第10話

 振り返らずとも、特徴的な声色と人を見下す尊大な口調で、誰が立っているのか簡単に察しがついた。

 ノールは左手でナイフを引き抜こうとする。

 しかしホルダーに柄はなく、その時になって、自分の武器が傍で倒れている男によって蹴り飛ばされたことを思い出した。

 胸元に上げた手を下ろすと、ノールは徒手空拳のまま声の方向に顔を向けた。


「また会いましたねぇ、〝ノールくん〟」


 心底楽しそうに、トラヴィスは名前の部分を強調する。


「てめぇに名前を教えたつもりはねぇ。なんで俺様の名前を知っていやがる」

「おや? おかしいですねぇ。ノールくんが私に教えてくれたんですよ? 調べればすぐわかると。今朝そう言っていたではありませんか」

「んなもんどうだっていい。なんでてめぇがここにいんだ」

「ふむ。質問攻めとは、よほど気が立っているのでしょうか。ですが、今朝のようにはいきませんよ。乱暴を働かれないよう、こうして多くの兵士の皆さんにご同行いただきましたからねぇ」


 トラヴィスの後ろには、全身を鎧兜で覆った兵士が両脇に五人ずつ、計一〇人も控えていた。


「ちっ、こんな辺鄙な場所に何の用だ。火事が起きたから駆けつけたってわけじゃねぇよな。てめぇはそんなことする性格じゃねぇ」

「ひどい言われようですねぇ。私は、そんなに冷たい人間ではないですよ?」

「けっ……だがよぉ、気まぐれで助けに来たんだとしても、おかしいじゃねぇか。孤児院が燃え始めたのはついさっきだ。というより、てめぇは火事の発生とほとんど同時に現れた。まるで、最初から今日この時間に、この孤児院が火事になる未来を知っていたようにな」

「ふむ。惜しいですねぇ。正確には少しだけ違います。私は、〝この時間に孤児院が燃える〟とは知らなかったです。ですが、〝この状況で孤児院が燃える〟ことは知っていたのです。お恥ずかしながら、私の予言は時間まで知覚できるほど精度は高くありません」

「なにが予言だ。ふざけんじゃねぇ」

「おふざけなどではありませんよ? 私には未来が見えるのです。それを証明したところは、ノールくんも見ていたでしょう?」


 広場でのトラヴィスの視線を思い出す。やはりあれは勘違いではなかったのだ。

 馬鹿げた発言を否定したかったが、言葉に詰まりノールは黙り込む。


「ふむ。ですが、それだけでは私がわざわざこの場所を訪れた説明にはなりませんか。ノールくん、私がここに来たのはどうしてだと思います?」

「知るかッ。てめぇの茶番に付き合ってやるほど暇じゃねぇんだ。今は見逃してやるから、俺様の前からさっさと消えろ」

「つれないですねぇ。せっかく私が、あの建物が燃えた理由を説明してさしあげようと思ったのに」


 嘲笑混じりの一言を耳にして、ノールの頭の中で何かが切れた。

 兵士に押さえられると知りつつも、理性を飛ばしてノールはトラヴィスに掴みかかろうとする。


「――あなたが、やったんですか?」


 冷たい声を聞いて、ノールは踏み出そうとした足を無意識に止める。

 その声には抑揚がなく、情念すらも感じられない。魂が抜けたように、声はトラヴィスに答えを求めた。

 憤怒も悲哀も感じられない声の主は、炎上する孤児院を背景に無表情で佇んでいた。


「あれは、あなたがやったんですか?」

「ふむ。君がメルトくんですか。君とノールくんはとても相性がいいようですねぇ。何人もの賞金首を捕まえた実績が、雄弁にそれを証明しております。おかげで助かっておりますよ。なにせ賞金首の大半は、私の命を狙う危険な輩ですからねぇ」

「あれはあなたがやったんですか?」


 トラヴィスの話を無視して、三度目となる同じ質問を投げかける。彼も流石に困ったようで、眉根を寄せた。


「申し訳ありませんが、その質問に答えを出すことは難しいですねぇ。なんと言っても私は、火災の発生原因を知らないものですから。そういう意味では、私はやっていない、という回答で正しいかと思います」

「てめぇは未来を予知できんだろ? だったらその便利な力で、誰が火を放ったかだって知ってんじゃねぇのか? それとも、その馬鹿げた力は嘘だったと認めるか? どうせ全部てめぇが裏で仕組んだことなんだろうがッ! あの昼間の一件はよぉ!」

「昼間の件とは、例の脱走者の件を指しているのでしょうか。あれは兵士の皆さんが私の身を案じて自発的に行動した結果ですよ。私が知っていたのは、〝私があの場では死なないこと〟と、〝脱走者があの場で殺されること〟の二つだけです。その脱走者が何者かまでは知りませんでした」


 微かに笑いをこぼし、トラヴィスは続ける。


「今回も同じことです。私は〝孤児院が燃えること〟と、それが〝孤児院が何者かに襲撃された後に起こること〟を知っておりました。私は、自分の予知が真実であるかを確かめるために、こうしてここへ足を運んだだけに過ぎません。そこに倒れている男が襲撃者でしたら、彼の仕業ではないですか?」

「ちがう。この人たちはみんなあたしが倒した」

「左様ですか。見たところ、兵士の皆さんにも劣らない逞しい男性ばかりのようですが、メルトくんは相当に腕が立つのですねぇ」


 感情のない表情のまま、メルトはトラヴィスに一歩近づく。

 近衛兵の鎧が、警戒心に音を立てる。


「あなたは、孤児院が誰かに襲われることも、火事になって燃えることも、全部知っていたの?」

「そうですよ。先ほども申し上げた通り、その手段までは知りませんでしたがね」

「なのに、目を逸らして知らないフリをしたの? どうして助けてくれなかったの? あなたは、この国の王様じゃないの?」

「助ける? ふむ……不思議なことをおっしゃる方ですねぇ」


 そんなことも分からないのかと嘲るように、トラヴィスは静かに笑い声を漏らす。


「貴方もご存知の通り、私は一国の主ですよ? たかが数人の国民のために、自らが動くわけないでしょう。この国には充分な労働力があるのです。ましてやここは孤児院ではありませんか。国の発展には到底繋がらない事業を営む場所、言い換えれば、価値のない国民の密集する施設です。そんなものを失ったところで、私には何の痛みもありません。意味のないことをするほど、一国の主というのは暇ではないのです。わかりますかねぇ? まぁ、予知した未来が真実であったかを確認することも、同じく意味のないことに違いはありません。ですが、そちらには個人的な興味をそそられましてね。故に、こうしてお邪魔させていただいたわけですよ」


 今度はメルトが飛びかかろうとしたが、彼女をノールが手で制した。

 メルトの不穏な動きに反応して、トラヴィスの背後に控える近衛兵達が前に出て、腰に帯びた剣に手をかける。


「大丈夫だよノール。あたしなら全員倒せる」

「よく見ろ。相手はさっきのようなチンピラとは訳が違ぇ。国王の護衛に付けるだけの実力者だ。そんな奴らが一〇人もいたら、いくらおめぇでも勝ち目はねぇ」


 いくら彼女の腕が立つとはいえ、この戦力差を覆せるとは思えない。残された選択は逃亡のみだったが、ノールはそれを選びたくはなかった。

 マノリア達を見捨てて敵に背を向ける選択など、彼女を大切に想う彼にできるはずがない。


「メルトくん、君は私に憤慨しているようですが、そこにいるノールくんだって私と同じなんですよ?」

「は? てめぇ、なにわけのわかんねぇこと言ってやがる」

「私の言葉は真実です。ノールくん、君も私と同じでしょう。君もまた、未来に何が起こるか知りながら、ただ傍観することを選んだ」

「はぁ? ざけんじゃねぇぞッ! 勝手なこと言いやがって。予知なんて馬鹿げたもんを盲信するてめぇと一緒にするんじゃ――」


 言いかけて、ノールは言葉を中途半端に切った。

 今日一日の記憶が、頭の奥底から次々と湧きあがってくる。

 彼は、マルティン達が孤児院に襲来する以前に、〝誰か〟が孤児院を襲うことを予感していた。

 来訪した彼らの持っていた松明を見て、即座に孤児院に火を放たれるかもしれないと警戒した。

 それは、本に同じことが書かれていたからだ。

 今朝トラヴィスと再会したことも、商店街の広場で起きた出来事も、すべてあの本に書かれている通りの順番で、書かれている通りに起きた。

 あの本には、実際に迎えた未来が空想の物語を装って記されていた。

 トラヴィスの口にする予言が本の内容をもとにしているのなら、確かにノールは知っている。

 現在の本の所有者であるノールならば、トラヴィス同様に未来を知覚することは可能だった。


「ふむ。その様子では、あの本が何であるのかを理解していなかったようですね。ですが、私の言ったとおりでしょう? ノールくんも、孤児院がなくなってしまうことを知っていたんですよ」

「そんな、馬鹿な……そんな馬鹿なことがあってたまるかッ!」

「信じる信じないは君の権利ですから、自由にしていただいて構いません。まぁ、ノールくんがここまで知って、なおも信じないほど愚かだとは思っていませんがね」


 本に書かれている物語は、未来に起こる事象の記録。

 本には、現実に起こる未来の出来事が記されている。

 ならば、物語がやがて辿り着く結末もまた、いずれ現実となるのだろう。

 あの結末が現実になるとすれば――。


「ところでノールくん。あの本を孤児院に置いていったりしていませんよねぇ? 置いてきたとしたら今頃は灰の一部となっているでしょうが、その場合、少々厄介なことになりますよ? 未来を予知できる至高の宝物を失ってしまったわけですからねぇ」


 反射的に、ノールは腰にある道具袋の一つに手を伸ばし、布の上から中に収めている物体の形を確かめた。

 彼の従順な反応を見ていたトラヴィスが愉快そうに笑う。


「ひっひっひっ! どうやら無事なようですねぇ。おめでとうございます。これでノールくんも、私と同じように未来を知ることができますよ。ひっひっひっ! 安心しましたねぇ!」

「……こいつはてめぇが書いたんだな? つーことは、てめぇが未来を予知して、それを文章に書き記したってわけか? どうやったのか知らねぇが、俺様の運命とやらを、物語の主人公に重ねて書いてあるっつーわけか?」

「申し訳ありませんが、それを伝えることはできません。ネタばらしをするにしても、まだ早すぎますからねぇ。ですが、いずれ教えてさしあげますよ。私の方からね」

「てめぇの都合なんざ知るか。今すぐだ。今すぐ教えろ」

「ふむ……。ノールくん、君はとても大きな勘違いをしているようですねぇ」


 そう言ってトラヴィスが右手を肩の高さまで上げる。その合図で、近衛兵達が一斉に鞘から剣を引き抜いた。


「主導権を握っているのは私です。あまり調子にのると、ここで物語を打ち切る羽目になりますよ?」


 一歩後ずさるノール。

 だが、隣で沈黙を貫いている彼女は、兵士達が刃を煌かせても全く怯んでいなかった。幼さの残る冷めた顔が、トラヴィスの瞳を凝視している。


「そうです。それでよいのです。それにしてもノールくん、君は本に書かれた物語を最後まで読んでいないのですか?」

「なぜ、それがてめぇにわかる?」

「さぁて、なぜでしょうねぇ? ひっひっひっ! これは私からの助言ですが、早いところ目を通すことをお勧めしますよ?」


 ノールは彼の話を聞き流しながら、口元を僅かに動かし、メルトにだけ聞こえる小声で囁いた。


「ここは逃げるぞ」


 しかしメルトは動かない。ノールに振り向こうともせず、頑なにトラヴィスから目を離そうとしない。

 いつまで経っても立ち去らない二人に、トラヴィスが口を挟む。


「どうしたのですか? 逃げるのでしょう? でしたら早く行ったらどうですか? 大丈夫ですよ。私はフェアを好む性格なのです。私だけが未来を知っているというのは不公平ですからねぇ。この場は逃がしてさしあげますから、私の気が変わらないうちに早く消えなさい。そちらの賞金首さん達のようにね」


 マルティンが倒れていた位置を確認すると、そこに彼の姿はなかった。周囲を探すと、濃密な暗闇が支配する森を目指して、肩を組んで必死に走っている四つの影を見つけた。

 ノールは考えた。あらゆる要因を考慮したうえで、自分とメルトのとるべき正しい行動を考えた。

 いや、違う。

 彼女の考えなどわからない。だからノールは、彼女に選択してほしい行動を、彼女に望む未来を押し付けようとした。

 勝ち目がないのなら、一旦退くしかない。

 マノリアは弱い女性ではないのだ。きっと、うまく逃げてくれている。再会するためにも、自分達は生き残らなければならない。


「メルト、逃げるぞ」

「……」

「心配すんじゃねぇ。あいつが言ってる通り、俺も未来のことを知ってるみてぇだ」

「……」

「まだ何も終わっちゃいねぇ。けどよ、ここで恥を捨てて逃げねぇと、マジで全部終わっちまうぞ」

「……」


 腕力では彼女に敵わないはずだが、ノールは構わず地に根を張ったメルトの腕を引っ張る。

 懸命な呼びかけも虚しく、彼女はノールの指示を拒み続けた。無理矢理に動かそうとしても、ノールの腕力ではメルトはびくともしない。

 しかし、置いていこうなどとは微塵も思わなかった。

 ノールは彼女の耳元に口を近づけて、勇ましい声色で命令した。


「メルト、俺についてこい」

「……っ!」


 メルトが驚いたように目と口を開いて、ノールの顔を至近距離で見つめる。

 知る由もない想いに揺らぐ視線を受け止めながら、ノールは彼女が次に発する言葉を待った。

 やがて、メルトは決然と迷いを捨てた瞳を光らせて返答する。


「わかった。ついてくよ、ずっと」

「へっ。ああ、それでいい」


 トラヴィスと近衛兵達に背を向けて、ふたりは孤児院を振り仰ぐ。

 火の手は更に激しさを増大させており、長年過ごした住居は巨大な焚き火のごとく闇夜を焦がそうと燃え続ける。

 道具袋の中にある本を布越しに触りながら、ノールは心の中でマノリアの無事を祈った。


「逃げるぞッ! あっちだッ!」


 ノールはマルティン達が逃げていった方角とは別の方向を示した。トラヴィス達に動く気配がないことを横目で確認してから土を蹴る。メルトも、彼の背中に続いて駆け出した。



 トラヴィスは逃げていく彼らの後ろ姿を悠然と眺めていた。

 森の奥の闇にふたりが消えると、近衛兵達に剣をしまうよう命令して、なおも炎上する孤児院を見上げる。


「第一章、完、というところでしょうか。ひっひっひっ! 次のお話も楽しみですねぇ。ひっひっひっ――!」


 赤色の熱に照らされた彼の口元は、雲間から覗く三日月のように歪んでいた。

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