第23話 対決
「どうぞ、食べとぉくれやす」
案内された居間に幸子と向かい合わせで座ると緊張してしまう。何を思ったのか、抹茶を立て、ねりきりの和菓子を出してくれる。
一瞥したところ、女性の振る舞いは丁寧だが、せっかちに見える仕草からは明らかに怒りを抑える気配が感じ取れていた。
「どないなご用件どすか? 前もって、連絡もなしに突然やって来て……。まさか、娘に会いたいなんてことはあらしまへんやろな。そないなら、お宮はんなんかに行かせな良かった」
彼女の言葉の端々には露骨な嫌みが感じられる。一瞬、うまい表現が浮かばない。けれど、黙っていることは許されない。
「大切な相談があって」
「そうそう。お礼に伺おう思うとってん。ちょうど、良かったわ。どうせ、
幸子から聞くに堪えない言葉が返されてきた。和ダンスの引き出しから、白い封筒を取り出しお膳の上に並べてくる。何か誤解されたようだ。腹黒い魂胆を抱いて来た訳ではない。あくまでも、優奈の命を助けたのは、神に誓って無我夢中でやったことだ。即座に、彼女の手に突き返した。
「こんなもの、受け取れません」
封筒の厚さから相当な札束が入っていたことだろう。そんなものは一銭たりとも欲しくない。あえて、精一杯、語気を強めて口にした。ところが、幸子はしたたかな女性で、大人の屁理屈をまくし立て引き下がらない。
「恩義ちゅう言葉を聞いたことあるんか。報いなあかん恩のことなんどす。命はお金では買えまへん。そやけど、そのお礼は
母親は扇子で扇ぎながら、若造の自分を見下すように悠然と言葉を続けてくる。どこまで、したたかな女性なのだろうか……。
「京都の人は、なかなか心の中を明かしまへん。此れうちの本音どす。そやさかい、受け取っとぉくれやす。それとも受け取ると、なんか困ることでもあるんどすか?」
大人の理屈も分からない訳ではない。しかし、納得できなかった。このままでは、優奈と会えなくなってしまう。ここまできたら、もう引き下がれない。
「そんなこと、ありません。ただ、優奈さんが好きなだけです」
どんなに迷惑がられようと、本音を言うしかなかった。なぜか、胸のすく思いがすっとしてくる。
「そやさかい、娘を惑わさへんどぉくれやす言うたやろう。せっかく目ぇ治って、一人前の舞妓になれると喜んでおったのに。この世界では、恋慕うが許されんのや」
幸子から若造の僕では窺い知れない話もしてくれた。花柳界には昔から引き継がれる不思議なしきたりや掟があるらしい。
舞妓は、まず古式ゆかしい京ことばを覚えて、次に舞や三味線、唄のお稽古をして一人前となり、ごひいき筋の旦那に見受けされるのが幸せだという。
とはいえ、令和の世の中に時代遅れにも思える摩訶不思議なことが、まだ続いているとはとても信じられなかった。
「下心なんかありません。お母さんとの約束はきちんと守ったはず。だから、ひとつお願いがあります。正式に優奈さんとのお付き合いを認めてください。なんでそこまで、ふたりの世界が違うと言い張るんですか」
今度は僕の方から毅然ときっぱり突き放した。
それは、半分正しく、半分は誤りなのは自分でも分かっていた。けれど、母親がそこまで言い張るには、もっと別な特別の理由があることを感じ取っていた。
残念ながら、世の中にはお金持ちでない娘が沢山いる。それでも、仕事や恋愛に対して必死となり、前向きに生きている人が多いと知っている。ところが、幸子もまた負けずに口を開いてくる。
「そないなん、あんさんに関係あらへん。まして、こまいことまで他人様へ教えなあかんのどすか。もう、帰っとぉくれやす」
大きな声をあげ、取り乱す母親が目の前にいた。突然に優奈が居間に駆け込んでくる。ふたりのやり取りが耳に入り、黙ってはいられなかったのだろうか……。言葉にするやいなや、自分の気持ちをぶつけてくる。
「おかん、もうええの。美しい思い出にするさかい。そないな聞いてると、悲しゅうなってまう。うちには、おとんがいやはらへんさかいしゃあないんどす。悠斗はん、ほんまに堪忍してな……。」
彼女の京都弁には母親と異なり、切なくしおらしい響きすら感じられてくる。とても本心とは思えないが、その頬には涙があふれ落ちていた。
ところが、この後、母親が涙する姿を見ようとは思いもよらなかった。まさに鬼の目にも涙だ。幸子は昔を思い出すように、ゆっくりとひとつずつ話してくれる。
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