最終話 風花の舞


 しんしんと凍てつく絶対零度の世界で目を覚ました。天の神々は我を見放したか。いや、見捨てていない。間違いなく、雨ならば、夢や希望を失っていただろう。


 カーテンを開けると、夜明け前の窓には真っ白な六角形の華が咲いている。人知れず、初雪だったのかもしれない。静かに降り始める雪はうっすらと積もっていた。夜半過ぎにはやんだのだろうか……


 まどろみの中で、なぜかしら白銀の世界で天女が舞う夢を見ていた気がする。いよいよ、思い描く世界が確信に変わってゆく。この類の話には関心がないのか、少女はぬくもりの狭間から無邪気に寝息を立てていた。そっと、優しい言葉で呼びかけてゆくしかない。


「優奈、起きて。外は異世界や」


「えっ、嘘やろう。ここは、どこなん?」


 むずがるように顔を覗かせ、腕を伸ばしてきた。


「僕のアパートやろう」


「……。今、何時やろか?」


「午前の四時や。早く準備して」


 優奈は朧気な世界から抜け出し、ようやく昨夜からの顛末に気づいたようだ。今度は恥ずかしそうに、毛布にくるまり素顔を隠してしまう。寝ぼけ眼の少女を揺り起こし、なだめるように車の助手席へと乗せてゆく。

 こんな撮影チャンスは二度と巡り会えないだろう。心の中にはどんな神秘的な景色を見せてくれるのかと、期待を抱いていた。


 もう一度、先人達が創り上げた「蹴上インクライン」へと雪が降ろうが槍が降ろうが、何としてでも向かうのだ。前回に撮影したのは冬の終わり。今度は紅葉の名残を惜しまれる冬が始まる季節である。いずれにしても、からっ風が吹き付けてくる。



 いま、レールや枕木の上には初雪が降り積もり、足跡ひとつ付いておらず、真っ赤に染まる「桜もみじ」が見え隠れしていた。

 けれど、誤って一歩でも踏み入れば、神秘的な景色を汚すような気がしてしまう。慎重に撮影準備をせざる得ないだろう。


 春に淡いピンク色の花を咲かせる桜が秋になり紅葉することを、「桜もみじ」と言うらしい。山から神風が吹いたのか、雪がまたちらついてくる。どんなに寒くても、この機会を逃すことはもう出来ない。

 千載一遇のチャンスとなり、手ブレしないよう三脚にカメラをセットする。背景となる線路の奥には、時代の変遷の中で忘却の彼方に消え去った舟とトロッコが乾いた雪に覆われている。撮影イメージを壊さぬよう、優奈に声をかけてゆく。


「晴れ着のまま一歩ずつゆっくりとレールの上を歩いてくれ」


 もちろん、モデルに着替えなどを用意する余裕はなかった。実のところ、今朝までまんじりともできずに天にも昇る心地となり、古式ゆかしい夜伽よとぎの儀式を楽しんでいたのだから。おそらくは、痺れるほど凍えてしまうだろう。


 けれど、優奈はショールも羽織らず舞妓姿のままなのに、寒いという素振りすら見せていない。いや、それ以上に、思いがけない振る舞いで期待に応えてくれる。


 儚くも美しい天女の舞に脇目も振らずレンズを向け、軽やかな挙動をひとつとして逃さないようファインダーを覗き込む。

 一瞬静寂な世界を切り裂くようシャッター音をカシャカシャと連続して、天空に響かせなければならない。蹴上の神さま、暫しの間ですが、穢れた若者たちの悪ふざけを許してください。そっと、つぶやいてしまう。


 神々が恋した聖地は魔界の輪廻転生を繰り返して、六角形の風花かざはなが白い絨毯を敷き詰めながら、レールの上にうすくれないの華を咲かせているようだ。

 なぜなら、張り詰める清らかな舞台に祇園の天使が舞い降りて、白銀の風に誘われたかのように晴れ着の袖をひらひらとなびかせ、この上ない幽玄の世界を魅せてくれた。昇華する風花の舞に思わず見とれてゆく。



 踊り疲れた少女は満面の笑みを浮かべていたが、突然に行き止まりとなるレールに気づいたのか、涙すら浮かべている。

 黙して儚い世界を見入る、その姿は、あたかも母親が叶えられなかった〝 悠久の愛〟を偲んでいるようにも感じてくる。


 今にも消え入りそうな姿に想い馳せれば、悲しみが止まらなくなる。凍てつく寒さにもかかわらず、雪まじりとなる風紋の舞の中で、辛かったろう……と、少女を力の限り抱きしめていた。



「お寺はんに寄って帰りたい。ええやろう」


「ああ、忘れていたよ」


 優奈の願いに従って、階段を寄り添いながら上り、日本で一番格式高い禅寺に立ち寄ることにする。琵琶湖からの疎水が流れるレンガ造りの建築物を横目に、シンボル的存在でもある三門をくぐり抜けてゆく。

 一歩でも入ると、俗世とは異なる厳粛な空気が感じられてしまう。もう、彼女はいつものおきゃんな笑顔を取り戻していた。



「優斗はん、早う縁起の良い小銭を一個ずつ用意してな。今日は、とっておきのおっきなお願いごとがあるのやさかい」


 慌てて、言われる通りの小銭を取り出してお賽銭箱に投げ入れてゆく。紅白の縄をより合わせた鈴緒を彼女と力を合わせて揺らしていた。京都には母親から習った昔から伝わるお賽銭のならわしがあるらしい。

 見通しが良いという願いを込めた穴の空いた5円玉と別に10円玉。もうひとつ満点を意味する100円玉、三つの硬貨を合わせて115円 …… とてもいいご縁が得られるそうだ。


 

「もう、離さんといて。ふたりの愛がいつまでも続きますように……」


 必死に両手を合わせる姿からは切ない想いが届いてきた。


 うなじが覗く、黒髪には可愛いらしい花かんざしが挿されている。その飾り花はどんな寒さにも負けずに年越しする「日々草にちにちそう」、花街に生きる人々からは「京のかざぐるま」と呼ばれているらしい。


 いま、初冬にも関わらず、暖かい風がそよぎ、かざぐるまがくるくると廻っているように思えてしまう。


 長く続いた厳しい京都の冬が終わり、晴れがましい優奈の高校卒業を迎えると、夢にも抱く金賞獲得の嬉しい知らせを風の便りで知ることになる。そして、……。


 優奈の大好きな故郷風祭町に薄紫色の健気な花を見かけると、ただすの森の神社で、風花の少女に手を添えてささやかな祝言を挙げてゆく。そばには、この上ない喜びを噛みしめてくれるような母親が付き添っていた。


〈 完 〉


 ── Thank you very much ──


 ネット小説の世界は、典型的なライトノベルに大きく潮流が変わりつつあるようです。けれど、かけがえのない純愛のものがたりは語り継がれるはず。

 以前から京都には郷愁を誘われておりました。古都の片隅で精一杯生きる若い男女の恋に焦点をあて、甘いエチュード(即興ドラマ)にしたい。そう思っていました。


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。

 万が一でも、コメントなど頂戴できれば、何よりの幸せです。





 

 



 

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【京都花街ラブストーリー】 〝 悠久の愛 〟を紡ぎて♡ 神崎 小太郎 @yoshi1449

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