第4話 お姉さんの調理実習

 まったくひばりったら……私は百合じゃないってば。

 そりゃ夕凪ちゃんとの付き合いは長いわよ。お隣さんとはいえ面倒見たり、高校生にもなって小学生と遊んでいるのも、変なのかもしれないけどさ。

 でも、だからって百合とかそういうのとは違うって。


「そうそう。キュウリはそれくらいの厚さに切って」


 無邪気に微笑んだり、元気よく飛び回って追いかけてきてくれる。そんな夕凪ちゃんが、子犬みたいで可愛らしいってだけよ。


「そぎ切り? まず鶏肉の端を抑えて、包丁を斜めに……」


 そりゃあ、私も人並みの女子高生なわけでして、男性アイドルとか、学校でもかっこいい男子とかをちょっといいかな~くらいに思うことはあったりするもの。

 まぁ、それが恋心って言われればちょっと違う気がするけど。


「あー待って待って、まだ蓋取らないで!」


 私は人生を劇的にしたいとは思わない。

 かといって平凡がいいかというとそれも寂しい。

 穏やかな平穏の中にちょっとの青春。それさえあれば、それで十分なのよ。


「んー。ほんのちょっぴりお醤油足した方がいいかも」


 そう、つまり私は普通。

 普通の普通の、そこらへんにいる女子高生。


「大丈夫大丈夫、こんなの失敗のうちに入らないから、ね?」


 だから、家庭科の調理実習だってこうして普通にこなしている。

 班のテーブルへと戻ってくれば、ひばりが課題の厚焼き卵を作っていた。


「優奈ってさ……」

「?」

「ホント、料理慣れてるわよね~」


 実習の同じ班のひばりは、子猫のプリントがされたかわいらしいエプロンに、長い髪を三角巾の中に乱雑にまとめている。普段見せないうなじには妙な色気のようなものがあった。


「そう? あ、もういいと思うよ」


 私の合図で、ひばりが固まりつつある卵を角から中央に寄せていく。焼け具合は半熟より少し固まったくらい。


「ほっ、っとと!」


 少し手こずりながらも奥側に卵を巻いていき、手前にキッチンペーパーにしみこませた油を塗って、残りの溶いた卵を流し入れる。

 厚焼き卵用の四角いフライパンから小さくジュッ、と音を上げながら、ほのかに甘い香りが漂ってきた。

 これなら、ちょうどいい厚さと柔らかさになるだろう。


「両親が共働きだから、自然と身についただけで普通の事よ」

「またまた~普通の女子高生は、家庭科の先生以上に他のテーブルを廻ってアドバイスなんかしないって」


 実はさっきまでクラスメイト達にせがまれ、別な班の調理の様子を見に行っていたりした。そのせいか、仕事を奪われた家庭科の先生はホワイトボードの前に座って暇そうにしている。


「ま、そんなんだから優奈は男子に人気があるんでしょうね」

「え?」

「えっ?」


 気のせいかな。

 今、ひばりが妙なことを言ったような……。


「聞き違いよね? 私が男子に人気がある、とか聞こえたんだけど……」

「ええ、そう言ったわよ」

「え、えええええええええっ!?」


 思わず、手にした鍋を落としそうになっちゃった。


「なに気づいてなかったの?」

「いやいや……いやいやないって、ないない!」

「すっとぼけないでよ。面倒見が良くて人当たりもいい。おまけに美人とくればそりゃ男子達も浮かれもするわよ」


 いや……いやいやいやいや。

 だからって男子に人気があるって、そんな――


「そ、そんなこと言ったら、ひばりの方が人気あるでしょ」


 明るくて飾らない性格に、見た目もモデル体型の美人。

 男子達と気軽に話したり、ゲームをしていたりするところもよく見るけど。


「ハハッないない!」


 鼻で笑うひばりは、焼き上がった厚焼き卵を丁寧に切っていく。


「私みたいなガサツな奴は、連中からしたらあくまでも女友達って感覚なのよ」


 顔も凛々しくて、モデル体型。だけどその見た目と言動のギャップの差が激しいのかもしれないけど……だからって男子に好かれない、ってことはないと思うけどな。


「それにうちの男子共なんてガキみたいな奴らばっかじゃない? 私よりも優奈みたいな『小学生の頃にほのかに憧れる近所の綺麗で優しいお姉さん』って雰囲気の女子に弱いのよ」

「えぇ……」


 ガキみたいって……そ、そうなのかなぁ。

 子供っぽいのかどうかは置いておいても、やっぱり実感が湧かないよ。


「ねぇねぇお嬢さーん、クラスの中に気になる男子とかいないのぉ?」

「ちょっとひばり、盛り付けの邪魔。それと親父くさい」

「おぉっと、そうでしたそうでした。優奈さんにはもうお相手がいましたなぁ、それもとびっきりお若いお相手が」


 ひばりが言っているのは恐らくというかなんというか、夕凪ちゃんのことだろうな。さっきかけられた百合疑惑からそういう目で見ているんだろう。

 だから私はそうじゃないって。


「男子共もかわいそうに。あれだけ料理を手伝ってたら、男子共の中には『あれ、もしかして俺のこと好きなんじゃね?』って勘違いする奴もいるわよ」

「あのねぇ」

「年頃の男子よ、優奈のことを考えて悶々とした今日の夜は――」

「ひばり!」


 まったく……食事前になに言い出すのよこの子は。

 みんなの手伝いを始めたのは、流れでそうしただけで……。

 そりゃみんなから喜んでもらえたのは嬉しいよ。嬉しいんだけど、ね……手伝ってたのは、親切心からってわけじゃないし……。


「……ん?」


 私がちょうど盛り付けを終えた時、隣のひばりが不思議そうな声を上げていた。


「ねえ、優奈……」

「…………………」

「私の気のせいかとは思うんだけど、確認してもいい?」


 私は、なにも答えなかった。

 だけどひばりは、そんなことも気にせず尋ねて来る。


「うちの班のテーブル、一品多くない?」


 今日の実習で作る予定だったものはいくつかある。 

 厚焼き卵に煮魚、そして簡単なサラダ。それに、各班で好きな具材を用意して作る味噌汁と、同じく好きな具材を持ち寄った炊き込みご飯。

 以上五品が今日の実習予定の料理なのだが……それらにプラスして、私達のテーブルにだけもう一品、ちょっとした煮物が並んでいた。


「……この煮物ってさ、今、優奈が鍋で作ってて盛り付けたやつよね?」

「いやあ、ええっと……」

「待って……そもそも煮物の中に見覚えのない材料がいくつかあるんだけど……うちの班でこんな材料用意してたっけ?」

「えーっと、そのぉ……」


 私の歯切れの悪い態度にひばりの頭の上に大きなハテナな浮かんでいるのがよく見える。

 誤魔化し通すのは無理かも……。


「実は……みんなの料理手伝う代わりに、余った材料をもらってきて、ね」

「もらってきた……」

「それで……作っちゃい、ました」

「ええええええっ!?」


 ひばりが声を上げて驚きだす。

 他のクラスメイト達も何事かとこちらを見ていた。


「ほ、ほら材料が余ったら、持ち帰るのも面倒だし、捨てるのももったいないでしょ、ね?」

「そりゃあ分けるけど……だからってなんで煮物に?」


 うぅ、みんなの視線が痛い。


「その……持ち帰って、晩御飯にだそうかな、と……」

「はああああああ!? アンタ実習のついでに、夕飯まで作ってたわけ!?」

「い、いいでしょ! みんなの料理手伝ってあげたんだし、それくらいの報酬あっても。それに余った材料も処分できるんだから」


 自分で言ってて恥ずかしくなってきた。

 よくよく考えてみれば、なんか意地汚かったかも。


「いや、責めてるんじゃなくて……」


 ひばりが、盛り付けた煮物を驚くように眺めている。


「だって、残った材料っていったって、大したものなんてなかったでしょ? 優奈がいくら料理得意だからって、そこから一品作るだなんてすごいじゃない」


 実際、野菜の残りやお肉の端切れで作った煮物だ。いや煮物というのもおこがましい、料理名もないただ余った材料を醤油とみりんで煮て、三つ葉をちょっと乗せただけのもの。

 だから、こんな風に賞賛されるのはなんだか、むずがゆいな。


「大げさよ……ほ、ほら冷蔵庫の余り物を処分するみたいなものだから、ね?」

「でもすごいわよ、優奈」


 べた褒めしてくるひばり。

 それに合わせて、他のクラスメイト達もゾロゾロと集まってきちゃった。


「え、姉帯さん、すご」

「うわぁ、いい香り。お店の料理みたい」


 うわぁ。な、なんか急に大事になってきちゃった。

 は、恥ずかしいな。


「優奈ってさ、まるで――」

「?」

「まるで、お母さんみたいよね!」

「……………………」


 う、うーん……。

 喜んでいいのだろうか、複雑な気持ち。

 で、でもその賞賛は素直に受け取っておこう。


「あ、あはは……ありがとう」

「でも優奈、調理実習で夕飯まで作っちゃって、先生に怒られない?」


 言われてみれば……どうなんだろう。

 そこまで考えてなかったな。


「その通りよ姉帯さん」


 クラスメイトの囲みを割ってやってきたのは、家庭科の先生だ。


「せ、先生……」

「………………」


 さっきまで暇そうにしていたのに、私の作った煮物をまるで品定めするように眺めている。


「あ、あの……」

「姉帯さん、今は仮にも授業中よ。少し料理が出来るといっても、余った材料でしかも自分の料理を作るのはあまり感心しないわね」

「……スミマセン」


 今年新任で歳も近く、若い女性の先生。

 それもあって、他の先生方と比べ、結構距離の近い先生だけど……さすがにこれは怒られてしまうか。


「…………だい」


 ん?

 先生が、なにやら呟いたのが聞こえた。

 でも、あまりにも小さな声でよく聞こえなかったな。


「あの、先生……?」

「後で、少し分けてちょうだい……そしたら見逃してあげる」


 え、えぇ……。

 先生、それは……。


「あー賄賂だ、教師が生徒に賄賂ねだってる!」


 話を聞いていたひばりが、わざと声を大きくして騒ぎ立てる。


「い、いいでしょ! 非常勤の給料の安さ舐めんじゃないわよ!」

「うっわ、切実」

「給料日前の晩酌を我慢しなきゃならない苦しみなんて、アンタ達高校生には分からないのよ!」


 ギャーギャー騒ぐ先生。

 それを面白おかしく笑う、ひばりとクラスメイト達。そして私も笑い出す。

 そうそう。こういのでいいのよ。

 こういうちょっと刺激のある日常で。

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