4-4 Curiosity For Progress
期末試験が終わったのは、渋谷の事件から3週間近く後のことだった。梅雨時期に突入したが、今日は1日中曇りの予報だった。明日からまた降るらしい。
最後の科目が終わると、放課後になる。流雫は何時ものごとく、誰と言葉を交わすこと無く、駐輪場に向かった。
愛車のネイビーのロードバイクに跨がると、スマートフォンでナビアプリを起動させる。指定したのは、河月市の西端。郊外の住宅街から更に外れた地区で、安い土地を活用した産廃処分場と工業団地が有るぐらいだ。
自転車で約40分。流雫はペダルに足を掛けた。
流雫は一度、その場所に行ったことが有る。OFA山梨支部が警察の強制捜査を受けた日、澪からその一報を聞いて興味本位で。尤も、その場で澪の父に出会して河月署へ連れて行かれたのだが。
その時と同じ道路を走る流雫。河月市を東西に貫く国道から少し奥まった旧道は、多少狭いものの車も少なく走りやすい。昨日まで降っていた雨も路面には残っていないから、滑る心配は無い。
40分より僅かに短い時間で、ナビが示す場所に着いた。
シャッターが閉ざされてはいるが、屋内の照明は点いている。それがOFA唯一の地方支部、山梨支部のビル。しかし、目的地は其処ではなかった。
その建物の脇から細めの道が通っている。地図上ではすぐに行き止まりだが、OFAの裏となるとそれしか無い。流雫はカモフラージュも兼ねてサイクリング用の安いサングラスを掛けると、低速ギアに入れてペダルを漕ぎ始めた。
大型車1台分の幅の道路は登り坂だが、距離は短い。特に息を切らすこと無く走りきったが、木々に囲まれた平坦な土地に、建物が3棟密集して建っているだけだ。
それが、旭鷲教会の建物群。敷地内は見る限り未舗装で、看板も何も無く、これが渦中の集団の施設だとは、言われなければ判らない。ただ、特別疑わしいようには見えない。
周囲を見回す流雫は、入り口の前に細い道を見つけた。車1台分だが、舗装状態は意外とよさげだ。
……大凡無関係だろうが、何故か気になる。流雫は自転車をゆっくり走らせることにした。
300メートル走った先の行き止まりは、トンネルの入口だった。脇には河月隧道と銘板が埋められている。
国道のトンネルが整備される前は、このトンネルで隣町と結ばれていた。その開通後は役目を終えたとして、途中にコンクリートの壁が盛られて閉鎖された。
今はその入口にフェンスが張られ、上では監視カメラが回っている。看板などは無いが、誰かが使っているのか。
流雫はスマートフォンを取り出し、その周囲にカメラのレンズを向けながら近寄り、シャッターボタンを押す。
フェンスの奥は照明が無く暗いが、何かが山積みにされていることだけは判る。限界まで近寄ってみたが、LEDライトを使ってもビニールシートで覆われて何も判らない。それでも、シャッターを切る流雫。
「思い過ごしかな……」
そう呟いた流雫の足元に、黒い筒らしきものが見える。その瞬間、後ろからクラクションが鳴った。
「何をしている!?」
白いワンボックスから降りてきた男は、サングラスを掛けた少年にそう怒鳴る。何か取り繕わなければ、と思った流雫は自転車の鍵を落とし、
「あ……えっと、趣味で酷道や廃トンネル巡りを……」
とだけ言う。
「此処も前はトンネルだったようだが、今は見ての通り封鎖だ。今は俺らが、建設資材の倉庫代わりに借りている」
と、ぶっきら棒に言う男に
「封鎖か……。残念だな……帰ろう」
とだけ呟いた少年は、男が車に戻ろうと背を向けた、と同時に鍵……と筒を拾い上げてポケットに入れるとロードバイクに跨がり、ブルートゥースイヤフォンを方耳だけ挿すと、下り坂をペダルを漕がず走らせた。
教会施設の入口前まで戻ったが、流雫は一度止まる。
……廃トンネルに向かったのは数分前。その時には無かった茶色のタイヤ痕が、アスファルトに乗っていた。それは教会施設入口から廃トンネルへと続いている。
……たった今出会した、あの1台が残した。流雫はその痕を写真に残すと、何事も無かったかのように下り坂へタイヤを向けた。
……何事も無く、終わるワケが無い。流雫はそう覚悟し、すぐに引っ掛かった信号待ちでメッセンジャーアプリを開く。澪のアイコンをタップし、今の写真を一気に送信した。
特に車が多い交差点では、スタートの瞬間に後ろを振り返るのは流雫のクセだった。ルーティーンで向けた目線の先に、先刻見たワンボックスがいる。
予想通り……か。そう思った流雫は、しかしどう撹乱させるか迷っていた。
国道も旧道も片側1車線。ただ、他の車の邪魔になることはどうでもよく、自分をひたすら狙ってくるだろう。撃ってくるか、幅寄せしてくるか……ただ殺しはしないだろう。あくまでも追われた末のライディングミスを誘うか装う……か。
ワンボックスのライセンスプレートの表記は都内。それだけで断言はできないが、土地勘のアドバンテージが有る。あとは、自転車故の幅の狭さを武器に振り切るしか無い。流雫はそう思いながら、ペダルを踏む足に力を入れた。
……ヘルメットからはみ出たシルバーヘア、それだけで追ってきた可能性は有る。しかし、恐らくは先刻拾った筒が鍵を握っている。
……直方体の筒、それは弾倉だった。自分の銃のグリップに近い太さだから、恐らくは大口径用か。中は空のようだが。
「何の写真?」
と澪からのメッセージが届いた。彼女も今日まで期末試験だった。流雫は通話ボタンを押した。
「流雫?」
突然の連絡に、疑問に満ちた声を上げる澪。
「河月で追われてる」
「追われ……!?でもどうして?」
少し焦り気味の恋人に、流雫は答えた。
「……旭鷲教会に行った」
「……また?」
澪は少し呆れ口調になる。1年前の前科が有るからだ。流雫は好奇心旺盛ではあるが、時折褒められない部分が有る。ただ、それがターニングポイントにもなっているから、澪は怒るに怒れないのだが。
「ただ、情報は掴んだ」
「え?」
と声を上げた澪に、流雫は答えた。それで間違いないハズだ。
「……違法銃の保管場所」
「……父に言ってみるわ。流雫……無茶はダメだよ?」
と恋人が諭したが、元凶が言うのも何だがもう遅い。
「判ってる。また」
と流雫が答えると、通話は切れた。
「……バカ……!」
そう呟いた澪は、父のスマートフォンを鳴らした。
「どうし……」
「流雫が追われてる。河月で!」
と、父の言葉を遮った娘の声に、
「追われてる?」
と更に問う。
「教会の秘密を掴んだって……!」
「……弥陀ヶ原に行かせる。河月にいるからすぐに合流できるだろう」
と言った父は一方的に通話を切り、後輩刑事の名前をタップした。
弥陀ヶ原は朝から河月にいた。件の強制捜査に絡んだ捜査の一環だった。先輩刑事からの一報を受け、「今度は何を掴んだ……?」
と呟いた弥陀ヶ原は、黒いセダンに飛び乗りながら、以前常願から聞き出していた流雫の番号を呼び出した。
流雫がイヤフォンのボタンを押すと同時に、画面に雨粒が落ちる。
「雨……」
ロードバイクのタイヤでは滑りやすくスピードは出しにくい、しかし……もっと降れば勝機は有る。流雫は一度自転車を止める。ワンボックスは、流雫との間を走る観光バスに引っ掛かっている。追い越したいが、対向車線に出て一気にパスするだけの距離が無く、運転席に座る男の苛立ちは増していく。
流雫はその隙に、撥水生地の通学用バッグにスマートフォンと弾倉を入れ、スタートを切った。それと同時に、イヤフォンから着信音が聞こえた。
「何処にいる!?」
と弥陀ヶ原の声が聞こえた。澪からの一報を聞き付けたのか……そう思った流雫は、
「旧道……!」
と答え、ワンボックスと自分の特徴を伝える。
「判った、すぐ向かう!このまま切るなよ!!」
と弥陀ヶ原は言うと、LEDの赤色灯を光らせ、サイレンを鳴らした。
……10分もしないうちに、弥陀ヶ原と合流できるか。しかし、それまで振り切れるとは思っていない。そして、対向車線の列が切れたと同時に、4台の観光バスを対向車線から一気に追い越そうとする。ハイビームとクラクションでウォータースクリーンを切り裂き、エンジンを一気に回す。
……後はどうにかして逃げ切るしか無いが、先刻より雨脚が強くなった。制服のズボンやシャツが濡れて肌に張り付くが、仕方ない。
先の信号は歩車分離式。そして信号は歩行者の青。自転車は歩行者信号に従う……行ける。流雫は右に曲がった。その動きがバレるが、それでいい。
国道との交差点でも信号に引っ掛かったが、ワンボックスは2台の車を挟み、後ろ。そして2台は左に曲がろうとしている。流雫は直進を選んだ。しかし、アスファルトを激しく叩くこの豪雨なら行ける。交差点の先が、南部のアウトレットへと至るNR線のアンダーパスだからだ。
信号が青になった。水溜まりで蹴り出しが重いが、流雫はそれに抗い、歩道に乗り上げた。ワンボックスはそのまま直進する。
車道は歩道より低い位置を走るが、その先で合流する。そこで、速度差を活かして先回りすればいい……。男は鼻で笑いながらアクセルを一気に踏んだ。後はあのガキからブツを……。
その瞬間、背後で赤い赤色灯が回った。流雫はトンネル部分に入ったと同時に止めると後ろを振り向き
「西河月アンダーパス、冠水。追っ手が其処に」
とイヤフォンに向かって言った。
……冠水警報。構造上アンダーパスは雨水が溜まりやすく、排水が追い付かなければ一気に冠水することが有る。そして、40年前に建設されたこの西河月アンダーパスは勾配が急で冠水しやすく、集中豪雨で度々通行止めになっている。片側1車線で狭いが排水設備の強化が喫緊の課題だった。
下り坂で更に勢いを付けたワンボックスは、水の抵抗を受けながら速度を落とし……そして激しく縦揺れを起こした。
スニーカーのインソールに浸水するほどの水溜まりでも、タイヤにとって大きな抵抗になるが、それより怖いのはミスファイア。
吸気口から吸い、エアクリーナーを通った水がエンジン内部、気筒内に浸入して燃料を燃焼できず、エンジンが停止する。こうなると止まることしかできず、再始動すら不可能で、レッカーの世話になるしか無い。そして、その状態に陥った。
幸いなのは、これがワンボックスだったことだ。これが地上高が低いスポーツカーなら、この程度でも水圧でドアが開けられなくなることすら有る。
何度もイグニッションを回すが、エンジンは反応しない。
「くそっ!!」
男はステアリングホイールを叩き、ナビシートに置いた、弾倉が銃身から突き出た銃を手にドアを開けた。脛まで雨水に浸かる。
白い照明がコンクリートの壁を照らしている。男は音を立てながら来た方向に戻る。
……銃で襲う気か。しかし数分間耐えれば、後は……。そう思った流雫は、バッグから銃を取り出した。そして、コンクリートの壁が切れて柵になった部分から、片腕を軸に足を投げて飛び下りる。
水を飛ばしながら着地した少年は、男に身体を向けて
「廃トンネルを巡りたいだけなのに……」
と言ってみたが、男は声の主に反応しない。……大人しく落とし物を返したところで、何事も無く……なんてことは無い。そもそも返す気も無いが。
銃の威力差を、スピードでカバーするのが流雫のセオリー。水と云う足枷はイコールコンディション……ではないが、大したビハインドでもない。自分がいる方が浅いからだ。
「何の真似だ!?」
と怒鳴る男に、流雫は
「……落とし物を届けるだけ」
とだけ答える。間違ってはいない。
「今すぐ返して忘れろ!!」
そう言って、男は銃口を向ける。流雫は踵を返した。同時に、大きな銃声が鳴った。弾は生意気な少年の右を飛ぶ。
……もう少しで来る。しかし、それまで撃つこと無く凌ぐことは……できそうにない。
「それは飾りか!」
その挑発には乗らない流雫に、男の苛立ちは頂点に達しようとしていた。
……何が何でもバレてはいけないもの。早く取り戻し、車を動かさなければならない。
「返さないなら殺す!!」
と、ついに男は怒鳴った。その目は、殺してでも落とし物を奪う気だ。
低い声が壁に反響するが、流雫は怯まない。それが引き金になった。鼓膜に刺さるような銃声が、規則的なリズムで響く。しかし流雫には当たらない。
水に足下を掬われ、動きが鈍っていることに気を取られている。それが、男の苛立ちを増幅させる。
ふと、無機物を叩く雨音にサイレンが混ざった。流雫は更に踵を返した。雨で重くなりつつも小刻みなステップに男の銃口は揺れ、斜めに走る目障りな少年にターゲットが合わない。
「殺す……!!」
と叫んだ男の銃口は流雫を追う。
……あと十数秒、保たない。覚悟した流雫は一気にスライドを引き、靴のグリップでスリップに耐えながら腰を屈め、銃を持たない方の手で水を一気に掬い上げた。高く放物線を描くが、男の下半身を少し濡らす程度だ。
「何しや……っ!!」
男が再度怒鳴るが、これこそが流雫が仕掛けたブラフだった。
……思い通り、流雫はそう思うと同時に銃口をカーキ色の作業着に向け、一気に引き金を引いた。小さい銃声の反響が2回、それと同時に太腿の辺りが変色していく。
「ぐぅ……っ!!」
男が前のめりになった瞬間、ハイビームとクラクションが重なり、流雫の数メートル前で黒いセダンが止まる。
「流雫くん!!」
車を降りながら叫んだのは、顔馴染みの刑事だった。
「弥陀ヶ原さん!!」
流雫は反射的に叫ぶ。
「このや……!!」
痛みに耐えながら叫びかけた男は、流雫に駆け寄る弥陀ヶ原に銃口を向ける。警察まで来やがった、しかし捕まるワケにはいかない。
「流雫くん、離れろ!」
と言った弥陀ヶ原は、シルバーヘアの少年を軽く突き飛ばし、銃を構えるなり引き金を引いた。
「うぉぁっ!!」
と男は声を上げ、銃を水没させて手を押さえる。刑事の銃弾は、狙い通り男の手に突き刺さった。
水溜まりに赤黒い血の滴を溶かしながら悶える犯人に近寄った弥陀ヶ原は
「公務執行妨害、殺人未遂、並びに改正銃刀法違反の現行犯だ!」
と宣言して手錠を掛けた。その後ろから、もう1台の警察車両が止まり、降りてきた警察官に犯人の身柄を引き渡そうとする。
「……何やってるんだ……」
と弥陀ヶ原は流雫に苦言を呈する。
「流石に追うとは思わなかったけど……」
とだけ答えた流雫は、悪びれる様子は無い。
「……それで?今度は何を……」
と、溜め息をつきながら問う刑事をオッドアイの瞳で捉えた少年は、一呼吸置いて言った。
「違法銃の隠し場所……」
エンジンが動かなくなったワンボックスの荷室は空だった。後ろにロードバイクを積んだ黒いセダンで河月署に連行された流雫は、入り口でバスタオルを渡された。制服の上から身体を拭きながら取調室に連行された少年は、最後に拭いたバッグから弾倉を出し、机に置いた。
「これ、弾倉じゃないか。どうしたんだ?」
刑事の問いに、スマートフォンのマップと写真を見せつつ答える流雫。
「トンネルは暗くて……」
と言った流雫は、しかしフォトレタッチアプリで露光を限界まで上げる。
一見、不審な点は無い……ように思える。しかし、弥陀ヶ原は
「ちょっと待て」
と言い、その場で他の刑事に連絡する。折り返しが有ったのは7分後だった。
「……前世はスパイかい?」
と言った弥陀ヶ原は、紙コップに入ったコーヒーを啜って言った。
「あのトンネルは河月の市有地だ。何処かの業者が借りていると云う話も無い。早い話が、無断で使っているんだ」
「そして今言ったタイヤ痕と、追ってきた理由……。君の読みが当たっていることになる。再度家宅捜索だな……」
そう続けた弥陀ヶ原は、流雫が置いた弾倉を手にすると
「……奴らも、まさかこんな事態になるとは思ってないだろ……」
と呟く。流雫は
「……でもこれで……また真相に近付けるのなら……」
と小さな声で言った。
宇奈月流雫と云う少年は、間違いなく同世代で誰よりもテロを怖れている。しかも、理想論だの何だのと云う安っぽい言葉ではなく、自分の経験で語れる。
……だが、裏を返せばそれだけ、テロに遭遇して失ってきた。フランスでの両親との平和な生活も、ようやく心を開けるようになったかつての恋人も。
そして今は、澪と云う何よりも護りたい少女がいる。愛している、だけじゃ表しきれないほどの愛情を注げる、そう云う存在。
弥陀ヶ原から見ても、羨ましく思えるほどのカップルは、しかしテロの脅威を前に最高のコンビと化していた。……その澪が死ぬことが、自分が死ぬよりも怖いこと。テロの恐怖を知っているからこそ、形振り構っていられないことを知っている。
……甘いな、俺も。そう思った弥陀ヶ原に、流雫は
「……澪には怒鳴られるだろうけど」
と言って笑った。
「判ってるなら少しは……」
と呆れ口調で言った弥陀ヶ原に、流雫は
「……でも、僕らしくて好きでしょ?」
と言って笑ってみせた。
反省しない、生意気な部分も有る、しかしそれが彼なりの慕い方だった。
「……ったく……」
とだけ言った弥陀ヶ原は、しかし流雫を些か扱いにくい弟のように思っている。褒められない部分も有るが、その彼に自分も頼っている。今日の件だってそうだ。
だから、強く言えない部分が有る。未だ未だ甘い、とは思い知らされる。
「……今日、ユノディエールに泊まることになった。少しだけ、今日のことについて聞き出したいことが有るからな」
と、弥陀ヶ原は言い、
「だから一旦これで終わりだ。気を付けて帰れよ」
とだけ言って取調室のドアを開けた。流雫は軽く頷いて、席を立った。
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