第18話 宵山


 別れの時が近づいてきた。


 今日は一雨降るかもしれない。それとも、涙の方が先になるのだろうか。車を運転しながら、ふと思ってしまう。隣に座る優奈から熱い視線を感じてくる。


 蒸し暑さが強まり、暗闇が広がる中、どこからか祇園囃子の音色「コンチキチン」が、魂の響きの如く届いてきた。


 今夜は「祇園祭の宵山」であったことを思い出す。


 七月を迎えると、京都の街は祭り一色となっていた。一千二百年にも及ぶ悠久の里に生きる人びとにとって、この神事には特別な想いがあるらしい。


 なんと一か月間のロングランのイベントとなり、市内の中心部や八坂神社では様々な行事が執り行われるという。中でも「宵山」と「山鉾巡行」は、祭りで一番盛り上がる日となる。市内の一部では車の通れない交通規制があるようだ。



 古都の至るところが、遠い懐かしさを感じさせる平安絵巻の時代へ転生したかのようである。間もなく、黄昏時を迎え、空が少しずつ暮色に染まってくる。日中では、見れない風情豊かで幻想的な雰囲気が漂ってきた。


 車窓から見える店の軒先には、将棋の駒のような提灯の明かりがともされている。通り抜けるビルの合間に、杏色にもやる灯の手を借り、藍に変わる夕焼けの空色と観光客溢れるまち色のコントラストが際立ってゆく。


「優奈、来てよかったやろ」

 思わず、呟いてしまう。


「 悠斗はん、おおきに。京都のまつりの華やさかい」


 いつのまにか〝 さん〟ではなく〝 はん〟と呼んでくれた。京都の人はなかなか心を開いてくれないと聞いていた。男女間ならなおさらである。


 ────なんだかほんのりと、優奈との仲が昇格したようで、一層、ふたりの距離が縮まった気がする。

 少しだけ、雅な言葉の響きに酔いしれたくなる。女性の京都弁が上品で色っぽく感じられるのは自分だけだろうか……


 途中で一旦車を止めて、カメラのフォーカスを彼女に合わせ、煌びやかな明かりを頼りにバックを山鉾にさだめ、シャッターを切ってゆく。少女の姿は夏なのに風花の空に舞うホタルのごとく、儚げに光輝いていた。


 道の中ほどに沢山の豪華絢爛な山鉾が立ち並んでいる。いつ覚えたのか知らないけど、優奈の口からは京都の夏の風物詩となる蠟燭ろうそく売りのわらべうたが漏れてくる。


「あんさんも一緒に歌うとぉくれやす」

 無理は承知でおねだりまでされてしまう。


 ロウソク一丁献じられましょう~

 疫病除けのお守りに~

 うけてお帰りなされましょう~

 常は出ません、今晩ばかり

 ご信心の~御方様は~

 うけてお帰りなされましょう~

 


 ────山鉾の影が、暗闇の中鮮やかに浮かび上がる。つづれおりの懸装けそうに提灯の明かりが照らされ、真っ赤に染まってゆく。

 烏丸通からすまどおりにはびっしりと屋台が立ち並び、ちまき売りの呼び込みに立ち止まり、はしゃぎ廻る浴衣姿の子供たちが群がっていた。


 厄除け 安産 お守りは これより出ます 

 常は出ません! 今晩かぎり


「買ってあげるよ。後で食べれば良い」


「ダメやん。あれ、食べれへん。そやけど、うち、豚まんがええな」


「もち米のちまきやろう。今晩かぎりと言っているし……」


「ちゃいます。あれ、厄除けや」


 肝心なところが、祭りの喧騒で聴き取れていなかった。しみだれ豚饅の売り子の声も祭りのムードを盛り上げてゆく。


 うまいしみやれ食べてみとぉくれやす

 コンコンチキチン♪ コンチキチン♪


「悠斗はん、うっとこは、もうちょいや。うちら食べんと急ぐで。おかんが角出して痺れ切らして待っとるやろう」

 

「うっとこって、何や?」


「知らへんのかいな。花街で言われる我が家のこと。可愛いやろう。うちのえらい好きな風車の山鉾も見れるかいな」


 優奈は若いのに、可愛らしい京ことば一色となっている。彼女曰く、花街や花柳界はもちろんだが、商家の多い中京や北野の方は今でも京都弁が使われているらしい。名残り惜しそうに、車窓から通り抜けてゆく祭りの景色を眺めている。


 三条大路沿いに京の赤羽堂が見えてくる。四層つくりの軒高ある呉服屋の家屋は老舗らしさが際立っている。そばには「風祭町」と濃墨の文字で描かれた提灯を吊り下げ、てっぺんに飾り車がクルクルと廻る山鉾が巡行への骨休みをしていた。


 ノスタルジックであり、高揚感と哀愁が同時に押し寄せる宵山の祭は、きっと一度知ったら二度と忘れられない景色になるだろう。

 信号で止まると、さくら色のかんざしを付けた舞子はんたちが「綺麗やわ」と鉾先をつんつんしている。そこには、京都ならではのはんなりする空気が漂っていた。


「なんでそないな鼻の下伸ばして見惚れてるんや。男の人はみんなおんなじ。こらこら、怒るでぇ。うちも、あんな、たをやかな女性になりたい」


 さり気なく優奈から叱られてしまった。


「なりたいって、どういうこと?」


 彼女が何を言いたいのか、謎に包まれている。けれど、そんな悠長な雰囲気に戯れている余裕はなかった。いつのまにやら山鉾の廻りに大勢の人垣ができて、車が思うように進めないのだ。

 

「ええから聞かんといて。うちには定めがあるんや。祭りの神さまは冷たいなあー。今日だけでも、夕暮れを長くしてくれたらええのに……。夜なんかいらん」



 長刀鉾なぎなたほこ、後ろに函谷鉾かんこほこ、右が郭巨山かっきょやまと四条傘鉾しじょうかさほこ。左へ小さく月鉾つきほこ。


 そして右の隅に空高く伸びる菊水鉾きくすいほこ、からくり仕掛けの山鉾蟷螂山とうろうやま………。各々が面白い名前がついており、祭りに詳しい彼女から教えられていた。


 祭りの主役となる山鉾は、壮健で立派なものである。しかし、優奈の儚げな姿が気になり、後ろ髪引かれる想いで見つめていた。

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