3-5 Lost In Complex
連休明け最初の週末、流雫とアルスは快速列車で新宿に向かっていた。今日は遊びではなく、フランス人の取調だ。あの連休、2人と別れた後に澪は、父にアルスのことを少し話した。ベテラン刑事はすぐさま娘とその恋人を通じてアルスに話を聞かせてほしいと伝えていた。
警察絡みで東京に行く場合、捜査協力の名目で金一封として交通費だけは出るようになったから、懐事情を気にする必要は無い。
新宿駅で澪と合流した2人は、すぐに彼女の案内で臨海副都心まで向かうことにした。移動中に言葉少ななのは、今からフランス人の少年が刑事2人に話す中身の重さを、覚悟しているからだった。
高校生3人が臨海署に着いたのは昼前だった。出迎えた弥陀ヶ原は3人を取調室に通す。アルスが軽く挨拶をする隣で、流雫は通訳になる。念のために翻訳アプリも使うが、流雫の通訳との整合性を確かめるためだった。流雫を疑っているワケではないが、如何せん他にフランス語を話せる人がいないからだ。
始める前に、流雫はペンションで焼いてきたガレットロールを4人に振る舞う。わざわざ混雑する最上階の休憩室に行かなくて済むし、何より美味い。
英語ではなく母国語のフランス語で、アルスは刑事の問いに答え始める。数日前に3人で話したことと同じだが、それだけでも刑事にとっては耳を疑う新情報ばかりで、一つ一つ質問していく。アルスはそれに淡々と答え、流雫は的確に通訳していく。
その2人に軽く圧倒される澪は、しかし自分にはそう云う特技が無いことで無力感を抱え始めていた。
……アルスは、日本では手に入らない情報を持っている。流雫はルーツがフランスで、フランス語が話せるトリリンガル。澪とは属性が違うから、気にする必要は無い。そうは判っているが、2人の役に立っていない……と、つい意識する。
「……澪、少し休憩しようか。外国語は頭痛がする」
と、途中で口を挟む常願は、娘を休憩室へ連れ出した。
「気を付けんしゃあよ」
と言った真と改札前で別れた詩応は、東京方面のプラットホームへ出る。それと同時に到着した博多からの新幹線は、降りる予定の品川まで1駅しか止まらないきぼう号。詩応はその自由席の窓側の席に座った。あの日とは違って、隣に誰もいなかった。
……少女が最後に乗ったのは、首を切られた時。意識を失ったのは車内、開いていない方のドア前だった。ホームに逃げようとして、そのまま倒れた。
今でも恐怖は残るが、しかし乗らないワケにはいかない。ペットボトルに入った炭酸ジュースを飲みながら、詩応は窓の外に目を向けた。
……心肺停止に陥りながら、後遺症は手に少し残った程度。それだけで済んだのは奇跡としか言い様がないらしいが、それこそ女神の導きとしか言えない。
足は普通に動くが、利き手を上手く動かすことができない。リハビリで通院はしているが、左手で生活する練習もしている。字は汚いが、辛うじて書けるようにはなった。
だが、銃を撃つことは、少し難しい。自分の部屋で一度構えてみたが、震えて安定しない。反対側の本棚に並んだ分厚い辞書の1冊にすら、ターゲットを合わせることができなかった。
「……はぁ……」
と溜め息をついた詩応は、次テロに遭遇した時に戦えるのか、疑問で仕方なかった。尤も、遭遇する前提でいなければならないこと自体、異常事態であることは判っているのだが。
……この1ヶ月間、休日になると真が病室に見舞いに来ていた。そして退院して初めての週末だったが、臨海署の刑事から呼び出された。交通費は警察持ちだから助かるが、何を話すことになるのか。
ただ、澪に会えることが何よりも嬉しくて、そして不安だった。最後に会ったのは、品川で別れたあの日。……アタシのために泣き叫んだ少女に、どんな表情をすればいいのか。悩んでも仕方ないことぐらい、判ってはいるのだが。
「……お前、軽く上の空だったろ?」
コーヒーが注がれた紙コップを娘に渡しながら、父は問う。外国語は頭痛がする、それは娘を連れ出す理由でしかない。尤も、フランス語は全く判らず頭を抱えているのは事実だが。
「……あの2人に比べて、あたしは……」
と澪が白状すると、溜め息をついた父は
「澪、コンプレックスも大概にしろ」
と、呆れ口調で言った。
「お前がいたから、誰も死ななくて済んだ事件だって有る。お前が誰かの支えになったことだって、少なくない」
……本人に自覚が無い……無さ過ぎるだけだ。澪の咄嗟の判断がターニングポイントになった事件は少なくない。逃げろと叫んだから、誰も自爆の被害に遭わなくて済んだことだって有る。そして、最愛の少年を何度だって支えてきた。父は知らないが、名古屋の少女も彼女に助けられた。
誰かの力になっている、見知らぬ人を助けている。だから同級生2人も、詩応も……そして流雫も、絶対に澪を見捨てようとしない。
ただ、全てが無意識過ぎて、自分が持ち合わせていない特徴を目の当たりにすると、それに引っ張られるだけだ。
「……お前は誰の娘だ?」
と常願は問うた。
……危なっかしいと苦言を呈された澪は、決まってこう返す。
「誰の娘だと思ってるの?」
その減らず口を、常願は親として苦言を呈しながらも内心好んでいた。
「……決まってるじゃない……」
とだけ言って黙った澪の肩を叩き、常願は言った。
「お前は、誰より人を助けている。誰よりも人を大事にしたがる。だから誰からも愛される。俺と美雪の誇りだ、胸を張れ」
俯いたままの澪は、しかし頷かなかった。
「それだけじゃ……ダメ……」
ふと、少女の唇の隙間から言葉が零れる。
今までが、幸運だっただけ。流雫が撃たれた時、詩応が切られた時、澪はそう思い知らされた。不運を超えられる力は、あたしには無い。
……どうすれば、結奈や彩花を、詩応さんを、そして流雫を……、あたしは護れるの……?
一通り話した後で、出されたコーヒーを一気に飲み干す流雫とアルス。特に流雫は、二カ国語の同時通訳だったから、喉が少し痛む。
「しかし、流雫くんはよく話せるな」
「元々フランス人だから」
と弥陀ヶ原に返す流雫は、しかしベテラン刑事の父親に連れ出された澪が、少し気懸かりだった。……あの場で何も言えない自分を嘆いているのか。
「……ちょっと、休憩室に……」
そう呟き、流雫は取調室を出る。エレベーターで最上階へ上がると、臨海副都心を一望できる大きな休憩室に入る。
その端に座る少女の隣にいたベテラン刑事は、入ってきた少年に気付くと
「……騎士様に任せるか」
とだけ言い、流雫の肩をすれ違いざまに叩く。……何か有った?そう思った少年は澪の隣に立った。
「……流雫……」
澪は呟くように名を呼び、最愛の少年の手に触れる。
「……澪は、誰より僕の力になってる」
と、流雫は言った。
……時間を一瞬だけ止めることは、澪は誰より上手だ。敵の流れや勢いを殺し、突く隙を流雫や詩応に与える。それで救われたことすら有る。
ただ、流雫から見て澪は、誰よりも他人のために必死になってやれる少女だった。それが暴走する時も有るが、しかし憎めないのは見返りを求めること無く、自分なりに出した献身の形と云う答えだったからだ。そうでなければ、誰かのために身体を張って、誰かのために泣いて……なんてできない。
流雫は誰よりも、澪に救われて来た。この1年半以上、オンラインでもオフラインでも。だから流雫には判る、その献身が澪の最大の武器なのだと。恋人と云う贔屓目を排除しても、それは微塵も変わらない。
「澪はみんなを助けてやれる。救ってやれる」
「……流雫……」
澪は再度、愛しい名前を声にする。そして、父の職場だと云うのに座ったまま流雫に抱きついた。胸と腹部の間に頭を預けると、何だか安心する。
「だから、僕は澪を愛してる」
優しい目をした少年の顔を、澪は見上げた。
……流雫に言われると、見失っていた自分が戻ってくる気がする。慰めの言葉が欲しいワケじゃない、ただ誰かの支えになっていると云う確証が欲しかった。
数分経って、澪は
「……ありがと、流雫」
と小声で言い、最愛の少年から離れた。取調室での話は、未だ残っている。
2人が戻った取調室では、刑事2人が困り果てた顔をしていた。中断前までにアルスが話した中身に、頭が追い付いていない。
「ルナ、2人どうしたんだ?」
「アルスの話のインパクトに、頭を抱えてるんだよ」
と流雫はフランス人の問いに答えながら、意地悪な微笑を浮かべる。高校生3人は連休中に一通り話していて、そのリピートだから今更驚くことではないが、刑事にとっては頭が痛い。
「……銃社会云々は、警察の領域。僕たちは、あの連中が起こすテロに遭遇しても屈しない。それだけだよ」
そう言った流雫の表情に、何度目かの覚悟を見たアルスは少しだけ微笑んでみせた。
男としては頼りなげにすら見える、可愛い顔立ち。しかし、感情の起伏に揺れながらも強い芯の持ち主。ルナなら、心配することは無い。
「トーキョーアタックとは、別の方向で厄介だ……」
と弥陀ヶ原は呟く。一筋縄でいかないのは、最初から判っている。
フランスから来たアルスと云う少年がもたらした情報に、東京の刑事2人は戦慄を感じながらも、どう立ち向かうか悩んでいた。ただ一つ、トーキョーゲート以上のスキャンダルは避けられないことだけは確かだと言える。
銃社会化の末に銃産業の利権を独占する、そのための全体主義を振り翳している。だから日本では情報統制したい。海外からのアクセス遮断も時間の問題か。寧ろ、何故海外からはアクセス可能なのか、刑事にとっては気になるところではあるのだが。
常願のスマートフォンが鳴り、それに出た持ち主はが一言だけ部屋を指定して切る。その1分後、5人がいる部屋のドアがノックされ、開いた。
「詩応さん!!」
そのボーイッシュな外見に、真っ先に反応したのは澪だった。瞳を滲ませて立ち上がった少女に近寄った詩応に、
「よかった……!生きてる……!」
と声を詰まらせる澪。その隣で、流雫も
「伏見さん……!」
と名を呼んだ。
「例の件で話を聞かせてほしいと、頼んでいたんだ」
と常願は言ったが、誰も詩応が現れるとは聞いていない。流雫はふと、気まずさを覚える。
……詩応とアルス、相容れない宗教の信者同士。本国での教団同士の関係は少しだけよくなった。しかし、個々の意識は別だ。……ただ、出会した以上は互いに無関係では済まされないだろう。
「シノ?フシミ?」
と声を出したアルスに、詩応は目を向ける。
「誰?」
と英語で問うた詩応に、アルスは
「アルスだ、よろしく」
と答える。それに
「……アタシは、シノ・フシミ」
と返した少女は、流雫に
「……誰?」
と問う。どう切り出すか、数秒だけ迷った流雫は、ストレートに答えた。それ以外、正解が見当たらない。
「この前言ってたフランスの……。短期留学で、来月まで日本にいるんだ」
流雫の言葉に、詩応は
「アンタが……血の旅団の……」
とだけ言って目を逸らす。……太陽騎士団の信者と云う心情からすれば、相容れない。ただ、気になることが有る。血の旅団信者が、何故日本にいる……?
「その口振りからして……太陽騎士団か?」
その問いに、詩応は問い返す。
「だから何だい?」
「……崇める女神は違えど、真の敵は同じだ。経典上でも、現実でも」
母国語と同じぐらいに流れるように続ける、アルスの言葉は尤もだった。
ただ、その一方で血の旅団は、ノエル・ド・アンフェルのような事件も起こしている連中。相容れないが、この少年と無関係であるワケにはいかないのか。
「とは云え、教団のルーツがアレだから、相容れるワケにはいかない、と云うのも間違ってない」
とアルスは言い、詩応の目に鋭い視線をぶつけた。
「……旭鷲教会の思惑を潰すために、力を貸してほしい。フランスのため、そして日本のためにも」
相容れないが、そう言った少年のブルーの瞳に、偽りは感じられない。……詩応は頷くしかなかった。
4人が解放されたのは、夕方のことだった。今日、流雫とアルスは臨海署の手配の上でビジネスホテルに泊まることになった。……そう、明日もこの類いの話なのだ。気が重いが、仕方ない。
流雫はアルスの同行者として、宿も同じである必要が有った。だから澪に頼むワケにはいかない。その澪は、宿が無い詩応を泊めることにした。それなら、彼女を1人にすること無く、澪自身も安心できる。
「伏見さん」
そう言った流雫に、詩応は
「……アルスのこと?」
と問い、少年は頷く。……偶然とは云え、2人を引き合わせる形になったことが、流雫にとっては気懸かりだった。
「……真の敵は同じ。先刻、そう言ってた。……相容れないけど、今は我が侭なんて言ってられない」
と、ボーイッシュな少女は言いながら、オッドアイの瞳を見つめる。
「形振り構っていれば、アタシたちが殺される……」
そう続けて唇を噛む詩応に、流雫は何も言えなかった。首を切られ、生死の境界線に立たされていた彼女に
「殺されないよ」
と軽々しく言えるのか……。
「とにかく、アタシはアネキの死の真相に触れたい。それが、アルスが言ってたことと結び付くとしても」
そう言った詩応は、彼女なりの覚悟を見せる。その目に、流雫は自分が持ち合わせていない強さを感じていた。
男子2人と女子2人は、早く別れた。折角だし、何処かで軽く遊ぶ……は流雫と澪の頭には無かった。
渋谷駅から歩いて数分のビジネスホテルは、生憎シングルの部屋は空いていなかったらしく、男子高校生2人にはツインベッドの部屋が割り当てられた。
初めて日本でホテルに泊まる流雫は、殊の外殺風景な部屋に、これぐらいならユノディエールの方がまだ過ごしやすいと思った。尤も、ビジネスマンに取り敢えずの寝床を提供すると云う目的の施設だから、これはこれで有りなのだろうが。
「……少し、出ようか?」
と流雫は言ったが、アルスは恋人に連絡するから残る、と言った。流雫は1人、渋谷の街へ出た。
土曜日の夕方、喧噪に包まれる繁華街の中心に立つ流雫。……意外なことに、1人で東京を徘徊するのは初めてだった。何時も隣に澪がいた。だから何か、少しながら寂しさを覚える。
アンバーとライトブルーのオッドアイは、慰霊碑を捉える。流雫は
「美桜……」
とだけ呟いた。
……僕は伏見さんを、アルスを、そして澪を護れるのか。誰も殺されること無くいられるのか。誰よりも弱い、その弱さ故に揺らぎ続けている。だから今だけは、背中を優しく押してほしかった。
「美桜を殺した……トーキョーアタックを……トーキョーゲートを……今度こそ終わらせたい……」
無意識に小さな声に出した流雫の隣から、
「……娘を、知っているのか……?」
と、声が聞こえた。低めの太い声、その主に流雫は顔を向け、そして目を見開く。
「……あ……!」
一度だけ、サイトで顔写真を見たことが有る。……欅平、千寿……!?
渋谷駅近くの喫茶店の端で、向かい合う流雫と千寿。まさか、かつての恋人の父親と、この街で会うとは。
「……そうか、君が娘の……。生前、娘が世話になった」
「世話になったのは、僕の方で……」
と、千寿に返す流雫。謙遜ではなく、それが事実だった。そして、一瞬躊躇ったが問うた。
「……欅平さんに質問が……」
……太陽騎士団、血の旅団、そして旭鷲教会。その3つについて、宗教学者としての見解はどうなのか。レンヌで否定したがっていた、旭鷲教会との関係性はもう諦めた。
「君は、私からその話を聞いてどうする気だね?」
「……この宗教テロが終わらない限り、トーキョーアタックは……トーキョーゲートは終わらない……。……美桜も、もし未だ救われていないのなら……」
その言葉に、千寿は目付きを険しくする。しかし、流雫は怯まない。
「僕は、美桜に何もしてやれなかった。美桜に救われたのに、僕は……」
「止めろ」
千寿は流雫の言葉を制した。
「美桜への贖いと云うのか?馬鹿馬鹿しい」
その言葉に、流雫は言い返す言葉を見つけられない。
「大体、君は警察でも何でもない。何を気取っているのか」
と、千寿は苛立ちを露わにする。しかし、それでも流雫は退かない。
「……美桜を殺したテロは、難民排斥を目論んだ政治家の仕業、だけじゃない……。相反する宗教の双方に顔を出せる、中立を保てる識者の意見として、旭鷲教会が仕組んだことなのか否か……」
娘の生前の恋人だと名乗る少年の言葉は、千寿には気取っているとは違う感覚を抱かせた。寧ろ、流雫は気取るなど器用なことはできない。
「否だ。……厳密には違うが」
宗教学者の言葉に、流雫は
「え……?」
と声を上げる。
「全ての信者が、悪人とは限らん。それぐらい、君なら判るだろう」
その言葉に、流雫は頷く。アルスも、そう言っていた。
「……欅平さんが、旭鷲教会の創設に関わっていたと、フランスの図書館で。……血の旅団と旭鷲会の関係者を仲介した、でも当然……こう云う事態になるとは……」
「想像できていれば、仲介などせん」
と一蹴した千寿は、流雫に険しい目を向け、そして切り出した。オフレコと釘を刺された。メモすることさえできない。記憶力だけで、話に挑むしかない。
千寿と別れた流雫は、その足でホテルへ戻る。2時間近く経っていただろうか。ホテルまでの数分間、流雫はブルートゥースイヤフォンのマイクを口元に当て、先刻の話で重要な部分だけ呟いていた。ボイスレコーダーのアプリに、記録させるためだ。こう云う時、祖国の言語は役に立つ。
「……アルス、見せたい景色が有るんだ」
ドアを開けるなり、流雫は言った。自分は戻ってきたばかりだが、どうでもいい。
「何だ?」
と問うたアルスに、流雫は
「東京の、トゥール・モンパルナス」
とだけ言った。
……シブヤソラ。流雫は今年初めて訪れた。そして、澪以外とは初めてだった。最上階の屋外展望台は、それなりに人がいる。
「……そう云う意味か」
と、アルスは言って笑った。
屋外に出られ、風を浴びながら景色を眺めていられる点では、モンパルナスの超高層ビルと同じだ。ただ、エッフェル塔しか他に高い建物が無いパリと違って、東京は高層ビル街。当然、低層の建物の方が多いのだが、どうしても目立つ。
「折角東京にいるんだし、ホテルだけってのも面白くないし」
「それもそうだな……」
とだけ言ったアルスは、2時間前のアリシアとの話を切り出すのは、ホテルに戻った後でもいいと思っていた。
「僕は、河月が好き。でも東京も好き」
「ミオがいるからか?」
とアルスは戯けてみせ、流雫は頷いた。
「……だから、僕は死なないし、殺されない。澪だって、殺されない」
……流雫は、事有るごとにそう言ってきて、最早口癖になっていた。ただ、そのプレッシャーが緊張感を生み出し、テロに屈すること無く立ち向かう力を与えていた。
「ヒーローを気取らないのは、好感が持てるがな」
と言ったアルスをオッドアイの瞳で捉えた少年は、
「ヒーローなんて、ならなくていい。ただ、銃にもテロにも怯えること無く、生きていたいだけだから」
とだけ言って、悲壮感を湛えつつも優しい眼差しを下界に落とす。
……その顔を見る度に、アルスは思う。あの連中は何故、クリスマスにテロを起こしたのか。正義の本質とは何なのか。
「ただ、警察もヒーローを求めている。あの刑事も、お前に期待しているような」
「それはアルスにだよ。アルスしか持たない情報は、絶対に全てを解決する鍵になる。……アルスが日本に来て、助かったよ」
と、フランス人に言葉を被せた流雫は、振り返りながら優しい微笑を見せて言った。
「サンキュ、アルス」
……そうか。だからミオもシノも、ルナの味方なのか。最大の武器は、彼の力になってやれる人への想いか。……こいつは弱くない、弱いと云っても、絶対強くなる。
アルスはそう思いながら、体温が少しだけ上がったのはこの少年が悪いからだと思い、微笑み返した。
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