3-3 Sixth Sense

 大型連休、今年も流雫が住むペンション、ユノディエールは全日満室だった。朝からガレットを焼くシルバーヘアの少年は、今日やってくる来客との再会が楽しみで仕方ない。

 春休みが明けて初めてのデートは、河月で。流雫がペンションで忙しいのを知っている澪は、それなら河月がいいと言っていた。最後に行ったのも、あの教会襲撃が起きた2月だったし、偶にはと思っていた。

 河月駅へ迎えに行った流雫の目に、改札の奥から近寄ってくる少女が映る。

「流雫!」

と名を呼んだ少女に、流雫は微笑む。1ヶ月ぶりの再会に、2人は嬉しさを隠さない。

「澪……会いたかった」

「あたしだって……!」

人目を気にせず、抱き合いたい。 久々に会ったことより、名古屋にいる少女が無事だったことへの安堵を、2人で感じたい。しかし、今はその時ではない。

 一度、ペンションへ行くことにした。少しゆっくりして、河月湖に行くことに決めていたからだ。流雫にとっては蜻蛉返りだが、それはそれだ。

 部屋に入ると、澪は突然恋人に抱きついてベッドに縺れた。

「み、澪……」

そう名を呼んだ流雫は、少女の頭を撫でる。

「流雫……」

弱々しい声は、しかし安堵の証だった。

 ……詩応は、少し運動系に障害が残っていてリハビリを続けているらしい。ただ、あの事件はトラウマにならず、寧ろ彼女に強い戦意を抱かせた。

 一時心肺停止状態に陥りながら、後遺症も彼女曰く軽いらしい。その程度で済んだのは、やはり彼女が何度も言うソレイエドールの導きだろう。信じる者は救われる、そのことを澪は感じていた。

 しかし、あの時抱えていた不安を理不尽に我が侭に、最愛の少年にぶつけたかった。ただ慰めてほしかった。

 流雫は何も言わず、ただ澪の顔を胸板に埋めさせる。……無条件に甘えさせてやりたい。それで、最愛の少女が安寧を取り戻せるのなら。それだけしかできないことへの、少しの無力感を抱えながら。


 澪が恋人から離れると、ランチタイムは、流雫がガレットとサラダを出した。定番のコンプレットをベースに、スモークサーモンとアスパラガスを乗せたものだ。サラダはドレッシング無しで、ただ切り盛りしただけ。それは澪の好みでもあった。今まで何回か泊まった時でも、ドレッシングだけは手を付けなかったことを覚えていた。

 澪は無言のままだが、余計な口を挟まずひたすら味に向き合いたいのが表情で判る。やがて皿を空にした後で、

「……幸せだわ……」

とだけ言った澪に、紅茶を淹れる流雫は安堵の溜め息をついた。

 それと同時に、鐘釣婦人の安莉がタブレットを持ってきて

「流雫」

と呼ぶ。流雫がその端末に目を通すと、安莉は

「言い忘れてたけど、短期留学生のホストファミリーになったの。明日から1ヶ月、うちに泊まることになったから、流雫の部屋……使わせるわよ?」

と言った。

 「僕の?いいけど、名前……」

そう答える流雫は、次の瞬間目を見開く。

「アルス……プリュヴィオーズ!?」

思わず声に出した名前に、澪も思わず

「え……?」

と声を上げる。

「知ってるの?」

「この前帰郷した時に、レンヌで知り合った……」

と答えた流雫が目を向けた住所は、イル・エ・ヴィレーヌ県の中心都市レンヌ……間違いない。

 「じゃあ、話が早いわね」

そう言って、タブレットを持って奥の部屋……居住区域としてのリビングへ消えようとする安莉を引き留めた流雫は、問うた。

「でもどうして、このペンションに?」

「アスタナの紹介よ。ホストファミリーの手配の依頼が有って、目的地が河月だから真っ先に」

そう答える婦人に、流雫はやはりかと思った。ただ、母と彼に接点は無いハズで、単なる偶然だろう。

「……流雫、通訳は任せたわ」

と言い残し、安莉は部屋へ入っていく。

「……アルスが……日本に……?」

「アルスって、この前流雫が話してた……?」

と、澪は問う。

「うん。血の旅団の信者。……しかし何故河月に……」

そう答えた流雫は、しかし色々な話をする機会だと思った。

 フランスでしか得られない情報は、恐らくアリシアが送ってくる。情報は最大の武器、その戦力は流雫と澪でも敵わない。詩応がいても、結果は変わらない。

 無論、折角日本にやって来る以上は楽しませたい。唯一の懸念は、毎朝自分が焼くブルターニュ地方の郷土料理が彼の口に合うか。寧ろ、ガレットじゃない方がいいか……。或る意味悩ましい問題だが、平和な悩みの方が断然いいに決まっている。

「なるようにしか、ならないかな……」

と流雫は言った。


 午後はアウトレットに行くことにした。高校生向けのデートスポットではないのだが、河月はそれ以外に遊ぶところが少ない。河月湖は人がいない夜に行くが、天気次第。とは云え快晴だから、星空は期待していい。

 半年前にオープンしたマーベラス・アウトレット・カワヅキは相変わらずの人混みだった。2人が乗った直行バスも、午後にも関わらず満員で、座れたのが奇跡だった。

 混雑するアウトレットを見て回る2人が、フードコートでミックスジュースを手にベンチで休憩していると

「澪さん!宇奈月くんも!」

とカップルの名を呼ぶ声がした。

「志織さん」

と呼び返した澪に、黒いロングヘアをなびかせる笹平は

「2月以来ですね。デートですか?」

と問う。

「ええ」

と微笑む澪は、少しだけ頬を紅くした。

 「……少し回って戻ってくる。久々に会ったんだし、2人で話すといいよ」

とだけ言った流雫は立ち上がり、去って行く。……少し不貞腐れ気味な言い方だが、流雫なりの気遣いだった。折角久々に会ったのなら、女子同士で話すのも有りだ……。

 その背を見ながら、流雫の元同級生は澪に

「……やっぱり、澪さんには嫉妬するな」

と言った。

「宇奈月くん、私や黒薙くんには頼ろうとしないのに、澪さんには頼りきってる」

その言葉に、澪は軽く唇を噛む。黒薙……その名前が引き金だった。

 澪、詩応、アルス。この3人の共通点は、河月にいないことだ。流雫は孤独じゃない、しかし地元では話は別だった。尤も、彼自身元同級生の2人と距離を置いたことは、自業自得だと思っているが。

「……流雫と黒薙さん……。美桜さんのことで、何か有ったのだろうとは思ってます。見殺しにした……流雫がそう言っていたぐらいなので」

とだけ言った澪は、残ったミックスジュースを吸う。少しだけ心臓の鼓動が早まったように思えるのは、2人にとってもナーバスな話の証拠だからか。

「……河月湖ではあれだけ流雫をバカにしたのに、渋谷では普通に話せていた……。……黒薙さんの本心は渋谷の方。あの態度に出たのは、河月だったから……」

「……澪さん」

と言葉を被せた笹平は、しかしその鋭さに驚くばかりだ。

 「渋谷で世間体を取り繕っていたのではなく、寧ろ河月で……不仲を演じていたような気がして。でも、流雫は……」

と、少し悲しげなトーンで言った澪は、数秒間を置いて続ける。その間、彼女が何を思っていたか、笹平には何となく判る。美桜を見殺しにした……その言葉が甦る。

 「……でも、あたしが触れていい領域じゃない。これは、2人の問題ですから……」

「……澪さん」

笹平は、澪の名を呼ぶことしかできない。

 ……学級委員長の立場で介入したがっていた自分とは、完全に正反対。しかし、美桜なら澪さんと同じことをしただろう。

 冷たいことと、甘やかさないことは違う。そして後者が、同じ読み仮名を持つ2人の少女の優しさでもあった。

 同時に、笹平は澪に畏敬の念を抱いていた。河月と東京で見聞きしたことだけで、流雫が何処まで話しているかは知らないが、彼女なりに確執の本質に辿り着いているからだ。その第六感の鋭さを発揮されると、敵に回すと厄介どころか勝てない……。

「でも、心配はしていませんよ。……あの2人ですから」

と言った澪の言葉は、笹平には何よりも頼もしく、そして嬉しく思える。黒薙のことを、少なからず信じていることでもあるからだ。

 その言葉に被せるように

「戻ったよ」

と言った流雫。絶妙のタイミングだ、と澪は思った。

 笹平が澪と再会を約束しながら去って行くと、2人はエントランスに戻り、河月駅行きのバスに乗った。


 全ての手伝いを終えた流雫が部屋に戻ると、時計は21時前を示していた。今からは自由だ。

 夜に出歩くのはあまり褒められた話ではないが、2人は河月湖へ向かった。ビジターセンターも閉まった後は静かで、周辺の住人が散歩やランニングで通る程度だ。

 湖畔の桟橋に立ち、空を見上げると、漆黒の世界に幾多もの小さな瞬きが浮かび上がっている。宇宙がもたらすイルミネーションは儚げで、しかし優しく癒やすようで。

「この景色……やっぱり最高だわ……」

と澪は呟いた。2月は大雪で外出自体諦めざるを得なかったから、その分見上げた光景を目に焼き付けようとしていた。

 その隣で、流雫は

「澪がいるなら……何処だって最高の景色になるよ」

と囁く。咄嗟に腕を掴んだのは、恋人の言葉に撃沈しそうになったからではなく、本当にそうなってほしいからだった。流雫といるなら、何時もの通学路さえ、最高の景色になるのだろうか。

 そのためにも、望むのは平和な日々。ただ銃を人に向けること無く生きていられる日々。……流雫となら、叶えられる。

 ……明日は、澪と東京に行くことは決めていたが、親戚からの頼みでアルスの迎えも急遽予定に入った。飛行機は11時着のシエルフランス機。だから合流できるのは正午前ぐらいか。

 デートの邪魔をされる形……ではあるが、澪もアルスのことは気になっている。流雫が、澪の次に信じているのが恐らく彼。その彼が、どんな話をもたらすのか。

 想像を超えた真実に、不安だけが先走る。ただ、全員死なない、殺されないためなら、怖れてなんていられない。あの日交わしたキスが最後にならないように、今この手に掴んだ腕から伝わるほのかな熱が、最後にならないように。

「うん」

そう頷いた澪は、今この瞬間を記憶に焼き付けていた。


 翌朝、少しだけ早く起きた流雫は、モーニングの最後にガレットを3枚だけ多く焼く。昼間、澪とアルスに振る舞うためだ。本来は皿の上でカトラリーを使って食すものだが、ロールさせて適当にカットすればランチボックスにも詰められる。流雫は時々、そうして学校に持って行く。

 1人1枚分ずつだから2枚でいいのだが、それだと澪が気を遣う。だから自分の分も入れて3枚用意した。

 それが終わると、流雫は何時もの服に着替え、澪とペンションを後にした。

 生憎特急列車は満席で、快速列車を使うことにした。東京中央国際空港までは、途中でモノレールに乗り換える……のが何時ものパターンだったが、今回は品川から私鉄に乗り換える。

 赤い列車が国際線用のターミナルに着き、無数の渡航客に混ざって降りた高校生2人の耳に、パリからのシエルフランス機が到着したと云うアナウンスが聞こえた。無事着いたらしい。後はイミグレーション……だが、今日は出国が多く、入国は割とスムーズだろう。

 アイボリーのスーツケースに黒いバックパックを乗せた少年が見えた。ブロンドヘア、瞳の色はブルー。彼は視界に映る少年を

「ルナ!」

と呼び、近寄る。

「アルス!まさか日本に来るとはね」

「まあ、色々いい機会だしな」

と声を交わす2人のフランス語についていけない澪は、恋人の隣で唖然としている。笹平や黒薙と話していた時とは正反対だ。

 流雫に紹介された澪は、

「私は……ミオ……ムロドウ……。はじめまして……」

と辿々しい英語で言う。初歩的な英会話だが、緊張するのも無理は無い。

 ……彼女がルナの恋人か、と思いながら

「俺はアルス、よろしく」

と英語で返した少年を連れて、流雫は何処に行こうか迷う。

 日本は初めてらしいから、東京の定番巡りも悪くない。……如何せん、流雫と澪の定番は臨海副都心だが、それはそれだ。


 空港からリムジンバスで20分。臨海副都心の中心となる台場は、僅かに暑さを感じさせる陽気だ。

 時間は既にランチタイム。レインボーブリッジを見渡せるデッキの端のベンチで、流雫はガレットロールを差し出す。

 目玉焼きの代わりに薄く伸ばした卵焼き、焼き魚を解して塗し、隠し味は味噌。和のモーニングを意識したが、朝その場で思いついた。

 ブルターニュ地方の郷土料理が和を纏った結果は、同時に頬張った2人の表情を見れば判る。流雫は安堵して、自分の分に歯を立てた。

 小腹を満たす程度のランチを終えた3人は、周辺の商業施設を回る。観光地を連れ回すのも有りだが、それは次でもいい。尤も、流雫も疎く澪のガイドが欲しいところではあるが。

 周囲から見れば、澪の両サイドにカッコいい外国人。

「主と執事みたいだな」

と言ったアルスに微笑む流雫。1人だけ言葉が判らない澪に、流雫は

「姫と騎士みたい、とさ」

と誇張する。澪は黙ったまま俯き

「バカ……」

と呟く。まさか、このタイミングで直撃弾を受けるとは。しかも、アルスに向かって微笑んでいる。少し話を盛った?

 ただ一方で、流雫がそうやって冗談を言えるようになったことは、澪にとっては嬉しかった。それだけで、精神的に追い詰められていないことが判る。

 ……流雫は、あたしより強い。それは間違っていない。

「2人まとめて仕返すわよ……」

と言った澪は、顔を紅くしながら笑っていた。

 流雫はアルスを連れて河月へ帰る。そのため、澪とは比較的早い時間に別れる必要が有った。その前に、澪はフランスからの来客に問いたいことが有った。

 最後に寄ったアフロディーテキャッスルのベンチに座る3人。真ん中の流雫を通訳に、少女は話を切り出す。

「……今、日本では何が……」

「……その前に、2人に問う。どんな不都合でも、受け入れる覚悟は有るか?」

その言葉に、2人は同時に頷く。今更退くワケにもいかない。

 「……OK」

と言ったアルスは、溜め息をついて覚悟を決め、切り出した。

「……日本で起きているのは、一種の侵略だ」

「宗教を媒介した、国政の侵略。そうでもなければ、情報統制なんて有り得ない」

この言葉に、流雫は続く。

「……トーキョーゲートの黒幕、伊万里が所属していた旭鷲会は極右。そして、思想はOFAと酷似してる。寧ろ、旭鷲会の思想をそのままOFAに落としたような」

「旭鷲会としては議員を出さない。ただ、旭鷲教会の信者が他の政党から議員になることで、間接的に国政進出を果たせる」

「そう云う連中が増えてくると……」

「旭鷲会による国会へのサイレント・インベージョンが……」

そう言って言葉を切った流雫の言葉に、澪は

「え?」

と声を上げる。

「……それって……」

 澪が撃った政治家、伊万里が何度も言っていた。日本ではサイレント・インベージョンが進んでいると。……そして、それに立ち向かわなければならないと。

 ……何故、立ち向かう必要が有るのか。日本を愛する愛国者として当然のことだと云うプライドか、……いや、恐らくはそれだけじゃない。

「まさか……」

と呟いた刑事の娘は、2人の少年に顔を見つめられる。その何倍にも感じられる数秒だけの空白の後で、彼女は軽く頷いて言った。自分でも背筋が凍る推察を。

「……あの政治家がサイレント・インベージョンの危機を叫んだのは……、……自分たちのサイレント・インベージョンがバレないようにするため……?」

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