第3話

 広大な円形状に発展した都から外れた暗い森に、都民の目から隠れるようにして建てられた平屋があった。

 木目調の外装を晒す建造物は周囲の森林に溶け込んでおり、人間が生活しているのか怪しまれても仕方のない雰囲気を漂わせている。しかし住民が存在する証拠として、庭にいくつもの物干し竿が並べて設置されていた。竿には小さなサイズから大きなサイズまで、女性用も男性用も混ざった様々な衣類が柔らかな風に吹かれ、燦然と煌く陽光を気持ち良さそうに浴びている。

 広い庭の別の場所では、幼い子供達が朗らかな笑い声あげて遊んでいた。その光景を、一人の女性が幸せそうに見守っている。

 黒色の修道服に身を包む彼女の後ろで、森の奥の土が音を立てた。彼女が反応して振り返ると、苦々しい表情をしたノールが木陰から現れる。

 ノールは彼女の視線に気づくと、更に眉を寄せて不機嫌になった。


「おっかえり~ノール! さびしかったでしょ~? マノリアお姉さんと会えなくてさびしかったでしょ~?」

「なにがお姉さんだッ! 馬鹿じゃねぇのかてめぇ。ちったぁ自分の歳を考えろ」

「もうっ! 恥ずかしいからって照れちゃったりして~。いいのよ別に~。甘えちゃってもいいのよ~? ほら、正直に甘えちゃって~?」

「恥ずかしいのはてめぇの態度だろうが! どこに頭をぶつければそんな考えができるようになんだ? 後学のために教えてくれ」

「も~、しょうがない子ねぇ~」


 マノリアは頬を膨らませてノールに近づくと、つま先立ちになり彼の口元へ唇を寄せる。

 ノールは引きつった顔で目を背け、自分より低い位置にある彼女の肩を両手で押さえた。


「いきなり何しようとしてんだッ!」

「そんなの、おかえりのキスに決まってるじゃないのよ~。知らないの~? 愛情表現の一つとして、最近流行ってるみたいよ~?」

「んなもん聞いたことねぇよ! どこの世界の流行だそれは! どうせ、低俗な書物か何かに書いてあったんだろうけどよ!」

「あ、あったり~。さっすがノール! 物知り~」

「いいから離れろ! こんな状態じゃまともに会話もできねぇ」


 ノールが無理矢理に押し退けると、マノリアは「きゃっ」とかわいらしい声を発した。


「おっかしいなぁ~。反抗期の子には、多少強引にでも距離を縮めた方が良いって、本にはそう書いてあったのに~」

「てめぇ、なげぇこと孤児院の院長やってるくせに、他人がテキトーに書いた本の変な知識に染められてんじゃねぇぞ」

「だってぇ~、ノールが急に家を出て行っちゃったらお姉さん悲しいもん。そうならないために、やれることはやっておきたかったんだもんっ!」

「きもちわりぃから、その似合わねぇ口調もやめろ」


 キツめに咎めた後、ノールは視線を逸らして自分の頭を掻いた。


「あぁ、めんどくせぇ……。別に俺はどこにも行かねぇから、いらねぇ心配なんざすんじゃねぇよ」

「ほんとに?」

「ここを出て行ったところで、することもねぇからな」

「ほんとぉ~?」

「ねちっこく訊き返すんじゃねぇ! 鬱陶しいんだよ!」


 怒鳴られているというのに、マノリアは楽しそうに微笑んでいる。

 ノールは更に激しく髪をかき乱してから、調子の狂う話題を変えようと切り出した。


「メルトはもう帰ってきてんのか?」

「ちょっと前に帰ってきたよ? てっきり一緒だと思ってたんだけど、もしかして、喧嘩しちゃった?」

「そんなんじゃねぇよ。今日はちょっと大事な用事があってな。アイツの素頓狂な発言で台無しにされるのは勘弁してもらいたかったから、先に帰るよう伝えておいたっつーわけだ。ただまぁ、どっちにしろ失敗して千載一遇のチャンスを棒に振っちまったんだけどな」

「ふぅ~ん。ノールにもできないことがあるなんて、世の中って広いねぇ~」


 マノリアという女性は、教会に仕えているわけでもないのに修道服を着ていたり、誰でも見抜ける嘘に引っかかったり、いい歳して子供じみた喋り方を好んだりと、問題ばかりが列挙されて長所を見つけにくい。だが、一〇年以上も孤児院を経営している実績があるのも事実だ。それが頭の悪い者にできる所業ではないことなど、誰にだって分かるだろう。

 彼女は立派――と言えるかは怪しいが、確かに大人なのだ。ノールはそういった事実を認めており、だからこそ、信頼できる彼女に自分の悩みを相談してみようと思った。


「マノリア、これからちょっと時間いいか? 聞いてもらいてぇ話があるんだけどよ」

「なぁ~にぃノール? ひょっとして、恋の相談かなぁ~? あらあら、ノールも大人になったわね~。うふふっ」

「いいから、時間があるのか、ねぇのか。はいかいいえで答えろ」

「はぁ~い」

「いいんだな? そんじゃ早速、家ん中についてきてくれ」


 面倒な問答を受け流して、了承の返事を受け取ったノールはさっさと孤児院の入口へと向かった。マノリアは外で遊んでいる子供達に家のそばを離れないよう注意してから、ノールの後を歩いていった。

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