2-9 Puppet Of Justice
詩応の取調は1時間続いているが、未だ終わらない。取調が長引いているのは、総司祭が自分の目の前で撃たれたことや、犯人の言葉が詩応の頭を支配していて、どう話せばいいのか迷っていたからだ。そして刑事2人も、腫れ物に触れるかのような話し方をしていた。
その間に流雫と澪は、部屋の前のベンチに座りながら、小声で話していた。その間に、澪は先日流雫が言っていた血の旅団信者がアルスと云う名前だと知った。
「……血の旅団が……旭鷲教会と決別したいって……」
と澪は言った。先刻聞いた言葉が、刑事の娘にとっても予想外だった。
「ここ最近の旭鷲教会のテロ行為が、いよいよ看過できなくなったらしい。伏見さんがどう思うかは知らないけど」
と言った流雫は、
「ただ、血の旅団は言うほど悪くないと思ってる」
と続ける。
……その言葉は、澪にとって何よりも意外だった。流雫が両親と離れることになったきっかけが、血の旅団がパリで起こしたテロだったからだ。
「……アルスが言ってた。全ての信者が同じワケじゃない、と」
「でも流雫は……ノエル・ド・アンフェル……」
その言葉に、流雫は言った。
「昔の話……とは思ってないよ。忘れるワケもない。だけど、アルスが起こしたワケじゃない。だから僕は、アルスの力を借りる……そう決めたんだ」
「……旭鷲教会にも、そう云う人はいるんだろうな、とは思ってる。ただ、教団の方針に批判的だからと粛清されるのを怖れて、何も言動に出していないだけなのか……」
「……でも」
と澪が言葉を被せる。
「……もし決別したとして……どうなるの?」
「……もっと、過激になる」
数秒の間を置いた流雫の答えに、澪は
「過激……!?」
と返す。その表情は、怒りに戦慄を混ぜたように見える。流雫は頷いた。
「仮に旭鷲教会のことが明るみになっても、決別したとは云え血の旅団が教団のルーツだから、血の旅団に影響が出る。海外メディアは、そのバックボーンも突き詰めるから」
「……それ、血の旅団にとっては不都合……」
と澪が言うと、流雫は
「フランスやドイツでは活動が続いてるからね」
と続ける。
「尤も、旭鷲教会は自分たちの関与が明るみに出ることは無い、と思ってるだろうけど」
その言葉に、澪は
「……検索に引っ掛からないから?あたしもダメだったけど……」
と問う。流雫は頷く。検閲のことは今は言わないが。
「……だから、アルスが力になると言った時、助かったと思った」
そう言って目を閉じる流雫を見つめながら、澪は言った。
「……もっと過激になるって……」
「思い過ごしだと、いいけどね。……今度ばかりは」
と流雫は言って、目を開ける。その瞳には、諦めが滲んでいた。
……何度も思っては裏切られてきた、頭に浮かぶイヤな想像が思い過ごしであってほしいと。しかし、二度と叶わないことだと、既に諦めてもいる。
「何が有っても、あたしがついてるから……」
澪は、そう囁くのが精一杯だった。こう云う時、それしか言えない自分に苛立ちを感じる。ただ、それが現実だった。
犯人が逮捕されたのは正午過ぎだった。しかし高校生3人が解放されたのは、夕方だった。それは、取調で話す中身が多岐に亘ったことを意味する。
流雫や澪も、現時点で話せることは話した。ただ、検閲の話題は明日に回すことになった。警察側の都合だし、澪も望んでいるだろうと、今日は久々に澪の家に泊まることになった。
通信障害は未だ復旧の見通しが立たないため、警察署の電話機からペンションに連絡を入れた流雫と、父に遅くなり過ぎないようにと釘を刺された澪は、相変わらず沈んだままの詩応の3人と、新宿駅へ戻った。
雨足は、数時間前に戦っていた時よりも幾分強くなっている。天気予報のアプリでは、雨は夜中まで降り続くらしい。
空腹の3人は、ひとまずカフェに入ろうとした。端のテーブル席に通された3人、しかしホットサンドを頼む2人に対し、詩応だけはホットのラテだけをオーダーした。……空腹ではあるのだが、口に固形物を入れる気にはならない。
「……詩応さん……?」
澪は、隣に座ったまま先刻から表情を崩さないボーイッシュな少女の名を呼ぶ。
「……邪教の傀儡……」
と彼女は呟く。
……女子高生2人が取り押さえていた犯人は、澪の父に連行される寸前、3人に向かってそう叫んだ。遠吠えに過ぎない、と刑事2人は思っていたが、日本人らしくない少年とその恋人はそう思わなかった。
……新たな宣戦布告と云う刃を、心臓の真上に突き付けられている……その覚悟を求められている気がした。
そして詩応は、未だ沈んだままだった。何と言ってやればいいのか、2人の高校生には正解が見えない。それは彼女自身と、名古屋弁を話すポニーテールの少女、真だけが知っている。
……教会に戻れば、昼間の件についての緊急の話が有るだろう。しかし、今の詩応には辛過ぎる。逃れるワケにはいかないのだろう、が……今日だけは逃れたい。
流雫は詩応に何も言わない。……後ろめたい。血の旅団信者と水面下で結託していることが彼女に知られれば、いよいよ詩応は流雫を避けることになる。
流雫自身、詩応とは仲よいワケではないから、最悪それはそれで構わないことなのだが、これが原因で澪と彼女の関係に亀裂が入ることだけは避けなければならない。
やがてホットサンドが運ばれてきたが、流雫は自分の前に置かれた皿を何も言わず詩応の前に動かす。
「……流雫?」
とだけ呟いた詩応に、流雫は
「僕はほら、機内食有ったし」
と被せる。
着陸2時間前の機内食は、小腹を満たす程度。しかも、それから7時間以上経っている。正直空腹ではあるのだが、しかし何より詩応が気になる。
折角差し出されたのだから、手を付けないワケにもいかない。そう思い、
「……じゃあ……」
とだけ言って、半分にカットされたうちの半分を手にする詩応。
ベーコンとチーズのシンプルなトッピングが美味い……ハズだが、味がしない。味覚を鈍らせるほどに参っている……酷い言い方をすれば重症だった。
一口だけ囓ったホットサンドを皿に戻した詩応は
「……どう云うことだ……?」
と問うた。その目は、流雫に向いている。
「……血の旅団と旭鷲教会が決別とは……」
……今、詩応がこの話をこの場でするとは思わなかった。彼女がどう思うか、そう思えば、この話はタブーだと流雫は思っている。しかし、彼女から振られてきた以上、避けるワケにはいかない。
流雫は覚悟の溜め息をついて、切り出した。もう、後戻りはできない。
「……フランスで話を聞いたんだ。血の旅団の信者に。偶然知り合って。……そして、彼を頼ることにしたんだ」
その言葉に
「頼る……?血の旅団に……!?」
と反応した詩応は流雫を睨む。無意識だった。しかし、流雫はそれに怯まない。
「……伏見さんにこの話をするのはタブーだと思ってた。でも、旭鷲教会の実態を掴むには、これしか無いんだ。日本からじゃ、知りたい情報にアクセスできないから」
「流雫、アンタ……」
「……血の旅団の信者と仲よくなってでも、僕は真実に触れたい。それで澪と平和に生きられるのなら。僕も澪も伏見さんも、二度と泣かなくて済むのなら」
そう言った少年のオッドアイは、悲壮感の奥深くに強い決意を滲ませていた。
……流雫とは相容れないが、詩愛姉の死の真相に触れられるなら、仲よくなるしかない。そう思っていたアタシと何ら変わらないじゃないか。ただ、相手が誰かと云うだけで。
そして、本来憎むべきハズの血の旅団の信者の手を握ったことは、それだけ流雫の覚悟が重いことを意味していた。宛ら、悪魔と手を組むような。その結末がどうなっても怖れないのか……。
……流雫は相容れないが、やはりアタシは敵わない。詩応はそう思った。
それだけに、姉の死に関しての態度だけが一層癪に障る。悪いのは射殺した犯人であって、助けようとした流雫ではない。しかし、そう言ったところで、彼は聞く耳を持たないだろう。不可抗力、その言葉自体が地雷であるかのように。
「……日本では手に入らない情報……?」
と言った詩応に、流雫は
「……旭鷲教会にとって、日本国内に知られては不都合過ぎること……」
と続ける。
……とてつもないブラックボックスをこじ開けようとしている……。2人の話を隣で聞いているだけの澪には、そう思えた。
カフェを後にした3人は、ふと新南改札に戻ることにした。列車の新宿駅通過措置は解除され、何時もと変わらない光景に戻る。地面の血痕も綺麗に取り除かれ、1日ニュースに触れていなければ此処で事件が起きたとは判らないほどだ。
……弱いとは言えないほどに、雨が降っている。シンジュクスクエアの段差に組まれたLEDの光が、地面に反射していた。それは、まるで幻想的で……そして悲しい舞台のようだった。
「……」
詩応は突然、外に飛び出してその最上段に立つ。傘も無く、服の上から身体を濡らしていく。
「詩応さん……!?」
と澪が声を上げたが、彼女はただ厚い雲に覆われ、雨粒を落とす夜空を見上げるだけだった。泣いているのを、雨で隠すかのように。その眼差しは、何時かの流雫のそれとよく似ていた。
……星無き空を見上げて立ち尽くす、ショートヘアの少女。4月の雨の冷たさは、その身体に戦慄と覚悟を刻み付ける。そしてあの言葉が、今も脳に甦る。
邪教の傀儡。ソレイエドールの意のままに操られているだけ、と云うのか……。
敬虔な信者、しかし最大限蔑むように言い換えれば、神の傀儡。そしてあの連中にとって、太陽騎士団は邪教でしかない。
流雫や澪にとってはノーダメージだった言葉が、詩応には深く突き刺さる。自分だけでなく、自分以上に敬虔だった姉も、バカにされている気がするから。そして、今の彼女は、それに抗うだけの言葉を持ち合わせていなかった。
……見ていられなかった。澪は流雫と一瞬だけ目を合わせ、小さく頷いて離れる。その瞳は
「あたしに任せて」
とだけ伝えていた。
そして少女は、詩応の背中に身体を重ねる。
「……澪……?」
「詩応さん……」
独り佇んでいた少女の名を囁いた澪の手は、詩応の頬を包む。
……彼女が、犯人の顔面を銃で殴るとは思っていなかった。あの時泣き叫んでいた感情の反動からか。泣いていた理由は判らない、しかしあれだけ取り乱していたのだから、恐らくは最初の犯人と一悶着有ったのだろう。
……詩応さんの声を無視して、隣にいればよかった。彼女を1人にしなければよかった。
今更そう思っても、ただ覆らない結果に後出しで言い掛かりを付けているだけに過ぎない。それぐらい、判っている。でも、彼女の嘆きを少しだけでも癒やすことは、できたかもしれない。
……頼りないとしても、今だけは名古屋にいる彼女の恋人の代わりになりたかった。彼女にとっての見知らぬ地で、彼女を独りにさせたりしない……。
詩応の背に顔を埋めた澪は、ただか細い声で
「詩応さん……」
と名を呼ぶだけだった。しかし、それは彼女に姉との記憶を甦らせる。
詩愛には、妹を抱く時にクセが有った。後ろから抱くのは、妹が前を向かなければならない時だった。そして今、澪は後ろから……。
……複雑に絡まって纏わり付く感情を振り切って、歩かなければならない。こんな場所で立ち止まっているワケにはいかない。もし今、姉がこの場所にいたのなら、恐らくこうして抱いていただろう。
「私がついてる。だから心配なんて無いよ」
と言って。
……姉の死は既に振り切った……そう思うことで遣り過ごしてきた。しかし、現実はそうではなかった。完全に第三者でしかない流雫の態度は癪に障るが、アタシ自身も或る意味同じ……。そう思い知らされた。
詩応は
「……澪……」
とだけ声に出した。
……昼間、流雫は犯人に自分がテネイベールの化身だと言った。目の色が同じと云う偶然を使った、単に相手を挑発するためでしかなかったことは判っている。
しかし、有り得ないがもし、彼が本当にそうだったとするなら、澪はソレイエドールの化身ではないか、と詩応は思った。大事にしたいと思う人への献身的な愛情、これが澪の真の強さなのか。
そして、その1人に自分が入っていることが、何か嬉しかった。
詩応の頬と澪の手を濡らす無数の雫の正体は、最早判らない。しかし、抱えた嘆きが溶け出していくように思える。
ディストピアの果てで踊ろうとする少女をエスコートする女神。流雫には澪がそう見えた。そして澪も、詩応に救いを求めていた。
……詩応が邪教の傀儡呼ばわりされた。それは太陽騎士団の、ソレイエドールの傀儡と云うこと。そして、誰もが何らかの傀儡だと云うなら、澪は正義の傀儡で、流雫は銃の傀儡だった。
銃を撃つことは、悪魔と踊るようなもの。かつて流雫は、澪にそう言ったことが有る。それでも悪魔の手を握らなければ、生き延びることなんてできない。
……ふとしたことで甦る、火薬が爆ぜる音と掌を支配する反動。それは、宛ら悪魔の呪い。それに苛まれても、立ち上がるしかない。逃げられないなら、逃げ切るために戦うしかないのだから。綺麗事も泣き言も、言っていられないのだから。
……だから、銃の傀儡。僕を揶揄するには、何より適しているのかもしれない。そう思う流雫は、しかし澪が正義の傀儡、そして詩応が邪教の傀儡と呼ばれたことには、真っ正面から噛み付きたかった。そうやって2人をバカにされることは、見ていられなかった。
雨に濡れながら泣く2人を、流雫はただ見つめるだけだった。それしかできないことに、無力感を抱える。澪への愛情だけでは、慰められない。
美桜……。僕はどうすれば……2人の嘆きに触れられる……?
降り頻る雨に打たれる女子高生2人。
「詩応さん……」
澪は何度も囁く。その優しい、慈悲に満ちた声を、一生忘れない……詩応はそう思った。
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