第20話 ワン子ちゃん、泣く

 市の総合病院の受付というのはとても大きく、色々な人が行き交うもの。

 受診しに来た人はもちろん、看護師さんにお医者さん。他にも色んな業者さんが出入りしている。

 それだけ人の行き交いがあると、今の私や夕凪ちゃんの姿を珍しい目で見る人も出てくるだろう。

 だけど、そういう人は思っていたよりも多くはなかった。

 やっぱりここが病院だからなんだろうな。

 きっと、さほど珍しい光景でもないのかもしれない。


「……………………」

「あ、あははは…………」


 受付前の椅子の上で、予防注射を終えた夕凪ちゃんが私に抱きついて――というより、しがみついたまま離れないその姿。きっと似たような光景は病院では珍しくないのだろう。

 病院に着いてからは、それはもう大変だった。


「ん゛ん゛ん゛ん゛っ!!」


 と、渋い顔を作りながら、全身で拒否を示してその場から動かない姿は、さながらお散歩からの帰宅を拒否する犬のようで、私とおばさん二人で引っ張ってようやく診察室まで連れて行くことができたくらい。幸いだったのは、病院内では騒いだりしなかったことくらいだ。

 だけど……注射を打ってからも大変だった。


「うぅ……」


 顔をくしゃくしゃにして泣いたまま、ずっと私に抱きついている。

 たまに口を開けば――


「おがぁざんのばがぁ……」


 と、手続きやらなにやらしているおばさんに向け、可愛らしい恨み辛みを漏らしている。

 そしてごく希に。


「ゆなしゃんのばかぁ……」


 その矛先は私の方にまで。

 私、何も悪くないんだけどなぁ。

 こんなことになるとは知らなかったんだよ。


「ゴメンね、夕凪ちゃん……」


 せめてものお詫びとばかりに、私は夕凪ちゃんの背中をポンポンと優しく叩いてあげる。

 おばさんってば、あのやり方はさすがにどうなのかなぁ……夕凪ちゃんが可愛そうだよ。

 でも、正直に話して大人しく聞いてくれたかって言えば……きっと似たような騒動にはなっていただろうな。

 それはそれで……うん、面倒だ。


「よしよし、痛かったね」 


 くっついたり飛び掛かったりを止めようね、って言ったばかりだけれど……。

 今日くらいは、今日くらいは仕方ないよ、ね。


「ほら、今度こそ本当にご飯だから。おばさんがご馳走してくれるって」


 夕凪ちゃんの可愛くむくれた顔は、そっぽを向いたまま。

 抱きついている私に顔も見せてくれない。


「美味しい物いっぱい食べよ、ね?」


 やはり夕凪ちゃんはなにも言わない。


「夕凪ちゃん何食べたい? 私はね今日はグラタンかな、それともオムライスかな」

「………………」

「あーあ。せっかくだから、パフェも食べちゃおっかなぁ。クリームがたっぷり入って、イチゴがたくさん乗ったパフェ」

「……………………」

「ね、夕凪ちゃん。一緒に食べない?」


 耳元で、優しく誘ってみる。

 抱きついままの夕凪ちゃんはやはり顔を見せてはくれなかった。

 でも――


「…………………………………………たべりゅ」


 どうやら、少しだけ機嫌を良くしてくれたらしい。


「じゃ行こ、ね?」


 夕凪ちゃんがよちよちとした動きで椅子を降りる。

 おばさんの方もちょうど手続きが終わったようだ。

 せめてこの後の時間は、楽しい時間にしてあげよう。






「ほら、頬にソースが付いてるよ」


 私が夕凪ちゃんの頬を拭いてあげようとする。


「んーっ!」


 まだ泣き顔の残る夕凪ちゃんは、口を拭こうとする私の手をちょっと煩わしそうに顔を背け、そのままお皿の料理へ。


「ッ!」


 泣き顔のまま勢いよくドリアを食べる夕凪ちゃん。これは私の物だと主張する犬のようにがっつく姿は、普段だったら『お行儀が悪いよ』と注意していたかもしれないけど、あんなことがあったあとだから、今日ばかりはなにも言えない。

 ショッピングモールに着いたのは、ランチタイムに入る少し前。おかげで混雑に巻き込まれる前にお店に入ることができ、さほど待たされることもなく料理が運ばれてきた。

 私達が入ったドリア屋さんはドリアだけじゃなく、他にも色々料理も置いてある。

 当然私達のお目当ても。むしろそれが目当てでこのお店にしたまである。


「お待たせしました、ジャンボパフェです」


 夕凪ちゃんがちょうどドリアを食べ終えた頃、待ち構えていたかのように女性の店員さんがそれを運んできた。

 細長い容器の中にはたくさんのクリームとアイス、これでもかとかけられた甘そうにとろけたイチゴのソースが。

 その上には――うわっ、すごい。チーズケーキまで乗ってる!


「わぁ」


 夕凪ちゃんが思わず声を上げ、椅子の上から見上げるほどの大きさだ。

 さっきまで泣き腫らした顔もいつの間にかキラキラと輝いている。


「すごいね、夕凪ちゃん」

「うん!」


 よかった、いつもの夕凪ちゃんだ。

 一緒に持ってきてもらった取り皿へシェアしていく。


「あれ、私の分は?」


 食事を終えて紅茶を啜るおばさんが、不思議そうな声を上げていた。


「お母さんはダメっ!」


 プンスカと頬を膨らませる夕凪ちゃん。

 あらら。騙されたことはまだ許していないらしい。


「そんなぁ」


 仕方ないですよ、おばさん……。

 こればっかりは、私も夕凪ちゃんの味方だ。


「はい、どうぞ夕凪ちゃん」


 取り皿に分け終えて、夕凪ちゃんの分を差し出す。

 当然、チーズケーキは夕凪ちゃんの物だ。


「いただきまーっす!」


 夕凪ちゃんが、元気よくスプーンを滑らせていく。

 小さなスプーンに、パフェのアイスやイチゴを溢れそうなくらい掬う。そして小さなお口でパクッ。


「ンーっ!」


 途端に頬が緩み、満面の笑みに。

 手足をバタバタとさせて、口に出来ない美味しさを表現しているようだった。


「それじゃあ私も」


 と、私もスプーンをパフェから取り皿へ移したアイスにスプーンを伸ばす。

 さほど固くはないアイスを少し掬い、口の中へ。


「んー!」


 美味しい、たまらなく美味しい。私も思わず声が出るほど。

 ドリアを食べで火照った口内に、冷たいアイスがミルクの甘みと一緒にとろけて広がり、ほんのり酸味の利いたイチゴソースが味を引き締めてくる。

 これは、夕凪ちゃんじゃなくても顔がとろけてしまう。

 夕凪ちゃんは一生懸命スプーンを動かし、パクパクもぐもぐとパフェを平らげていく。

 それを見ているだけでも、なんだか幸せな気分になりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る