4-3 Devil Of Tricolor
裏切り者の忌まわしき女神、テネイベールに似たオッドアイの持ち主は、その祖国を彷彿とさせる服装をしている。
ネイビーのUVカットパーカーに白いシャツ、今日のショルダーバッグはディープレッド。しかも、シャツには「フランスの誇り」とフランス語で綴られている。
男は自分を悪魔に立ち向かう勇者……とでも思っているのか。トリコロールを纏った悪魔に。
「悪魔討伐……!」
そう叫んだ男が持つ銃には、ホログラムシールが貼られていた。それだけが幸いだった。足下を狙ったのは1発。残りは最大5発。5発さえ凌げば、どうにでもなる。
「流雫……!」
イヤフォン越しに聞こえる声。その主の目付きは、怒りに満ちていた。……あの男に流雫を悪魔呼ばわりされたことが、それに拍車を掛けている。
……1発の銃声や爆発から混乱が生まれ、生き延びるための本能から銃を握る。そして、本能が放った1発が更なる混乱を引き起こす。
その恐怖への防御反応から、スマートフォンのカメラを向けるだけならマシで、現実逃避からかデスゲームのように捉え、銃を握る高揚感に駆られる者だっている。……そう、流雫が対峙している男のように。
それが、戻れない銃社会の現実。そして、今の社会を推進した連中にとっても、恐らくは最大の誤算。……否、或る程度は予想していただろう。
しかし、自分が得られる利益に比べれば小さなことなのか、新しい社会への通過儀礼なのか、はたまた……日本人だから事件を起こさないとでも思っていたのか。
刑事の娘として、思うことは多い。しかし、今はとにかく生き延びる。
教会方面の爆発も気になる、しかし目の前の脅威から逃れる、今はそれだけだ。
男の目が澪に向いた。その瞬間、パニックに陥りながら銃を撃っていた集団が、遠目に注目する。突如始まった若者の3人の戦い……男の叫び通りなら、2人の悪魔に1人の正義が立ち向かう構図。人の心理として応援したいのは、言わずもがな。
……秋葉原のハロウィンで遭遇した時と同じ。デスゲームのギャラリーのようだ。しかし、これはゲームじゃない。起きていることは、全てリアル。
「くっ……!」
流雫が小さな声を出した瞬間、男は華奢な少女に走り寄る。咄嗟に澪に向かって地面を蹴った流雫、その頭に大口径の銃口が向く。
「流雫っ!!」
澪が叫ぶ寸前、シルバーヘアの少年はヘッドスライディングするように飛んだ。
「何!?」
一瞬、男は不可解に思った。しかしスライディングはすぐに止まる。しかも自分に背を向けて。観念して死にたいと思ったのか……そう思った瞬間、デニムを履いた足に何かが衝突し、またも視界が大きく揺れた。
流雫は男の膝を抱えるように掴む。膝が耳を直撃し、頭を揺らす。
「ぐっ!!」
思わず目を閉じて顔を顰める。しかし、離すワケにはいかない。
右肩から地面に叩き付けられ、その痛みに顔を歪め、
「ああっ!!」
と声を上げた男は、しかし銃を手放さない。
「このっ……!!」
男が脇を上げ、銃をその下に通そうとした瞬間、流雫は足を離して転がった。
頭頂部を狙ったハズの銃弾は空を切る、それも2発。……残るは3発。
「悪魔ごときに……!!」
男が怒鳴り、殺気に満ちた目を向けながら、右肩を押さえて立ち上がろうとする。その瞬間、澪が動いた。
両手で男の後ろ首を押さえ付け、体重を掛ける。
「がっ、いっ……!!」
低い声を上げながら、痛みに抗おうとする男の手から、銃が離れた。澪はその銃身を踏み付けてずらす。
「ぐっ……そぉっ……!!」
まさかの劣勢に立たされた男は、澪の足を掴もうと肩の痛みに抗い、腕を伸ばした。しかし、澪は片手だけ離して腕を掴み、背中に回して軽く捻る。
「ぐぅぅっ……!!」
顔を歪めたままの男に、澪は怒りを露わにしながら問う。
「何が目的なの!?」
しかし、男は
「俺は悪魔を倒す!」
とだけ叫ぶ。だが、痛みに力は入らず、銃も手元に無い。
「撃て!」
とヤジが飛ぶ。しかし澪は身体を押さえ付けたままだ。……あたしたちは見世物じゃない、刑事の娘としてのプライドが勝る。
そして立ち上がった流雫は……しかし飛び入りの男に銃口を向けられていた。
「悪魔だと?俺が倒す!!」
そう張り上げた声の主は、もう1人と同じ大学生のようだ。ただ触発されただけなのか、……連中のオプションなのか。
「銃を持て!!」
と男が怒鳴る。
……警察が来るまでの時間稼ぎ……そう思った流雫は銃を持つ。しかし構えることは無い。
「流雫!?」
と声を上げた澪は、踏み付けたままの銃を後ろに蹴る……と同時に
「何やってる!!」
と、高校生2人には聞き覚えが有る声が上がった。
「警察だ!銃を下ろせ!!」
警察手帳と銃を両手に持った刑事……弥陀ヶ原。しかし、もう安心……とは2人は思わなかった。
刑事は、澪が蹴飛ばして地面を転がる銃を拾い、胸ポケットに入れる。そして流雫に銃を向ける男に
「下ろせ!!」
と叫ぶ。しかし周囲から
「警察は下がれ!!」
と怒鳴り声が聞こえた。
……秋葉原のハロウィンの時と同じ。このリアルデスゲームの決着を見届けたい。だから邪魔するな、とでも言いたいようだ。
その声に背中を押された男は、刑事に顔を向け
「俺は正義だ!!」
と叫ぶ。……その瞬間、オッドアイの瞳が勝機を掴んだ。
刑事と逆方向にステップし、一気に間合いを詰める。男がその足音に気付いた時には、もう遅かった。
「ほっ!」
流雫は銃身を肘へ叩き付ける。有り得ない方向へ曲がった肘からの激痛に
「がぁっおぁぁぁっ!!」
と一際大きい声を上げた男が、その反動で引き金を引いた。火薬が3回規則的に爆ぜ、飛び出した銃弾はしかし、地面のタイルに空しく跳ねる。
「殺す……!!」
痛みに耐えつつ、男が3メートル離れた流雫に顔を向けながら叫んだ瞬間、弥陀ヶ原は腕を掴んで手首を捻り、銃を落とさせた。
そして1人目の男を拘束していた澪は、駆けつけたベテラン刑事の父にそのまま身柄を引き渡しながら
「あの4人も……」
と、流雫が気に留めていた男女に目を向ける。
「河月の教会にもいた……流雫がそう言ってた」
と澪は言った。父……常願は他の警察官に、目撃者として4人の身柄も確保するよう指示を出した。
そして、高校生を2人を狙った男たちに、同時に手錠が掛けられた。……勇者を気取った男たちの末路は、流雫と澪から見ても、あまりにも呆気ないものだった。
一斉にブーイングが刑事と高校生に飛ぶ。
「戦え!」
「邪魔するな警察!!」
その声に他の警察官が割って入り、揉み合いになりながら解散させようとする。そして、誰かがペットボトルを投げた。透明の液体を封入し、放物線を描いたそれは、人垣を越えて逮捕されたばかりの男に向かっていく。
その瞬間が目に入った流雫は、咄嗟にそれに向かって走り出す。
「流雫!?」
澪もそれに続く、しかし流雫は
「離れて!!」
と叫んだ。澪はそれに従う。
「くっ!!」
男と弥陀ヶ原の目の前で跳び上がった流雫は、ボトルを掌で包みながら後ろへ弾いた。それは寸分前まで自分がいた位置に落下し、鈍い音を立てて小さく跳ねる。しかし、幸いにも割れなかった。
両足で綺麗に着地した流雫は
「ふぅぅ……っ……」
と大きな溜め息をつく。
「流雫!」
最愛の少年の名を呼びながら駆け寄る、最愛の少女。
「澪!」
流雫はその名を呼ぶ。自分もだが、何より澪が無事だったことに安堵の微笑を浮かべる。澪の表情も緩んだ。
「流雫くん?」
と、弥陀ヶ原が呼ぶ。突然の行為の理由を問いたかった。
「あれ、可燃物か劇物……違うといいけど……」
とボトルを見ながら流雫は、男に顔を向けた。
「命拾いしたからには……全て話せ」
睨みながらの声色は、しかし冷静に勝利を自慢しているようだった。尤も、強いて言えば勝利とは2人が生き延びることだが。
……もし、あのボトルが男に当たった拍子に割れて、液体を浴びていれば、その物質次第では最悪死んでいる。誰が何のために投げたのかは判らないが、本当に危険物が入っていたとすれば、偶然目撃したデスゲームの罰と云うのは説明が付かない。
流雫を悪魔呼ばわりしたことと絡めれば、想像できる理由はただ一つ。口封じ……。或る意味では、勝てなかった罰で合ってはいるが。
ただ、男はそれから逃れることができた。同時にそれは、警察の取調から逃れられないと云うことだ。
納得いかない結果に罵声を浴びせるヤジ馬に怒鳴りながら、2人の刑事はそれぞれ男を別の刑事に引き渡す。
「……2人は臨海署だ」
と常願は言い、2人は頷いた。
スクランブル交差点での暴動は続いているが、下火に向かっている。その様子を尻目に、2人は警察車両に乗せられた。
臨海署での取調は、何時もの取調室で
「さて、何を見た?」
の問いから始まった。
タクシーの爆発に始まり、教会方面で爆発音が聞こえ、そして2人が狙われた。
「連中は僕を悪魔呼ばわりして……、僕と澪が狙われた……」
その流雫の言葉で、取調のメインはあの戦いにシフトする。
悪魔呼ばわり、4人の男女……それだけしか判断材料は無いが、それでも十分だった。足下を撃たれたことは事実だからだ。
「そして危険物が飛んできた……」
と流雫が言ったと同時に、別の刑事が取調室に入ってきて、若い方の刑事に紙を1枚渡した。ドアが閉められた後で、弥陀ヶ原は流雫に向かって
「……相変わらずだな。その鋭さは何処からだい?」
と言い、続けた。
「ボトルの中身はホワイトガソリンだった」
……秋葉原のハロウィンで、似たような事件が起きた。その時に犯人が投げたのも、コーヒーのボトル缶に入れたホワイトガソリンだった。近くの家電量販店で手に入れたライター用のオイルを、ボトル缶に移し替えていた。
それと同じ手口……行為自体は模倣犯か。その行方は未だ追っている最中だが、動機は?現場を目撃して触発され、その場で準備する……としても無理が有る。
最初から撹乱目的で用意し、流雫や澪を狙った犯人とグルなら援護もしくは口封じを兼ねていた……。2人の刑事はそう読んでいた。
渋谷で、流雫は既にその中身の液体に辿り着いていた。その鋭さの一翼を担うのは、経験則だった。それは澪も同じだったが、今までテロと戦ってきた中で培われた。自慢できない経験則だが、生き延びるためなら仕方ない。
教会方面での爆発は、太陽騎士団の日本支部の大教会を狙ったものだった。盗難車を使った自動車爆弾を教会の目の前で爆発させた。
バスに向かって撃った男は、教団などとは全く無関係だった。パニックに陥った末の犯行だったが、すぐに返り討ちに遭い即死だった。その男を集団で撃った連中は、撃たれると思ったから護身のために撃っただけだと口を揃えるが、パニックからの本能だったことは否めない。
そして、高校生を……特に流雫を悪魔呼ばわりした2人は、揃って黙秘を続けていた。ただ、それぞれ有名私立大生でエリートコースを進んでいたこと、伊万里を支持していたことだけは判明している。
頭がいいからこそ、理想と現実のギャップや社会への失望に苦しみ、何かに縋ろうとして宗教に足を踏み入れる……そう云うケースも多々有る。そして、伊万里への個人信仰を土台に旭鷲教会に辿り着いた……と云うのが、警察としての見方だった。
その2人の取調が行えるのも、あの時流雫が咄嗟にボトルを弾いたからだ。それも、最もボトルへのダメージが少ないように。あのファインプレイにはただ感心するばかりだ。
銃を撃っていないだけ、取調は比較的早く終わった。臨海署を後にした流雫と澪は、そのままアフロディーテキャッスルへ行くことにした。元々、慰霊碑に行くだけで後は何も決めていなかったが、だからとこのまま別れるのも癪だった。
先刻のことを忘れたかった2人は、1Fの広場前のカフェで手に入れた冷たいラテを喉に流し、安堵の溜め息をつく。澪に向いた、流雫のアンバーとライトブルーのオッドアイの眼差しは、漸く年頃の少年らしさを取り戻した。
「……色々思うことは有るけどね、でも今は無事だったことに安堵したい」
そう言った流雫は、バゲットサンドに歯を立てた。
「束の間の休息にならないといいけど」
と澪は言い返し、キッシュを舌に乗せる。
……思えば、2人は犯人が警察に逮捕された後、テロへの恐怖の反動から泣いたりしなかった。今までからすればほぼ有り得ないことだった。
ただ、それは幾多の戦いの末に2人が強くなったから……ではない。テロに遭遇すること自体に対する感覚が麻痺を起こしている……それが互いの認識だった。そして、その方が怖かった。何時か、人を撃ち殺めることにすら、抵抗が無くなるのではないかと。
ただ、流雫は心配はしていなかった。その名が示す通り、最愛の少女は僕にとっての澪標。
自分の行く先を示す存在……その彼女がいるからこそ、道を間違えること無く戦って、生きていられる。
渋谷の大教会が狙われた、その一報は名古屋に住む2人にも早い段階で届いていた。栄で待ち合わせた女子高生カップルは、1月から続いていた修復が終わったばかりの教会に向かった。
……正直、今の教団には不信感しか無い。ただ、敬虔な信者だった姉の名誉のためにも、ここで背を向けるワケにはいかない。その信念だけが、詩応を突き動かしていた。
薄手のカーディガンを羽織る真は、先輩でもある恋人に
「深追いはあかんでね」
としか言えなかったが、白いUVカットパーカーの袖を腰で結んだ詩応が聞く耳を持たないことを知っていた。
エントランスに立つだけで、事務所が慌ただしいことが判る。漏れてくる声を聞く限り、大教会では死者はいないらしい。それだけは幸いだったが、しかし詩応には引っ掛かることが有った。
この状態で話をできると思えない。そう思った詩応と真は、スペース21まで行くことにした。歩いて数分で着く名古屋の名所。その屋上から、セントラルパークスを見下ろす。
「……あの2人も、遭遇してないといいけどな……」
そう呟いた詩応は、不意に遠い目をする。
名古屋で、新宿で、そしてタワーで遭遇した。今日も遭遇していたとしても不思議じゃない。
「心配あれせんで」
と真は言う。
「詩応が見てきた通りだがね。……もし遭遇していたとしても、2人は何が何でも生きる」
……澪は詩応に言った、誰もが救われてほしいと。ならば、澪も救われなければならない。当然、流雫もだ。
「あの2人が、アタシや教団にとっての救世主になる……」
と詩応は言った。
……2人はそうなることを望んでいないのは、今までの態度からして判る。互いに平和に生きたい、そのために戦わざるを得ないだけだからだ。
「詩応は救世主に仕える騎士だがね」
と言って笑う真に、詩応は思わず微笑んだ。こう云う時、この後輩がいて助かる。
夕方、新宿駅。今日、流雫は日帰りの予定だった。そもそも1人で慰霊碑に行くだけの予定だったからだ。色々有ったが、午後に楽しさを取り戻せたから、未だマシか。
「……次は、7月?」
と問うた澪に、流雫は
「かな?……その前に会う気はするけど、平和であってほしいな」
と答え、少しだけ微笑んでみせた。
やがて、東京からの快速列車が来た。
「じゃあ」
「じゃね!」
と最後だけ少し声を弾ませた2人。終わりよければ何とやら、だ。
ドアが閉まり、列車が動き出すと同時に流雫のスマートフォンが短くなった。アルスからだ。河月に着くまで目を閉じていたかったが、見なくても察しが付く用件に早く答えなければ、彼が安心しない。
流雫は軽く溜め息をつき
「心配性だな」
と呟くと、ポップアップ通知をタップした。
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