2-11 Disguised Arrest

 「おは……、って流雫くん!?」

室堂家の母が、目を見開くどころかフリーズしたのは、7時半のことだった。父親は、昨日の件で既に家を出ている。

 ……驚くのも無理は無い。モーニングに手を付けようとした愛娘の隣で、黒いセーラー服に身を包む少年がいたからだ。シルバーヘアも、フロントを上げて結い、額を露出させた上に後ろは強引に左右で束ねた。

 ……2人は彼の正体を知っているから判るが、知らなければ美少女にしか見えない……。しかし何をしているのか?

「それは一体……」

「変装」

と、澪は母の問いに被せる。

 「……昨日、夜遅くに詩応さんと話してて。安全のために大教会まで迎えに行くことにしたの。でも、流雫は恐らく目を付けられてる。だから、こうすればバレないかな……なんて」

と言った澪は、話している中身とは裏腹に少し嬉しそうではあった。

「ボクは……ルーン・クラージュ」

と名乗った流雫も流雫で、既に準備はできている。

 ……流雫。元の意味は月に因む単語。だから、ルナから少し離れた読み方でルーン。そして、日本では封印されたミドルネーム、クラージュ。だから、ルーン・クラージュ。パリからの留学生で、話せるのはフランス語と少しの英語だけ……その設定は流雫にとって簡単だった。

 ……名前もそうだが、宇奈月流雫の雰囲気を可能な限り隠すことが、何より重要だった。それでも、この目の色だけは……何らかのコスプレと称して遣り過ごすしか無い。

 ただ、高校に入るまで……美桜に出逢うまで忌まれてきた、この見た目を逆手に取る。それが、流雫をその気にさせていた。

「……でも、そこまでしなきゃいけないなんて……」

と母の美雪は溜め息をつく。娘や夫からも、少しだけ話は聞いている。

「……そこまでしなきゃ、ダメなんだと思ってる」

と言った澪の隣で、流雫はマグカップに注がれたコーヒーを飲みながら、昨日澪に送られた音声データを思い返していた。

 ……総司祭暗殺も、あの渋谷の事件も、触れられてほしくない。もし新しい総司祭が黒幕なのであれば、そう迫るのも判らなくはない。

「……流雫?そろそろ行かなきゃ」

と澪は言う。流雫は

「……うん」

とだけ頷き、目立つバッグを隠すべくUVカットパーカーを羽織った。


 一度悪い方向に思えば、その方向に引っ張られるのが常。夜中のうちに何か有る、と覚悟した詩応は、しかし何事も無く朝を迎えられたことに安堵していた。

 小さな窓から見た渋谷は、晴れていた。地面は所々水溜まりが残っているが、大半は乾いている。

 8時過ぎ、総司祭の言葉で合宿が終わった。それぞれが荷物を纏めて教会を後にしようとする。詩応は大きめのバックパックを抱え、真っ先に宿舎を出た。

 ……総司祭とは目を合わせようとしなかった。何度も自分を見ている気配は有った。相当意識しているのか。

「もう着きます」

と澪からのメッセージが届いたのは、それから2分後のことだった。予定の時間より少し早いか。

 ……通信障害は、今日の朝5時に解消された。25時間ぶりに、Wi-Fiに依存しなくて済むようになった。

 やがて、澪が見えた。連れているのはシルバーヘアの……セーラー服の少女……?

「詩応さん」

と呼んだ澪に、詩応は戸惑いながら返そうとする。

「澪……と、流……」

その隣で

「ボクはルーン。シノ……だっけ?よろしく」

とフランス語で挨拶し、微笑む流雫に唖然とするボーイッシュな少女。

 「ルーン、イングリッシュ!」

と澪が言うと、流雫は改めて英語で挨拶する。澪が

「……フランスからの留学生、あたしのところにホームステイしてて」

と澪が続け、詩応は微笑んだ。……そう云うことか。

 「はじめまして、ルーン」

と返した詩応は、しかしこの2人はよく思いつくよ……と感心した。

「何処に行くの?」

流雫は英語で澪に問うと、澪は答えた。

「トーキョーベイエリア」

 ……3人の目的地は臨海署。渋谷まで行けば、後は列車1本で辿り着く。その間も流雫は、左右を忙しなく見回している。

 ……日本に来たばかりで、見るもの全てが珍しい。少し不審者に見えるがご愛敬。遠目から見ればそう見えるが、オッドアイの視界は不審者の影を探していた。  

 流雫が澪に行き先を問うたのは、万が一追っ手がその場で話を聞いていれば、其処までついてくる……そう思ったからだ。

 ……もし、襲ってくるなら渋谷ではなく、臨海副都心……。東京テレポート駅で降りた後か。ただ、渋谷の件を見ても白昼堂々犯行に及ぶ可能性が有る。……最悪、事件が起きる前に動くしかない。

 ……起こされれば逃げられない。もしそうなら、起こされる前に起こす。そのために、銃が有る。


 ハチ公広場。渋谷駅前で尤も有名な広場に着いた3人。

「ちょっと待って」

とだけ澪に囁いた流雫は慰霊碑に走る。

「……美桜……。僕は……これでいいんだよね……」

と、誰にも聞こえないように呟く。……僕は銃の傀儡だが、同時に美桜の傀儡……だと思った。

 ……護ってほしい。僕と伏見さんと、そして澪を。今この瞬間の願いを、目を閉じて願う流雫。その瞬間だけ、宇奈月流雫が戻っていた。

 その後ろで

「……流雫」

とだけ呟いた澪に顔を向けた流雫は

「……テロの慰霊碑、やっと見つけたから、寄ってきた」

と言った。

 一部の単語だけしか判らなくても、何と言っているのかは何となく判る。この慰霊碑の前で誰よりも悲しんでいるのは流雫自身なのに……。そして、何を思っていたのかも。

 他人事のように……弔いの言葉も願いも言わなければならない今、彼が不憫に思える。その沈む感覚を知ってか知らずか、流雫は

「……行こう」

と言い、ルーンに化けた。

 渋谷からは列車1本で臨海副都心へ行ける。都心の行楽地として便利で、流雫と澪は何度もデートで行った。

 詩応は行ったことは無いが、取調が早く終われば行きたいと思っている。夕方の新幹線と云っても、指定席を確保しているワケではないのだ。乗れればどれでもいい。

 女子高生2人は、言葉を交わさない。そしてオッドアイの少年は、視界の端……遠目に気になる2人組を見つけた。ネイビーのスーツではなくカーキ色の薄手のジャンパーを着ている。

 流雫は慰霊碑の前に立ち止まっている時に、初めて視界の端に連中を捉えた。それから今までついてきているのか。偶然……とは思い難い。

「……多分、いる」

その小声に、2人は目を向けないまま今まで以上に気を張り詰めさせた。……どう出てくるのか。

 「……流雫」

と思わず本当の名を呼んだ澪の手を、流雫は優しく握った。静かな誓いだった。


 東京テレポート駅。臨海副都心の玄関口で、地階の改札から長いエスカレーターで地上の入口まで上がる。流雫と澪にとっては2週間ぶりだが、生憎今日は遊びではない。遊びたいなら、淡々と取調に答えるしか無いのだ。

 周辺の商業施設は未だオープン前だが、テナントの従業員らしき乗客が足早に散っていく。その流れから逸れた3人の目的地、臨海署までは此処から歩くことになる。

 ロータリーからバスが出た直後、流雫は駅の入口にジャンパーを着た男がいるのが見えた。澪は父に

「着いたわ」

と送る。

 不審者がいる……追われてる。澪は、そのことを列車内で父に送っていた。それに対して、父からは東京テレポート駅まで迎えに行くと云う返事を受け取っていた。その合図が、着いたと云う一報だったのだ。

 恐らく、少し離れただけで狙ってくるだろうか。そして臨海署の方向から走ってきた黒い車が、交差点で止まった。……今、このロータリーにはギャラリーはいない。

 ……今、仕掛けるしか無い。誰も引き金を引くこと無く、伏見さんの保護と……あわよくば追っ手の事情聴取、その全てを一発で実現させる、唯一の方法を。


 「……シノ、アッリ!!」

とだけ言った流雫は、パーカーの下に隠していたバッグから銃を出す。男たちに背を向けながら、詩応に銃口を向けた。

「……は?」

突然のことに唖然とする詩応。フランス語で行くよと言われても、何が何だか判らない。その隣で澪も

「ルーン!?」

と声を上げる。……完全にアドリブだが、思わず本当の名前を出さなかったのは流石だ。

「……僕を逮捕……」

とだけ、呟くほどの小声で言った流雫の意図……。とにかく、言いたいことは後回し。

 澪は表情を変え、

「何やってるの!?」

と英語で叫びながら、銃を持った手を掴む。

「クレイ……ガッ……」

背中に回して手首を捻ると、流雫は痛みに顔を歪め、言葉を途切れさせて銃を落とす。

「ルーン!!大人しくしなさい!!」

と怒鳴る澪が手首を捻ると、流雫はその場に膝を突く。刑事の娘は、咄嗟にパーカーを羽織った流雫の背中を丸めさせた。

 ロータリーに停まった車から出てきた2人の刑事が

「おい!何やってるんだ!!」

と怒鳴りながら走ってくる。同時に流雫は殺意を滲ませた目付きで睨むが、それは澪……ではなく、背後の2人に向いていた。

 予想外の事態に、2人はどうすればいいのか狼狽えている。それが、渋谷から3人……正しくは詩応を追っていた男たちにとって、最大のミスだった。

「澪!!」

と呼びながら近寄る父の常願を見上げながら、娘は口元に指を立てる。……取り押さえた相手の名前を出されては、全てが台無しになる。

 娘の不可解な行為に、眉間に皺を寄せる父が、目の前に蹲る犯人を見下ろした瞬間

「!!」

と声を詰まらせた。……アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳で、正体が一瞬で判る。

 2時間前まで、自分の家にいた少年ではないか……。……ますます、何が起きているのか不可解だ。

 その前では、既に弥陀ヶ原が

「怪我は無いか!?」

と詩応に言いながら保護している。澪はふと後ろを向き、

「……あの人たち……目撃者……?」

と呟く。父が

「弥陀ヶ原、あの2人も署へ!」

と後輩刑事に指示すると、彼はすぐさま2人に走り寄り、事情聴取と称して同行を求めた。……事実上、2人に拒否権は無い。

 澪を流雫から引き離すと、父は流雫を立ち上がらせ、手錠を取り出し、流雫の手首に填める。

「先にその2人を署へ送れ!此奴らは後からだ!」

と言った父は、弥陀ヶ原が車のドアを閉めた後で逮捕した犯人に顔を向け

 「……どう云うことだ?流雫くん?」

と問う。その声と表情は、怒りより呆れが勝っている。

「……あの2人が……伏見さんを狙ってて……」

「あたしが言ってた不審者……」

と、澪は恋人の声に被せる。その言葉に、詩応は目を見開く。頭を殴られた感覚がした。

「……まさか、アタシを警察に保護させるために……」

と続くと、流雫は頷き

「僕が加害者になる……。邪魔者が入れば、奴らも手を出すことはできないハズ……」

と言った。そこで漸く、詩応は流雫の意図を知った。

 ……流雫が変装していることは、早く家を出た父だけ知らなかった。まさか娘の恋人が女子高生になるとは思っていなかった。しかし、何より知り合いの少女に銃を向けた理由が、彼女の保護のために仕掛けたとは、前代未聞だ。

 父は大きな溜め息をついた。

「……遣り過ぎだ」

と一言苦言を呈されたが、尤もだった。周囲に他の人がいなかったから、変な誤解をされること無くこの程度で済んだだけのことだ。その自覚は流雫にも有る。

「……理由は判ったが、手錠は署で外す」

とベテラン刑事が言うと、黒い車が戻ってきた。

 「……流雫くん!?」

弥陀ヶ原がその正体に気付くと、流雫は手錠が填まったままの両手を挙げた。


 「……それにしたって無茶過ぎるぞ?」

と弥陀ヶ原は苦言を呈しながら、常願が掛けた手錠を外す。先輩刑事から話は聞いたものの、唖然とするばかりだった。

 その常願は、目撃者として連行した2人に事情聴取に当たっている。

 ……まさか、シルバーヘアの少年が先輩刑事の娘の制服を着て、しかもそれで銃を人に向けたとは……。朝から情報量が多過ぎる上に、危なっかし過ぎる。ただ、あれはあれで似合ってはいたが。

「……それで、何故追っ手がいると?」

「……渋谷駅に着く前から、あの2人組が目に止まってたから……」

と、ヘアスタイルを戻しながら、流雫は顔見知りの刑事に答える。……元の流雫でも、セーラー服が似合っている。

 「奴らは何故、彼女を追うんだ?」

と再度問うた弥陀ヶ原に、詩応は姉の手帳の件と、新宿で犯人が洩らした言葉を語り始めた。

 ……詩応の声は低めで、芯が有る。しかし、今は辛い記憶を掘り返しているからか、少し弱々しさが漂っている。

「その犯人は今も新宿で取調中だが、渋谷の件も聞き出してみる必要が有るな」

と弥陀ヶ原は言い、流雫に目を向けると問うた。

「……君はどう思う?旭鷲教会のこと」

その問いに、流雫は言葉に迷った。ただ、アルスから聞いたことを含めて、隠さず言うことにした。隠しても、意味が無い。

 「……先月、レンヌで起きた太陽騎士団の教会爆破も、旭鷲教会の仕業らしい……。何故フランスまで手を出したか判らないけど。そして、昨日血の旅団は旭鷲教会と絶縁を決めた……」

「……絶縁!?」

と弥陀ヶ原は眉間に皺を寄せる。先日、澪とその父を経由して、流雫のノートの写真を目にした刑事は、一応の経緯を知っていた。蜜月と云うか協力関係だと思っていただけに、驚きを禁じ得ない。

 「……これから、連中はどうなると思ってる?」

「……もし、本当に太陽騎士団に侵入しているのなら、完全に乗っ取る気じゃ……」

「乗っ取るって……!!」

と詩応が口を挟む。自分が信仰している教団を乗っ取られる、そう云うことが起きてたまるか……。

 「教団を内部から壊滅させる気……?」

と詩応は流雫に問う。流雫は3秒置いて、口を開く。

「……壊滅させる、とは思ってた。血の旅団は、太陽騎士団と確執を続けていたから。今では、関係は多少なり改善されてるらしいけど。……それに、信仰する神を見ても、太陽騎士団のソレイエドールと旭鷲教会のクレイガドルア……終末戦争はこの戦いだから」

「思ってた、って……。今は違う、ってこと?」

と問うた澪に、流雫は

「……五分五分。違うとすれば、何が目的なのかは判らないけど……」

と答える。

 ……あらゆる可能性を否定できない。厄介な連中の証左だ。フランスにまで手を出した理由が、何よりも不可解だが。

「……欅平千寿。あの宗教学者なら、多分色々知ってるハズ……」

そう言った流雫の脳裏に一瞬、かつての恋人が過る。

 ……美桜の父は悪くない。そう思っている。憎む気は毛頭無い。ただ、あのブログの記事を思い出す。

 ……トーキョーアタックで、美桜は殺された。それは流雫を絶望の深淵に突き落としたが、この宗教学者も犠牲者の父親として、同じ悲しみを抱えた。

 肉親なのだから、恋人でしかない自分より辛い思いを抱えている……とは思っている。ただ、悲しみや苦しみは比べられないし、比べてはいけない……、と澪に諭されたことが有る。目の前で撃たれた大町の死を看取った、去年7月のことだった。

 「……一度当たってみる価値は有るな」

と弥陀ヶ原は言った。事件の全容は判らなくても、教団のことが何か掴めるのなら、それだけでも収穫は有ったと言えるだろう。


 取調が終わったのは、正午になる直前だった。途中で澪の父親からエコバッグを渡された流雫は、中に畳まれていた私服に着替え、澪のセーラー服を畳んで持ち主に返す。

 流雫は最後に、詩応に銃口を向けたことについて、刑事2人から改めて苦言を呈された後で漸く解放された。

 あの目撃者2人の取調は未だ続いているらしく、午後は2人はその続きを担当することになっているらしい。

 ……あの時逃げていれば、あの男たちは目撃者として同行しなくて済んだのに。しかし、あの取調で何か判ればいいが……。そう思っていた流雫に、澪は

「流雫……?アフロディーテキャッスル、行く?詩応さん、初めてらしいし」

と問う。……ランチタイムか。

「じゃあ、行こうか」

と答えた。

 ……疑問が消えることは無いが、少しでも紛らわせることができれば。そう思った流雫の隣で、詩応は思っていた。

 ……苦手なことには変わらない。しかし、やはり流雫が何を思っているのか、全てを聞きたい。彼の存在が、色々な意味で重要になると思うし、結託も余儀なくされるだろうし。

 そして、澪も思うことは有った。……流雫が詩応さんに銃を向けた。あれも一つの作戦だったとは云え、父や弥陀ヶ原さんが言うように遣り過ぎだった。あたしだからどうにかなったものの、他の人なら変なパニックに陥っているかもしれない。

 褒められたことではない……。しかし、そうしたから人を撃つこと無く、詩応さんを護れた上に追っ手も警察に連行された。それは、目的のためには手段を選んでいられない、と云う現実を突き付けていた。事実、詩応さんは渋谷から臨海副都心まで、ストーキングされていた。

 これが、もし彼女が名古屋に帰った後、どうなるのか……。

 今はそう思っていても、仕方ない。そうは判っているが、それでも気にするな、と云う方が無理が有る。……だから今は、とにかく紛らわせたい。数時間しか無くても、楽しんで帰ってほしい。特に昨日から今までは最悪だったから。

 3人は賑やかな商業施設まで歩くことにした。少し肌寒さが残るが、今の3人にはそれぐらいがちょうどよい。

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