第26話
眼前に迫る四本の剣。俺の命を奪い取るつもりで振り下ろされた無慈悲なる煌きは、その役目を果たすことはなかった。
背後を囲んでいた兵士――メルトを狙った四人の兵士が、俺に向けて振り下ろされた刃を弾き、戸惑う兵士達を奥に蹴り飛ばした。
「借りは返したぞ」
俺を助けた兵士の一人が、聞き覚えのある声でそう言った。兵士は兜に手をかけて、その場に重い防具を投げ捨てた。兜が派手な音を立てて地面に転がる。
〝兵士に偽装した仲間が、主人公とヒロインの窮地を救った。〟
仮面に隠されていたのは、予想した通りの顔だった。残りの三人の兵士も兜を脱ぎ捨てて、見知った顔を覗かせる。精悍な顔つきの男達は、周りを囲む兵士を視線で威圧した。
「けっ、国と戦うのは嫌じゃなかったのかよ」
「勝機が見えたのでな。キサマの行動に乗じただけだ」
「トラヴィスに知らせたのはてめぇだな? 俺様を利用するたぁ、いい度胸じゃねぇか」
「卑怯なキサマのやり方から学んだというわけだ。無論、責任は取ろう。お前達、後ろは任せたぞッ!」
マルティンは仲間に背後を守るよう命令して、自分は王の間へ続く兵士達に対峙する。
剣を上段に構えて精神を研ぎ澄ませる彼の隣に、トンファーを構えたメルトが並んだ。
「マルティンさん、あたしも手伝うよ」
「ふっ、君が味方についてくれるとは心強い」
「行くよっ!」
鉛色の壁となって扉を守護する兵士の群れに、メルトとマルティンが飛び込んでいく。一瞬で薙ぎ倒されるほど兵士達も脆弱ではなかったが、扉の前から退けることには成功した。
〝ヒロインと仲間の助力により、主人公は国王のもとへ向かう。〟
「行けノールッ! 絶対に国王を倒せよッ!」
「ノールっ! あとは任せたよっ! あたし、信じてるからねっ!」
俺は王の間に向かい駆け出した。扉に手をかけて、声の方向を見ないまま返答する。
「安心しろ。俺といる限り、てめぇ達に敗北はねぇ。この俺にもな!」
扉を押してゆっくりと開いていく。俺の侵入を阻止しようと兵士達が群がってくるが、メルトとマルティンが奮闘して押さえ込んだ。
〝ヒロインと仲間が、兵士達の介入を防ぐ。〟
俺は王の間に移動すると、開いた扉を再び閉ざした。罵声と剣戟を重ねる音が完全に途絶える。王の間は、静寂とも表現できる異質な空気に包まれていた。
俺は乾いた足音を立てて玉座に歩み寄っていく。そこに腰かけていたトラヴィスは、理解のできないものでも見るように首を傾げた。
〝主人公は国王と対峙する。〟
トラヴィスは普段の嘲笑もなく、苛立ちを浮かべた表情で俺を睨んだ。
「何故、まだ生きているのです。君は兵士達によって殺されたはず」
「くっくっくっ、さぁな。本の力は完全じゃなかったってことじゃねぇか? 知らねぇけどよ」
「そんなはずはありません。そうですか。私自身が、手を下さねばならない展開なのかもしれませんね」
トラヴィスは玉座から立ち上がり、椅子の背の裏に手を伸ばす。引き抜かれた手には、国王の私室に飾られていた荘厳な黄金の剣が握られていた。トラヴィスは刃を抜いて白銀の刀身を露にすると、鞘を玉座に立てかける。
「ノールくんは幸せ者ですねぇ。私に逆らうとどうなるか、他ならぬ私自身に教えてもらえるのですから」
「ああ、そうだな。いつも近衛兵に守られてるおめぇが一人になるなんざ、こんな珍しいこともねぇもんな。ご教授お願いします、ってか。くっくっくっ」
「ひっひっひっ。それほどまでに求めるなら、早急に望みを叶えてさしあげましょう」
悠然と俺に近づいてくるトラヴィス。その手には、刀身の長い剣が握られている。俺は動かず、その場で奴がやってくるのを待った。
トラヴィスが俺を刃の射程に捉えると、袖を乱して剣を振り上げる。奴の瞼は、気持ち悪いくらいに剥かれていた。
「今度こそ終わりです。私に逆らったこと、永遠の時の中で後悔しなさい」
大層な台詞を吐いて剣を振り下ろしたが、俺はその刃を易々とかわした。
どのような軌跡を描くのか、いつ振られるのか。どういうわけか、その全てを察知することができた。
「外しましたか。ここまで抗うとは、ノールくんは恐ろしいですねぇ。ですが、次こそ終わりです」
袈裟に斬り、横に薙ぎ、正面から突く。
だが、繰り返されるトラヴィスの攻撃は、俺の身体を掠めることもなく虚空を裂き続ける。
〝国王は剣を手に取るが、主人公に攻撃を当てることは叶わない。〟
「何故……! 何故ですっ! 何故だッ!!」
見る見るうちに焦燥を露呈させていくトラヴィス。乱暴に剣を振り乱しながら、王の間の中心で俺を追い続ける。
俺が支柱の前に立つと、首の高さの位置に横薙ぎが放たれた。俺はその一撃を潜ってかわす。トラヴィスの剣が柱にめり込み、その動きを止めた。俺は即座にナイフを引き抜くと、柄を握るトラヴィスの手首を斬りつけた。
「あぁァァッ!!!」
法衣の繊維ごと肉を断たれて、トラヴィスは柄から手を離して傷口を押さえる。支柱には、黄金の剣が突き刺さったままだ。
奴は敵の存在よりも自身の傷を心配している。俺は素早く姿勢を低くして、奴の足首を一回ずつ斬りつけた。腱を断たれたトラヴィスが、更なる悲鳴をあげて無様に前のめりに倒れる。奴の王冠が頭から外れて床を転がった。
〝主人公は国王の足を斬りつけ、国王は剣を落として倒れる。〟
しばらくは悶えていたトラヴィスだったが、時間の経過によって多少は痛みに慣れたのか、少しばかりの冷静さを取り戻したようだ。俺の方に顔を向けて、額から玉のような汗を流しつつ、彼は疑問を口にした。
「何故……何故、私が倒れている。私はこの世界の支配者だッ! 私が倒れるなど、あってはならないッ! 私は王だぞッ! 貴様、いったい何をしたッ!! 私は本に、こんな展開を書いた覚えはないッ!!」
「訊く前にちったぁ考えてみたらどうだ。話を考えるのがてめぇの仕事だったんだろ?」
「あり得ない……この私の力が、この私の物語が崩されるなど、あってはならんことだッ!」
「あー……めんどくせぇな。俺の話を聞いちゃいねぇ。仕方ねぇな。このまま殺しても良かったんだが、特別に教えてやるぜ」
荒い呼吸を繰り返しながら見上げてくるトラヴィス。俺は道具袋から、八年前に彼から受領した本を取り出した。両足と片手の手首を負傷したトラヴィスを見下ろす。いつかの時とは逆に、俺は奴の眼前に本を放り投げた。背表紙が固い床に叩きつけられる。
「そいつの最後のページを見てみな。そこに、お前の知りたがってる答えがあるぜ」
なりふり構わずトラヴィスは片手を伸ばし、題名のない表紙を裏返して後ろから一ページめくる。最後のページに筆跡が違う文章を見つけて、トラヴィスの手は震えだした。
「こんな……これは、私の書いたものではない……。何故……何故、完成した物語の展開が変わるのだッ! 完結した物語は、いかなる方法によっても変えられないはずだッ!」
「どこから自信が湧いてくるのか知らねぇが、おそらくはその通りだろうな。その本には、書かれた物語を現実に反映させる力がある。完結した物語を変えることもできねぇだろう」
「嘘をつくなッ! では何故、私の物語は結末を変えたのだッ!」
「変えちゃいねぇよ。おめぇの書いた物語は間違いなく完結したぜ? ただ、そこから俺様が別の物語を紡いだだけだ。別段不思議なことじゃねぇだろ? マノリア達だって一度は殺されたように書かれていたが、その後〝実は生きていた〟で再会させてくれたじゃねぇか。それと同じことをしただけだ」
「余白を利用して、本に残った力を利用しただと……それを別の物語と申すか。認めん、私は認めんぞッ! 一冊の本に二つの物語など、一ページの分量にも満たない文章が物語と認められるなど、私は許さんッ!!」
トラヴィスが負傷した手で本を押さえつける。開かれた最後のページに、手首から溢れる血がべっとりと付着した。紙面に滲んでいく赤色を目の当たりにして、彼は狂った笑い声をあげた。
「ひゃっひゃっひゃっ! これだッ! この最後のページには、まだ一行分の余白がある。この私の血で、貴様を殺してやろうッ! 一行の物語で、貴様の物語を覆してやるッ! ひゃっひゃっひゃっ! 詰めが甘かったですねぇッ!」
トラヴィスの言うように、本には一行分の余白があった。残っていたのは十四行分の空白だったが、俺は十三行分しか使わなかった。
傷口に指を伸ばし、指先に血を付けて最後の一行を書き足そうとするトラヴィス。
奴の血が付着した指先が、ページに触れる。
逆転の物語をトラヴィスが綴ろうとした途端、本は前触れもなく急に燃え上がった。トラヴィスは炎の熱に手を引っ込めて、眼前の床で黒煙をあげて燃える本を呆然と見つめる。
炎の勢いは凄まじく、黒い焼け跡だけを残して、瞬く間に本を灰へと変貌させた。
〝倒れた国王に本を見せると、本は突然燃え上がり、焼失した。〟
声を発することもできず、トラヴィスは震える手で焼け跡を擦る。訊くまでもなく、彼の脳内には無数の疑問符が浮かんでいることは明白だった。
俺は支柱に刺さったままの剣を引き抜き、本の焼け跡の前に倒れ伏したトラヴィスに対峙する。
〝主人公は国王の落とした剣を拾い上げ、選別を告げる。〟
「こいつもおめぇから教わったことだ。本に書かれているという理由で、俺達の孤児院は火元不明のまま炎上して焼失した。それと、燃えてしまっても本は効力を失わない。そうだったよなぁ?」
「あ……あ……」
「俺は復讐のためにおめぇを倒すわけじゃねぇ。進む道に立ち塞がった障害を取り除くだけだ。俺の物語は、復讐して終わるわけじゃねぇからな。この先も続いていく。終わりを決めるのは俺自身だ。てめぇに決められてたまるかよ」
「わ、私は国王だ……全てを意のままにできる立場にある……こんなところで、終わるはずがない……」
トラヴィスは片腕の力だけで床を這いずる。どうやら、玉座を目指しているらしかった。足首から流れた血が、彼の軌跡を辿る。
「終わらない……そのための力を得たのだ……終わるはずがない……そうだ、また本を書こう……本を書いて、私が勝利する物語を作るのだ……ひゃっひゃっ……そうすれば、まだ私の物語は終わらない……」
俺に背を向けて、トラヴィスは痛々しく移動を続ける。完全に正気を失っているようだった。
ふと、脳裏に両親の死に際の顔と遺言が蘇る。
俺は頭を振り、二人の怨恨を脳内から排除した。
右手に持っている剣を、左手で逆手に持ち直す。
「いや、てめぇは終わりだ。違うな。もうとっくの昔に終わってたんだ。自分の力じゃない不確かな力に依存しちまった時点で、てめぇの物語は終わった。本の力に頼るようになった日から、てめぇは自分の足で歩けなくなったってわけだ。今のてめぇのようにな」
「私は王だ……私の存在を認めさせるために、私は王になったのだ……」
「その願いを叶えるために、てめぇは人生を捧げた。トラヴィスという名の人間を生贄にして、同名の別人を生み出した。暴政によって民衆を支配する、悪の国王という肩書きの登場人物をな」
「私の創作した物語で……世界を支配するのだ……」
「これは俺の物語だ。俺は、自分の物語の登場人物に成り下がったてめぇに世界の支配なんて大それた役割は与えちゃいねぇ。俺の物語で悪の国王が迎える結末は、もう決まってる」
俺は剣を持つ腕を振り上げて、トラヴィスの背中を捉えた。
「新たな物語の最後の一文は、こうだ――」
トラヴィスが玉座に手を伸ばす。玉座の脚の一つを掴み、彼は立ち上がろうとした。
「再び、私の時代を――」
無防備な国王の背中に、俺は剣尖を向けて振り下ろした。
「〝主人公の剣によって、国王は息絶えた〟」
背後から長剣で貫くと、トラヴィスは血を吐いて身体を痙攣させる。一瞬の後、玉座から手を離して、奴は剣を背中に突き立てた状態で息絶えた。
俺はあらゆる緊張から解放されて、天井を仰いで溜め込んだ息を全部吐き出した。
「……終わったな」
思わず口から漏れた言葉を、誰が聞いたわけでもないのに訂正する。
「ちげぇな。これが、始まりか」
王の間の扉が開く音を耳にして、俺は後ろを振り返った。
メルトとマルティンと、マルティンの仲間三人が、穏やかな表情で立っていた。全員が小さな掠り傷を負っていたが、目立った大怪我はないようだ。
「へっ、少しお節介が過ぎたかもな」
〝ヒロインと仲間も兵士達を制圧して、戦いは終わった。〟
俺はトラヴィスを一瞥すると、仲間達のもとへゆっくりと歩み寄っていった。
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