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おもしろい作品が飽和状態

最近いろんなことにを出そうとしては、自分がそれをやる意味ってあるのかなと思ってしまいます。ある程度までは続くし、意識もそれなりに高くもって取り組めますが、ある程度を超えると途端にやる気を失ってしまいます。
続けても最初に期待したほどの価値はないかな、と思えてしまって続ける気力が消失してしまいます。惰性で続けることも自分を騙していけばいけるんでしょうが、様々なモノに触れすぎたせいなのか、つまりは歳を重ねてしまったせいなのか、あるいは歳を重ねたことによる環境や立場の変化ゆえなのか、自分を騙す能力がとても低くなっているように思います。
たとえば小説なんかは、おもしろい作品が飽和状態ですよね。この話は前にもノートに書いたような気もしますが、本当にそう思います。たぶん、それは昔からそうだったんでしょう。世の中にはたくさんおもしろい作品があって、読者はそういったおもしろい作品を読むのだと、それなら自分で小説を書く意味はないと感じるのが自然に思います。でもそうしないのは、他におもしろい作品があるのを知らないか、自分ならもっとおもしろい作品が書けると信じているからでしょう。後者は自分なら、ではなく自分でも、だとしても同じ意味です。
前者は無知でしょう。そういう人におもしろい作品が書けるものなんですかね?僕の考えでは、難しいんじゃないかなと思います。多くを見たうえでおもしろい作品がないと感じてしまう人にも、同じように良い作品は書けないと思います。特に、エンタメ小説の世界では。
そんなのは大半の小説書きは理解していて、大勢は後者の自分こそが超える存在となるべくして筆を取り、強い意志のもとで作品の執筆をするのでしょう。昔の僕もそうで、超えるとはいわないけど世の小説と戦えるだけの作品を書けると信じていました。ひたすら信じて書き続け、これでは勝てないと確信するのは作品を書き終わったあとでした。書き終わって世間の評価や出版社のコンテストで落ちるまで、信じられていたわけです。
それが、経験を重ねるうちに「これじゃあ戦えない」と途中で気づくようになってしまいました。そのせいで2,3年ほど作品をまともに完成させられていない現状です。おもしろい作品が飽和状態だから、肩を並べられない作品を増やしても意味がない。世の中にあふれているおもしろい作品に触れてもらったほうが有意義だと諦めるようになりました。

ただ、それは自分の作品が戦えないと気づいた場合のこと。
また新しい小説を書く準備が整いましたので、数年ぶりに連載形式で投稿していきます。カクヨムは当然として、他サイトでも投稿しようと考えています。その作品が、完結まで書けるといいなと、そう思います。

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