2-12 Tears After The Party
アフロディーテキャッスルは相変わらずの混み具合だった。レストラン街は全て満席で、フードコートの端に辛うじて空いたテーブル席を確保した3人は、和食寄りの定食を囲む。
……先刻、弥陀ヶ原の前で、流雫の乗っ取りだの何だのと云う言葉に驚いてみせた詩応は、しかし先月に澪と会っていた時に、2人でその答えに半ば辿り着いていた。それと同じような言葉が流雫の口から出たことに、彼女は密かに確信を抱いた。
……教団内でサイレント・インベージョンが進んでいる。そして流雫も、もしかすると思うことが有るのか。ただ、そう云う話題をあの場で出すのは、求められた時だけでいい。
……兎に角、今は取調からの解放感を味わいたい。話さないといけないことは有るが、それはそれか。
3人は食後、トーキョーホイールに向かった。日本一の高さを誇る観覧車で、1周の所要時間は15分。
「……流雫と詩応さんで乗ってきなよ」
と澪は言った。
「……え?澪は?」
突然のことに驚く流雫に、恋人は
「先刻、あたしを驚かせた罰!」
と半分怒り口調で返す。……流雫が詩応に銃を向けたこと、あれには流石に驚いたらしい。犯人以外に銃口を向けることが何を意味するか、十分知っていてのことだから、今も少し整理が追いついていない。
そして、詩応もまさか2人きりになるとは思っていない。流雫と話せるか……その不安は有るが、なるようにしかならないか。詩応は一種の覚悟を決めた。
……扉が閉められた、2人きりのゴンドラ。最初に口を開いたのは、詩応だった。
「流雫、何がアンタをそこまで……」
何がそこまで突き動かすのか。名古屋でも目にしたが、詩応の想像を超えている。先刻のことだって、意図が判ったから怒りはしないが、問い詰めてみないと気が済まない。
東京の景色に目を向けたままの流雫は、目を細めて言った。
「……誰にも、死んでほしくない……それだけのことだから……」
「トーキョーアタックで……渋谷の爆発で、好きだった人を殺されて……」
その言葉に詩応は、だからあの時、渋谷の慰霊碑で一度立ち止まったのか……と思った。
流雫にとっては、何よりも辛い記憶……トーキョーアタック。事件そのものは解決したハズだが、それでもう過去のこと……にするには、あまりにも残酷な出来事だった。
「……沈んだままだった僕を……助けたのが澪だった。……澪は、何時だって僕の力になってて……だから、自分が死ぬよりも、澪が殺されることが怖くて……」
「……伏見さんにだって、死んでほしくないんだ……。でも、もう……生き延びるためなら、どんなに無茶なことでも、躊躇っていられないんだと思ってる……」
そう言った流雫の表情は、詩応が苦手な弱々しさを漂わせている。……テネイベールに似たような見た目の少年に、今の自分を見ていたから。
……不可解な死に方だった姉のことを、吹っ切れるハズがない。それでも吹っ切ったと思っていたかった。しかし、あの名古屋での出逢いが、目を背けたい現実を突き付けた。
相手が誰だろうと、目の前で消え行く命を悲しむことができる、その優しさは流雫の何よりの武器。しかし、詩愛姉にだけは、ドライであってほしかった。無理な願いだと判ってはいるが、アタシのために。
「……目、向けなよ」
と優しい声で言った詩応に、流雫は顔を向ける。悲壮感を漂わせたアンバーとライトブルーのオッドアイの瞳は、何時もより綺麗に見えて、詩応は吸い寄せられるような気がした。
……その目が、裏切りの女神に似ていると云う理由で狙われる……。その可能性を拭えないことに、詩応は苛立ちを感じる。それこそ理不尽じゃないか。
「……流雫」
とだけ声に出した詩応の、悲しげな表情を見ていられなかった流雫は、昨日フランス人と話したことを思い出して言った。
「……テネイベールの最期は壮絶だったらしいけど、僕は生き延びてみせる」
悲壮感を滲ませつつも、その瞳の奥には確かな決意が宿っている。……だから、絶対に屈しないし、頼もしく見える。……だから、澪も安心して背中を預けられるのか。……やはり、流雫はアタシより強い。
同時に願うは、彼がこのまま無宗教でいること。少しでも泥沼に嵌まれば、一気に信仰と云う道に進むことになる。
中には、全ての財産を捧げ、信仰が生活の中心となることさえ有る。教団との金銭問題に発展するだけならまだマシで、中には魂の救済と称した殺人も行われる。現に、日本ではカルト教団による救済を名目とした、大規模な毒ガステロ事件も起きている。
……そう云う輩と同じ轍を踏まない。布教や勧誘と云う名の洗脳に対して、その強い意志は役に立たない。ほんの少しの好奇心や関心が、意志を打ち砕くからだ。
無宗教のまま、何処かの宗教の手に落ちること無くいてほしい。流雫なら安心だろうが、その油断が命取りになる……。
「……でも、先刻のは流石に無いな」
と詩応が言う。その表情は普通に戻っている。流雫は無邪気に微笑んでみせた。
……澪がいない、初めて詩応と2人きり……それでも、少し笑えた。流雫は気付いていないが、澪と初めて2人きりになったあの初対面よりは自然だった。それだけ、彼が人と話し、人と過ごしたからか。
そして、それは流雫のかつての恋人の思い通りでもあった。……誰に対しても打ち解けることが無かった流雫は、ただ人と話す経験が絶対的に足りないだけで、しかしそれは自分といればどうにでもなる、と。
自分は既にいないが、今は澪がいる。アルスもいる。そして今、詩応もその1人になった。……流雫はもう孤独じゃない。多分、そのことを誰よりも微笑みながら見つめているのは、美桜なのだろう。
観覧車から降りた2人に、澪は
「どうだった?」
と駆け寄る。……先刻より少し穏やかな表情の流雫と詩応を見て、少女は手応えを掴んだ。
「……景色見てなかったから、今度は澪も!」
と答えた詩応は、
「えっ?」
と驚くセミロングヘアの少女の手を掴むと、3人で最後尾に並んだ。
……あたしを驚かせた罰、と云って2人きりにさせたのは正しかった。澪はそう思った。
流雫と詩応は、簡単に言えば似た者同士、相容れないのは自分を見ているようだから。打ち解けることはできなくても、せめて互いに今何を思っているのか、それさえ知ることができれば、それでよかった。後は流雫と詩応が自分たちで解決することだから。
床面以外がシースルーのゴンドラは、16分の1の確率で乗れる。それも並んでみなければ、当たるか判らない。そして、当たった。詩応は東京の景色に目を向ける。
……春休みの最後に、楽しい時間をいっしょに過ごせる。それはこの2日間、色々なことが有った3人への褒美。澪は流雫の隣でそう思いながら、愛しい地元、東京の空を見上げる。
綺麗な碧が大都会を覆っている。この景色を、またこの3人で眺められるように。そう願いながら、澪は笑った。
夕方、詩応は新幹線で帰る。2人は品川駅の新幹線ホームまで見送ることにした。
「……また会いたい」
そう言った詩応は、もう帰らないといけない時間なのを恨めしく思っていた。
「あたしも。次は、何もかも忘れて遊びたいな……」
と返した澪に、流雫は
「伏見さん……また……」
と続ける。……その言葉に何より微笑んだのは、詩応ではなく澪だった。殆ど言葉を交わさなかった初対面の時からすれば、見違えるようだった。
「ああ」
と答えた詩応の右手には、緑色のチャームのブレスレット。
……トーキョーホイールを後にした3人は、流雫と澪が手に入れたブレスレットのショップに立ち寄っていた。そこで、詩応の誕生月……5月の誕生石エメラルドのアクセサリーが売られていた。モチーフは太陽。
「これ……いいかも」
と言った詩応は、迷わず手に握り会計へ持って行った。一目惚れだった。
その場で手首に通す少女。……暖色系の服装が比較的多い詩応にとって、寒色系の緑はアクセントになる。その瞳のターコイズも同様だった。
……同じ目的で、共闘しなければならない。それがきっかけとは云え、2人と出逢って今日、ようやくそのスタートラインに立てた……と思っている。そしてこれは、その証。
……やはり、流雫とは連絡先を交換するには至らない。しかし、それも時間の問題だろう……と詩応は思った。……少しだけ、姉の死を乗り越えられそうな気がする。真もいるし、この2人もいる。
東京駅から走ってきた、新大阪行きの新幹線が、焦れったいぐらいの速度でプラットホームに入ってくる。そのドアが開くと
「じゃあ」
とだけ言って、軽く手を上げた詩応は混み合う車内に消えて行く。その背中を見つめる澪は、不意に寂しさを感じる。それだけ、この数時間が楽しかった。
その隣で、流雫は伏見詩応と云う少女に、漸く向き合えると思った。それは、彼女を通して目を逸らしていたかった自分自身に、向き合うこと……。
発車ベルが鳴り終わり、ドアが閉まる。高速で走る新幹線は、その分加減速がゆっくりで、焦らすようにプラットホームを離れていく。
「……帰っちゃったね……」
とだけ澪は言う。ふと、両親と別れた後の流雫を見ているような錯覚に、少しだけダークブラウンの瞳を濡らした。
「……泣いてる?」
とだけ問うた最愛の少年に、澪は
「……バカ」
とだけ言いながら微笑んだ。
澪が帰り着いたのは18時前のことだった。新宿駅で流雫と別れた澪は、楽しかった余韻と別れの寂しさが押し寄せる。自分の部屋での着替え中、少しだけ静かに泣いたのは彼女だけの秘密だった。
その間に帰ってきた父の常願からは、ディナータイムに軽く苦言を呈された。流雫にセーラー服を着せたことで。あくまで詩応に銃を向けると云うのは流雫が咄嗟に思いついたことだったが、同罪として扱われた。少し理不尽だった。
その後で、父の晩酌に付き合いながらゲームしようと思った澪は、何時ものゲームのログインだけ済ませる。その隣で日本酒のボトルの栓を開けた父のスマートフォンが鳴った。プライベート用ではなく、仕事用。……警察用だ。19時過ぎに着信音が鳴るのは、珍しい話でもない。
「弥陀ヶ原か。どうした?」
と、端末を耳に当てた父は、目を見開くと同時に刑事の顔になった。急な事件?
「……判った。すぐに向かう、後で連絡する」
とだけ言ってテーブルに端末を置いた父は
「飲む前でよかった……」
と呟きながら、自室へ戻る。その数分後、スーツに着替えた父は母の美雪に告げた。
「捜査の要請が入った。今日はもう帰らない」
母が玄関までその背を追うと、父はその後ろに娘がいないことを確かめると言った。
「……名古屋へ行ってくる」
「澪には……黙っててほしい」
母はそれに頷くと、父は
「優しい子だからな」
とだけ言って、ドアを開けた。
リビングに残っていた澪は、スマートフォンをカーペットに落とした。
……微かに聞こえた、父の声。
「……やだ……」
澪の瞳は、一瞬で滲む。頬が濡れ、その場に背中を丸める。
「やだ……やだ……!!」
泣き叫びたかった。狂ったように、壊れたように。行きたい、名古屋へ。流雫、行こう。今すぐに。流雫、隣にいて。あたしが壊れないように。
18時半過ぎ、名古屋駅。10分前に着いた新幹線は、2分だけの停車時間を過ぎても動かない。その先頭車両から、担架に乗せられた人が運び出される。
力が入らない腕の先には、太陽のような緑のチャームが飾られた、しかし血に汚れたブレスレット。画面が割れたスマートフォンの壁紙は、1組のカップルと撮ったセルフィー。思わず顔を顰めた救急隊員は、手に持っていた端末に焦り気味の声をぶつけた。
「受入を要請する。心肺停止。吐血有り。17歳、女。患者名、伏見詩応」
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