第17話 抱擁
────タイムリミットが迫ってきた。
腕時計を眺めると、意外なめぐりあいにも長針と短針が重なっていた。時刻は午後五時二十七分。あと許される時間は三十分だ。
しかも、青色の三番目の細い針は「止まってくれ」という儚い希望を無視して、冷たく時を刻んでしまう。六時には夕暮れを迎え、送っていかねばならないだろう。
名残り惜しいが、出口に向かう。優奈の母親との約束を破れば、二度と誘えなくなってしまうかもしれない。本心を隠してよそよそしい物言いで口にする。内心胸が詰まる想いでいた。
「そろそろ行こうか」
「もう、あかんの。ふたりの世界では、時が流れへん思うとったのに、残念やなあ」
同じことを考えていたらしい。一瞬、彼女は自分と目を合わせ、沈黙を破ってきた。儚げなまなざしを感じて、抱き締めてあげたくなるが、立ち尽くしてしまう。
「また、来れるさぁ」
短い言葉を濁したが、涙を堪えるのが難しくなる。
蓮池の畔にぶどうの実のように花が集合して垂れ下がる藤棚が続く。そのうちの一本だけは真っ白に輝き、透き通るような花色が誇らしげに見えていた。
彼女は美しい花びらに手を添えて、「おんなじ色やけど、こらちゃう」と言いながら目をキョロキョロしている。何かを探しているようだ。口を挟もうとすると、珍しく早口でまくし立ててくる。
「もう少しだけ、ええやろう。幼い頃、ここに来たことあんねん。お日様が少しだけあたる所に淡い紫の小さな花咲いとってん。名前は日々草。〝
昔を思い出していたらしい。美しい植物には太陽を好む陽気な花と日があたり過ぎて枯れてしまう花があり、彼女の探す風車は若葉の頃だけ後者となり、花びらが風に吹かれる際、陽光にあてるものだという。
「日陰を好む、遅咲きの花?」
「そうや。おかんがね、女の人にもおんなじ定めがあると教えてくれたの。無理してはあかんって。そやさかい、幼い頃は神さまのそばにいられる巫女はんになりたかった。そやけど、無理やさかい よしたらええって」
精いっぱい思いの丈を伝えてくれるが、謎だらけで思わず、尋ねてしまう。
「巫女さんは素敵やろう。どうして、ダメなの?」
「あんたに三々九度の手伝いは似合わへんって。うちの定めやさかいしゃあないやろ。今は四季を通じて風花を咲かせる仕事をしたいねん」
「風花を咲かせるって花屋さんか?」
「ちゃうやろう。もっと華やかな音色で舞う凛とした
照れくさそうな言葉が途切れてしまう。ただ、女性の黒髪を止める花かんざしが風前の灯のように勢いよく廻る如く感じてきた。
車を止めた駐車場の大門が見えてくる。彼女と手を繋いで、ゆっくりゆっくり歩いてゆく。そんなことしても、時は止まってくれないのに……。しだいに口数も少なくなっている。皆が立ち止まる金堂を通り過ぎ、ようやく言葉にする。
「優奈、そこに立ってくれる。ベストショットを撮ったるわ」
カメラのレンズを向ける。
「ほんまに良く撮れとる。別人みたいや、おおきに。うち、ふたりで並ぶ写真も欲しい、誰か撮ってくれへんかいな」
少女はクスクスとはしゃぎながら笑ってくれる。けれど、どこかが虚ろ気で心ここに在らず、何かに気を取られているようにも思えてしまう。すでに、彼女を被写体とする二十枚の写真を撮っていた。
最後に大門脇にある社務所の前で立ち止まり、女性が好む御守りを買ってあげる。優奈の健康を祈る竹札のお守りを手にする。
「おかんに聞いたの?」
「ああ……」
「うち、そないな地味なの好かん。さくらんぼのお守りがええ」
でも、桜桃のは見当たらなかった。
「そっちの方がお似合いだね」
「もうひとつ、おねだりしてええか」
優奈は木陰を見つけると、目を閉じながらくちびるを突き出してくる。彼女の細くて小さなからだが小刻みに震えている。
目の前に広がるお堀では、初夏になると白蓮の花が咲くという。咲いているのは、早朝~午前中だけ。お昼になると花びらを閉じてしまう不思議な花である。花の咲く時間は限られている。でも、つぼみは未だ小さく開いていない。
ふたりの影が水面に重なり合うのも気にせず、その場に佇んでゆく。言葉を交わすことでは決して伝わらないものが感じられて、いつ尽きるともしれない甘い鈴音が耳もとに届いてきた。
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