第20話
宿に戻ると、主人に頼み込んで一日だけ部屋を分けてもらうことにした。メルトには、自分と向き合う時間が必要だったからだ。
ノールとしても、決戦を目前に控え、もう一度確かめておきたかった。
この先に待ち構える、予言された最終決戦の内容を。
盗賊に燃やされた家を主人公とヒロインが訪ねる場面から結末までの数十ページを、一言一句まで正確に暗記するように繰り返し読み耽る。
〝主人公とヒロインの国王討伐は叶わず、二人の旅はそこが終点となった。〟
この結末で終わるわけにはいかない。
しかし、いかなる方法を以ってしても物語の内容は変えられない。
物語の結末は塗り替えることのできない絶対的なものだ。それによって現実が迎える未来もまた然り。
だとしても、これまでに一度ととして、ノールは諦めようと思ったことはなかった。
それは、決戦前夜であるこの瞬間も同じだ。
夜の闇が段々と深くなっていこうとも、彼の部屋から蝋燭の明かりが消えることはなかった。
彼の隣室のベッドで膝を抱えるメルトもまた、その夜は中々寝付く気にはなれなかった。
翌朝、ノールは道具袋を腰周りに取り付けて、決戦の準備を整えた状態でメルトの部屋を訪問した。道具袋には、今日で役割を終える本も収められている。
ノールが部屋の扉を叩くと、すぐにメルトは姿を現した。髪は普段と同じように整えられており、側面で一本にまとめられている。彼女も準備が完了しているようだったが、その瞳だけは、昨日と変わらぬ暗さを伴っていた。
「寝なかったのか?」
「ううん。寝たよ。と言うより、寝ちゃってたって言う方が正しいかな」
「まだ、迷ってるみてぇだな」
「……でも、決戦の日なんだから、やるしかないよ。どうなるかわかんないけど、逃げたりはしないから」
「そうか」
ノールは冷淡に頷いて、メルトの沈む顔を見据える。
「準備はできてんのか?」
「うん。問題ないよ。食料とかはそのままでいいかな?」
「置いときゃいいだろ。俺達は帰ってくるんだ。戦いに必要なもん以外は、ここに置いときゃいい」
「……そうだね。じゃあ、もうこのまま城に攻め込むの?」
「いや、作戦を説明しておかなきゃならねぇからな。攻め込むのはその後だ」
「作戦会議かぁ。あたしの部屋、使う?」
「いや――」
ノールはメルトから視線を外して、彼女の部屋にある窓から外界を眺めた。その視線がどこに向けられているのか、傍から見るメルトには察しがつかない。
意図がわからず首を傾げるメルトに、ノールは視線を戻した。
「城に行く前に寄りてぇとこがある。悪いが、まずはそこまでついて来てくれ。作戦についても、そこで説明する」
そう指示するノールは、自信に満ちた顔をしていた。
昨夜何かあったのかと疑問に思うメルトであったが、深く訊く気にもなれず、彼の指示に素直に頷いた。
宿屋を出た後、隣接する大通りから商業区の広場に出て、別の道から居住区へと移る。城へ続く橋は商業区と居住区の境目にあるのだが、ノールはそちらに興味すら示さず、居住区の主要な通りを淡々と進んでいく。
目的地が決まっているようだったが、黙って彼の背中をついていくメルトには、それがどこなのか見当もつかなかった。居住区は賞金首を捕まえるために何度も通った記憶はあるが、ノールの友人がいるという話を聞いた覚えもない。かつて彼の父親が立ち上げた反乱軍の拠点だった場所でもあるのかと予想したが、それは工業区にあると過去に教えられたことを思い出した。
まばらに住民が行き交う中、ノールは細く暗い脇道に入った。なぜそんな狭い道を通る必要があるのかと不審に思い、一旦立ち止まる。けれどもノールが振り返らずに薄汚れた路地裏を進んでいくため、見失わないようにメルトは慌てて追いかけた。
ふたりは両脇に貧相な家が立ち並ぶ道を進んでいく。通路の中間辺りで、ノールは足を止めた。メルトは立ち止まった理由を尋ねようとしたが、ノールの方が先に口を開いた。
「ここだな」
「ここ……? この家、ノールの知り合いでも住んでるの?」
「間違っちゃいねぇな。まぁ、そんなとこだ」
「そんな話、あたし聞いたことないけど」
「細けぇこたぁいいじゃねぇか。ほら、ノックしてみろ」
「え、あたしがするの?」
「おめぇに会わせてぇ奴がいるからな。向こうも、おめぇが迎えてくれたら喜ぶだろうぜ」
楽しげな笑みを浮かべながらメルトを見るノールは、その場を動こうとしない。
彼の笑顔の理由が不明だったが、メルトは古びた木製の扉に近づくと、手の甲で軽く二度叩いた。
扉の反対側で何かが動く気配がした。次いでくぐもった足音が聞こえ始める。ゆっくりと迫ってくる気配は段々と大きくなっていって、板一枚を隔てた反対側で急に消えた。
扉を閉め切るための横木が抜かれる音が、内側から響く。
緊張に身を固くするメルト。彼女の眼前の扉が、それまでの足音と同じように緩慢な動作で開いた。
奥から現れた人物を目の当たりにして、メルトは思わず息を呑む。
「やっと会えたね~。ノールもメルトも、久しぶり~」
そこには、相変わらず黒色と白色の修道服に身を包んでいるマノリアが、満面の笑みを湛えて立っていた。
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