4-7 Catch The Moment

 セーラー服の少女は

「1……」

と呟く。ただ一点、男の目に照準を合わせ、瞬きをせず睨み付ける。怒りと殺気に満ちていた男の目に、焦りと恐怖が滲んでくる。

「……勝った」

結奈は思わず声に出す。彩花は

「うん」

と頷く。……銃口を向ける男は、逆に少女に飲まれている。それは、2度だけながら彼女の戦いをその目で見たからこそ、判ることだった。

 火薬が爆ぜた。動きを止めたのは

「ゼロ」

と声に出した澪の脳ではなく、銃のスライドだった。カウントダウン通り、弾切れ。そして訪れた最大のチャンス。少女は靴音を鳴らした。一気に距離が縮まる。

「ちっ!!」

と舌打ちした男は、咄嗟に銃を捨てるとジャケットに手を入れた。しかし、その額をシルバーの銃身は逃さなかった。鈍い音と同時に視界が暗転し、脳を揺さぶられる。

「ごぉっ……!!ぉ……!!」

目を瞑り、口を大きく開けて悶える男は、血が滴る額を押さえながら、新たな銃を手にする。しかし、引き金を引くどころではないほどの頭の激痛に邪魔される。少しだけ戻った視界で少女を捉え、

 「っざけ……んなぁ!!」

と力一杯怒鳴り、力任せに腕を伸ばすと、金属音が腕の先から聞こえた。

「……引き金を引けば、どっちも無事じゃ済まない」

そう言った澪の銃口と、男の銃口がキスしていた。それも強く。

 ……どっちが引き金を引いても、双方の暴発を招く。片腕を失っても、それで済めば御の字。最悪、グロテスクな最期を遂げ、周囲を更にパニックに陥れるだろう。そして不利なのは、銃の威力で完全に劣る澪。

 無事か、即死か。或る意味究極の賭けだった。

 「何の真似だ……!」

「聖戦で死んでも、本望じゃない?ソレイエドールに味方する悪魔を道連れにし、クレイガドルアに讃えられるのなら」

そう言った澪の目に、男は

「やめろ……!やめろ……!」

と怯えた声を上げる。死を怖れていない少女に対して、恐怖に駆られていく……その様子が、刑事の娘には判る。

 口径と銃弾の威力の差で、澪を無惨な死に方に追いやることはできる。しかし、自分の身も危うくなる。引き金に掛かる大きめの指が震えていた。

 そして、ギャラリーと化していた連中も、遂に現実を突き付けられる。そう、これはデスゲームなんかではなく、1対1の戦争なのだと。

「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

と叫び声が上がった瞬間、澪は男の銃を外側へ弾き、自分の身体を反対へ振る。セーラー服の少女が視界の端に消えた瞬間、引き金を引いた男の手を爆発が包んだ。

「がああああああああ!!」

断末魔の悲鳴を上げ、その場に仰向けに倒れ、悶絶する男。頭よりも痛む腕を押さえているが、地面を血で染めていく。

 一瞬小さな爆風と熱を感じ、その様子に顔を引き攣らせた澪は

「ひっ!!」

と声を上げながらも、その場に膝立ちした。折しも、救急車が何台もロータリーに止まっている。今なら未だ……。

 そう思った少女は、しかしネイビーのスーツがめくれた瞬間、目を見開き青ざめる。モバイルバッテリー大の板と、それに接続された細いケーブル……。

 「澪!!」

と呼ぶ結奈と彩花の声が重なり、同級生に駆け寄る。

「ダメ!逃げて!」

2人に振り向き、そう再度叫んだ澪は立ち上がると、男に背を向けて地面を蹴る。澪が言うから、とそれに従った2人も踵を返した瞬間、後ろから爆発音が響き、3人は爆風に背中を押された。

「きゃぁぁっ!!」

突然のことに、彩花はその場に蹲る。結奈はその名を呼び、肩を抱く。そして澪は……その場に膝から崩れた。頭を抱え、背中を丸めて叫んだ。視界は滲み、地面のタイルを濡らしていく。

 ……結奈と彩花が無事だったことへの安堵、ではない。自分が死ななかったことへの安堵、でもない。聖戦の名の下に、テロや暴動……そして自爆すら躊躇しないことへの怒り、そして押し殺していた死への恐怖……それらが一気に襲い掛かった。

「澪……」

結奈は膝立ちし、その頭に触れようとした。しかし、咄嗟に出た澪の手が払い除ける。

「みっ……!?」

「だめ……結奈……ぁ……だめ……っ……!」

震える声の主は、護りたい同級生からの救いを自ら拒絶していた。

 まさかの反応に困惑する結奈の隣で、彩花は同級生にどう接するべきなのか迷っている。

 ……1学期が始まってすぐ、刑事の娘が

 「……2人は、何も知らない方がいい……」

と言ったことが、この意味だったことを思い知らされた。

 絶対に澪を見捨てないと決めた、しかしその誓いすら無力に思える。どうすれば、突き付けられている現実と脅威に泣き叫ぶ同級生の力に、なってやれるのか……。

 「澪!」

と低い声がした。父親だった。常願は

「何が有った?」

と娘に問い質すが、言葉は返ってこない。

 「澪が狙われて……」

「犯人は……自爆……して……」

同級生は代わりに答えるが、しかし混乱する頭では途切れ途切れに言葉を絞り出すのが精一杯だった。

「狙われた……!?」

と声を上げた常願は、顔を上げない娘と同級生を臨海署へ連れて行くことにし、赤いLED警告灯を忙しなく点滅させる黒いセダンに乗せた。


 取調室では弥陀ヶ原と女子高生2人が椅子に座り、常願は立ったまま話を聞いていた。澪は部屋の端で椅子に座ったまま、膝を抱えている。

 結奈と彩花が、葬りたい記憶を甦らせて話す中、澪はただ下を向いているだけだった。頬は乾いているが、何も言葉にしない。寝ているのか、と思うほど静かだった。

「澪、お前の番だぞ」

と言った父に、娘は

「……狙われた……。結奈と彩花が……とばっちりを受けて……」

とだけ返す。しかし彩花が

「とばっちりじゃない」

と被せ、結奈はそれに続いた。

「澪はヒーローだよ。ボクたちを護った」

 ……澪は、同級生が自分といたからとばっちりを受けたと思っている。しかし、この刑事の娘がいなくても同性カップルは秋葉原に行っていただろうし、そうなった時にどうなっていたか、想像がつかない。

 澪がいたからこそ、無事だった。だから、澪はやはり、ボクや彩花を護った。讃えられるべきなのだ……。結奈はそう思っていたし、彩花も同じだった。

「でも、あんな怖い思い……」

「偶然、私たちの運が無かっただけだから」

と彩花は被せる。

 ……今は何をどう言ったところで、澪を慰められるとは、彩花は思っていない。しかし、その一言が全てだ。いや、遭遇したことについては運は無かったが、無事だったことはツイている。それでも……。

 ベテラン刑事の大きな溜め息に重なった、スマートフォンの通知。澪の端末からだった。

「無事?」

とだけ書かれた、流雫からのメッセージ。澪は打ち返さない。

「流雫くんから?」

彩花の問いに、澪はただ頷くだけだ。

 ……最愛の少年からの、安否を気に懸けたメッセージにすらそれだけしか反応しない。何時だって、流雫が最優先だったのに。それがどれほど重症なのか、同じ部屋にいた4人には判る。

 取調を続けたいが、取調にならない。見たことを全て話した同級生はいいとして、常願は明日娘を休ませることにした。急かしたところで、夜中まで粘ったところで、今の澪からは何も得られないからだ。

 刑事2人が一度部屋を後にすると、殺風景な部屋には女子高生3人だけが取り残される。

「……澪……」

結奈はその名を呼ぶ。

 ……戦って、でも2人にすら言えない脅威。2人も何時か被害に遭う、犠牲になる恐怖。それが、足下に迫っている。この2時間近くで、何度そう感じたか。

「……だから、何も……知らなくて、いいんだ……」

そう呟いた澪は、2人と目を合わせようとしない。

 「ボクたちは、澪を見捨てない」

「何時だって、澪の味方だから」

その言葉は、刑事の娘に重く深く突き刺さる。何時もなら微笑みで返すのに、それすらできない。

 それでも、澪は立ち上がる。そう信じ続けるしかない。自分を後回しでも2人を護ろうとする、2人にとっての誇りだから。


 ペンションの手伝いは、バイト代が入るしイヤなことを紛らわせるにも最適だった。しかし、今日ばかりは作業をしていても気を紛らわせられない。

 ディナータイムの準備が終わり、キッチンの裏でエプロンを外した流雫が目にしたSNSのタイムラインは、秋葉原の件で埋まっていた。

「セーラーの子、スゴかった」

「女子高生が戦うこと自体異様」

その2つの投稿に、流雫の手が止まる。セーラー服の女子高生……、……澪……!?

 先刻送ったメッセージは、既読になっていたが返事は無い。……まさか……。

 ……会いたい。無事なのを、この目で見たい。行って拒絶されたとしても、行かなくてこのまま悶々としているよりは、遙かにマシだろう。しかし。

 思わず顔を顰め、唇を噛む流雫に

「……どうしたの?」

と親戚の婦人、安莉が問う。

「……あの事件……。多分、澪が……」

とだけ答えた流雫に、安莉は今何が気懸かりなのかすぐに判る。

「……行ってきなさい。それが彼女にとって最善だと思うのなら」

その言葉が全てだった。

 ……流雫は、この2年間で大きく変わった。澪と云う少女と出逢って、彼の世界は拡がった。

 苦しんでいる時に、ただ隣にいること……それがどれだけ心強いのか。それは流雫自身判っている。そして、母アスタナも同じことを言っただろう。

「……うん」

とだけ答えた流雫は、黒いショルダーバッグに銃と財布を入れ、ペンションを後にした。そのドアが閉まると、安莉は

「正徳、アスタナ……。あんたたちが思ってるより、強くなったよ……あの子」

と呟いた。レンヌにいる2人の代わりに10年以上育ててきて判る。その心の強さは、紛れもなく両親譲りなのだと。


 「宇奈月……」

笹平の部屋で、黒薙はそう声に出して頭を抱えた。

 1ヶ月前に聞いたノエル・ド・アンフェルと云う言葉が、今日の流雫の態度で急に気になった。かつての同級生に何が有ったか調べたい、そう思った黒薙は笹平に手伝わせていた。

「だからテロにナーバスなのね……」

と言った同級生の恋人に、黒薙は

「……全く……」

と声を絞り出すのが精一杯だった。

 ……何故宇奈月だけが、何度もテロに遭わなければならないのか。銃を手にしなければならないのか。そして、贖いを抱えなければならないのか。

 流雫のためにと汚れ役を引き受けて揶揄ってきたことが、想像しうる限り最悪の形で跳ね返ってきた。

「何が俺たちへの贖いだ……バカが」

そう呟いた声に、怒りと無力感が滲んでいた。

 2人の手を掴めなかった、拒んだから……流雫はそう思っている。だが、それに至らしめたのはトーキョーアタックと、無理矢理でも掴んでやればよかったのに、そうしなかった過去の自分だと、黒薙は思っていた。

「……黒薙くんも、宇奈月くんも悪くないよ」

と言うのが精一杯だった笹平は、しかし間違っていなかった。

 結局、何が正解なのかは後々になってみなければ判らない。全ては結果論でしかないのだ。そしてあの時は、それが唯一の正解だと思っていた。

「結局、宇奈月くんのことは澪さんに任せるしか無いわ。私たちにはお手上げ」

恋人の事実上の白旗宣言に、黒薙は大きな溜め息をついた。……残念だが、その通りだ。笹平は続ける。

「この前、アウトレットで澪さんに会ったの。黒薙くんとのこと、真相に辿り着いてた。あの渋谷で見聞きしただけのことで」

「……見聞きしただけでかよ」

と言った黒薙は苦笑いを浮かべる。ただ、あの女子高生ならそうだとしても不思議じゃない。

 「私が触れていい領域じゃない、だけど2人なら心配無いと言ってたわ」

「澪さん……美桜の転生じゃないか……そう思う時が有るの。別人だとは判ってるけど。……彼女がいるなら、宇奈月くんは心配無いわ」

そう言った笹平の言葉に、黒薙は東京に住む少女を思い浮かべた。顔を見たのは、この8ヶ月で数分にも満たない。しかし、鮮明に覚えている。

 ……流雫を揶揄った時、隣にいた彼女に頬を引っ叩かれた。渋谷で流雫が泣き叫んだ時、強く抱きしめて慰めていた。そして大雪なのに東京から駆け付け、銃を手に教会に入っていった。

 生半可な好意じゃできない、その献身ぶりを目の当たりにした黒薙は、彼女には一生勝てないと思っていた。

 帰ろう、と決めた少年は笹平家のマンションを出る。エントランスまで2人きりだ。

 夜だと云うのに、外は明るい。2人はふと空を見上げる。

 ……そうか。今日だったか。

「……美桜が、私たちに見せようとしたのかな……」

と笹平は呟く。

「……だろうな」

と答えた黒薙は、しかしそれは流雫の仕業だと思った。あの場所で会ったから、あの言葉が引っ掛かったから、笹平を頼った。そうでもなければ、こうして夜空に気付くことは無かっただろう。

 「……ったく」

そう呟いた黒薙は、それに続く言葉を一度押し留め、そして一言だけ言った。

「……最低だが最高、かよ……」

 そう言った恋人の意図は判らない、ただ何か靄が晴れてクリアになっていく気がした笹平は、少しだけ背伸びして、顔を近付けた。

 

 快速列車に揺られ、流雫は秋葉原の事件を遡っていた。

 ……爆発した街宣車に乗っていた男は太陽騎士団の信者。そして駅前で澪を狙って自爆した男も、太陽騎士団のスーツを着ていた。

 前者は本当に信者だったとして、後者は偽装と云うか成り済まし。だとしても、旭鷲教会の本部爆破は……やはりスケープゴートか。偽旗作戦として。

「お前の読みが当たったようだ」

フランス語で送られてきたメッセージに、流雫は目を向けた。

「ここまでとは思ってなかったけどね、流石に」

と流雫はアルスに返す。何が起きても不思議ではない、しかし物事には限度が有る。

「ミオは無事か?東京にいるんだろ?」

そのメッセージに、流雫の手は止まる。

 ……無事だと思っている。しかし確証は無い。とは云え、アルスを心配させるワケにもいかない。

 数秒間を置いて、流雫は

「無事だよ」

と打つ。単なる願いでしかないが。

「それなら安心した」

と返ってきたメッセージに

「また何か有れば送るよ」

とだけ送り返し、流雫は目を閉じた。

 ……無事でいてほしい。無事だとは思うが、返事が無いことが引っ掛かる。


 父親と一緒に家に帰り着いた澪は、しかし自分の部屋に入ると、セーラー服から着替えず母親の呼び掛けにも答えず、暗くした部屋のベッドの上でただ膝を抱えているだけだった。

 ……事件に対しての謎は多い。父親に話すべきことは多い。しかし、今は話す気にならない。暴発は、自分が招いたことではない。しかし、そのことを差し引いたとしても、あの瞬間が焼き付いている。

 ……どれぐらい、そうしていただろうか。ふと、階下から足音が聞こえた。そして部屋の前で止まり、ドアをノックする音が聞こえる。

「……いいよ……」

とだけ言った澪の言葉に続くようにドアが開く。

 暗い部屋で視界に入った最愛の少女は流雫にとって、一言で言えば見ていられなかった。彼女が抱える喜怒哀楽の全てを見てきて、それでも今までより怒と哀を滲ませている。

 ……今まで何度も戦ってきた、しかしその経験値は何の役にも立たない。これはFPSゲームじゃなく、本物の戦いなのだから。

 「……澪……」

その悲しげな声の主に顔を向けた澪は、反射的に目を見開いた。……何故!?

「るっ……!?」

 「……澪が、心配だったから……」

そう答え、安堵の表情を浮かべた流雫を見つめる視界が、滲んで見えなくなる。

「……バカ……」

そう言って、澪は隣に座った最愛の少年を強く抱いた。勢いのままベッドに押し倒される流雫は、しかし

胸板に顔を埋めて泣きじゃくる澪の頭を優しく撫でる。

「流雫……怖かった……会いたかった……!」

途切れ途切れに声を絞り出す澪。……こうやって、慰めてほしかった。隣にいてほしかった。それだけで、恐怖と云う黒く濃い霧を切り裂く光を、見つけることができるから。

 「流雫……」

悲しげな声で名を呼ぶ最愛の少女に、流雫は

「僕がついてる……」

とだけ声に出した。

 何が有ったのか、それは明日にでも判るだろう。今は聞き出す時じゃないし、その気も無い。今はただ、澪の苦しみを受け止めていたかった。それで、本来の彼女が少しずつでも戻ってくるのなら。


 カーテンを閉め忘れていた窓の外、少しだけ星が見える。今日は七夕だった。あの惨劇で、完全に忘れていた。

 1年前、河月の湖畔で流雫と見上げた夜空を、澪は記憶の片隅から引っ張り出した。あの日の空を忘れない澪は、逃げ出したい今日と云う日が少しだけ幸せに思えた。こうして、流雫といられるのだから。

「ありがと……流雫……」

そう囁いた澪は、しかし離れようとはしなかった。もう少し、このままでいたい。今だけは、わざわざ東京まで駆け付けてきた流雫の献身に、甘えていたかった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

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