第6話 手紙
午後には左足にギブスが取り付けられ、少しだけ歩けるようになっていた。なおさら、モヤモヤした想いが一層募ってくる。夜の消灯の時間になると、悶々とする自分が病室内をひとり歩きしていた。
二週間経つと退院日が決まってゆく。今月末には自由の身になれると告げられた。
なぜかしら嬉しくもなく、寂しさすら込み上げてくる。けれど、病院は退院したくなくても、立ち退かなくてはならないのだ。
ちょっと前まで退屈で暇を持て余し、一刻も早く抜け出したいと思っていたはずである。ところが、今や真逆なコペルニクス的転回の感情を抱いている。その変化に自分自身驚いてしまう。いったい、どうしたのだろうか……。こんなことは、初めてだった。
今日は、親父と弟が浮世気分で見舞いにやってくるらしい。おふくろは入院した当日に来ていたのに、随分のんびりとしたものだ。
「良かったな。いよいよ、明後日退院だって聞いたよ。このまま京都観光して帰るけど、大丈夫だよな」
男同士の親子なんてこんなものである。
それとも、カメラマンになる為に東京の実家を離れた自分へのしっぺ返しだろうか。きっと、嵯峨野の竹林でも見て温泉に入り、帰るのだろう。暢気なもんだ。
立ち代わりに、いつもの優しい看護婦の真理さんが朝の挨拶に病室を訪れる。彼女のホンワカする笑顔に癒されていた。ひとつだけ頼みごとを思いついてしまう。
「これを、あの娘へ届けて欲しい」
折り畳んだ紙きれを手渡しする。一瞬、彼女は黙ったけど、頷いてくれる。
「まさか、ラブレター? 優奈さん、昨日から少しずつ起き上れるようになったみたい。でも、若い人っていいなあ」
優しい笑顔で顔を覗き込まれてしまう。いつものように 窓から外を眺めてみる。
五重塔にはもう雪は消えていた。空は真っ青に晴れている。
窓越しに見える 病院の庭先に
早咲きのアネモネのつぼみ
膨らんで開花してきている
こんなところに咲いていたんだ
小さく縮こまって
退院まであと二日か………
自由になれるという解放感
何かを失ってゆくときに感じる寂しさ
心の中をふたつの気持ちが駆け巡る
初めて感じる不思議なデュオ(二重奏)
目の前に広がる
淡い
少しずつ 空は暮色に染まり
日射しが ぼんやりと残る
小さな花びら
風に飛ばされまいと
しっかりと枝にしがみつく
そんな姿にドキドキしながら
ふと、あの少女を思い出す
これは、恋というものだろうか
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