第25話 朝焼け

 …………年内には目処をつけてやる。


 宣言どおり、決して母親との約束を忘れてはいない。時が過ぎるのは早いもの。あれから三か月あまり過ぎて初冬を迎え、京都にも紅葉の季節が訪れていた。

 

 週末の朝早くに目が覚めると、窓から見える「大江山」に早くも初冠雪の便りが届いてくる。この時期としては珍しいはずである。

 そう言えば、空がほのかに赤く染まっていた気がする。もしかしたら、天気が大きく崩れる予兆となるのかも知れない。


 そんないずれの心配もどこかに消えてしまったのか、午後になると、秋時雨あきしぐれがあがり、薄日もさしてきた。喜び勇んで、優奈に連絡を取ってゆく。


「いつものところで、待っているから」


「 悠斗、ええで。少しだけ、遅うなってまうけど……。そやけど、 いま、何してはるの?」


「ああ、鴨川デルタの飛び石で写真を撮ってるわ。食いかけの豆大福をさらわれた」


「犯人は誰や? ネコかいな」


「トンビや」


「嘘やろう。おもろいなあ」


 目の前には亀の甲羅が混じるコンクリートブロックが配置されており、子供が愛犬と一緒に鴨川を渡っている。通りすがりの観光客だけではなしに、橋を使わずこの飛び石を利用する人も多く、生活道路となっていた。


「うちも可愛らしい服を着てゆくさかい、写真をぎょうさん撮ってな。踊りの稽古終わったら、すっ飛んでゆくわ。首を長して待っとってや」


 スマホを切ると、優奈の笑顔が浮かんでくる。母親の言いつけを守り、学校帰りに舞妓の見習い修業を続けていた。

 しかし、彼女とは合間を見つけて何度となく会っている。母親も咎めたりせず、大目に見てくれているらしい。



 ────時刻は四時になろうとしていた。


 三条大橋の手前で待っていると、優奈が日本髪を結って和服姿で近づいてくる。振り袖姿を見るのはもちろん初めてだ。

 しかも、おだんご髪からは赤い鹿の子が覗き、もうひとつ薄紫色の可愛い花かんざしが風になびいている。


 ところが、案の定、おてんば娘のごとく京下駄のまま黒髪を振り乱し、小走りでやってくる。その姿は軽やかにはんなりと歩く美しい舞妓さんではなかった。


 

「お待たせしてかんにんえ。うちの振り袖を見るの初めてやろう。もっと、見とぉくれやす。可愛う見えるんやろか……」


 自慢げに一周くるっと回り、笑顔を浮かべている。もう直ぐ、「鴨川をどり」で舞を披露するらしい。まだ十七歳の高校生だ。無邪気に振る舞うのは、極めて自然な成り行きなのかも知れない。

 けれど、しっとりする和服の衿元からうなじが見え隠れる姿は少女とは思えないほど色っぽく感じられてしまう。思わず、抱き締めたくなっていた。


「すげぇ、可愛いよ。おきゃん娘や」


「ちゃうさかい、もう大人やもん。まだ、見習いさんやけど……。さっき、姐はんにメイクを習うたんや。可愛なったやろう。しっかり、褒めてえな」


 少しだけ、口を尖がらして、自分の頬を指さしてくる。顔を見ると、目の周り、鼻筋にかけてうっすらとピンクが入っている。頬紅も変えたのだろうか……

 一方空を見上げると、多種多様な形をした灰色の影ある雲が近づくのが分かってくる。少しだけ、風が冷たくなっていた。


「寒いだろう。今夜は雪になるかも……」

 マフラーを彼女の首に巻いてやる。


「まさかあ……。降ったとしても、毎年京都の雪は年明けやろう」


「今朝、朝焼けを見なかったか」


「ええ、嘘や。見損なってしもうた」

 

 優奈の視線の先を気にすると、少しだけ、不思議なほど大勢の恋人たちがちゃんと測ったように間隔をあけて、鴨川の岸辺に数珠繋ぎで座っている。ここは、京都の名だたるカップルの聖地であろうか。気づかれぬよう知らないふりして羨まし気に眺めていた。


 しかも、みんながラブラブのまっただ中のように思えてしまう。然れど、彼女は立ったまま、視線を両足の間の赤茶けた地面に落としながら、寂しそうにぽつりと呟いてくる。


「ええなあ……。あないな風に一緒に寄り添うとったらあったかいやろうに……」


「あそこ、空いた。優奈、座ろう」


「やっぱし、聞こえとったんか。ほな、行こか。そやけど、うちらって、どないな関係なんやろう?」

 

 今日の彼女は少し変である。無邪気な少女というより、大人の女の匂いすら感じてしまう。言葉の端々に熱い想いを感じてしまう。


「そりゃあ、カップルやろ」


「あかん、かなんなぁ。そないな言葉は京ことばにはあらへんのや。ちゃんと付きおうてくれへん? うちは悠斗のこと、どこまでも好きなんよ」


 自分にしっかりと寄り添いながら、甘えた感じで口にしてくる。そのつぶらな瞳は潤んでいるのに気づく。もっと別な何か言いたげな笑顔を浮かべている。


「幸せは神さまがきっと平等に分けてくれはると信じとったさかい。そやけど、ほんまにうちでかまへんの?」


 ここまで言われると、目頭が熱くなる。

 

 土手沿いに広がる料亭から漏れるうす明かりが、僕らをあたたかく包んでくれるように思えていた。


「当たり前だ。この間、好きだって宣言したやろう。忘れたのか?」


「おかんの前でやろ。好きなら、うちに好きって言うてや。今夜はおそなる。もしかしたら、泊まるかもとおかんに言うてきたの」


 踊りの修練で遅くなるから、姐さんのところに泊まると言ってきたらしい。口止めしてくれる代わりに、今度、彼氏を紹介すると約束してきたそうだ。


「嘘ついて、大丈夫か」


「かまへんわ」


「実は、無理なお願いがあるんだ」


 もちろんのこと、あの夜の約束は忘れていない。このチャンスが来るのをずっと長く待っていた。


「なんやろうか……」


「あとで、分かるさ」


 あえて怪訝そうな表情を浮かべる彼女に気づかぬふりをしていた。ここで、反対されたら、長く抱いてきた希望や野心が尻切れトンボに終わってしまう。ちょっとだけ冷たく言い放つと、猫のひたいほどのアパートに案内してゆく。

 

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