5-10 Ordinary In Thermidor

 臨海副都心の騒動から翌日。一連の騒ぎなど無かったかのように、エコフェスティバルは最終日を迎えた。目玉のEVレースもこの日は予定通りに開かれた。

 流雫と澪、そして詩応と真は相変わらず臨海署で取調だったが、最上階の休憩室で休憩中に、その様子を見ることができた。快晴の真夏日だから、この場所は図らずも最高の観戦場所だった。

 白熱するデッドヒートを観ながら流雫は、漸く本来の平和が戻ってきたと思っていた。こうして、スポーツやエンターテインメントが開かれているのは、平和である証左だからだ。

 とは云え、トーキョーゲートの全容解明はこれからだ。それに、伊万里の時と同様熱烈な支持者がいて、その言動にも目を見張る必要が有る。

 そして何より、銃社会は反銃社会に戻らない。既に国民の2人に1人が所持しているため、市場規模が大き過ぎるからだ。それどころか、アフターマーケットの拡充を画策しているらしい。

 銃の所持そのものが牽制として、犯罪の抑制になるとする一方、銃犯罪も増えるだろう。結局は持つ人間次第だが、流雫にとっては皮肉でしかない。銃を持った時点で、かつての恋人を殺したテロの最大の目的通りだったのだから。

 ただ、それでも銃が有ったからここまで死ななくて済んだし、トーキョーアタックやトーキョーゲートの真相に触れることができた。痛々しい妄想に過ぎないが、銃は美桜が自分の死の真相を暴いてほしいと願って流雫に与えたのか、この銃そのものが美桜の願いを形にしたものなのか……とすら思う。


 夕方、新宿。ふとシンジュクスクエアに立ち寄った詩応は、その最も高い位置に立つ。あの日、雨に打たれながら澪に抱かれ、この少女が、本当はソレイエドールの化身なのではと思った。そして今は断言できる、彼女はアタシにとってのソレイエドールなのだと。

 その澪が、詩応の隣に立つ。

「……ありがと、詩応さん」

そう切り出した少女の一言に、詩応は不思議な表情を浮かべる。

「詩応さんが、あたしや流雫を信じたから、こうして全てが終わった。詩応さんや、真さんがいたから、あたしは死ななかった……」

何度言っても、また何度でも言いたい。3人がいたから、自分はあの脅威に立ち向かい、死ななかったのだと。

 「それはアタシもだよ。アンタたちと出逢えたから、アネキの仇を討てた」

と詩応は言い、微笑む。その様子を見ていた真も近寄り

「……全員がいなきゃ、勝てせんかったがね」

と言い、1人下の段で3人を見上げている流雫に目を向ける。

 ……あの3人がいて、フランスの2人がいて、そして……かつて恋人として愛したかった少女がみんなを護って。だから、僕は死ななかった。僕はみんなを讃えたい。

 そう思っていたシルバーヘアの少年を

「流雫!」

と澪が呼ぶ。それに詩応が

「来なよ、アンタも」

と続く。更には真も続いた。

「でないと始まれせんがね!」

そう言われ、流雫は一瞬戸惑い、しかし少しだけ微笑んで近寄っていく。呼ぶなら仕方ない、と思いながらも、思っていることは全員同じだった。

 流雫と真が、澪と詩応を挟む形で並ぶ。あの日悲しみの象徴と化した大都会の片隅は、今は凜々しさを交えた微笑に包まれている。

 その右端に立つ真の手にも、3人と同じブレスレットが飾られていた。チャームは太陽のサファイア。装飾品は好まないが、あの雨で戦った仲と云う証なら悪くない、と思っていた。


 4人がバステに上がったのは、それから20分後。名古屋行きのバスに乗る名古屋からの2人を見送るためだ。欲を言えばもう1日いたかったが、合宿は終わっただけに宿問題が直撃し、高校生2人にはどうしようもなかった。

 短い言葉で再会を約束し、詩応と真は満席の車内へ消えていく。やがてドアを閉めたバスが、ディーゼル特有のエンジン音を唸らせて乗り場から離れていく。

「……行っちゃったね……」

とだけ、澪は寂しそうな声で言った。

 ……この3日間、色々なことが有った。喜怒哀楽の全てが、詰まっている。

 あの場に結奈や彩花がいなくて、危険な目に遭わなくて済んだことは幸いだった。あの場に居合わせたとして、2人を護りながら戦える自信までは澪には無かったからだ。

 知らないことで得られる平和。知ったことで首を突っ込まざるを得なかった戦いと、しかしその果ての平和。愛する同級生2人と刑事の娘がそれぞれ手にしたものは、最後は同じ。ただ、彼女たちの平和を護れたことに、澪は少しだけ自慢しない誇りを感じていた。

 「でも、再会の約束はしたし、伏見さんとは話せるワケだし」

と流雫は言う。レベリオンと云う名で始まったグループが、メッセンジャーアプリに残っている。連絡することは滅多に無いだろうが、それでも流雫が彼女を忘れることは無い。

「それもそうね」

と言った澪は、流雫がアルスと別れた時を思い出していた。

 ただ、あのフランス人とは違って2人は国内にいる。時間と費用の工面さえできれば、新幹線で2時間も掛からない。そう思えば、寂しくない。

 バステからシンジュクスクエアに下りた2人は、もう一度その場に立つ。……少し前まで4人だったのに、今は2人だけだ。でも、それはそれぞれの日常に戻り始めている証拠でもある。

 ただ、2人が別れてそれぞれの日常に戻るのは、明日のこと。未だ一つだけ、大事なことが残っている。

 

 昨日まで市街地サーキットだった臨海副都心の道路は、未明に終わった原状復帰作業を経て、何時もと変わらない朝を迎えた。

 何時もと変わらず、人や車が慌ただしく動く朝7時。臨海署に入った目覚まし代わりの一報は、唐津学の死だった。

 担当の看護師曰く、前夜の消灯時や朝方の巡回時までは、部屋の中も含めて特に変な様子は無かったらしい。だが、その直後容態が急変し、ナースコールを鳴らすことなく、暴発で腕を失った右肩付近を血塗れにしたまま事切れた。件の看護師が朝の起床時間に入室して、その状態に気付いたらしい。

 死因は不明だったが、因果応報と云う意見も冗談ながら見受けられた。クレイガドルアの呪いだの報復だのと言われても、一蹴することはできないほど、恩師井上の遺産でもある教団と、その名前を蹂躙してきたからだ。

 そしてこの日、多久博は首相と国会議員の座を追われた。本人は病室で取調中に、その一報を耳にした。唐津の壮大な計画が潰えた時点で、そうなるだろうとは覚悟していたが、スマートフォン越しに更迭を告げた秘書の声は処刑宣告そのものだった。

 朝、恋人経由で日本の一報を耳にしたアルスは、寝ぼけ眼のままルナのスマートフォンを鳴らした。日本にいる少年は、数時間前に澪の家で唐津の一報を、そして臨海副都心で多久の一報を既に知っていたが、フランスが未だ明け方だからと連絡を止めていた。

 「何の因果か……」

とアルスは言った。相も変わらず臨海副都心にいた流雫は、通話相手のフランス人が何を言いたいか判る。

 今日は7月28日。パリで恐怖政治に終止符が打たれ、フランス革命が事実上終結した日だったからだ。己を200年以上前の革命戦士に擬え、そして日本の新たな指導者と云う壮大過ぎる野心に邁進した結末が、首謀者の死と共謀した首相の社会的な死。偶然では片付けられない、そう2人は思っていた。

 しかし、唐津が死んだことで、伊万里の時と同様に事件の全容解明には時間を費やし、それでも全ては明かされないだろう、と云う思いも抱える。

 朝から釈然としない、後味の悪さを引き摺っているが、今日はそれより大事なことが有る。澪の誕生日。フランス革命が終わった日と同じ、と云う形で覚えていた。

「それより、ミオにも言わないとな」

とアルスは言った。昨日から、今日連絡しようと思っていたが、本来はこっちの理由だ。ニュースに前後を逆転されたが。

「誕生日おめでとう。これからもルナを頼むな」

とアルスが言うと、澪は赤面しながら、

「ありがと、アルス。……アリシアとのウェディングには駆け付けるわ」

と返す。

「あ、ああ」

と答えたアルスは、まさか撃沈される一方だったミオから、そう返されると思っていなかった。少しだけ甘く見ていたか……。

 通話が切れると、流雫は悪戯っ子のように微笑む澪に少しだけ怯えた。流雫も何度か、澪を撃沈させてきただけに、仕返しが怖い。尤も、あの程度で赤面するアルスも大概弱いのだが。


 ……この日の朝、澪は寝起きで唐津の死の一報を目にし、ルームウェアのままリビングに駆け下りた。流雫は少しだけ早く下りて、キッチンに立っている。

 テレビを見ながら

「……まさか……」

と無意識に洩らす娘に

「俺にも先刻連絡が有った。詳しいことはこれからだが、参ったな……」

と父は言い、頭を抱える。ただ、悩みはそれだけではない。

 「それはそれとして、だ」

その言葉から、父親と一人娘の小競り合いが始まった。原因は、日本の乗っ取りを阻止したことへの特別表彰だった。

 去年の暮れは拒否しているだけに、今回は警察の顔を立てる意味でも受け取れと言う父と、そのために戦ったワケじゃないと言う娘。本音は、何が悲しくて誕生日まで父の職場に出向かなければいけないのか、だった。尤も、デートの目的地は目鼻の先だが。

 ガレットを焼く流雫の手際に相変わらず感心する澪の母親は、単に父娘喧嘩のギャラリーと化している。そして恋人は完全に澪の味方だ。

 ……受ければ、一瞬だけだろうとヒーローとして持て囃される。それより、テロとは無関係な高校生として、普通の日々を享受したかった。

 結局、父の常願はその答えを上に伝えるしか無かった。ここでどんなに苦言を呈しても、決まって

「誰の娘だと思ってるの?」

と一蹴される。

 我が侭娘だが、芯の強さが唐津を追い詰め、逮捕に結び付いたと思っている。その点は自慢したいが。

 朝の一戦を勝利で終えた澪は、あの土曜日と同じ制服のままで改めてデートを楽しみたいと思い、セーラー服に袖を通す。隣には、ワイシャツとスラックスの少年。準備は終わっているらしい。

「行こう」

と澪は言い、部屋のドアを開けた。


 2人のデートの場所としては定番過ぎる、臨海副都心。逆に言えば、其処ぐらいしか思い浮かばない。いっしょにいるだけで楽しいから、とは云えバリエーションのワンパターン化は2人して思っている。

 ただ、思い返せばやはり、このエリアが2人にとって大きい。それが、都区内に住む澪でさえ都心を南北に突っ切ることになるウォーターフロントを、無意識に選んでいる証左だった。

 澪への誕生日プレゼントが決まらないのは、1年前のブレスレットが我ながら秀逸だったからだ、と流雫は思った。このアクセサリーは、既に2人にとっての御守りと化している。

 真のブレスレットは3人と同じ店のものだったが、その店員に冗談か否か安い指輪を勧められた。澪もアクセサリーはこれだけで十分だったし、何より2人で平和を享受できているだけでよかった。

 「あれ?澪?流雫くんも?」

と、声が上がる。名を呼ばれた澪が顔を向けると、ボーイッシュの少女が、三つ編みの少女と並んで立っていた。

「結奈、彩花も」

「流雫くんとデート?羨ましい」

と言った結奈に、澪は

「結奈だって彩花とじゃない」

と返す。

 その様子を、僅かに外側から見る流雫。この3人の遣り取りは元日の初詣Wデート以来だが、見ていて飽きることは無い。そしてそれは、この少年が手に入れられない河月での光景でもある。

 ……それでも、自分を何だかんだで気に懸けていた2人が、何も知らないまま平和な日常を過ごせるのなら、それでいい。

「どうせだし、4人で回る?」

と彩花は言い、澪は

「どうする?」

と流雫に振り返りながら問う。流雫は

「澪がそうしたいなら、僕はついていくよ」

と答えた。

 今はとにかく、最愛の少女とその同級生がもたらす、漸く戻ったテロも何も気にしなくて済む日常の象徴を微笑ましく見ていたい。そして、下手な言葉に隠された理由も澪には判っていた。

「じゃあ決まりだね」

と言って微笑む澪の隣に、流雫が寄る。

 澪にとっては、大切にしたい同級生と恋人に囲まれて過ごせる日々が、何よりの誕生日プレゼント。そして、最愛の少年はあの少女との約束を果たせたから、今隣にいる。

 そう思った少女の脳に、雨に打たれながら叫んだあの言葉が、ふと甦る。その度に、口を突いて出る

「ありがと、美桜さん……」

の言葉。あの日からだけでも、そう何度呟いただろうか。その度に、誓う。

「これからも、あたしは流雫を護る。流雫だけじゃない、大切にしたい人みんなを」

と。

 蒸し暑さすら、少しだけ愛しくなる。それは、頭上に無限に拡がる碧のスクリーンを見上げると微笑みながら泣き出しそうになるから。あの少女の微笑みが、微かに見えた気がしたから。

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