ」
「いてぇよ……もう勘弁してくれよ。こっちの負けだって認めてんだろ……ぐっ」
マルティンは膝を更に押し込んでノールの首をきつく絞める。気道を塞がれて呼吸のできないノールが、弱々しい表情で呻き声を漏らす。
「がぁっ…………い、いき……が……」
「苦しいか? ならばもっと苦しめ。それがキサマの与えてきた痛みだ」
「ぁが……く……くそ……」
「俺は、こんな真似をするのは趣味じゃない。無用な痛みを与えるのは悪と考えているからだ。罪深き者を葬る際も、痛みを感じるのは一瞬にしてやるのが流儀だ。しかしこれは私怨による闘争、言うなればただの喧嘩だ。多少は流儀から逸れるのも仕方がない」
「ぐぁ……ぁ……あっ……た、たす……け…………」
「力のない者が無茶をするとどうなるか。キサマは知らずに大言壮語を吐き続けた。虚言を恥ずかしげもなく豪語した報いが、その痛みだと知れ。肉体と精神に深く刻み、もう二度と、出来もしないことは口走らないとここで誓え」
「……が…………ぁ……」
まくし立てるうちに、意図していた以上の力でノールの首を締めつけていた。
乾いた声が小さく漏れた後、ノールの全身から力が抜けて、眼球の虹彩が上を向く。
「……おい」
マルティンは想定外の出来事に狼狽えた。口にしていたように、命まで奪うつもりはなかったのだ。
「……おい、キサマ、起きろ」
こいつは、これほどまでに脆弱だったのか。
プライドの高いマルティンは、誤ってノールを殺してしまったかもしれないという事実よりも、自らの流儀を汚したことを悔やんだ。
マルティンが立ち上がり、ノールの身体から離れる。
障害は取り除かれたが、ノールに起き上がる気配はない。指先すら動く様子もなく、瞳はどこを向いているのか判然としない。
「まさか……まさか、この俺が……」
仰向けに倒れているノールの傍らに膝を下ろし、心臓の鼓動音を聞こうとマルティンが彼の胸に耳を近づける。
その時、ノールの顔が急に持ち上がり、マルティンの顎の下から頭突きを見舞った。
「なッ……がッ……!」
脳を揺さぶられた衝撃に眩暈を覚えながらも、マルティンは仰け反らせた身体を立て直そうとする。
それより早く、ノールが両足で彼の身体を天に突き上げるように蹴り飛ばした。
間合いが生まれた後、ノールは何事もなかったように片手をついて立ち上がる。
「けッ! やっぱてめぇは馬鹿だな! 馬鹿で間抜けで半端なクソ野郎だ! 俺様には理解できねぇなぁ! 敵を前にして気を抜くなんざ甘すぎんだよ! そんなくだらねぇ分際で、いちいち他人に説教たれてんじゃねぇぞッ!」
「キサマ……騙し、たな……? どこまで卑怯なんだ」
「卑怯だと? 馬鹿言ってんじゃねぇぞ。戦いっつーのはなぁ! 勝てんなら何したっていいんだよッ! 清廉潔白な正論を並べたところで、負けちまったらクソ以下の負け惜しみでしかねぇ! キサマの大好きな卑劣って言葉も、俺様には恥ずかしい言い訳にしか聞こえねぇなぁ!」
「ふざけ……るな……」
「おーおー、威勢だけはいいけどよぉ、足元ふらふらじゃねぇか。無理すんじゃねぇよ。今なら見逃してやるから、今朝みてぇに尻尾巻いて逃げたらどうだ? くっくっくっ、てめぇだって捕まりたかぁねぇんだろ?」
マルティンは片膝をついて俯いたまま、右手で一度納めた剣の柄を握った。
めんどくさい奴だとため息を吐いたノールだったが、対峙した相手からきな臭い恐怖を感じ取り、一転して意識を彼に集中する。
「――舐めるな」
呟いて、マルティンが腰を上げる。
ノールが彼の異変を察知した時には、またも彼はマルティンの剣の射程に捉えられていた。
近づけまいと、牽制の意味を込めてナイフ薙ぎ払う。
迫る斬撃を、マルティンは潜り込むことで回避する。
止まらず、規格外の敏捷さで側面に回り、明確な殺意と共に刃を振りかぶる。
本気を出した彼の俊敏な動きに、ノールはまったく反応できなかった。
「――ッ!」
あまりの速さに、避けることも防ぐことも不可能だと悟る。
急激に遅くなったように錯覚する世界の中で、ノールは確信してしまった。
もう終わりだ。
諦めにも近い考えが脳裏をよぎる。
だが、ノールとマルティンの間に割り込んだ影が、その未来を否定した。
「させないっ!」
影の正体はメルトだった。彼女が叫ぶと、トンファーが音速の刃を両側から綺麗に挟み込み、その動きを強制的に停止させる。
常軌を逸した両方向からの精密な打突は、凶刃を抑止するだけに止まらず、接触した部分から剣尖にかけての刀身を折って付近の地面に突き立てた。
マルティンは驚きのあまり声が出せず、口を開いたままで硬直する。
すかさずメルトは無防備な彼の懐をトンファーで突いた。
「な、ぜ……」
突然の彼女の割り込みに、マルティンは仲間の姿を視界に探す。
三人とも庭で動かなくなっている事実を知り、メルトの戦力の見積りを誤ったのだと後悔した。
「君は、強いな……」
「あたしより、ノールの方がずっと強いよ。性格もずっと悪いけどね」
メルトの返答を聞けたのか定かではないが、彼女の実力を評価して、彼は折れた剣を握ったまま前のめりに倒れた。
マルティンが気を失ったのを確認すると、ノールは深く息を吐き出して肩の力を抜いた。
「こいつ、やっぱかなり強ぇんだな。なんとかして味方になってくんねぇかな」
「ノールすごく嫌われてるみたいだし、まずは仲良くならないといけないかもね」
「ったく、困ったもんだな。俺がなにしたっつーんだよ」
「悪口言いすぎだよ、ノールは。仲間にしたいならもっと優しくしないと」
「そうかぁ? 最初はそうしたはずなんだが、拒否されたからなぁ。ま、ともかくこれで一件落着だな」
ノールは道具袋から例の本を取り出した。
表紙からぱらぱらとめくっていき、孤児院を盗賊が襲撃する場面で手を止める。
〝盗賊に襲われた主人公は、住む場所と大切な家族を失った。〟
妄想じみた不安を一時は抱いたが、結局思い違いだったのだ。本の物語が未来を予言するなんてこと、あり得るはずがない。
馬鹿げた可能性を信じた過去に恥すら覚えて、それを隠すようにノールは本を閉じた。
「さて、この闖入者達の処理だが――」
伏したマルティンの背中に目を落とした時、急に視界の両端が明るくなる。
黒は白に変わり、白を認識する頃には赤に変わる。
背後から発せられる光は、やがて嫌な音を伴い始めた。
脳裏に浮かぶ情景を否定するが、乾いた汗が頬を流れる。汗を拭わぬまま、ノールは意を決して振り返った。
「――――んだよ、これ」
彼の視線の先で、彼の育った家が燃え上がっていた。
木造の建物は火の手が回るのも早く、その激しさは収まるどころか見る見るうちに勢いを増していく。
屋根の端が焼け落ち、玄関前の柱が折れて、入口の扉が残骸に埋もれる。
助けに行かなければ。
だが、全てが手遅れだった。隣では、大きく目を見開いたメルトが黒ずんでいく自宅を悄然と見つめている。
ノールに遅れて正気を取り戻した彼女は、本能のままに駆け出した。
訊くまでもなく、目的はマノリア達の救出だろう。それがはっきりとわかっているから、ノールは彼女に危険だと言って引き止めることができなかった。
無駄だと知りつつも、ノールも彼女の後に続こうとする。
「――おやおやおや、これはまたすごい。随分と派手に燃えておりますねぇ」
そんな彼の行動は、その声によって引き止められた。
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