第22話 彼岸花

 ついに母親と対峙する時がきた。


 戦いの火蓋は切って落とされている。

 もう、躊躇している暇はない。

 

 夜になると、優奈を暗闇の中から助け出すための論争に挑んでゆく。なりわいとして、小間物屋もやっているらしい。


 なにぶん、相手は舞妓あがりと耳にする海千山千の手ごわい女性となる。まだ、お盆休みなら好都合である。もしかしたら、いとしい優奈も自宅に居るかも知れない。正直、味方して欲しいのだ。


 時刻は、六時過ぎとなり、夕暮れ空に雷雲が近づいてきた。暗雲の漂う中、手紙の宛先を頼りに尋ねていく。

 寺の鐘楼を通り過ぎると、ぽつんと一軒、小間物屋があり、軒灯りのきあかりがパッと目に入ってくる。突然、夕立に遭遇して、古式ゆかしい格子木戸の店先に立ち止まった。


 こうなれば、当たって砕けろだ。いつまでも、庇を雨よけの助け船にして身を寄せている訳にはいかない。清水きよみずの舞台から飛び降りてやる。


 扉を慌ててこじ開けると、鈴の音が聴こえてくる。人の気配はしない。誰もいないのだろうか……。正直、言って怖い。ところが、気まぐれな疾風はやてが届いたのか、心の中を身透かされるように、藍色の暖簾がユラユラと揺らいでくる。


 円相窓をくり貫くような簾戸すどがあり、見れば見るほど、まるで花街の待合茶屋(置屋)のごとく、しっとり艶やかな風情が感じられてきた。店舗は奥の方へと続いており、京らしい雑貨がところ狭しと並んでいる。


 あぶらとり紙、椿油、髪飾り、櫛、かんざし、お手玉、和紙の便せんがあり、天井からは吊るしびなが飾られ、女の子なら、思わず可愛いと呟いてしまうだろう。どこからか、京の手まり歌の音色が届いてくる。


 まるたけえびすに、おしおいけ、

 あねさんろっかく、たこにしき、

 しあやぶったかまつまんごじょう、

 せったちゃらちゃらうおのたな、

 ろくじょうひっちょうとおりすぎ、

 はっちょうこえればとうじみち、

 ……………


 懐かしい響きにより、高ぶる心が癒されてくる。お客さんがいたのに気づく。今、艶やかな舞妓さんが京紅を手に取り見ている。さらに、一歩ずつ奥へと進んでみる。自分の気配を感じたのか、少女が振り向いてくれた。


 その顔は紛れもなく優奈だ。ただすの森を一緒に歩いた少女に会うことが出来た。紺地の上品な綿紅梅浴衣めんこうばいゆかたを羽織っている。生地に描かれた月にすすき蜻蛉とんぼの図柄からは秋の風を感じられて、少女がどことなく、大人になった気がしてしまう。


 彼女と視線を交わす。目を丸くして驚いており、今にも涙が溢れそうなのが分かる。その儚げな姿は、いつにも増して綺麗だ。

 本心では、もう会えないかと思っていた。一歩、二歩、三歩。優奈との距離が、ゆっくりと縮まってゆく。


 母親に悟られないように、人差し指を口にあて、カバンから写真の入る封筒を取り出して、そっと渡すことにする。


「これ、現像出来たから」


 あの日、寺で撮ったものだった。

 どれを見ても、素敵な笑顔が写っている。


「悠斗はん……。おおきに」


 かぼそいが、嬉しそうな声が届いてくる。けれど、言葉は続かない。

 


「今夜はお母さんに用事があって……。幸子さんは?」


 静かに低い声で尋ねた。優奈とは、後でゆっくり話がしたいと思っている。彼女は暖簾をくぐり、奥の方へ向かって声をかける。


「おかん、悠斗はんが来られてます」


 母親は慌てて顔を覗かせたが、眉間に皺を寄せている。少し間をおいて、女性特有の鋭く荒々しい京都弁を口にしてくる。恐ろしい雰囲気に一瞬身構えてしまう。


「早う、入っとぉくれやす。あんたは、店番しといてや」


 その言葉は娘に向けてだろうか……

 何れにせよ、早口で冷たい響きに聞こえてきた。

 

「うちは古い家やさかい」


 京友禅らしき艶やかな和服姿の背中を見ながら、細長い廊下を歩いてゆく。やはり、彼女の家は間口が狭く、奥の広くなる京都の古民家らしい作りとなっていた。

 小上がりこあがりに彼岸花が咲いている。美しさの中に毒を持ち、花が咲くのも短いと、実家の母親から聞いていた。見えているのは、真っ赤に燃えるような曼珠沙華となる。


 別名で白いのはリコリスとも呼ばれ、花言葉は「また、会えるのを楽しみに」であった気がする。あんどんの明かりが、赤い華と母親が装う花鳥風月の文様をうつろげにゆらゆらと揺らしていた。




 

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