第24話 契り
「悠斗はん、よう聞いとぉくれやす」
母親は扇子を脇に置き、襟を正してきた。
僕も心を開き、真剣に耳を傾けてゆく。
「はい。何でも言ってください」
「あんたも大きなったさかい、ええやろう。一緒に聞いてな。ここは、昔から舞妓の住まいや。イノベーションして雑貨屋にしとるさかい分からん人もおるけどなあ」
「おかん、それ、リノベーションやわ」
優奈が口を挟んで冗談めかしてしまう。なぜかしら、母と娘の顔には笑顔が浮かんでいた。今夜に限っては、彼女の可愛らしい笑顔を初めて見た気がする。続けて、僕は正直に思った通り答えている。
「なんか、奥ゆかしい家だと思いました」
「そうやろう。元々、花街なんどす。うちは幼い頃からここで育ったさかい。前の女将はんの祖母から引き継いだんや」
「そんなん知っとったで。そやけど、それが、何や。関係あらへんやろう? うちにはおとんの写真もあらへん」
優奈が不満そうに口を挟んできた。母親は黙っておられず、嗜めてゆく。
「あんたも彼とおんなじようにきちんと聞く方がええ。おとんは生きてるのや。嘘は言わん。覚えておらんと思うけど、幼い頃にいっぺん会わしたことあるでぇ……」
「おかん、ほんまか。どこ、どないな場所に生きとるん? 知っとるなら、教えくれてもええやろ! うちは、会いたいんや」
彼女の気持ちは手に取るように分かる。父親がとっくに亡くなったと、聞いて育ったらしい。あたかも、死んだと思ったものが急に蘇ったような驚きを示している。
しかも、父の分からない〝 ててなし子 〟と勝手に決め込んでいたという。目を輝かせて、母親に問いただしていた。
「会うことは、許されへん。たとえ、どない愛しとったとしても、奥さまが生きとる限りは認めんやろう。娘でもおんなじや。これが昔からの舞妓の悲しい定めや。優奈には可哀想やけどなあ……。」
「今でも、そんなこと、あるのですか?」
母親の涙を感じながら、訊ねてみた。
「そらあ、分からん。伝統と格式があるとこなら、人知れず続いとるかも知れん」
詳しくは言えない事情があるみたいだ。
けれど、少し口ごもりながら、さらに教えてくれる。
「花街は京都の幽玄の世界、舞妓と旦那の恋物語は続いてるはず。あくまでも、大人同士の契り前提やけどな。そやさかい、世間様からは闇多いと、陰口を叩かれる。そやけど、ここは〝 悠久に語り継がれる愛の巣〟なんや! 」
「なら、僕らが付き合うのを認めてくれても良い話ではないっすか。愛する男女が一緒になれないなんて、悲劇そのものですよ」
母親は暫し思い悩んでいるらしい。ようやく決心したかのように口を開いてくる。
「悠斗はん、よう聞いとぉくれやす。優奈もしっかりとな。あんさんに娘を幸せに出来る甲斐性はありまへんやろ。まだ、青二才のひよっこや。女ひとり食べさすのもやっとなら、綺麗ごとを言わへんどぉくれやす」
確かに母親が言われる通り、これまで自分には優しさがあっても、頼もしさや物事を最後までやり遂げる気力が欠けていたのかも知れない。
でも、優奈と一緒ならなんとかやっていける。そう、思っていた。
「でも、これから一流のプロとして……」
「戯言を言わんでええ。悔しかったら、男として一人前になってから言うなら聞いたるわ。愛だけで、ご飯食べられるほど甘い世界やらありえへん」
「…………」
あまりの剣幕に何も言えなかった。
「自信がのうて、出来ひんなら、東京にとっとと帰りなされ」
「いや、帰れません」
男として、黙ってはいられない。
「いつまでも待てへんさかい。優奈も来春で十八歳。昔ならとうに嫁にいっとる。この娘やったら舞妓になったら、見受けされる若旦那がぎょうさんおるやろ」
母親の言葉は、優奈を見殺しにするのと、同じに思えていた。彼女も心配げに見守っているように感じてくる。ここは、正念場だ。男らしく腹をくくるしかない。一歩も引かない姿勢を言葉で示してゆく。
「お母さん。愛する女が見受けなんて、冗談じゃない」
「あんたにお母さんなんて言われるのは百年早いわ。男は一旦口にしたら、覆すことは許されんのや。やれるもんなら、結果で勝負しとぉくれやす」
このままでは、男がすたる。もう優奈を泣かす訳にはいかない。
絶対に一流のプロカメラマンになってやる。母親の厳しい言葉を聞いて、揺るがない信念と覚悟を固めていた。
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