3-9 Scheme For Ideal World

 ……フランス人の言葉は、目の前にいる日本人の頭に突き刺さった。

 タケオ・イノウエ……井上武雄。享年58。自由党の元幹事長。

 昨年3月、国会議事堂に侵入した犯人グループに、報道陣の目の前で刺殺された。その場で自殺した犯人の正体は、正体不明の外国人とだけ判っている。

 商業的に大失敗に終わった東京五輪に代わる、新たな経済復興策としてインバウンド復活を掲げた。しかし、それが外国人犯罪の激増と凶悪化を招いたとして、売国奴だの何だのと所謂右派から死後も叩かれている。殺害動機も、その絡みだと言われている。

 流雫はこの襲撃事件をフランスで知った。パリに着いた日のことだった。すごいことになっている、としか思わなかったが……。

 その井上は20代の頃に太陽騎士団に入信後、血の旅団信者となって信仰を続け、同時に国会議員としても活動。その立場から、教団内での地位も高かった。

 教団の本国フランスに渡航した際、ノエル・ド・アンフェルを立案し、作戦を実行に移させる。しかし、日本政府が血の旅団を活動禁止処分にしたことは最大の誤算だった。

 そして、自由党に在籍しながらも秘密裏に旭鷲会にも籍を置いていたことを活用し、血の旅団をベースとした旭鷲教会を創設した。理由は、血の旅団の代わりになる宗教団体を信仰上の基盤にしたかったからだ。


 「自分が代表にならなかったのは、首相になりたかったからだ。二足の草鞋は無理だと思ったんだろう。だから代表には部下を置いた」

と言って話を締め括ったアルスを、唇を噛んだまま見つめる流雫。……何を、どう話していいのかも判らない。ただ、

「何故……」

と云う言葉しか出ない。

「日本人が、フランスでテロを起こした……」

「あくまで、最初に提案しただけだ。それに乗っかった連中が、具体的に作戦を練った。……それが、イノウエの側の言い分だ」

と答えたアルスは、

「暗殺は気の毒だったが、あのテロを起こしたのだから、或る意味因果応報……なのかもしれんな」

と続ける。流雫は、ただブロンドヘアの少年の、ブルーの瞳を見ながら唇を噛むだけだ。

 「……だが、暗殺された理由は……インバウンドの失策に対する義憤……なんかじゃない」

その言葉に

「え……?」

と、流雫は小さく声に出す。

「失策ごときで殺されるワケがない。それも、国会と云う場所で、報道陣が屯する前でだ。……仮に口封じだとしても、何もかも無茶過ぎる」

とフランス人に、流雫は問う。

 「……無茶でも、見せしめにするべき理由が有った……?」

「もしそうなら、お前は……誰に対してだと思う?」

アルスの問い返しに、流雫は数秒経って

「……それこそ、欅平千寿……」

と、呟くように言った。アルスの目が見開かれる。彼自身、流石にその男だとは思っていなかった。

 「……ルナ?」

「……暗殺の犯人の正体は判らない。ただ、あの犯行自体に、メッセージ性を含ませているとすれば……」

「お前も生きたいなら黙れ、とでも?」

その言葉に頷く流雫は、故郷の言語と言えど周囲を警戒しながら呟く。

「インバウンド再開の裏で……何が有った……?……銃社会化のシステム構築……?」

その瞬間、2人の脳で組まれていたパズルの、マスターピースが綺麗に填まった気がした。

 「……インバウンドは、スケープゴート……」

2つの声が重なった。


 インバウンド再開で、多数の外国人が押し寄せ、経済復興策としては多大な成果を上げた。だが、その裏で外国人犯罪が急増した。それがきっかけで銃の所持と云う意見が生まれた。

「……インバウンド再開で、外国人犯罪が増えることは最初から計算済みだった」

「寧ろ、増えることを狙っていた。もし、OFAの実行犯が事件を起こせば、それは外国人犯罪としてカウントされるから」

と流雫は返す。それは、アルスが以前言っていた。

 「その功罪が議論される裏で、銃社会化のシステム構築が始まった。そして銃所持への意見を生み出し、自ら裏で旗振り役として世論を動かそうとした人物がいる……」

そう言った流雫に、アルスは問うた。

「……まさか、イマリとやらか?」

流雫は頷いた。伊万里雅治……その名を口にするだけで、今でも苛立つ。

 「伊万里は、井上のインバウンド政策を必死に非難していた。ただ、奴らの接点は旭鷲会。そもそも日本人ファーストを掲げる政治団体の連中が、訪日外国人に依存する政策を積極的に選ぶとは思えない」

「イノウエは政府与党の立場から、そうせざるを得なかった?」

「だと思う。本人にとっては不本意だろうけど、自由党での仕事だからと割り切った……?」

と流雫は答えた。

 ……佐賀県を地盤とし、旭鷲会に籍を置いたと云う接点が2人に有る。演説での口振りとは裏腹に、不仲だとは思えない。

 インバウンド再開と外国人犯罪の急増を、各々の手駒を使って結び付ける。新たな産業と新たな社会に向けた動きとその真相を、何が何でも隠し通すために。

 そしてアルスは、溜め息をついて言った。昨日のアリシアとの遣り取りで、もう一つ有った核心。

「旭鷲教会は、当初は単に旭鷲会の傘下と云うだけで、過激派と云いつつも特に危険な集団じゃなかった。初めて起こした事件は、去年のカワヅキの教会爆破だ。……その直前、イノウエが旭鷲教会を追放されてる」

その言葉に、流雫の目付きが険しくなる。

「理由は判らん。だが、その頃から教団同士の関係に陰りが見え始めた。そしてイノウエが殺され、今年に入って……後はお前も知ってる通りだ」

「……あの暗殺は、やはり口封じと見せしめと……」

「邪魔者の排除、だろうな」 

アルスが言うと、2人は同時に一際大きい溜め息をついた。

 「トップシークレットの理由も納得いく……」

「看過できないがな」

と言った男子高校生は、ふと時計を見る。……もう1時間が経っている。本来の下校時間だ。

「……帰るか」

そう言ったアルスに、流雫は頷く。しかし、話の中身が中身だけに、重苦しい表情を浮かべている。

 「……ところで、来月のル・マン、何処が勝つと思う?」

と、アルスは話を振り、流雫はそれにアルスとは異なる答えを出した。

 ……流雫は、母アスタナが生まれ育ったと云う理由で、あの街が好きだ。アルスはそのことを知っている。だから、1ヶ月後に迫った街で最も大きなイベントの話題で、少しでも気晴らしになるとよいが、と思っていた。そして、その読みは当たっていた。


 翌日、澪は寝不足のまま中間試験を終えた。午前中だけだからよかったが、最後の科目は少し眠かった。

 ……昨夜、最愛の少年との通話を録音しながら、澪は愕然としていた。

 ……元幹事長襲撃事件の直前、澪は地下鉄爆破事件に遭遇した。怪我しなかったのは不幸中の幸いだった。列車は永田町に緊急停車したが、それが大事件の予兆だった。……その事件も、全て今直面している脅威の伏線だったとは。

 流雫の声は普通だったが、あくまで冷静を装っているのは話していて判った。1年以上、流雫とは一緒に戦ってきて、恋人として過ごしてきたから、それぐらいは判る。

 ……これが週末なら、河月に行きたかった。アルスが見ていても構わない、流雫を慰めたかった。

 「澪、帰ろう」

と誘ってくる2人の少女。ライトブラウンのセミロングヘアで、ボーイッシュな性格の立山結奈。黒いロングヘアを大きな2本の三つ編みにし、眼鏡を掛けた少女の黒部彩花。

「うん」

とだけ答えた澪は、鞄を手にした。

 ドーナッツ屋に入った3人は、試験が終わってリラックスモードに入った。

「やっと終わったね」

と結奈が言ったのを皮切りに、何時もの他愛ない話が始まった。

 テーブル席の向かい側に座り、楽しそうに話す同級生2人を、大事にしたい。澪はそう思いながら、レモネードを口にする。

 ……この1年、澪の表情は浮き沈みが激しい。理由は知っている。それだけに、年頃の少女らしい表情は2人を安堵させた。

 大切にしたい人のために、自分を後回しにすることを躊躇わない。刑事の娘と云うプライド以前に、彼女の性格故のものだ。決して見捨てない、仲間外れにしない。

 だから、結奈と彩花も澪を見捨てない。時々冷静さを欠いて無茶するけど、根底に在るものは変わらない。カッコいいヒロインになりたいのではなく、ただ大切にしたい人に生きてほしいから。ただ、あまりに不器用なだけだ。

 「それはそうと、澪は将来どうするの?」

と彩花は問う。そろそろ粗方決めないと、担任教師が五月蠅い。

「……刑事かな」

と澪は答え、微笑んだ。

 ……トーキョーアタック以降、2年近く父の仕事を間近で見てきて、何時しかそう思うようになっていた。

「澪が刑事なら、東京も安心じゃない?」

と結奈は言い、彩花も

「それなら、東京に住み続けるわ」

と続ける。

 ……来年、高校を卒業する。結奈と彩花は恋人恋人同士のままだし、同士のままだし、2人のためにも、テロなんかで絶対死なない……何度も言い聞かせてきた言葉が、頭に甦る。

 「澪は、そのうち流雫くんと同棲するの?」

彩花が然り気無く放った言葉に、澪は

「へ?」

と不意打ちを食らった声で返し、時間差で頬を真っ赤にしながら

「流雫がいいなら、反対する理由は無いわよ」

と言い返す。まさかの反撃に、2人は逆に戸惑った。偶には仕返さないと、と澪は微笑んだ。

 ……この茶番ですら、何時かは懐かしくなるだろう。だから、こうしていられる時間を、澪は目一杯楽しみたかった。


 1時間あまりをドーナッツ屋で過ごした後、2人と別れた澪は1人、臨海副都心へ向かった。目的は、臨海署。朝、流雫から聞いた話を大まかに話したが、父は詳細を求めて自分の職場へ呼び出していた。

 受付でセーラー服の少女を出迎えた父は、応接室へと娘を通し、早速話を切り出した。澪は録音していた通話を再生する。

 父の顔が険しくなり、途中で止めるよう娘に言った。

「……寸劇じゃないだろうな」

と低い声で続けたベテラン刑事に、澪は

「それなら、もっと上手にやってると思うわ」

と返した。

「……こう云う形で、あの名前を耳にするとはね……」

 台風の空港で、伊万里に銃口を向けられたことを思い出す。……流雫が手を支えたから、あたしは撃てた。流雫を護れた。そして、銃を撃つことがどう云うことなのか、思い知らされた。

 その名前は、今でも口にすることを避けたがる、澪にとっての一種の地雷だ。

「話の出処は?」

「レンヌの、血の旅団の司祭らしいわ。それもかなりの上位」

「……旭鷲教会の議員から、捜査を止めろと猛抗議が来るだろうな」

言った常願は、逆に口角を上げた。娘は

「……楽しんでない?」

と問う。父は戯けた表情を浮かべながら、しかし刑事としてのプライドを滲ませて言った。

 「猛抗議は、図星の証だ。それに、上からそう命令されたとして、真相を葬ることはできまい。最早、日本国内で片付く話ではないからな」

「日本の警察が動かなくても、フランスの警察が黙っていない……?」

そう問うた娘に、ベテラン刑事は

「その通りだ」

と答え、続きを再生するよう言った。


 土曜の正午過ぎ。河月のペンション、ユノディエールに黒い車が乗り付けた。降りたのは、グレーのスーツを着た男2人と、デニムジャケットを羽織った少女1人。男の名前は室堂常願と弥陀ヶ原陽介、そして少女の名は室堂澪。

 3人を迎えたのは、流雫だった。澪にとって、流雫と毎週会えるのは嬉しいが、今日は日帰りだし何より遊びじゃない。父の仕事の同行だ。

 共用リビングで、鐘釣夫妻が淹れたコーヒーを囲む5人。数日前、フランスからの留学生がもたらした話についての詳細を聞き出すためだった。

 アリシアは日本時間の昼過ぎからなら、ビデオ通話で立ち会えると言っていた。そのために、東京からの来客はこの時間に着くようにしたのだ。

 テーブルに置かれた、アルスのスマートフォンを介しての取調は、流雫の通訳と翻訳アプリで整合性を確かめつつ、と云う慎重さだった。それが事の大きさを物語っている。

 血の旅団の教会で、赤毛の少女はスマートフォンに向かって司祭から聞き出した話を改めて語る。

 「何故、今までトップシークレットだったんだ?」

と弥陀ヶ原が流雫を通じて問う。

「フランスに、今の太陽騎士団日本支部の総司祭がいたから」

「……何?」

その声に先に反応したのは常願だった。

「レンヌの太陽騎士団教会爆破も、旭鷲教会の仕業……。その直後に日本へ戻り、前総司祭の暗殺を受けて総司祭に就任した。フランス当局も、その動きを突き止めた。……でも」

「何だ?」

今度は弥陀ヶ原が問う。アリシアは問い返す。

 「初耳なの……?警察の、テロ専従なのに?」

その一言は、2人の刑事だけでなく3人の高校生にも、一つの結論を突き付ける。

 「……上が情報を止めた……」

真っ先に口を開いたのは、澪だった。

 トーキョーゲートを機に創設されたエムレイドが、旭鷲教会の信者である国会議員には、逆に頭痛の種だった。自分の利権や保身に関わるとなると、話は別だ。間違っていない……誰もが、そう確信していた。

「でも、止められない。これは日本だけの問題じゃない」

とアリシアは言った。以前、常願が言った通りだ。

 日本人がノエル・ド・アンフェルに加害側として関与している以上、国際問題になる。そして、この取調も血の旅団とフランスの当局が協力している。常願の頼みを受けた流雫の通訳を引き受け、セッティングされたものだ。特異な過去と交遊関係が、こう云う形で役に立つとは、流雫自身思っていなかった。

 更には、今日の刑事2人の動きも、エムレイドの一部が起こした単独行動だ。表向きは、首都タワーの件で重要参考人に再度会ってくることになっている。それはそれで間違っていないのだが。

「……インターポールの捜査協力は、日本側が拒絶するだろう。政府が認めるワケがない」

弥陀ヶ原の言葉に被せたのは、流雫だった。

 「……日本が動かないなら、動かざるを得ない環境にするだけ……」

その言葉に、澪は

「……どうやって?」

と問う。その会話を翻訳アプリで追ったアルスは、口角を上げた。……思っていることは同じか。

 流雫はそのフランス人を見ながら、頷いて言った。

「フランス発のスクープ記事を飛ばす」


 フランスの通信社に、この情報を流して日本に関するスクープ記事を飛ばすよう頼む。そして、海外から外堀を埋める。海外からの捜査要求が相次げば、日本の警察も翻意せざるを得なくなる。……本当に上からの圧力で動かない、動けないのであれば。

 そして、国際問題として政府も説明を迫られる。日本国内で通じる曖昧な説明は、海外には通じない。ましてや、日本と云う国の信頼や威厳に関わる。内政干渉だの何だのと言って、曖昧にはできない……。


 室堂父娘と弥陀ヶ原は、元フランス人の少年の言葉に唖然としていた。そして、それしか無いのだと思い知らされ、覚悟を求められていた。

「……流石、アルスが認めただけあるわ」

とアリシアは流雫に言って、

「日本から得られた情報は無い。逆に言えば、日本からの漏洩は無い。あくまで、フランス国内で知り得た情報が全て。だから其処の刑事たちにも、リスクは無いわ」

と続けた。

 赤毛のフランス人にとっては、兎に角祖国と2つの教団にとっての脅威を排除できればいい。それは、流雫の隣にいるブロンドヘアの恋人も同じだった。

「……何か、パンドラの箱みたいだ……」

と流雫はフランス語で言った。

 ……希望は残っていると思いたい。ただ、その前に小さくない混乱が押し寄せることは、日の目を見るより明らかだ。

「……行けるとこまで行って、死ぬべき場所で死ね。……ただ、僕たちは死なない。クレイガドルアの傀儡に殺されるワケなんてない。死ぬべき場所はテロじゃない」

そう言った流雫を、フランス人カップルは軽く笑った。この日本人と知り合えたことを、誇りに感じていたからだ。全てが終結しても、仲よくできそうだ。

 「早速パパに話してみるわ。数日中には配信できるかも」

とアリシアが言う。

「え?」

と流雫が声を上げる。赤毛の少女は答えた。

「あ、パパ……アジェンス・フランセーズの記者よ」

 アジェンス・フランセーズ。日本ではAF通信社として知られる。世界有数の通信社で、近年は自社でニュース動画の配信も行っている。フランス贔屓だからだが、流雫はニュースサイトで最も信頼している。

 その記者、リシャール・ヴァンデミエールはアリシアの父。新人だった頃、ノエル・ド・アンフェルに遭遇しながら、そのまま現場を取材し、その生々しい記事で有名になった。今は専ら国内問題を取材している。

「パパも、ノエル・ド・アンフェルには今でも思うことが有るから」

そう言ったアリシアに、流雫は

「……サンキュ、アリシアもアルスも」

と言った。それに続くように常願が礼を言う。……日本の警察としては非常識なのだろうが、それに賭けるしか方法は無い。


 そのまま帰るのも癪だからと、流雫と澪は河月湖に行った。1時間だけなら、と刑事との約束だった。

「……決戦前夜の静けさ……なんてね」

と戯けた澪の表情は、しかし明るい。予想外の伏兵の存在と、その助け船に期待していた。

「僕たちにできることは無いよ。後は、流れに任せるだけ。ただ、テロが起きれば……」

「あたしは死なない。流雫も殺されない」

その言葉に頷く流雫。

 ……何度も、こうして言い聞かせてきた。あたしには、流雫がいる。僕には、澪がいる。そうやって最愛の存在を感じながら、脅威に屈することなく、戦ってきた。

 綺麗事じゃ生きられない、それがたった一つの現実。だから、死なないために、殺されないために、戦うしかない。何時かは、二度と銃を……犯人と云えど人に向けなくてよくなるように、と願いながら。

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