第六章 お姉さんとワン子ちゃんと子猫ちゃん
第16話 子猫ちゃんが来た
「あ、来た来た」
土曜日のお昼過ぎ。
ガチャリと開かれた玄関の音に反応して、私は台所から玄関へ。
「いらっしゃい夕凪ちゃん」
「おじゃましますゆなさん」
チャイムも鳴らさず家に入ってくるのは、土日も仕事に出ているうちの両親と、こうして元気に返事をしてくれる夕凪ちゃんしかいない。
「それと……」
でも今日やってきたのは、彼女だけじゃなかった。
夕凪ちゃんの背後でそわそわと少し不安そうな顔をしている大人しそうな子。彼女に向けて私は体を屈ませ、首を僅かに傾げニコリと笑いかけた。
「いらっしゃい、美春ちゃん」
「お、お邪魔します」
雨音美春ちゃん。
夕凪ちゃんの同級生だ。
アッシュブロンドの長い髪をサイドテールにまとめ、まあるい顔の輪郭には大きな目に小さな口、おでこもプニプニの可愛らしい女の子だ。
いつも動き回る夕凪ちゃんは動きやすい服が多いけど、それとは対照的に彼女はチェック柄のスカートと真っ白なブラウスに小さな鞄。まるでいいところのお嬢さんのようだ。
「わっ」
玄関が閉まる大きな音にビックリしちゃうくらい気の弱そうな姿が、小さい体と相まって、なんとも抱きしめたくなる可愛さがある。
夕凪ちゃんとはまるで正反対だ。
「ほらほら美春ちゃん入って!」
「ゆ、夕凪ちゃん。ここ、夕凪ちゃんの家じゃ、なくてお姉さんのお家……」
靴を乱暴に脱ぎ捨てる夕凪ちゃんに手を引かれ玄関を上がり、美春ちゃんも靴を丁寧に直してから、改めて廊下へと進む。
少し前のことだ。いつものように一緒に晩ご飯を食べていたら、夕凪ちゃんから友達を連れてきてもいいかと尋ねられた。
どうしてと尋ねたら、なんでも夕凪ちゃんの家と同じくその日は夕方まで美春ちゃんの両親もいないらしい。普段は児童館のお世話になっているらしいが、今日は土曜日で児童館もやっていない。
そこで、その間二人は一緒に遊ぼうと約束したらしいんだけど……まあ夕凪ちゃんのことだ、単に私と美春ちゃん三人で遊びたいからっていう理由なのだろう。
「ご、ご迷惑じゃありませんでしたか……?」
当の美春ちゃんはといえば、慣れない他人の家だからか、どこか遠慮がちに尋ねてくる。
「ううん、そんなことないよ。私も美春ちゃんが来てくれてすごく嬉しい」
夕凪ちゃんと同じ歳の子なのに、がんばって気を遣おうとしているなんて、いじらしいったらない。
「だからそんなに気を遣わないでいいから、ね?」
「は、はい。あ、そうだ。これ母から……」
そう言って、持っていた少し大きい紙袋を渡された。
中に入っていたのは、お高そうな缶の箱。どうやらクッキーの詰め合わせのようだ。
「わあ、ありがと! 後でおやつに出そうね」
私が嬉しそうに喜ぶと、美春ちゃんもちょっぴり頬を赤くして小さく笑ってくれた。
「はやくはやくー!」
「ま、待って夕凪ちゃん」
再び夕凪ちゃんに手を引かれ、廊下を行く美春ちゃん。
でも、やっぱり来たことのない場所で、落ち着かないのかまだまだ緊張している様子が窺える。
いつもみたいに夕凪ちゃんだけってわけじゃないからな。
今日はなるべく、美春ちゃんに合わせてあげよう。
「アハハハハッ!」
夕凪ちゃん、今日は随分と楽しそう。なんだかいつも以上にはしゃいでいる気がするな。
家の中を駆け回って、私や美春ちゃんの静止の声もなかなか届かない。
普段、美春ちゃんと遊ぶ時の夕凪ちゃんってこんな感じなんだろうか。
「ねぇねぇゆなさん見て見て! 美春ちゃんすごいんだよ」
うーん、もしかしたらそういうのとは違うのかもしれない。
美春ちゃんを私のところに連れてきたことが誇らしいのか、さっきからやたらと美春ちゃんのことを紹介しようとしてくる。
やれピアノが出来るのだ、とか。いつも難しそうな本を読んでいる、だとか。その度に、美春ちゃんが顔を真っ赤にするのはなんだか可愛らしかったな。
夕凪ちゃんも夕凪ちゃんで、それこそフリスビーを咥えて持ってくるワンコのような喜びようだ。
と、そんなやりとりをしている間に、こっちの準備もできた。
「さ、おやつの用意が出来たよ」
さっきいただいたクッキーを大皿に綺麗に盛り付け、リビングのテーブルへと並べる。遊んでいた夕凪ちゃんが私の呼び声にすぐさま駆け寄ってくると、その後に続くように、とてとてとした足取りでやってくる美春ちゃん。
「わーい!」
「待って夕凪ちゃん。まずは手を洗ってから、じゃないと」
おーさすがは美春ちゃん。お行儀がいいな。
「美春ちゃんの言うとおりね。じゃあ洗面台案内してあげて、夕凪ちゃん」
「はーい」
二人が手を洗っている間に私は、コップを三つ並べ、そこへ三人分のココアを淹れていく。
少しお高めのクッキーだから、ホントは紅茶やコーヒーの方が合うかもしれないけど、小学生の二人の口にはまだまだあの味は早いだろう。
なんて言ってる私も、甘い方が好きなんだけど。
「優奈さん手洗ったよ。もう食べてもいい?」
「はいはいまずは座ってから、ね。美春ちゃんも、ここ座って」
「あ、はい。ありがとうございます」
ソファーの前に座る夕凪ちゃんの横に、座布団を敷いてあげる。私も一緒に座って、三人揃って――
「じゃあ、いただきます」
「いただきまーす!」
「いただき、ます」
大皿に並べられたクッキーは色んな種類がある。
それぞれがそれぞれ、好きなものを手に取っていく。
美春ちゃんはアーモンドの乗ったクッキーを小さな口でかじり、夕凪ちゃんはチョコチップが散りばめられた丸いクッキーを大きく口を開けて頬張る。
私も、二枚の生地を重ねて作られた四角い市松模様のクッキーを手に取りパクリ。
「んー美味しい」
しっとりとした生地でありながら、ちょうどよい歯ごたえ。バニラ生地の甘みとチョコ生地の苦みが絶妙なバランスで重なり合って、口の中がとろけそうだ。
たまらずカップにいれたココアを一口。
インスタントのココアも甘すぎず、苦すぎず。ココアの濃さもクッキーの味を邪魔しない。うん、ちょうどよく出来――
「熱っ」
驚きながら振り返ると、美春ちゃんが小さな舌を出しながら、小さく声を上げていた。
見れば、カップに近づけた小さな口が真っ赤になっている。
「美春ちゃん大丈夫?」
「は、はい……」
「もしかして、ココアダメだった? あ、ジュースもあるよ、出そうか?」
今日美春ちゃんが来ると聞いていたから、私も事前に色々と準備はしていた。もちろん、ジュースだって冷蔵庫の中で冷やしてある。
「だ、大丈夫、です」
「いいのよ、無理しなくて」
家に来てからずっと感じてたけど、美春ちゃん、私と夕凪ちゃんとで対応が違うというか……やっぱり遠慮しちゃってるな。
それも当然か。私とじゃ年齢差もあるし、まして初めて来た家なんだ、緊張するのは当たり前よ。
それをいきなり慣れろなんて言うつもりはないけど、でも私の方がお姉さんなんだから、甘えてくれていいのに。それで気を遣わせちゃうのは、やっぱり可哀想よね。
そそくさと立ち上がり、リビングから台所へ。そして我が家の冷蔵庫を開けようと取っ手に手を伸ばす。
「ゴメンね、私も最初に聞いておけばよかった」
「いえ、その」
「どうする、ジュースはオレンジとリンゴと……」
「あの、お姉、さん……」
少しだけ――そう、一般的には小さな声かもしれないけれど、美春ちゃんにとっては少しだけ大きな声で、呼び止められる。
驚きながら振り返ると、やっぱり私を呼んだのは美春ちゃんだった。
「どうしたの、美春ちゃん?」
「その、えと」
美春ちゃんは小さな手で包みきれないカップを持ちながらキョロキョロと目を泳がせている。
もしかして、私になにか伝えたいんだろうか。
「いいよ、遠慮しないで。なんでも聞くよ?」
屈んで美春ちゃんと目線を合わせてあげる。大きくてまん丸な緑色の目をじっと見つめていると、美春ちゃんも目を合わせてくれた。
大きな目を輝かせて、私を見てくれる美春ちゃん、ほんの僅かな間だけど、私と美春ちゃんが見つめ合っていた。
「なあに、美春ちゃん」
私が尋ねると、ハッとなって顔を真っ赤にする美春ちゃん。あわあわと慌てながらも、ゆっくり呼吸を落ち着けて、彼女は口を開いてくれた。
「私、ちょっと猫舌な、だけで……その」
「ん?」
「お姉さんの淹れた、このココアが、いいです」
と、小さな手で抱えたカップを口に寄せて、僅かに一口。美春ちゃんの顔が真っ赤になっていた。でも真っ赤になった理由はきっと、ココアが熱いからじゃないはずだ。
な、なんだこの生物……!?
夕凪ちゃんもそりゃ可愛いよ。人なつっこくて私の後ろついて回ってくる元気な子犬みたいで。
でも美春ちゃんの可愛さは、それとはまた正反対なんだよな。大人しさからくる愛くるしさというか、保護欲をかき立てられるというか。私の淹れたココアを大切そうに抱える姿とか、とにかくもう! かっわいいな!
「お、お姉さん?」
「え? あ、ううん、なんでもないよ。熱かったら氷入れようか? あーでもそうすると薄くなっちゃうか」
「あ、あの」
「ん?」
「少し待って、冷まし、ますから。えへへ」
んんんっっっっっっ!!
少し赤らめた顔で向けられた笑顔は、破壊力満点だ。
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