4-8 Private Army

  夜が明けると、流雫と澪は寝不足のままリビングへ下りる。特に澪は、散々泣いたから目の周りが赤くなっていた。

 あの後も、泣き止んでも言葉は無くただ抱き合っていた。辛いが、来てと言えなかった澪。拒絶されても、会いたかった流雫。そして2人は、漸く束の間の安寧を手に入れた。

 そして流雫は、澪が眠りに就いた後でアルスとメッセージを送り合っていた。


 ……旭鷲会本部の襲撃はマッチポンプ、目的は太陽騎士団の地位を貶める、と同時に旭鷲会や傘下の宗教団体への同情を集めること。そう思って間違い無い。

 他国の話で片付けられないフランスでは、既にその線が話題になっているが、日本では被害に遭った旭鷲会側のコメントが大半だった。そして、今年に入っての事件から太陽騎士団の仕業と云う線が出来上がっている。炎鷲こと唐津の舌鋒は鋭さを増すどころか、最早炎鷲劇場の様相を呈していた。

 「何が暴力に屈しない、だよ」

と送ったアルスは、アリシアの隣で鼻で笑っていた。

「武力に誰より屈しない奴が、其処にいるのにな」

それが自分のことだと判った流雫は、思わず苦笑いを浮かべる。

 「剣と言葉は同じだ。強力な力になるが、使い方を間違えれば殺すことさえできる。……ただ、お前は絶対に間違えないと、俺は信じる。お前は正義だよ」

「いや、悪魔だよ」

「クレイガドルアに立ち向かう、だから連中にとっての悪魔ってワケか?」

「ミオにとって」

と返した流雫に、アルスは少しばかり呆れた表情を露わにする。それは日本にいる少年にとっても、容易に想像できる。

 「まさか、メフィストを気取ってるのか?」

「ミオがファウストなら、僕はそうなるかな。僕はミオの力になりたい、だからミオに、僕の力になってほしい」

「しかし、弱い悪魔だな。メフィストはもっと強いと云うか、生意気と云うか。典型的な腹黒の悪役だぞ?」

そのメッセージに、流雫は少しだけ頬を赤くして打ち返す。

 「弱いよ。だから頼ってる。ミオだけじゃない、シノ、アルス、アリシア……。僕がみんなを信じる限り、みんなは僕を信じてる。だから屈することは無いよ」

 ……この世界に4人だけ、仲よくしていたい人がいる。流雫にとって、心を開ける世界最高の4人。その存在のためにも、屈するワケにはいかない。屈する、それは死を意味していたから。

「行けるとこまで行け、でも死ぬべき場所は其処じゃ無い。……か?」

そうアルスが送ってきたメッセージに、流雫は思わず笑って打ち返す。

「だから、悪魔なんだ」

その一言に、アルスは微笑を浮かべた。

 ……正義を気取らず、決して信念を曲げない。銃を撃つが、銃に飲まれていない。本人も自覚していないが、それがルナの強さだった。

 彼自身が好んで、フランスでよく使うミドルネーム……クラージュ。フランス語で勇敢と云う意味だ。そして、アルスはルナほどに勇敢な高校生を知らない。

 ……とんでもない奴と仲よくなったものだ、と思いながら、アルスは

「ところで今日の山岳ステージ……」

と、互いに好きな自転車ロードレースの話題を切り出した。半ば強制的にでも話題を変えることが、互いに重い話題に飲まれないための最善策だったからだ。


 弥陀ヶ原の迎えで臨海署に向かった2人の高校生の、取調が始まった。とは云え、流雫は澪の隣にいるだけだが。

 一晩明けて、澪は完全に落ち着いていた。昨日話さなかったことを、淡々と父親に語る。

 流雫はその隣で話を聞いているだけだったが、同時にアルスとの遣り取りを思い出す。

 ……スケープゴートの正体は、マッチポンプ。その通りならば、実行犯はOFA。あの連中は、同様の前科が有る。奇しくも、それで大町の父親が殺害された。

 旭鷲会本部を襲撃した連中は、OFAが仕立て上げた実行犯。澪と戦った犯人も、信者を装ったOFAの実行犯か。街宣車で爆殺されたのは太陽騎士団信者だったことは既に明らかにされているが、一部からは逮捕されないために自殺したと云う説が出回っている。それだけは否定できるが、真の理由は判らない。

 「しかし、流雫くんがいて助かった。昨日、澪は話すことさえできなかったからな」

と常願は言った。それだけ、澪が参っていたと云うことだ。

「僕は、何時だって澪に助けられてばかりで……」

そう言った恋人に、澪は

「でも、流雫がいるから救われた。1人じゃ、未だ沈んだままだったと思う……」

と被せる。

「ところで、ただ見聞きしただけだろうが、流雫くんはどう見てる?」

澪の父の問いに、流雫はアルスの意見混じりで、と前置きをした。自分だけの意見も減ったワケではないが、海外からの目も踏まえて話すことが、今の彼にとってのセオリーになっていた。

 一通り話を聞いた後で、ベテラン刑事は

「……やはりそうか」

と言った。

 2人を取調室に通す時、別の後輩刑事から太陽騎士団への一斉強制捜査が今日行われることを聞いた。既に全ての関係先へ捜査員が向かっている。

「政府は、あくまで太陽騎士団の仕業だとしたいらしい」

そう言った弥陀ヶ原に、

「伏見さんの顔が思い浮かぶ……」

と流雫が続く。澪は

「……詩応さん……」

と、半ば無意識に名を呟いた。やはり、敬虔な信者として何を思うのか気になる。否、言わなくても想像は容易だった。

 その直後だった。刑事2人の名を呼びながら、エムレイドの刑事が入ってくる。小声で数十秒だけ会話した後、ベテラン刑事は

「ますます何が何だか……」

と溜め息をついた。

 「……どうしたの?」

と問うた娘に、常願は

「……太陽騎士団の総司祭が死んだ。渋谷の教団の地下駐車場でな」

「……え……?」

父の言葉に、2人の高校生は同時に反応した。

「詳しいことは未だ判らないが、遺書が有ったらしい」

「それって……!」

と言葉を被せた澪に、常願は更に被せる。

「……更に混沌としてくるな……」

「……何が、どうなって……」

そう呟いた澪の目が震えている。

 ……あの新宿で戦った日の夜、詩応を講堂に呼び出したのが、あの日就任した総司祭だった。そして、詩応に姉の死について忘れろと咎めた。

 ……その総司祭が、遺書を残して死んだ……!?

「……秋葉原の爆破事件を受けて……その罪を背負った自殺……」

と言った流雫に、

「でも」

と澪は被せる。

「……詩応さんを狙ったから、その時点で既に旭鷲教会から送られてきた身……。理由として矛盾してる」

「あくまでも表向きは自殺。でも、そう見せ掛けた殺人なら……手段によるけど。言い方は悪いけど、生け贄になったんじゃ……」

 「そうだとして、目的は何だと思う?」

と弥陀ヶ原が問う。流雫は唇を噛みながら数十秒間を置き、出されたアイスコーヒーを飲んで言った。それだけ、一種の覚悟を求められた。

 「それこそ、一連の事件は太陽騎士団の仕業だと云うのを世間にアピールする。そうすれば……」

「……そうすれば?」

澪の言葉に、流雫は続いた。

「被害者としての同情を集めて、選挙で有利に立てる」


 真から見て、先輩で恋人の詩応の苛立ちは、既に限界突破寸前だと容易に判る。正直、自分もそうだ。昼休み、屋上で曇り空を見上げる2人。

「最後の戦い……そう云う予感がするでね」

そう言った真に、平静を装う詩応は被せる。

「……夏休み、少しだけ澪のところに行ってくる」

「東京に?」

真の問いに、詩応は

「……何か、気になるからね」

「詩応さえ死ねせんなら、うちは止めにゃあでよ」

と言った。真は真で、中日本の支部から彼女の力になる。恐らく、詩応が東京にいる間何も起きない、平和そのものだとは思えなかったからだ。

 「東京でも、仲いい人がいるなら心細くあれせんがね」

そう言った真に、詩応は笑った。……あの2人さえいるのなら、弱気にならない。アルスが日本にいないのは残念だが、流雫を通じて味方だ。心細くはない。

「ああ。ほんと、ソレイエドールの導きだよ」

と言った詩応は目を閉じて呟いた。

「詩愛姉……もうすぐだから」

と。


 流雫の言葉に、取調室は凍り付いた。本当に時が止まったかのように、静寂が殺風景な部屋を包む。

「……その手が有ったか……」

とベテラン刑事が口にしたのは数十秒後だったが、その何倍もの時間が流れたと全員には思える。

 「……どう云うこと、なの……?」

その娘は問う。

「報道は太陽騎士団と関係が有る議員を炙り出す。世論が、そいつらを落とそうとする。そして旭鷲教会との関係が有る連中に同情することで、同情票を集める」

「どの政党にいようと、旭鷲会イコール旭鷲教会である限り、連中による日本侵略は果たせていると云うワケだ」

 「だから、サイレント・インベージョンなの……?」 

刑事2人の言葉に続く澪は、そのためにあの惨劇が引き起こされたことに、怒りを通り越して怯えていた。もう起きないとは微塵も思わない、思えない。

「自分たちに盾突く奴らで最も厄介な勢力を、民主主義の力で排除する……。だが、そのためにテロを活用したとなると言語道断だ」

と弥陀ヶ原は言う。

 「……ただ」

流雫は小さな声で言った。

「どうして、今年に入ってこんなにテロを……」

「……流雫?」

「去年までは、河月の教会爆破以外目立ってなかった。なのに、今年に入って……」

そう言った少年の言葉に、澪はふと一つの言葉を思い出した。

 「私設軍隊……この前、流雫が言ってた……」

「澪?」

と流雫が名を呼ぶ。

「……本当に私設軍隊が有るとするなら……。体制が整ったのが去年で、だから今年に入って……」

そう言った娘に、常願は問うた。

「……だとして、私設軍隊の目的は何だ?」

「目的は、旭鷲教会を護るため。……そして、日本を乗っ取るため……」

と言った澪に、流雫が続く。

 「……その乗っ取ることに関しては、既に或る意味では成功してる……。そもそも何故私設軍隊が必要なのか……あれだけの武器が必要なのか……」

今ここで頭を悩ませても、出てくる答えなど無い。ただ、漸く脅威の正体が見えた気がした。


 取調が終わったのは昼過ぎだった。流雫は急に出て来たと云う理由も有って、早く河月に戻ることにした。次に会うのは、澪の誕生日。澪はその3日前……流雫の誕生日を望んだが彼の都合がつかなかった。それに、去年は流雫の誕生日に2人まとめて祝ったから、今年はその逆にしたいと云うのも有った。

 新宿で流雫と別れた澪は、秋葉原に向かった。昨日の惨劇を思い出すリスクも有ったが、冷静になってみると、また何か思い出すかもしれない、と思った。

 ……銃の暴発。その場に転がって悶えていた犯人に、澪は美桜を思った。あれより桁違いの爆発で死んだ……殺されたことを思うと……。

 「……いると思った」

後ろからの声に振り返った少女は、そこに同級生を見た。

「……結奈、彩花……」

「昨日、あの店に忘れ物しちゃって」

そう言った彩花に続くように

「普段の澪に戻ったようだね」

と言った結奈は、自分の手を払い除けた昨日とは正反対の澪の表情に、安堵の微笑を浮かべた。

「……怖かったね、澪」

その声の主に、澪は無意識に抱きついた。拒絶した昨日の彼女への贖いだった。

 恋人としての定位置を奪われた彩花は、しかし茶化すことは無かった。頭を撫でながら

「澪と一緒で、よかったと思ってるわ」

と言う。それが余計に、澪の感情に突き刺さる。

「結奈……彩花……」

少しだけ声を震わせる澪。

 ……昨日2人が言った通りだ。2人は何が有っても、澪を独りにさせることはしない。だから、あたしは2人を護る。そう何度も、昨日も思った。

 ただ、そのためにもっと強くなりたい。無い物強請りの強さなのは判っている、でも……。

「……ありがと……」

とだけ言うのが精一杯だった澪は、泣きたい衝動を溜め息として吐き捨てる。

 ……この細やかな日々が終わらないように、そう願う澪は少しだけ視界を滲ませて微笑んだ。少しだけ無理してみた、しかしそれも彼女たちには判っている。それでもよかった、あの沈んだ表情に2人が打ちのめされるよりは、断然マシだったから。


 気晴らしに2人とドーナッツ屋に入った澪は、オールドファッションとアイスラテで一息つく。

「昨日、流雫が家に来て……」

「河月から?あの後?もう暗くなってたよ?」

「心配だからって……」

結奈の問いに、そう頬を赤くして答えた澪に、彩花は

「澪への愛が伝わってくるわ」

と言って微笑む。

 そう云う話を澪から聞き出すのが、2人は好きだったし、澪も辛いことを忘れていられるから好きだった。事実、流雫のことを話している時の澪は何よりも楽しそうに見える。例えれば、胸焼けを起こすほどの甘さか。

「あたしにとって、流雫は誇りだから……」

そう言った澪に、2人は笑いながら

「それは間違い無いね」

「最早夫婦って感じだよね!」

と続く。夫婦、その言葉に澪は撃沈する。

「あーあ……」

とスナイパーと化していた彩花の声に、結奈が

「澪、弱過ぎ……」

と続く。しかも、今のは澪の言葉が引き金だった。ピュアと云うか、何と云うか……。それも含めて、澪が愛しく思える。

 そうこうしているうちに、帰る時間になった。3人は席を立った。


 夜、流雫は澪とスマートフォンでメッセージを送り合っていたが、同時にアルスと通話をしていた。メッセージでもよかったが、日本語とフランス語のIMEを引っ切り無しに入れ替えること、そしてフランス語を打つ方が面倒だったからだ。

 澪とは他愛ない話、一方アルスとは半分以上昨日の事件の話だ。それだけ、レンヌにいるフランス人の怒りは、半端なものではないことが判る。

「私設軍隊って、映画かよ……」

と呆れ口調で言ったアルスに、流雫は

「有っても驚かない」

と返す。

「ただでさえ、アリシアは昨日の件でキレてるからな。それが事実だとすれば、俺でも手が付けられなくなる」

そう言ったアルスは、苦笑いを浮かべた。

 ……今朝、珍しく家まで迎えに来たアリシアは、顔を合わせるなり日本で起きたことについての愚痴を語り始めた。彼女のサンドバッグ役は自分の役目、そう自覚してはいるが、朝からは流石にしんどい。

 アリシア自身もそれは判っているのだが、止められなかった。ただ、裏を返せばそれだけアルスを信頼している。そして、もしルナとミオが同じ学校に通う仲ならば、似たような光景が見られただろう。それはそれで、一度見てみたいものだが。

「……ルナ、今月は特に気を付けろ。フランス革命に擬えようとする連中にとって、最も因縁が深いのは7月だ」

「うん、判ってる」

と流雫は答える。

 バスティーユの襲撃は7月だったが、しかし事実上終結したのも5年後の7月だ。当然、連中は成功裏に終わらせたい。しかし、フランスではなく日本で。

「……何しろ、総司祭さえ手駒として使う奴らだからな」

とアルスは言った。


 ……太陽騎士団総司祭の死は、一転他殺の線が濃厚になった。

 死因はアルコールで飲んだ多量の睡眠薬だった。しかし、過去に服用歴が無かったこと、そしてナビシートに置かれた手書きではない遺書の紙から、総司祭の指紋もDNAも検出されなかったことが根拠だった。PCで作成して印刷したことを差し引いても、自殺するのにわざわざそう云うことをするとは思えない。

 何者かが、アルコールに睡眠薬を混ぜるなどして司祭を中毒死させた後で、PCで遺書を打った。その前から用意していたのだろう。しかし、犯人自身の指紋を残さないように注意していたのはいいが、司祭の指紋をわざと付着させたりしなかった。

 ……教団の地下駐車場で、教団の車に付き人無しで、しかも自分が運転席に座って出迎えるほどの相手。生半可な関係では有り得ない。自ずと犯人像は絞られてくる。

 だからアルスは、旭鷲教会の上層部が犯人ないし黒幕だと読んでいた。総司祭は密会の場で、苦しむことなく穏やかに殺された……秋葉原の事件のスケープゴートとして。

「……覚悟はしてるよ」

と流雫は答えた。今まで、何度そう答えたか覚えていない。しかし、それが現実だとその度に思い知らされてきた。そして今回も。

 「……そう云えば」

とアルスは話題を変えた。

「7月といや、東京でレースやるんだな。行くのか?」

「初耳だけど……何時だっけ?」

と流雫は問う。

 エンジン音と云う騒音と無縁の電気自動車、だからこそ実現できた自動車の公道レース。1年前から春に開かれているが、今回はそれとは別のシリーズだった。それでも国際選手権の1戦で、海外からのドライバーやスタッフが数百人単位で集まる。

「澪の誕生日前日か……」

と、公式サイトを見ながら、流雫は言った。

 観戦の予定は無いが、気になるのは閉鎖される公道の範囲だった。誕生日デートで臨海副都心に行くとして、それは決勝の翌日。影響が無さそうなのは幸いだった。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

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