1-3 Force For Faith

 「ノエル・ド・アンフェル……」

澪が発した言葉に、流雫は目を見開く。何故その名前を……?その驚きの表情を浮かべた彼に、澪は

「……流雫が元日に言ってたこと、気になって……」

と言い、スマートフォンをバッグから取り出すと、スクリーンショットで保存していた項目を開いた。

 「ノエル……何のことだ?」

と問うた弥陀ヶ原に、流雫は答える。

「15年前にパリで起きた、大規模な無差別宗教テロ。太陽騎士団を装った偽旗作戦で、犯人は血の旅団……」

少年の言葉を遮るように、刑事は問う。

「待て。今、何と言った?」

「え?血の旅団……」

と少年は答えるが、弥陀ヶ原は

「もっと前だ」

と被せた。それに流雫が

「太陽騎士団……?」

と答えると、一呼吸分の間を置いて弥陀ヶ原は言った。

「……河月で爆破された教会は、太陽騎士団の建物だ」

「……え?」

流雫は思わず声を上げる。

 ……全壊したのは、中東のモスクに似た建物だった。だが、そう云えば太陽騎士団は西欧と中東の文化を融合させた教会も幾つか存在する、と流雫は聞いたことが有る。河月に有ったのも、そのうちの1つか。ただ、看板のようなものも無かったから、何処の教団のものかは判らなかった。

 そして、2月の爆破を受けて建て直された今では、その面影は無い。白い壁の貸倉庫に似たような、何の変哲も無い外見で、入口に看板も無い。普通に見て、其処が教会とは思わないだろう。

 尤も、教団上の方針なのだろうが、外観を大きく変えたとしても教会の存在が知られている限り、事態が変わることは無いだろうが……。

「偶然なのか……?」

と弥陀ヶ原は呟く。

 ……偶然、そうであることを願いたい。それは流雫にとっての何よりの願いだった。そうでなければ困る。自分自身が、ではなくこの日本と云う国そのものが。

 「もし、偶然でないとするなら……」

澪は小さく呟いた。それに流雫が続いた。

「……血の旅団による、異教迫害……。思い浮かぶのはそれだけだよ……」


 年明け早々、重苦しい雰囲気に包まれる取調室。刑事と向かい合う高校生2人……その男子生徒は特に浮かない顔をしていた。それが、その隣に座る恋人には不安だった。

 ……夜中に見た、2つの宗教団体の名前。澪は、それに引っ張られていく感覚に囚われる。しかし、それだけならマシだった。

 流雫は、その15年前にそれが絡むテロに遭遇し、それから逃れるために故郷を離れざるを得なくなった。しかし、安住の地……だったハズの日本の方が、トーキョーゲートの影響で今では危険な国になり、15年前を思い出させるような宗教テロも起きている。

 それでも、パリで生まれた少年はフランスには帰らないと言った。日本に骨を埋める気でいる。全ては、澪といるために。これ以上無いシンプルな理由だが、流雫らしい。

「信仰のために武力を振るい、目的のためなら人を殺すことだって躊躇も容赦もしない。……信仰じゃないけど、OFAだって同じだった」

と流雫は言った。

 ……去年1年、日本を震撼させたのがトーキョーゲートだった。2年前……2023年の8月に起きた東京同時多発テロ、通称トーキョーアタックに関連した一連のテロ事件の総称で、目的は難民排斥のためのマッチポンプだった。

 そして、愛国心と野心を暴走させた、今は亡き元国会議員が黒幕だったことが判明し、一気に政治スキャンダルとしての様相を呈するようになる。1970年代のアメリカの巨大政治スキャンダル、ウォーターゲート事件に準えて、トーキョーゲートと呼ばれるようになった。

 その黒幕が活動の拠点としていたのが、OFA……ニッポンサポートワンフォーオールと云う難民支援のNPO法人だった。OFAによる難民支援の裏で、不法入国した難民をマッチポンプのマッチ役となる実行犯に仕立て上げるべく教育を行い、犯行に及ばせた。

 信仰ではないが、とある理念のために武力行使で暴走した点では、血の旅団もOFAも同じだった。だが。

 「……血の旅団って、日本での活動は禁止だったハズじゃ……」

と澪が言った。夜中に見た百科事典サイトには、そう書かれてあった。

 ノエル・ド・アンフェルを受けて、現在では日本では血の旅団を活動禁止団体に指定されている。ただ、自分からその名を名乗らなければ誰が信者なのかも判らない。

「個人的に細々と信仰して……と云っても、事件を起こすならグループが必要になる。秋葉原の時みたいに、SNSで秘密裏に結託したとか……」

と澪が言うと、弥陀ヶ原は腕を組んで眉間に皺を寄せ、問うた。

 「……流雫くん、一つ問うよ。……トーキョーゲートと宗教テロ、比べてはいけないと判っているが、比べるとするならどっちが厄介だ?」

その言葉に流雫は答えた。

「どっちも……だけど、宗教テロかな……。人の心の奥底に有る信仰心は、簡単には覆らない……。魂を握られているかのように」

「文字通り、生殺与奪ってワケか……」

と弥陀ヶ原は被せ、大きな溜め息をついた。そして3人は覚悟を強いられていることに、目を向けなければならなかった。新たな脅威が、人々の足下まで迫っていることに。


 午後、3人は河月湖へ行くことになった。仕事の一環とは云え、目の前に突き付けられた問題はあまりにも重く、気分転換が必要だった。

 流雫はロードバイクを走らせてペンションへ戻り、其処から弥陀ヶ原が運転する車で湖畔のビジターセンターに行くことになった。

 山梨県東部に位置する、人口15万人の都市、河月。都心からは、特急列車で1時間半も掛からない。北部の河月湖が最大の観光地で、流雫が居候している親戚のペンション……ユノディエールも、その湖畔の宿泊施設の一つだ。

 そして、河月湖畔の中心施設が、このビジターセンターと呼ばれる木造の建物で、道の駅も兼ねている。高校生2人がこの場所を最後に訪れたのは、2ヶ月前。あの夜、流雫の同級生と出会し、そして流雫を罵倒する男を澪は引っ叩いた。直接は無関係だが、あれが翌日に2人を襲った悪夢の予兆だったように思える。

 三が日が明けたとは云え、連休を満喫している連中も多く、駐車場は混雑していた。県外からの車が並んでいる。

 そのうちの1台から、3人が降りる。後部座席に座っていた地元の少年が簡単に案内しながら、遊歩道を少し歩いて公園に向かった。

「これが河月湖か……」

弥陀ヶ原は呟く。河月自体、プライベートで訪れたことは無く、湖に寄るのも初めてだった。

 流雫にとっては、近くにペンションが有るし、自転車に乗る時は湖畔のサイクリングコースを走るから、この周辺は庭のようなものだが、澪とこの場所にいるのは4度目だった。夜、誰もいない時に星空を眺めるのに、この場所は最高だった。空は曇っているが、幸い雨は降っていない。

 「……昨年末の会見は、あくまでトーキョーゲートに特化したものだった。だから教会爆発の件には触れられていなかった。ただ、テロ専従としては当然、この件にも関わることになる」

と言った弥陀ヶ原は、続けた。

 「先月、トーキョーゲートの捜査班が、テロ専従の捜査課として独立した。通称エムレイドだ」

 エムレイド……M-RAID。メトロポリタン・ライオット・アタック・インベスティゲーション・ディビジョンの略で、警視庁の新たな部署。本部は臨海署。

 首都圏を意味するメトロポリタンと云う名から、都内のみが管轄のように思えるが、日本全国が活動範囲。最早警察庁の担当のようにも思えるが、それは警察内部の事情なのだろう。

「俺も室堂さんも、そっちに転属だ。トーキョーゲート解明の立役者だとかで。本当の立役者は、目の前の2人だけどな」

と弥陀ヶ原は言い、シルバーヘアの少年に顔を向けて続けた。

 「それで思い出したが、2人して特別表彰を断ったらしいな。室堂さんから聞いたぞ」

 ……澪を経由する形で、澪の父親のベテラン刑事……室堂常願から、流雫と澪をトーキョーゲートの件で表彰したいと云う話を聞いた。年末の記者会見翌日の話だ。

 ……捜査班の間でも2人の存在は噂になっていた。室堂と弥陀ヶ原が臨海署に持ち帰る情報が、何故か確度が高く、問えば出処は高校生と言う。1人はベテラン刑事の娘で、もう1人はその恋人。この2人に期待を寄せる……警察らしからぬことではあったが、同時に事件解明のためなら使えるものは何でも使う、それが警察だ。

 事件の中身が中身だけに、非公開で秘密裏に2人の表彰を行う予定だったらしい。しかし、流雫は即座に断った。澪もそれに続いた。

「……犠牲になった人が浮かばれるなら、それだけでよかったから……」

とだけ言った流雫は、唇を噛みながら俯いた。


 トーキョーアタックで殺された、かつての恋人……欅平美桜。トーキョーゲートの黒幕に噛み付き、返り討ちに遭った澪の同級生……大町誠児。そして、テロの実行犯と云う駒として使われ、死んでいった難民。

 法入国は犯罪だが、そうしてでも祖国を捨てざるを得なかった連中が、言葉も何も判らないままに捨て駒にされ、正体不明の犯人として生涯を終える……。自身も似たような境遇から、難民と呼ばれる連中にはナーバスになっていたし、加害者ではあるが同時に被害者だと思っていた。

 だからこそ、己の政治信条の実現のために難民を悪用した、あの佐賀出身の政治家を、その死の後も憎み続けている。そして、トーキョーゲートの解明で無数の犠牲者が浮かばれるのなら、それだけで首を突っ込んだ意味は有った……流雫はそう思っていた。

「澪だけでも受け取ればよかったのに」

と流雫は言ったが、澪は

「解明は、父や弥陀ヶ原さんの功績よ。あたしは、ただ流雫の力になりたかっただけだから」

と返す。

 死なない、殺されない、最愛の少年の力になりたい。それだけが、刑事の娘を動かしていた。だからこそ、テロに殺される恐怖に屈すること無く戦ってきた。

 「……それでこそ、君たちらしいよ」

と言って微笑を浮かべた刑事は

「……ただ、トーキョーゲート解明の立役者なのは間違い無い。だから、と云うワケではないが、これからも2人には……特に流雫くんには、何か有った際には協力してほしいと思う。本来は、こう云う話はするものじゃないのだがな」

と言った。

 ……協力して何が得られるのか。テロに怯えなくて済む、2年前までのような平和な日々か。澪と笑っていられる日々か。とにかく、表彰など余計なものが付き纏ってこないのなら。

「……それで平和な日々が、戻ってくるのなら」

とだけ言った流雫は顔を上げる。

「恩に着るよ」

と弥陀ヶ原は言う。

 何度も思うが、こうやって部外者の高校生に頼るのは、貴重な時間を潰させることでもあるし不本意なのだが、頼らざるを得ない。

「しかし、エムレイドって部署に独立したってことは……」

と言った流雫に

「更にテロの脅威が……」

と澪が続いた。

 ……トーキョーアタックに端を発するトーキョーゲートの解明、そのために編成された捜査班が専門部署に格上げされたことは、テロ捜査に割かれるリソースが増したことを意味する。

「そう云うことだ」

と言った弥陀ヶ原の表情は険しくなる。

 ……3日前、流雫は澪と東京の神社でお祓いをしてきた、テロに遭わないようにと。ただ、テロと無縁でいられるとは思っていない。

 無縁でいられないのなら、開き直るしかない。死なないために。殺されないために。逃げられないなら、逃げ道を切り拓くために戦うしかない。それだけだった。

「まあ、協力してほしいと云っても、出番が無いことを願いたいよ。出番が有る、それは裏を返せば君たちがテロに遭遇していることだからな」

と弥陀ヶ原は言い、溜め息をついた。一難去ってまた一難……どころの話ではない。


 5日後。3学期が始まって4日目の河月創成高校。昼休み、午前の授業を乗り切った流雫は、サンドイッチ片手に、イヤフォンを耳に挿してスマートフォンと睨めっこしていた。

 開いていたのは、5日前にペンションの前で澪と弥陀ヶ原の2人と別れた後、母が送ってきた電子書籍だった。2人と会った朝に送るよう頼んでいたやつだ。全てフランス語で書かれている。

 クラスの窓側、後ろから2番目の席に座る少年に近寄る少女は

「宇奈月くん」

と、席の主を呼ぶ。しかし宇奈月……流雫には聞こえていない。何時ものパターンだ。黒いロングヘアをなびかせた女子生徒は

「宇奈月くん!」

と机に手を置き、少し声を大きくする。

 「……笹平さん?何?」

と漸く反応しながら顔を向けた流雫に、笹平と呼ばれた少女は

「何読んでるの?小説?」

と問う。

 笹平志織。学級委員長で、流雫が学校で話すほぼ唯一の相手。同じ学校の人とは最も多く話しているが、それでも入学から2年近く経っているのに、澪とのデート1日分にも満たない。

「ノンフィクション」

とだけ答えた流雫が机に置いたスマートフォンを一瞥する笹平。6インチの画面には、英語に似た字が延々と並んでいる。

「……ドイツ語?」

と、眉間に皺を寄せて問うた同級生に、流雫は

「フランス語。読む?」

と問い返す。

「いや、いいわ。読めないし」

とだけ答えた笹平に、少年は

「読めたとしても、つまらないと思うよ」

と言った。

 書いてあるのは、太陽騎士団と血の旅団、そしてノエル・ド・アンフェルのこと。流雫自身、河月の教会爆破テロに遭遇しなければ、こう云う書籍に触れることは無かっただろう。

「……中身、何?」

と問うた学級委員長は、何が書かれているか少しだけ気になっていた。

「フランス革命直後に生まれた宗教のこと」

と、流雫は言った。

 流雫は、知的好奇心が旺盛と云うワケでもない。ただ、自分が祖国フランスや両親と離れることになった、その背景を探りたいだけだった。

 そしてそれが、この校舎も被爆した昨年2月の教会爆破事件にも、何らかの形で絡んでいるとするなら、……絡んでいるなら……。……まさか、血の旅団が日本で秘密裏に……?

「また難しそうなものを……」

と呆れ口調で言った笹平に、流雫は

「僕は変わり種だから」

と言って微笑む。それと同時に、担任教師が入ってきた。もう午後の授業か。流雫はスマートフォンを鞄に入れた。

 ……変わり種だから、と遣り過ごしたが、そもそも笹平は知る必要も無い。無関係に越したことは無いのだ。そして、本来なら澪も。ただ、自分だけ安全地帯にいることは彼女自身が認めない。危険でも、流雫の背中を護りたい……室堂澪とはそう云う少女だ。

 その澪には、また明後日会える。今度は2人きり。今は余計なことを思わなくて済みそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る