第8話

 ノール達が玄関から外に出ると、正面の庭に四人の男が立っていた。夜も更けて暗闇に支配された空間では、彼らの持つ松明の橙色だけが唯一の光源だった。

 燃え滾る炎を目の当たりにして、ノールは素早く胸元のホルダーからナイフを抜き取り身構える。戦意を確認するより先に警戒したのは、単純な理由だった。

 本の物語の中で、盗賊達は主人公の家に火を放ったのだ。

 彼らが物語に登場する盗賊であるならば、孤児院に火を放とうとしているに違いない。半信半疑ではあるが、ノールは直感で危険を察知した。


「メルト、奴らを孤児院に近づけんじゃねぇぞ」

「わかってるよ。そんなの、あたしが許すわけないじゃん」

「だな。頼んだぜ」


 メルトに指示すると、不審な動きを見逃さぬよう慎重に、ノールは気を張って庭へと下りていく。距離を詰めると、先頭に立っている男の顔を見ることができた。

 冷徹な表情を崩さぬままノールを凝視する男が、その口を開く。


「今朝は世話になった。キサマのおかげで、惨めな獄中生活の片鱗を味わうことができた」

「けっ、そいつは良かったな。常人なら一生味わえねぇような体験をできたっつーわけだ。得がたい貴重な経験だな。だが、んなこたぁどうでもいい。なんでてめぇがここにいんだよ、マルティン」


 四人組のリーダー格と思しき男は、ノールに捕らえられて城へ連行されたはずのマルティンだった。一度捕まったにも関わらず、彼はしっかりと帯剣までしている。


「運が良かった。僥倖とでも言うべきか。キサマからこれ以上ない屈辱を受けた俺は、国王と別れた兵士に城の地下へ連行された。牢獄は意外と狭くてな、牢屋も数えられる程度しかなく、何人かの罪人が相部屋で仲良く鎖に繋がれていたよ。俺も例に漏れず、ある男と同じ部屋に閉じ込められそうになったんだが、その男は密かに壁に繋がれた拘束具を外していてな。俺が牢に入る隙を突いて、兵士に襲い掛かったわけだ。奴の手際は鮮やかだったよ。慌てた兵士が牢の戸を閉めるより早く肉薄して絞殺すると、抜く暇さえ与えなかった兵士の剣を腰の鞘から奪い取って、俺のことなど目もくれずに地上へ駆け上がっていった。その後は言うまでもないだろう。城を脱出して橋を渡った俺は、そこで待っていた仲間と合流して、やるべきことを遂行するための行動に移ることにした」


 言いながら、マルティンは後ろに立つ三人の男に目配せした。

 マルティンの同胞である三人は一様に精悍な外見をしており、全員が城の兵士として仕えていても違和感がない。彼らと比較するとマルティンは些か貧相な体つきのように思えるが、瞳だけは誰よりも鋭く尖っている。


「てめぇの言うやるべきことっつーのは、まさか俺様への復讐じゃねぇだろうな?」

「それ以外に何がある。キサマは勘の冴える男だと思っていたが、俺の買いかぶりだったか?」

「けっ、せっかく牢獄を出られたってのに、また捕まりにくるたぁな。……つっても、てめぇを逃がした男の末路に比べりゃずっとマシか」

「キサマ、あの男を知ってるのか?」

「ああ。殺されたぜ。牢獄から出て、広場で演説してるトラヴィスを単身で襲撃してな。馬鹿な奴だぜ。挑発にのって、馬鹿正直に真正面から挑んで返り討ちにされたわけだ。剣の腕は立ったみてぇだが、頭の方が足りてなかったんだな」

「キサマと同類だな。今朝俺に提案したのは、その男と同じ道を辿ることと同義だ。わかっていないのか?」

「んなもん知るかよ。てめぇの臆病な持論なんざ知らねぇ。俺様を否定したけりゃあ、いつまでもそうやって否定してりゃいい。だが、もう俺様の邪魔はすんな」

「悪いが、そうはいかん」


 会話が噛み合っていなかったが、何が楽しいのかマルティンは頬を緩めている。


「実はな、俺は結構な負けず嫌いなんだ。プライドが高いことも自覚している。その俺を、ああまでひどく痛めつけてくれたんだ。キサマが卑怯な方法で俺に勝ったと勘違いしていると思うと、腸が煮えくり返ってどうにも我慢ならない」

「何がプライドだ。メルトと正面から戦って負けて、背を向けて必死に逃げていたのはどこのどいつだったかな?」

「メルト? そうか、それがキサマの隣にいる娘の名前か。しかしその娘は関係ない。俺は、キサマに報復するためだけに足を運んだのだからな」

「そりゃわざわざご苦労なこった。けどよ、俺様が馬鹿みてぇにてめぇと一対一で戦ってやる愚直な奴だとでも思ってんのか?」

「そうさせるために、この三人を連れてきたのだ」


 マルティンの後ろに控えていた屈強そうな男達が一歩前に出て、彼の隣に並ぶ。

 手にしている松明を一振りして火を消すと、棒切れを後方に投げ捨てて男達は一斉に剣を引き抜いた。

 辺りが夜の気配に包まれる。闇を照らすのはマルティンの松明のみだ。空に浮かんでいる月も、いまは重く厚い雲に隠れている。

 ノールは視界が暗くなったことよりも、敵が松明を捨てたことに戸惑った。


「なんだ、火は消しちまうのか。てっきり、そいつで孤児院を燃やすつもりかと思ったぜ」


 その声には、少しばかりの安堵が混じっていた。

 けれどもその一言は、あらゆる侮辱よりマルティンを苛立たせた。


「キサマ……発言を撤回しろ。俺は、罪なき者を傷つけたりはしない」

「どうだか。犯罪者の言うことなんざ信用するわけねぇだろ」

「犯罪者ではない。俺達は義賊だ。その辺のクズ共と一緒にするなッ!」

「そいつを判断すんのはてめぇじゃねぇ。トラヴィスの国政に反旗を翻しながら、戦うことから逃げている臆病者なんざ、俺様からすれば価値のねぇゴミと同じだ」

「物事には順序がある。俺には、俺の計画があるのだ。キサマはその障害となるうえに、俺の誇りを傷つけた。まずはここで、その汚名を雪ぐ」


 マルティンは彼の仲間達と同じように松明を一振りして明かりを消すと、鞘から剣を引き抜いた。


「お前達はあの娘を抑えてくれ。小娘だと思って油断するな。名のある賞金首よりも腕が立つ。侮れば、足元をすくわれるぞ」


 マルティンの仲間達は無言で頷くと、散らばってノールとメルトを囲み刃を向ける。

 メルトは応戦するために両手にトンファーを構え、ノールも腰を落として広範囲に意識を張り巡らせる。


「どこを見ているッ! キサマの相手はこの俺だッ!」


 周囲の男達に気を取られたノールの眼前に、上空に刃を振りかざしたマルティンが現れる。

 回避が遅れて防御の間に合わない一撃は、咄嗟に割り込んだメルトによって防がれた。


「危なかったね、ノール」

「あ、ああ。今のはヤバかった。急に襲い掛かってくるたぁ、野獣みてぇな男だな」


 必殺の一閃を弾かれたマルティンは、トンファーの間合いから逃れて剣を一振りする。


「情けない奴め。女に助けられて、キサマは恥ずかしくないのか」


 ノールに対する彼の主張を耳にして、メルトが珍しく嫌悪感を露にした。


「男だから女に守られちゃいけないの? 女だから男を守っちゃいけないの?」

「人間というのは男の方が戦いに特化して出来ているのだ。無論、男女で同じ量の鍛錬をこなした場合の話に限るがな。そこにいる男は、君のような強い女性の傍にいながら、鍛錬を怠ってきたのだろう? 努力できない人間が努力した人間に保護されるのは、数あるこの世の悪習の一つだ」

「むぅ~。難しいことはよくわかんないけど、マルティンさんはあたしがノールを守るのに反対ってこと?」

「は? ……あぁ、そうだ。そのような愚者に、守るだけの価値はない」

「でも、マルティンさんはひとつ勘違いしてるよ」

「勘違い? その男が理想ばかり高い無能であることが、俺の誤りだとでも?」

「そうだよっ! ノールは努力してるもん。勉強してたくさんのことを知って、自分の願いを自分で叶えようとしてるんだよ? あたしは勉強ができないから、あたしの分まで賢くなって、あたしを助けてくれようとしてるんだよ? だからあたしも、ノールの分まで強くなって、ノールを助けるって決めたんだ。それを誰かから間違いだって言われても、あたしにとってはそうじゃない」


 両手に構えたトンファーを下ろすと、メルトは直立してマルティンを見据える。

 彼女は、他人に自分の大切なものを否定されて少しばかり憤っていた。


「答えは、あたしが決めることでしょ」


 幼い子供がそうするように、不機嫌になったメルトは頬を膨らませて不快感を明示する。

 類を見ない強者であるにも関わらず、妙に子供っぽい仕草を見せる敵の姿を目にして、マルティンは口元を緩めた。


「ふっ、その通りだ」


 マルティンは剣の柄を両手で握り、正面に構え直す。


「ところで、一つ忠告があるのだが」

「なに? まだ文句があるの?」

「いや――」


 マルティンは右足を一歩前に出し、足元の草木を踏み倒す。

 剣尖を側面に下ろし、刃を下段に構えながら彼は続けた。


「君の相手は俺ではないぞ」


 眼前で火花が弾けたかのように驚き、メルトは彼の忠告に反応して視線を巡らす。

 メルトの周囲に三箇所から影が飛び込む。影の存在に彼女より早く勘付いたノールが、警告を口にしようとする。

 しかしノールの対応は遅く、警告はもはや意味のない音でしかない。

 それでも彼は、彼女の名前を叫んで危険を知らせた。


「メルトッ!」


 彼女はノールの声を聞くより早く、身を屈めて両手のトンファーを傘のようにして頭上を防御した。

 三本の剣が異なる方向から振り下ろされる。

 鉄の棒を伝い、彼女の全身に重量のある衝撃が奔る。

 蚊帳の外にされたノールは悔しさから舌打ちした。だが、敵の狙いを理解して急いでナイフを外側に薙ぎ払う。

 虚空を裂いたナイフが、死角から伸びてきた剣と重なりあった。


「流石に同じ過ちを犯すほどの間抜けではなかったか」

「けッ! こんな鈍い一撃、その辺のおいぼれじじいにだって止められるぜ。俺様が見逃すわけねぇだろッ!」

「ほう、そうか」


 ノールは防御の成功に内心舞い上がっていたが、マルティンは至って冷静だった。

 一時は均衡した重なり合う刃だが、徐々にマルティンがノールを押し始める。

 耐え切れないと判断したノールは、もう片方の拳を握り相手の顔面を殴り飛ばそうとした。

 奇襲のつもりで繰り出されたその一撃は、首を曲げるという最小限の動作で呆気なくマルティンにかわされる。


「遅すぎだ」


 空振りの隙をついて、マルティンが身体を跳ね上げるようにして膝蹴りを見舞う。

 腹部を刺し貫く勢いの攻撃を、ノールは無防備に受け止めてしまった。内臓を圧迫されて胃の中身が逆流しそうになり、視界は白く弾けて両足が僅かに地面から離れる。

 押し飛ばされたノールは痛みに耐えつつ、とにかく相手から距離をとるために土煙をあげて地面を転がった。

 服の汚れを払う余裕すらなく起き上がると、剣を下段に構えて憤然と歩み寄ってくるマルティンの姿を捉えた。冷たく見返す彼の瞳に、容赦という二文字はない。

 応戦するため、ノールは腰に携えた道具袋に右手を突っ込み、そこから小さな布の包みを取り出した。

 白色の布で中身を包んだそれを、彼はすぐさまマルティンに向けて投げつける。

 マルティンは顔色を変えず、刃を軽く一振りして飛来物を真っ二つに斬り落とす。

 投擲と同時に駆け出していたノールが、その対処行動を視認して口元を歪めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る