2-1 Turning Point

 春休み初日の朝、流雫は臨海副都心へ向かう列車に揺られていた。しかし、その隣に最愛の少女はいない。東京の街中を1人で移動するのは久々のことだった。

 何時ものネイビーのシャツと白いUVカットパーカーに、ディープレッドのショルダーバッグ。しかし銃は忍ばせていない。1年半前までは、それが当然のことだった。しかし今では、持っていないと気が済まない。ただ、今日だけは持っていられない理由が有る。

 混む列車に揺られ、東京テレポート駅に着いたのは10時過ぎ。雲一つ無い快晴だが、少しだけ肌寒さは残る。

 「流雫!」

そう名前を呼ぶ、透き通る声が聞こえた。

「澪!」

と名を呼び返した流雫に、デニムで統一したセーラー服調のブラウスとミニスカートの少女は

「はじめまして!……なんてね」

と笑いながら返す。そう、澪がこうしたかったから、珍しく新宿のプラットホームで合流しなかった。

 ……1年前のこの日、流雫と澪は初めて顔を合わせた。澪からの誘いに流雫が乗ったのだが、互いにデートだと意識してはいなかった。

 待ち合わせ時間になって、目の前の商業施設アフロディーテキャッスルから銃声が響いた。そして、一瞬だけ見えた人影が、写真すら見たことが無いのに澪だと思い、流雫は逃げ惑う人の流れに向かっていった。

 駅で、はじめましてと言い合い、そして色々と回りながら色々な話をする……そう云う普通の初対面になるハズだった。それなのに、初めて顔を合わせたのはテロ犯から隠れながらだし、最初に一緒にしたことが銃弾から逃れることだった。

 だから、あれから1年のこの日、最初だけでも初デート感覚をと澪が言って、流雫が乗っかったのだ。ただあの時と違うのは、夜前には空港に行かなければならないことだった。

 20時発の飛行機で、流雫はフランスへ発つ。2週間の里帰り、それに合わせて日中はデートと云うことになった。銃を持たないのも、出国のためだった。

 最初に向かったのは、目の前のアフロディーテキャッスル。臨海副都心を代表する商業施設の代表で、2人で何度も行った場所。2人の手首を飾るブレスレットは、此処のアウトレットで入手したものだ。

 ……1ヶ月前の教会籠城事件でも、少年が腕に着ける時間は無かったが、しかし胸ポケットに入れていた。あの膠着状態でも正気を失わなかったのは、澪の存在をそこに感じられたから、だと流雫は思っている。

 めぼしいものは無いが、見て回るだけでも楽しい。何しろ、デートはあの名古屋以来2ヶ月ぶりだ。先月、バレンタインの翌日は雪が残ってアウトレットは臨時休業で、結局河月駅へ行くのが精一杯だった。ただその分、ペンションで事件の話も他愛ない話もしたが。

 スタートを臨海副都心で、は今日澪が最も拘りたかったから結果的に折り返しと遠回りになるが、この後は渋谷へ行き、それから空港へ向かう。渋谷は流雫が行きたがっていたからだが、澪もその理由は判っていた。


 アフロディーテキャッスルのフードコートでランチタイムを済ませると、2人は列車で渋谷へ向かった。乗換無しで行けるのは有難い。

 渋谷駅の西側、ハチ公広場。スクランブル交差点の代名詞で有名だが、2023年8月に起きた東京同時多発テロ、通称トーキョーアタックで甚大な被害を受けた場所。そして、流雫のかつての恋人……美桜が命を落とした。

 流雫自身、東京の空港で遭遇したが無事だった。しかし、空港島の警察署前で黒薙からの一報を耳にし、その場に崩れて泣き叫んだ。

 ……その広場の端には、慰霊碑が建っている。3ヶ月半前、遠隔操作のドライバンが慰霊碑に衝突して爆発炎上し、建て直しが進められていたが、先日それも完了した。新しくなった慰霊碑は、地球をモチーフにした球形で、その土台にレリーフが埋まっている。

 時々、この慰霊碑に手を合わせていた流雫と澪。しかし新しくなって以降、足を運ぶのは初めてだった。

「……久々だね、美桜」

流雫はそう言って、慰霊碑の前に立つ。澪は、その声に悲壮感が滲んでいるように聞こえた。

 「今年も桜の季節……美桜と出逢った入学式も、確か桜が綺麗だったっけ」

愛しい少年が、慰霊碑に向かって語り掛ける言葉に、澪は目を閉じた。

 ……流雫が初めて好きになった少女、美桜。澪は、流雫には彼女を忘れてほしくなかった。彼女が生きていたこと、彼女を好きだったことを覚えている限り、彼女は今でも生きている……そう思っていた。

 澪はその隣で

「美桜さん……流雫を護っててください……」

とだけ呟いた。

 …美桜を殺したトーキョーゲートが解決しても、今は新たな脅威が立ちはだかっている。望むのは、自分も流雫もテロなんかで死なないこと。そのために、流雫を護ってほしい……。

 この場所で、澪は何度も慰霊碑に向かってそう呟いた。そして今も……。

「……また来るよ、美桜」

と言った流雫の隣で、目を開ける少女。最愛の少年と、彼がかつて愛した恋人……その今年初めての再会に、澪は微笑ましく思い、慰霊碑に頭を下げた。

 駅の改札口へと踵を返した流雫は、不意に表情を曇らせ、とある一点を見下ろした。……詩応の姉が殺された場所。ドライバンが慰霊碑に衝突した日のことだ。

 その事件は、左傾化する日本への警鐘が犯行動機だったと報じられていた。だが、詩応の姉は太陽騎士団の信者だった。そして今年に入って流雫と澪が遭遇したテロは、全て太陽騎士団を標的にしたもの。

 ……無関係の別物、とは思えなくなった。ただ、ふと頭を過るそのことは、今は忘れたかった。その話のために、デートしたかったワケじゃない。

「……行こう」

と流雫は言った。

 澪は、彼の表情が少し気懸かりだったが、今は何も言わなかった。……最愛だからこそ、見守るだけに留めたかった。そして流雫も、慰めたりを求めてはいなかった。

 全ては、自分自身がどう向き合うか、それだけの話。ただ、そうは判ってはいるが、難しい。


 空港へは少し遠回りだが、モノレールを使った。京浜運河上、高架のレールに跨がって走る列車の窓から見る東京の景色が流雫は好きで、空港に行く時は決まってモノレールに乗る。そして、何時しか澪もそれに影響されるようになっていた。

 やがてモノレールは空港島に入った。2人は、国際線に特化したターミナル1でモノレールを降りる。

 日本最大の空港、東京中央国際空港。その国際線に特化したターミナル1は、トーキョーアタックで最初に爆発と銃撃が起きた場所としても知られている。そして、それから1年の節目として開かれた追悼式典でもテロが起きた。

 ……流雫と澪、2人の高校生はあの日、台風がもたらした暴風雨に叩き付けられながら、トーキョーゲートの黒幕を追い詰めた。そして、弾切れの流雫の代わりに澪が引き金を引き、決着が付いた。

 正義を気取っていた政治家は2人を悪魔呼ばわりしていたが、皮肉にも正義が悪魔に屈した瞬間だった。ただ、その1ヶ月後にかつての腹心に、報道陣の眼前で射殺されることになるとは、当人も思っていなかっただろうが。

 あの最悪の後味だった空港での決着から、もう半年以上が経った。月日が経つのは早い、そう感じさせる。


 2人はターミナルを少し見て回り、カフェに入って少し時間を潰した。楽しい話題、他愛ない話題が尽きても、2人でいられるのなら無言の時間も好きだった。2人なら、何も怖くない……。それは互いに思っていた。

 店を出た後、流雫はシエルフランスとロゴが入ったカウンターに並んだ。欧州でも指折りの規模を誇るエアラインで、パリ行きのチェックインもそこそこ混んでいる。

 オンラインチェックインもできるのだが、カウンターで手続きをすれば航空券が手に入る。昔から帰郷するたびに、使用済みの航空券を保管するのがクセになっていた。

 航空券に印刷されたLunaのスペル。Runaではないことが、流雫の本来の名前の名残だった。

「流雫、そろそろ?」

と澪が問う。もうすぐ、保安検査場に入らなければならない。

「……そろそろだね」

と答えた少年は、少しだけ寂しそうな表情を浮かべる澪に微笑んでみせた。

 ……日本にいないのは2週間だけ。それに、オンラインと云う便利なシステムが有る。メッセンジャーアプリを使えば、時差以外に壁は無い。

 ただ、やはり会えないと云うのはそれで埋められるものではない。それは両親と離れて暮らす流雫が、誰よりもよく知っている……。

「……じゃ、行ってくるよ」

と言った流雫に、澪は笑って

「うん。また2週間後だね。気を付けてね」

と返し、踵を返した流雫が人混みに紛れるまで見届けた。

 ……流雫が帰国する日に、空港に迎えに行ってそのままデート、その約束をしていた。その日を楽しみにすれば……それでもやはり寂しく思える。笑ってみたが、多分バレていただろう。

 ふと、スマートフォンが鳴った。流雫からのメッセージだった。

「……泣いてる?」

その一言に、澪は微笑みながら

「……バカ」

て呟きながら

「泣いてる」

とだけ戯けて返す。

 ……時差が有ってもこう云う遣り取りをできるのなら、殊の外寂しくないか。そう思った澪は、モノレールの改札が有る地下フロアへと踵を返した。

 

 夜の東京中央国際空港を離陸して13時間、トリコロールを尾翼に纏うシエルフランス機は定刻通りにパリ、シャルル・ド・ゴール空港に降り立った。航空灯火がイルミネーションのように思える。夜中1時。日本は朝9時だ。

 エコノミークラス最後部、その窓側の席に座る流雫は、1年ぶりにフランスへの帰郷を果たした。2年前までは夏休みの恒例行事……その帰国と同時にトーキョーアタックに遭遇した……だったが、去年は春休みに前倒しした。パリオリンピックで、パリの街が大混雑するのを避けたためだ。

 そして今年も、夏休みには帰らない代わりに春休みにした。理由はただ一つ、自分と3日違いだと判明した澪の誕生日を、今年も日本で祝いたいからだ。大学受験を半年後に控えてそれどころではない、と云う理由は流雫には無い。

 流雫は、機内ではスマートフォンのメモを開いて過ごしていた。メロウな音楽をブルートゥースイヤフォンから流しながら、フリック入力で文字を連ねていく。少しだけ思うことが有ってのことだった。

 トリコロールが尾翼を飾るシエルフランス機を後にしたシルバーヘアの少年は、鉄道やバスが動き始めるまでターミナルで夜明かしすることにした。高級ホテル以外全て埋まっていたのは痛いが、欧州圏の大規模空港四天王の一角を形成する国際空港だけに仕方ない。

 自分に似たような連中が……但し年上ばかりだ……多くて眠りにくいが、高速列車TGVで寝ていればいい。

 「着いたよ」

と、15時間前に保安検査場で別れた澪にメッセージを送った流雫のスマートフォンが通知音を鳴らしたのは、1分後のことだった。

「レンヌまで、気を付けてね」

と返事が届くと、流雫は

「サンキュ。おやすみ」

とだけ返し、ベンチに寝そべるとディープレッドのショルダーバッグを抱えて目を閉じた。


 数時間後、目を覚ました流雫から眠気は消えていた。サンドイッチを頬張り、紅茶を喉に流すと、TGVに乗る前に少しだけパリ市街に出ようと決めた。

 身軽こそ正義、流雫はそう思った。何より、銃を持っていないことがそう感じさせる。

 彼が行きたかったのは、バスティーユ広場。フランス革命の発端の場と同時に、ノエル・ド・アンフェルが最初に起きた場所でもある。

 文字通り地獄のクリスマスと化したテロ。遭遇しなければ、そもそも何も起きなければ、ごく普遍的な生活を家族とパリで送り続けていただろう、ルナ・クラージュ・ウナヅキの人生を一変させた。

 観光地として整備されたバスティーユ広場、この場所で大規模なテロが15年前に起きたとは、今の様子を見る限り想像に難い。ただ、この場に立ってみると、血の旅団は自分たちを革命のために蜂起した集団に重ねているように思えた。

 地下を起点にセーヌ川に至る、サン・マルタン運河に並行したブルドン通りを歩く流雫。15年前、一家3人で避難した通りだ。そして流雫は、ふと1ヶ月前のことを思い出した。

 ……河月の教会で起きた籠城事件の人質になった流雫は、犯人から特徴的なオッドアイを汚い目呼ばわりされた。アンバーとライトブルーの目が、太陽騎士団でも異端の女神と偶然同じだった……それが、旭鷲教会の連中にとって目障りだったらしい。

 フランス人と日本人、双方の血を引く流雫は国籍こそ日本だが、フランスにルーツを持つ。そして見た目も、母親に似たのか比較的欧州寄り。同級生との仲が悪い理由はそれだった。その初めての例外が、美桜だった。

 ……しかし、その見た目は今この瞬間、彼がパリと云う街に溶けていることを意味する。オッドアイが少しだけ奇特に映るが、それだけだ。その意味では、日本よりフランスの方が過ごしやすかったのだろうか。

 ブルドン通りの終端まで来た流雫は、バスティーユ広場に戻ろうとした。そこから地下鉄を乗り継げば、モンパルナス駅へ着く。レンヌへ向かうTGVの始発だ。バスティーユからは、ゆっくり移動しても3時間後ぐらいには、流雫にとっての第2の故郷に着く。


 フランス西部、ブルターニュ地方の中心都市レンヌ。パリからはTGVで1時間半ほど。

 パリオリンピックの影響から観光地としての需要が沸騰し、日本人旅行者も増えた。流雫が乗っている車両は半分が日本人で、フランスにいる感覚が薄い。

 最後に列車を降りた流雫は、駅舎を後にする。前から

「流雫!」

と、日本からやってきた少年の名を呼ぶ低めの声が響いた。

「父さん!」

声を弾ませた流雫は、40代前半らしい落ち着きを漂わせる風貌の父の近くに寄って

「ただいま!」

と言って微笑む。

 母は流雫の帰りを出迎えるために、家で料理をしているらしい。赤いフランス車のナビシートに座った流雫は、一家3人が揃う1年ぶりの光景に期待していた。

 これから2週間、甘える。それは両親にとっての望みでもあった。流雫を鐘釣夫妻に預けて11年、一緒にいられなかった空白を一気に埋めたいのは、誰もが同じだった。

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