4-6 Enemy Of Justice

 7月最初の週末が終わり、迎えた月曜日。放課後、流雫は相変わらず誰と話すこと無く、愛車のロードバイクに跨がる。しかし、ペンションとは逆方向に走り出した。

 学校から40分ほど走ると、アウトレットに隣接したショッピングモールに着く。流雫はスポーツドリンクを喉に流した後で、広場の一点で立ち止まる。中心部でもない、中途半端な位置。其処にしゃがんで、胸の前で両手を重ねると、目を閉じる。


 ……1年前、澪の同級生がこの場所で死んだ。正確には殺された。偶然居合わせ、その一部始終を目撃した流雫は、自爆テロで瀕死だった少年……大町に駆け寄った。その日本人らしくない見た目を揶揄っていた大町に、もうすぐ助かると言って、流雫は泣き叫んだ。しかし、伊万里の支持者に撃たれ、オッドアイの瞳に看取られながら、この世界から消えた。

 その死に際に口角を上げたのは、僕に彼が掴んでいた……それが理由で消された……全ての真相を託せると、僕を信じたからだろう、と今では思う。

 ……あの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。男を撃ち返し、澪に東京に行きたい……怒りと悲しみの感情から逃げたいと言ったこと。思い止まれ、代わりに澪を連れて行くとその父親に言われたこと。2時間後、警察署で再会した澪に思わず抱きついて泣いたこと……。

 あれから、もう1年が経った。……解明されたと思っていたトーキョーゲートは、未だ終わっていない。

 彼が殺されたのも、元を辿ればトーキョーゲートだ。だから、今直面している脅威が消え、今度こそ終結してほしい。そうすれば、大町も今度こそ救われる。……救われてほしい。

 思わず唇を噛んだ流雫の後ろから

 「……宇奈月」

と声が聞こえた、その主の高校生は背後から近寄ってくる。立ち上がって振り返りながら

「……黒薙……」

と呼び返した流雫に、黒薙は問う。

「何してるんだ?」

「別に……」

「……この前の、どう云うことだ?お前といるとテロに遭う、だと?」

「……美桜の代わりに僕が死ねばよかった。僕の彼女だったから、美桜は死んだ」

「くっ、……っ……!!」

その言葉に、黒薙は奥歯を軋ませる。

 ……一度誰かが言った。その胸倉を力任せに掴んだ黒薙の近くで、流雫には鋭く深く突き刺さっていた。未だに、それが癒えていない。……癒えるとすら思っていない。

 「……だから、もう誰も死なせはしない。だから僕には……」

「……ふざけるな」

と、流雫の言葉を遮る黒薙の目付きは怒りに満ちていた。

「お前、何故そうやって独り……!」

「……贖いだよ」

とだけ言って立ち去ろうとする流雫を、黒薙は呼び止める。

「何だ、それ」

「……2人を拒んできたことへの贖い……かな」

「真面目に答えろ!」

「真面目だよ」

そう言った流雫の目に、悲壮感は無かった。代わりに、確かな意志が宿っている。

 ……あの悪夢から2年近くが経って、かつての同級生は本来の強さを取り戻した……黒薙にはそう見えた。その彼からは、死んでほしくないだけの人間、そう思われている。それは嬉しいのだが、だからこそ不思議なのだ。

 ……何故こいつは独りで抱えようとするのか。河月にいる限り、手を差し伸べてやることはできないのか。今更遅過ぎるのか。そう思うと、黒薙は流雫が口にした贖いと云う言葉が自分にも突き刺さるのを感じた。

 そう、宇奈月が俺への贖いを抱えていると云うのなら、俺も宇奈月への贖いを抱えているのではないか。最早どうやっても清算できない贖いを。

「……せいぜい拒み続けろ」

とだけ吐き捨てて、黒薙は踵を返す。流雫の背後に同級生が見えたからだ。言い方そのものは喧嘩腰だったが、話の中身は寧ろ流雫を気に懸けている。変に聞かれてもマズい。

 ……臆病者なのは自分の方だと、黒薙は再度思い知らされる。かつての同級生のためと言いながら、流雫を護ろうとした結末を怖れているのではないか……。

 流雫はその背中から目線を逸らした。スマートフォンが鳴ったからだ。開いた画面のポップアップ通知はニュース速報。

「秋葉原で爆発、テロか」

目を見開き、メッセンジャーアプリをタップした流雫。掌が汗ばんでいたのは、蒸し暑さを感じる7月だからではなかった。


 放課後、秋葉原駅に降り立つ女子高生3人。同じ学校のセーラー服をなびかせ、平日の夕方前にも関わらず賑わうオタク街の片隅に向かったトリオは、目当ての新作グッズを探していた。

 今日発売の、ロススタのリリース1周年記念の目玉は、カップルのウェディングをモチーフとしたイラストを遇ったグッズ類。中でも澪が好きな2人組は女子同士だが、中でも最推しの方がタキシード、もう片方がドレス。ただ、澪はデフォルトから変更していた。見た目が似ているから、と云う理由ではあったが。

 「ティアとミスティ、澪はルナとミオにしたんだっけ?」

と言ったボーイッシュな結奈に、才女の彩花が続く。

「じゃあこれ、流雫くんと澪の概念が結婚してるってこと?」

別に他意は無い……無かったハズだが。

「けっ……!?……こん……!?」

驚きの声を上げながら、アクリルスタンドを手にした澪は顔を真っ赤にし、心臓の鼓動が何時になく早くなるのを感じた。

 「あーあ……また撃沈させちゃった」

「今度は再起不能ね……」

そう続ける2人の目線が捉える少女は、顔を真っ赤にしたままグッズのイラストを見つめる。

 ……何時かそうなりたい。ただ、そのためにも平和が戻ってこないと。そのために戦わないといけないのなら、銃を撃たないといけないのなら、あたしは退かない。

「……決めた。これ、枕元に置くわ」

と言った澪は、同じイラストの別のグッズも手にする。スマートフォンの画面に表示されたバーコードだけで会計を済ませ、先に会計を済ませた2人と店を出た。

 今日はこのまま駅で別れよう、と思った3人が秋葉原の駅前に着くと、ロータリーの端に白い街宣車が止まっていた。今度の選挙の候補者の名前が、看板に大きく書かれている。

 ……澪の脳を過るのは、1年前にあの河月で起きた事件と、最愛の少年のことだった。彼のことだから、あのショッピングモールに行っているだろう。そう思いながら、ふとその車に目を向けた瞬間、その窓からオレンジ色の炎の塊と黒い煙が噴き出した。

「な……!?」

無意識に声を上げた澪の表情が、一瞬で戦慄に変わる。

 「結奈、彩花!逃げて!!」

そう叫んだ澪は、しかし炎を上げる車に向かって走り出した。


 駅員や近くの店の人が消火器を持ち出す。しかし、車内から人が出てくる気配は無い。助からないのか、そもそも乗っていないのか……後者だと思いたい。しかし……それはそれで疑問が残る。

「人が!!」

澪はそのナビシートに、人が座っているのが見えた。コンビニの店員が手伝えと言わんばかりに渡してきた消火器を車体に向けながら、ドアを一気に開けた。

 ……ハーネスは締められていない。

「くっ!!うっ!!」

と声を上げながら、澪は力任せにその男を引きずり出した。頭から血を流していて、意識は無い。

「救急車を!!」

と叫んだ澪の隣で、駆け寄ってきた彩花がスマートフォンを手にする。その後ろから結奈も駆け寄る。

「彩花!?」

逃げてと言ったが、いる。そのことに一瞬だけ驚いた澪は、しかし連絡を彼女に任せた。

 顎を上げさせ、口元に耳を近付け、首筋に触れる。6秒カウントした……しかし双方に反応は無い。トリアージのSTART法の判定では黒、つまり、助かる可能性は無い。

 無意識に頭を振った澪に、結奈は肩を叩くことしかできない。

「……何が……」

そう呟いた澪は、そこで我に返ったのか見落としていたものに気付いた。

 ネイビーのブレザーに、八芒星のネックレス……。

「これ……!」

反射的に声を出した同級生に、通報を終えた彩花は

「どうしたの!?」

と問う。その声は、セミロングヘアの少女には届いていない。

 スマートフォンを耳に当てる澪は、

「澪?どうした?」

と低い声が聞こえた瞬間、無意識に声を張り上げた。

「秋葉原、太陽騎士団の関係者が爆発に……!」

その声を掻き消すほどの爆発音が、少し離れた場所から響いた。

 「何なの!?」

「どうした!?」

スピーカー越しの相手は、愛娘に問う。

「爆発!」

そう答えた澪は、結奈と彩花に向いて

「2人は此処にいて!!」

とだけ言い、端末を持ったまま走り出した。


 セーラー服をなびかせて混乱に陥った街を走る澪は、秋葉原にいることだけを父に伝えた。既にエムレイドの刑事たちも向かっているらしい。

 刑事の娘は、局所的にオレンジ色に染まる建物に目が止まり、その場に立ち止まった。

「あ……!!」

目を見開き、声を上げた少女は自分がマップを開く。……GPSが捉えた居場所の目鼻の先……。

「旭鷲会本部……!?」

澪の頭は、混乱を起こし始めていた。

「澪!?」

娘の名を呼ぶベテラン刑事に、澪は答えた。

「旭鷲会が燃えてる!!」

「な……待て!」

そう叫んだ父……常願の顔色が変わる。そして同時に口にした。

「……何がどうなって……!?」


 数秒の間の後で、

「お前はそこから離れろ!」 

と声を上げた父に

「判ったわ……!」

とだけ言って通話を切った澪のスマートフォンが鳴る。

 「ゆ……」

「澪!何処!?」

相手の名前を呼ぼうとした澪を遮った結奈の声は、切羽詰まっている。

 「すぐ戻る!どうしたの!?」

「戻るな!」

「結奈!?」

「銃撃……っ!」

ボーイッシュな少女の声に、頭を殴られる感覚がした。

 「……2人怪我は!?」

「無いけど……!」

「そのまま逃げて!!」

そう言葉を被せた澪の瞳に、焦りが色濃く滲む。

 戻るな、と言われても2人が気になる。……あの車と旭鷲教会の爆発……1本の線で繋がる、最後の点は銃撃。

 シルバーの銃身を鞄から取り出した澪は、ブルートゥースイヤフォンを耳に挿しながら、数分前までいた場所へ戻る。

「何処……!?」

そう呟いた澪が周囲を見回すと、一際大きい銃声が響いた。思わず身構えた澪は、しかしその方向に目を向ける。

「澪!逃げろ!」

結奈の声がイヤフォン越しに響く。

「結奈と彩花を置いてなんて!」

と同級生の命令を拒絶した少女は、無意識に手首を飾るブレスレットにキスをする。唇が触れたのは、オレンジ色……カーネリアンのティアドロップ。裏に刻まれたのは、LUNAの4文字。世界一好きな名前だ。

 「流雫……あたしを護って……」

そう呟くと、澪は地面を蹴った。


 駅前は群集ができていた。次々と唱えるシュプレヒコールは

「太陽騎士団を潰せ!!」

「日本から追い出せ!!」

と、あの渋谷を思い出させる単語が並ぶ。それが次第に大きくなってくる。

 ……詩応とアルスが知れば、間違い無く2人揃ってキレる。それだけのことが、この1ヶ月半にも満たない間に続いている。そして、日本人らしくない恋人とフランス人の読みが当たっていた。

「太陽騎士団をスケープゴートに……」

そう呟いた刑事の娘は

 「何処!?」

と、イヤフォンのマイクユニットを持って問う。

「駅!!」

とだけ返ってきた答えに、澪の目線は目的地を捉えると同時に靴音を鳴らした。

 突然、大きな銃声が鳴った。それも数発。上空に向けての空砲は、しかし人々の混乱に拍車を掛けるには十分だった。

 もうすぐ、エムレイドが駆け付ける。しかし、それまで耐えられるか。それが澪にとっては気懸かりだった。

 「なっ!」

結奈の驚き声が、澪に刺さる。

「結奈!?」

と反射的に声を上げた少女の目に、結奈と彩花が逃げる様子が止まる。

 「助けなきゃ!」

と叫んだ澪の目は、怒りと焦りが交錯している。

「待ってて……」

と呟いた少女の耳に、サイレンが聞こえた。警察だ。

「……これで助かる……!」

澪は安堵の溜め息をつく。しかし、甘かった。

 「警察が何の用だ!」

「お前らも悪魔の手先か!」

と叫ぶ、ヒートアップした連中が銃を向ける警察のワゴン。中から降りたのは特殊武装隊だった。

「銃を捨てろ!!投降しろ!!」

「黙れ警察!!」

「国家権力の傀儡が!!」

拡声器から響く声を掻き消すほどの大声が上がる。既に激突寸前だった。

 ……最悪の事態になる前に、2人を逃がす。それが今のあたしのミッション……澪がそう思った瞬間、一際大きな銃声が上がった。特殊武装隊員のジャケットに銃弾が刺さった。怪我は無いが、それが引き金だった。

 「結奈!!彩花!!」

澪は叫び、ロータリーに飛び出しながら駅の改札前に走る。

「澪!?」

走ってくる女子高生を捉えたボーイッシュな少女は、思わず声を裏返した。その隣で彩花も目を見開く。

「来るなと!!」

最早怒号に変わった同級生の声に、澪は被せる。

「心配だから!!」

「澪だって!!」

そう声を張り上げた彩花に、鞄を押し付けた澪は護りたい2人に背を向ける。

 「……あたしも狙われるから……」

そう言って、澪の言葉に固まる同級生2人。その瞬間、ネイビーのスーツの男と目が合った。……やはり、全ては……。

 ……反射的にその目を睨む刑事の娘に、男は遠くから銃口を向け、斜め上を狙って撃った。

 駅の看板を狙った威嚇……にも唯一怯まない澪は、一度だけ深く息を吸って、地面を蹴る。

「澪っ!!」

結奈の声も、彼女には最早聞こえない。


 「スケープゴート……!」

前に立ちはだかる少女の声に反応しない大柄の男は

「裏切り者の手先……!」

と言った。それが誰のことを意味しているのか、一瞬で判った澪はすかさず言い返す。

「あたしは悪魔を護る!」

 ……流雫は、旭鷲教会にとっては裏切り者テネイベールの目をした、そして聖戦と呼びたいテロに屈しない、悪魔と呼びたい存在。そして澪にとっては、死んでも魂を支配されたいメフィストフェレスのような存在。だから、正義を敵に回してでも悪魔を護りたい。

 銃声と同時に、澪のすぐ隣を銃弾が飛ぶ。しかし標的は威嚇に屈しない。 

 弾倉はグリップからはみ出していない、しかしホログラムシールが無い。流雫が河月で見た、あの違法銃が使われている……そのことは間違い無い。

 ……結奈と彩花が死ななければ、そして自分が死ななければそれでいい。唯一幸いなのは、この場所に流雫がいないこと……。

「こんなの、聖戦なんかじゃない!!」

澪は強く叫ぶ。それに被せるように

「五月蠅い売国奴!」

と低い怒鳴り声が上がった。その目には殺気が滲んでいる。

 「祖国を護る戦いの何が悪い!!」

「祖国でテロを起こして、これが聖戦なの!?」

と、澪はあくまでも冷静さを失わない。それは流雫から学んだことだった。

 ヒートアップさせて理性を失わせる……何をしてくるかが読めなくなるリスクは有るものの、隙が生まれやすい。それに賭けるしか方法は無い。

 銃口がセーラー服の少女に向く、と同時に銃声が鳴った。右に揺れた身体は、しかし寸分の差で躱した。

 ……正当防衛、成立の瞬間だった。しかし、澪は撃たない。いや、撃てない。

 動きを止めるために存在する6発は、しかし射程距離が短く、もっと近付かなければいけない。それは相手に捕まりやすいことを意味する。腕を掴まれれば、無事では済まない。

 「このっ……!」

男は大声を上げた。しかし仕留められるきっかけを見つけられない。声を張り上げての威嚇も通じないし、銃弾にも怯まない。

 ……目障りな男女の存在は、男も知っている。しかし、動画を見る限り動きが鈍かったのは、単にシルバーヘアの男が奇怪過ぎて速いからだ。女が遅いのは相対的であって、絶対的ではない。そのことを、完全に見落としていた。否、怒りで忘れていた。

 「大概に……!」

と怒鳴り、片手で大口径の銃を標的に向けた男は、一気に引き金を引いた。しかし、銃弾は澪の隣を飛び、駅の改札の柱に跳ね返る。

「くっ……!」

思わず声に出した澪。このままじゃ、いずれ結奈や彩花に当たる。しかし、あと2発……。

 ボブカットの女子高生は怒りの目を向けたまま、しかし反撃に出ない。

「銃は飾りか!」

その挑発にも乗らない。ただ、指は引き金に掛けている。何時、最終手段に出てもいいように。

 「あたしは……悪魔の傀儡……。でも絶対屈しない!」

そう叫んだ澪に向けられた銃は、しかし怒りと重さで照準が合わない。

 火薬の力で打ち出された銃弾は、しかし身構える澪の脇を飛ぶ。それは男にも、澪を見守る結奈と彩花にも、澪の周囲にバリアが張られているような錯覚を引き起こさせた。

 冷静でいられれば、撃ち殺すのは容易いこと……なのに。

「何故撃たない!?」

誰かが言った言葉に、周囲が響めく。暴動に紛れて起きたデスゲームの様相を期待したかった連中も、その光景を見守っている。

「澪……!」

結奈と彩花は、ただ澪を信じるしかできない。自分たちと恋人のために、こんな事件で死なないと。

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