第20話 空蝉

 あっという間に数日過ぎてゆく。


 聞こえてくるのは、夏セミのざわめきと自分のため息ばかりである。どんな美しい写真を撮っていても気が進まず、目に浮かぶのは、儚げで危うい優奈の姿だけになってしまう。


 女性の残した言葉が思い出されてくる。けれど、卒業を待たずして、舞妓の修行をする為に、もう二度と会えないなど、とても信じられない。


 しかも、〝 うちの定め 〟という不可解な謎すら解けていない。母親が何気なく口にした優奈には父親がいないという言葉も気になってしまう。

 もうひとつ、なぜ、彼女の言葉は、今どきあり得ないほど、いつも流暢な京ことばなのだろうか。今どきの女の子なら、もっと別な若者らしい言葉を使うだろう。疑問ばかりが増えていた。


 ならば、どうして、消え入りそうな少女の姿を止められなかったのか? 

 一瞬でも、駆け落ちさえ考えた気持ちは、偽りだったのだろうか……。あまりの不甲斐なさが情けなく感じられ、悔いてしまう。


 思い起こせば、まるで、この世の都ではなく、平安京の幽玄の世界でうら寂しい風花を見ていた気持ちとなり、少女とはメッセージアプリの交換すら忘れていた。


 突然に押さえていた気持ちが、堰が切れるように込み上げて、 セミの抜け殻のごとく過ごす自分に痺れを切らしている。

 いくら何でも、このまま別れてしまうのは忍びがたい。もういちど、彼女をモデルとする写真に添えて、「どうしても会いたい」と、手紙を綴ってゆく。



 しかし、数日すると、書留で届けた郵便物は突き返されてくる。まるっきり、開けられた形跡はなく、約束を破る罪人への見せしめのように受け取り拒否の烙印が押されていた。


 くそったれ……。許さんぞ。


 せっかく、優奈の可愛いベストショットをピックアップして送っていたのだ。写真ぐらいは彼女に見せてあげても良いはず。どんな事情があろうとも、ひとの好意を台無しにするのは許せなくなる。


 この恨み、はらしてやる。


 珍しく、怒り狂って独り言を漏らしてしまう。母親の仕業だろうか。残念無念で極まりなく、憎悪が激しい波のように全身に広がっている。


 六角堂や手紙の住所を頼りにすれば、優奈の居どころは分かるだろう。

 夕暮れ時を迎えて星空が見えると、居ても立っても居られず、自宅へ出向いて、一瞬、母親と直談判したくなっていた。



 ところが、今日は八月十六日。まだ、お盆の最中なことを思い出してしまう。


 祇園囃子の祭りの音色がやみ、古刹の庭で蝉しぐれが名残惜しそうに梢を揺らすと、いにしえの都は、五つの里山で送り火のひと時を迎えることになる。

 京都の人々にとって、先祖を偲ぶ「おしょらい迎え」や「五山の送り火」は欠かせない行事だと知っていた。かような大切な日に私怨を晴らすのは心苦しくなる。



 心を鎮めようと、ひとり出かけてゆく。向かう先は、嵐山の渡月橋となる。カメラなどの撮影道具は手にしていかない。なぜなら、優奈がいない写真を撮っても意味がないのだから……


 今夜の八時頃には、銀閣寺近くの「大文字」がまず点火されて始まるはずである。

 晩夏の夜空を彩る送り火は、お盆の精霊を送る伝統行事という。

 東山に大の字が浮かび上がり、続いて、松ケ崎に妙・法、西賀茂に船形、大北山に左大文字、そて、嵯峨野に鳥居形が点ってゆくと聞いていた。


「四条大宮」駅から「嵐山」駅まで路面電車に乗車していた。京都市内から、三十分ほどで嵐山にはたどり着く。日没前には渡月橋からゆったりと流れる桂川を眺めている。浴衣姿の女の子がラムネを手にして、大文字焼きを見ようとはしゃぎながら場所取りしているのが分かる。


 空がうっすらロイヤルブルーに染まり、黄金色に輝く渡月橋が浮かび上がり、夏の一日の終わりを告げてしまう。夜の帳が降りて、藍色の世界に自分も覆われていた。

 藍色から紺色へとうつろう時を刻むと、先祖への思いを馳せる灯籠の明かりが眼下の静寂な流れに乗り漂ってゆく。


 ところが、自分には蝋燭の火が木枠と紙で作られた鳥かごを赤く染めているように見えて、切ない少女の面影が思い出されてくる。ゆっくりおぼろげにゆらめく火は、人の優しさ、思いやりの大切さ、そして、死の世界の儚さを教えてくれる。


 あの寒い朝、優奈は本当にこの地で自ら死を選んだのだろうか……。さらに彼女の父親は、母親が云われる通り、二度と現世に戻ることは許されない永遠の世界にいるのだろうか……。思わず、涙ぐんでしまう。


 暫しすると、漆黒な川面に灯籠の明かりが漂う中、遠くの山に〝 鳥居〟の送り火が見えてくる。京都ならではの夏の終わりの美しい風情を見ているような気がする。

 嵐山の送り火を眺めていると、縁結びの神様の門を守る白ギツネが寂しそうに、「まだ、諦めてはいけない」と伝えてくれているようにも感じていた。

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