お姉さんとワン子ちゃん~隣に住むワンコみたいな小学生にじゃれつかれながらお世話します~

碧崎つばさ

第一章 お姉さんとワン子ちゃん

第1話 お風呂とワン子ちゃん

「ふぅ~」


 な~んてオジサンみたいな声も、お風呂に入れば女子高生だって出してしまう。だって、お風呂っていうのはやっぱり落ち着くんだもの。

 湯船の中で手足を伸ばし、一日溜まった疲れと凝りをほぐしてやる。こうして湯船に浸かっていると、日々の終わりを感じてくるな。


「今日も一日、平穏平穏~」


 普通と言うのもおこがましいほど平凡な高校二年生の私にとっては、このお風呂の時間というのは実に快適で幸せで――私、姉帯優奈のもっともくつろげる時間である。

 体も溶けてしまいそうな温かい湯船の中で、私は今日一日を振り返ってみた。


「夕凪ちゃん、もう寝たかな?」


 夕凪ちゃんというのは、同じマンションの隣に住む小学生の女の子のことだ。私の家同様、両親が共働きで昔からよく面倒見ているんだけど、私のことを『ゆなさん、ゆなさん』と呼んで慕って付きまとって離れない。

 そんなに付き纏われて、煩わしく感じないのかって?

 ないない。そりゃあ元気の良さと奔放さに振り回されることは多いけど、煩わしいだなんて思わないよ。だってかわいいらしいし、なにより、あの子ったらまるで――


「そういえば……今日はちょっと大人しかった気もするな」


 夕凪ちゃんはとにかく動き回って、大人しさというものをどこかに忘れてきてしまったような子だ。毎日体力の限界まではしゃぎ回っては、夕食を終えた頃には疲れ果て、九時を回ると同時にバタン。そのまま眠ってしまうことも多々あるほど。

 そんな彼女が、今日は夕ご飯を食べ終えても眠気を見せず、かといって騒ぐでもなく大人しかった。これは結構珍しいことだと思う。

 なんとなく、なんとなーくだけど……。

 うん。嫌な予感がする。


「さすがに、今日はもう来ないわよね……」


 昔からよく面倒を見てあげているから、お互いの家にはよく出入りもする。でも同じマンションでお隣同士とはいえ、もう夜も遅い。それになにより今はお風呂の最中。さすがの夕凪ちゃんだって来るわけが――


「……さ~ん!」


 なんだろう。

 なにか聞こえた気がした。

 気のせいだろうか? いや、気のせいと思いたい。

 聞き慣れた声が、玄関からバタバタという足音と共に響き渡るこの気配を。


「ゆなさ~ん、ゆなさ~ん」


 浴室の扉の奥、家の廊下あたりで誰かが私を探している。

 前に見たホラー映画で似た様なシーンがあったけど……気のせいよね、ね?


「ゆなさ~ん、どこぉ~?」

「あら夕凪ちゃん」


 リビングの方でお母さんの声がした。珍しく仕事が早く終わって帰ってきていたお母さんが声をかけたようだけど、やっぱり声の主は夕凪ちゃんだったか。


「こんばんわ~」

「こんばんわ。優奈は今お風呂よ」


 そうそう。

 だから相手してあげられないの、ゴメンね夕凪ちゃん。


「はーい!」


 待って待って。

 なんで「分かりました」みたいに返事するの?


「ゆなさーん!」


 バタバタと足音が一気に迫ってきた。

 リビングから廊下を通り、そのまま脱衣所へ。

 そして、浴室と繋がるドアの曇りガラスに小さなシルエットが映ると同時。


「ゆなさん!」


 バンッ、と豪快な音と共にドアが開け放たれた。


「ゆ、夕凪ちゃん……」

「ゆなさん、見っけ!」


 お風呂の中でビックリする私の前に現れたその子は、亜麻色のストレートヘアーと合わせ、ほんわか柔らかそうな見た目がちょっとしたお嬢様にも見えてくる。

 だがクリッとした大きな目がキラッキラに輝く笑顔を作り、お嬢様には似つかわしくない、天真爛漫な元気のよさは気持ちのいいほど晴れやかで、まるで――そう、ワンコのようだ。


「こ、こんばんは夕凪ちゃん……」

「こんばんは!」

「あのね今、お風呂。お風呂入ってるから……」

「うん!」

「だから、ね。ちょっと待ってて」

「うん。夕凪も入る!」


 話を聞いて! と言いたくなる前に、彼女は豪華に服を脱ぎ出す。

 小さな背丈に似合わず、なかなかに手足が長い。なによりぷにぷにで白い肌は、高校生の私から見ても羨ましいほどの張りがあって、思わず見とれてしまうほど。


「よーし!」


 そう言って走り出す姿は、まさに大好きな主人を見つけた子犬のよう。

脱衣所から浴槽めがけ――って、ちょっと待って!?


「ダメ、走ったら危な!」

「とぉッ!」


 と、飛んだぁっ!?

 叫び声を上げ、脱衣所との仕切りから飛び上がり宙を舞う。

 思わず見上げるほどの飛び上がり方。ビックリするほどの滞空時間。

 そしてそのまま、私のいる浴槽へ!


 ドボォォォォォォォォォンッ!


 豪快な音、爆発でもするように吹き飛んだ湯船のお湯。

 辺り一面にお湯を撒き散らし、彼女は湯船に飛び込んだ。


「………………」


 私も湯船のお湯を全身に浴びせられ、驚いて声も出ない。

 せっかく丁寧にトリートメントした髪も一瞬でずぶ濡れだ。


「ぷはっ、えへへ」


 減った湯船の中から、彼女が顔を出す。

 呆然とする私の前で、夕凪ちゃんは純粋無垢なまでの笑顔を作り八重歯を光らせた。

 お風呂場で走って滑ったら危ないでしょ。なんて強く叱ったりしなきゃいけないんだろうけど。


「はあ……」


 こんな顔を見せられちゃうと、ね。

 怒る気にもなれないや。


「もう、夕凪ちゃんたら危ないでしょ……」

「ごめんなさい、へへ」


 てへっと笑う姿もなお可愛い。もう、仕方ないんだから。


「……髪、後で洗ってあげるね」

「わーい」


 喜ぶ彼女は湯船の中で私に背を預けてくる。

 まるで子犬みたいな夕凪ちゃん。

 これはそんな私達の、あくまでも普通の日常の話だ。


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