第三章 お姉さんとワン子ちゃんの日常

第9話 ワン子ちゃんとストップウォッチ


 夕凪ちゃんから元気をもらったからか、翌日にはだいぶ体調も戻ってくれた。風邪をうつさないか心配だったけど、そんな心配も吹き飛ばすくらい、夕凪ちゃんは元気でいてくれている。それだけが心配だっただけに、本当によかった。

 そんな風邪もすっかり治ったある日の夜のこと。


「ちょっと優奈、だらしないわよ」


 お風呂上がりの私に、お母さんが声を上げてくる。

 そんなにガミガミ言うことでもないでしょ。ショートパンツとラフなTシャツ姿で、ソファに寝転がって肘掛けに頭と足を乗せながら、カップアイスを食べていただけなんだんだから。

 なんでもこの座り方、ひばりが言うには『小生意気な妹座り』とか呼ぶらしい。

なんで妹なんて名前が付くんだろ? しかも小生意気って。

 今度ひばりに聞いてみようと思うけど、普段から真面目だとか、お姉さんキャラだとか言われる私だって、こんな風に自堕落な姿だってするものだ。


「まったく……また風邪ひいてもしらないわよ」


 お母さんは親としての注意はするけど、そこまでしつこくは言ってこない。放任主義、というよりはくどくど言ったところで反発を生むだけだって、分かってるみたいで、注意だけに留めているのは正直助かる。


「お母さんこれから夜勤だから。戸締まりしっかりしてね」

「はーい」


 私は起き上がることもせず、声だけで返事を返す。

 するとお母さんは思い出したように頼みごとをしてきた。


「あ、そうそう。明日学校の帰りに」

「トイレットペーパーでしょ」


 言いたいことは分っている。

 スーパーでの安売りチェックはお母さん以上に私もしているんだ。


「あと掃除機のパックと洗濯用の洗剤も買っておくよ。あ、そうそう廊下の電球もそろそろ切れる頃だけど、ストック無かったと思う。買っておいていいよね?」


 と、聞いてみたんだけれど。


「優奈……」


 お母さん返ってきたのは、ちょっと妙な反応だった。

 思わずソファから顔だけ上げてみる。


「どうしたの……?」

「アナタってば、私よりも家のこと詳しくなったわね」

「そりゃあ、家事全般色々としてますから」

「私も助かるわ」


 我が家のお母さんとお父さんは共に病院勤め。それもあって、昔から夜に家にいないことも多い。

 子供の頃はそれを寂しく思うこともあったけれど、今じゃこの家の家事をほとんど任されていることが少し誇らしくもあるくらいである。


「早く寝なさい……なんて優奈に言うことでもないわね」

「そんなことないよ」


 成長しても、私がお母さんの子供であることには変わりはない。

 だからこうしてお母さんが自分を気にかけてくれることは――うん、やっぱり嬉しいな。


「お母さんも大変だろうけど、夜勤がんばってね」

「ええ。それじゃ優奈」

「うん、いってらっしゃい。それとおやすみなさい、お母さん」

「ええ、おやすみな……フフ、おやすみなさい」


 ん?

 途中で変に声が途切れたけど、なにかあったんだろうか。

 そんな疑問を感じながらも、玄関ドアのガチャッと閉まる音が聞こえてくる。


「………………」


 そして我が家には私だけになった。

 家族三人で暮らすこの家が、今は少しだけ広く感じる。

 寂しくないってわけじゃ無いけど、でもその感覚ももう慣れたものだった。


「さて、と」


 ソファに寝転んだまま天井を見上げる。

 宿題に予習復習も全部終えた。明日の朝ご飯の下ごしらえは夕飯の時に一緒に終えている。お風呂にも入って、風呂上がりのアイスも既に堪能済み。

 今日やらねばならないことは、もうなにもない。

 風邪をぶり返しても厄介だし、わざわざ遅くまで起きることもないだろう。

明日の学校のためにも、さっさと寝――


「ん……?」


 なんだろう。なんだか、下半身に違和感がある。

 ソファの肘掛に置いた足の間が、なんというかその……もぞもぞとするのだ。


「え、な、なに……?」


 一瞬、黒光りの御G様でも出たかと思ったけど……ちょっと違うみたい。

そういう虫が這い回るような感覚ではなく、もっと大きいものが動いている感じ。

 それこそ――小動物のような。


「ん!」


 と、短い声を上げ、太ももの間から顔が出てくる。

 それは小さなワンコ――ではなく。


「ゆ、夕凪ちゃん!?」

「来ちゃった、にしし」


 一体どこから!? いつの間にやってきたの?

 あ、そうか、玄関でのお母さん!

 妙なところで声が途切れたなとはと思ったけど、あの時に夕凪ちゃんが入れ替わりで入ってきたんだな。

 まったく、もう。お母さんもせめて一声かけてくれればいいのに。

 ふとももの間のような、僅かな隙間に顔を入れてくるのはそれこそワンコみたいで可愛らしい。だけど――


「どうしたのこんな時間に?」

「ゆなさんあそぼ!」


 満面の笑みで、元気よく。

 それこそ今が夜だっていうのも忘れるくらい。


「あ、遊ぼうって……」


 壁に掛けられたシックなアナログ式の時計を見てみれば、既に夜の十時を過ぎている。いつもの夕凪ちゃんだったらとっくにお眠の時間だ。


「うーん。もう夜も遅いし……」

「えーヤダヤダ~!」

「でも、もう寝ないと起きれないんじゃない?」


 夕凪ちゃんだって明日は学校がある。もし寝坊でもしたら大変だ。


「だから明日にしよ明日、ね?」

「むーっ遊んで遊んで遊んで!」


 騒ぎ出し、ソファの周りを駆け回る夕凪ちゃん。

 ありゃりゃ。ここまで駄々をこねるとは珍しい。

 さすがにこの時間にこの騒がしさは近所迷惑になりかねない……とはいえ、明日も学校がある以上、あまり遅くまで付き合ってあげるわけにもいかないしな。


「うーん……」


 そもそも遊ぶにしたって、なにをすればいいんだろ?

 それに夕凪ちゃんがこんなに興奮してたら、遊んだらますます眠気が飛んじゃうんじゃないかな。

 これは、困ったぞ。


「ねぇねぇゆなさーん」


 ソファから下げていた私の手を掴み、ブンブン振り回す。

 そんなに構って欲しいのか。


「もう、しょうがないな」


 やれやれ。

 私は寝転んでいたソファから起き上がる。


「少しだけだよ」

「やったー!」


 夕凪ちゃんも大喜びだ。だけど。


「でも静かに、ね。夜も遅いし、他の家にも迷惑になっちゃうから」

「はーい!」


 夕凪ちゃんもいつもの素直な返事でよかった。

 とはいえ、だ。さてどうしたものか。

 もう夜も遅いから、外に散歩ってわけにも行かないし。ポイッキュアでも見てればそのうち眠くなるかな?

 うーん、それも難しい気がするかも。

 ポイッキュアは女の子向けのアニメでも、すごくアクションも多くてハラハラドキドキしちゃって返って眠くならないよな、それに時間もかかりすぎちゃう。

 もっと簡単にできて、すぐに眠くなるような遊びは……。


「あ、そうだ」


 勢いよくソファから立ち上がって、そのまま自室へ。

 そして机の引き出しのなかを漁り出す。


「確かこの辺に……あ、あったあった」


 引き出しの奥にしまわれていたソレを見つけて取り出した。

 最近使っていないからな、まだ使えるといいんだけど。

 試しにボタンをいくつか押してみる。

 表示されたデジタルの数字が動き出し、もう一度ボタンを押せば数字が止まる。

よかった、壊れてないし、電池も切れてないみたい。


「ん、これなら大丈夫そうね」

「ゆなさーん?」


 私の後を追ってきた夕凪ちゃんが部屋へとやってくる。

 そうね。リビングでやるよりも、こっちでやったほうが都合もいいだろう。


「夕凪ちゃん、これを使って遊ぼ」


 そう言って、私はソレを夕凪ちゃんに見せてみた。


「それって、ストップウォッチ?」


 私の手に収まっていたのは、小さなストップウォッチ。

 昔は料理する時時間を計ったりするのに使っていたけど、最近はどれもスマホで事足りて、机にしまいっぱなしだったのだ。


「これでなにするの?」

「時間ピッタリ当てゲームよ」


 かわいらしく首を捻る夕凪ちゃんに私は簡単なルールを説明する。


「目を閉じて、決められた時間ピッタリを狙ってストップウォッチを止めるの」

「目を閉じるの? そしたら時間分からないよ?」

「そ。だから自分のなかで時間を数えるの。そしてここだって思った時にストップウォッチを止めて、目標の時間により近い方が勝ちよ」

「おー! おもしろそー!」


 よしよし、食いついてきたな。


「それじゃあまずは十秒にしよう。最初に私がやってみせるから」

 立ったままストップウォッチを握り、タイムが夕凪ちゃんに見えるように突き出す。


「夕凪ちゃんは時間を見ててね」

「うん!」

「じゃあ、いくよ。スタート!」


 カチリ、とボタンを押す。タイマーが動き出す。

 でも私は目を閉じているし、ストップウォッチも夕凪ちゃんに突き出しているから自分では見えない。


「いち、に、さん……」


 だから口に出して、歯切れ良く秒数を数えていく。


「よん、ご、ろく……」


 む、意外と難しいな。

 自分の中ではしっかり数えてるつもりだけど、実際のタイムとは微妙にずれが出てるはずだ。そのズレも秒数を刻むたびにドンドン増えている、はず。それを確認できないのも辛い。

 ピッタリを目指すのは多分無理かも、でも……そろそろなはず。


「じゅう! どうだ?」


 そうして見てみたストップウォッチの表示は、九秒前半。

 うん。まずまず、ってところかな?


「ゆなさんすごーい」

「ははは、ありがと。じゃあ次は夕凪ちゃんの番ね」

「うん!」


 ストップウォッチを渡し、簡単にボタンの説明をすると、夕凪ちゃんも私と同じように突き出してくる。


「いい、夕凪ちゃん? じゃあ、スタート!」

「いーち、にー、さーん……」


 私の合図と当時、開始のボタンを押す夕凪ちゃん。

 小さな目をとじて、数えるように頭を小刻みに動かしている。


「ごー、ろーく……」

「夕凪ちゃんホントに六秒かな~?」

「ちょっとゆなさん話しかけないで!」

「えぇどうして?」

「時間、時間わからなくなっちゃう!」

「フフ、ゴメンね」


 謝りながらも、私の口が僅かに微笑んだ。


「それで、今の時間は?」

「え、いまは……ああ、もう!」


 小さな指がボタンをポチ。

 表示されていた時間は既に十五秒を越えていた。


「ゆなさん!」

「フフフッ」

「もう邪魔しないで!」


 ふくれっ面になる夕凪ちゃん。

 かわいい。


「ゴメンゴメン。じゃあ、次はもう少し長くして、三十秒に挑戦してみよっか」


 再びストップウォッチを受け取り、目を閉じる。


「いくよー、スタート」


 そしてボタンを押した。


「いち、に、さん、しー……」


 見えない数字が動き出し、それを再び歯切れ良く数えていく。

 すると。


「ゆなさんゆなさん」


 夕凪ちゃんが意地悪そうな声で話しかけてくる。


「なあに夕凪ちゃん」

「明日の朝ご飯はなにー?」

「明日はね……」


 頭の奥で、冷蔵庫の中を思い出す。


「豆腐とわかめの味噌汁に、鮭を焼いて、さっき漬けた白菜ときゅうりの漬物……あ、あと晩ご飯の残りの煮物を出しちゃおっかな、っと」


 言い切るのと同時、ストップウォッチを止めた。

 タイムは――二十八秒。

 うーん、少し早かったか。


「すごーい! 夕凪が話しかけたのに」

「ふふーん、どうだすごいでしょ」


 偉そうに鼻を鳴らしているけど……残念ながらただの勘だ。


「じゃあ次は夕凪の番ね、いくよー!」

「あーちょっと待って」


 夕凪ちゃんが意気揚々と計りだそうとした時、私はその手を止めさせた。


「夕凪ちゃん、こっちに座って」


 そう言って私はベッドに腰掛ける。

 そして隣をポンポンと叩き夕凪ちゃんにおいでと呼んだ。 


「長い間目を閉じるから、立ったままだと転んだりして危ないからね」

「分かった」


 嬉しそうに返事を返し私の隣に座る夕凪ちゃん。

 そして再び目を閉じストップウォッチのボタンを押す。


「いーち、にー、さーん……」


 今まで同様、口に出して数え始める。

 よく見れば、ぶらぶらと揺らす足も、数える声に合わせて動いていた。

 そうして、しばらく。


「じゅうに、じゅうさん、じゅうし……?」


 時間を数えながら、夕凪ちゃんが不思議そうにしていた。

 さっきみたいに私が声をかけてこないから不思議に思っているんだろうな。

 でも今回はそんなことをしない。

 夕凪ちゃんには、数を数えることにちゃーんと集中してもらわないと。


「にじゅーきゅ、さーんじゅ!」


 ボタンを押す。

 でも、三十秒からは少し越えた時間だった。


「夕凪ちゃん、惜しかったね」

「うん」


 夕凪ちゃんも、悔しそうなのはさっきと変わりない。

 でも心なしか、さっきよりも落ち着きが見えた。


「じゃあ次は、もっと長く一分に挑戦だ。私がやってみるから、ちゃーんと時間見ててね」

「うん……」


 そう言って、三度ストップウォッチを押す。


「いーち、にー、さーん……」


 でも、さっきまでとは数え方を少し変えた。

 今までは一秒一秒の数を歯切れ良く数えていたんだけど、今回はあえて間延びするような数え方をしている。

 これでもっと正確に計れる……というわけじゃない。数え方を変えたところで、自分の中の体感時間は変わらないだろうし。

 むしろ、目的は別にあった。

 秒数を数えながら、閉じていた目をわずかに開けてみる。そしてチラリと隣の夕凪ちゃんの様子を伺ってみた。

 ストップウォッチの表示をまじまじと見ながら、私の声にコクコクと首を動かしている。よかった、作戦通り。これなら上手く決まりそうだ。


「ごじゅーきゅー、ろくじゅー! んーやっぱりズレちゃったか、悔しいな」


 止められたストップウォッチに表示されていた時間は一分から十秒近くズレたものだった。


「さ、今度は夕凪ちゃんの番だよ…………夕凪ちゃん?」

「ん…………わかっ、た」


 夕凪ちゃん、さっきまで騒がしくしていたのがウソのよう。

 目がトロンとしていて、眠そう。

 後一押しだ。


「そうだ、私も数えるの手伝うから今度は二人で一分めざそ?」

「うん……」


 夕凪ちゃんの背後に回る。

 そして夕凪ちゃんを抱きとめるように抱えて、一緒にストップウォッチを握った。

 夕凪ちゃんの体は柔らかくて、シャンプーと石鹸の優しい香りが僅かに鼻孔をくすぐってくる。


「いつでもいいよ、夕凪ちゃん」

「ん……」


 重そうな瞼をこすりながら、夕凪ちゃんが気怠く数を数え始める。


「…………いーち、にー、さーん……」

「しー、ごー、ろーく……」


 ストップウォッチを動かし、一緒に数字を数えていく。

 それだけじゃなく、私は数える数字と一緒に肩を軽く叩いてあげる


「なーな、はーち」

「きゅー…………じゅぅ……」

「じゅういち、じゅうに」

「じゅぅ、さぁん………………じゅぅ、ぃ…………」


 そうしているうちに――


「…………スー……………スー………」


 夕凪ちゃんは寝息を立ていた。

 そりゃあ、そうだろう。

 ストップウォッチの数字をまじまじと見たり、数を数えていたりすれば、誰だって眠くもなる。目を閉じていたとなればなおさらだ。

 極めつけに一定のテンポで肩を優しく叩いてやれば――それでフィニッシュだ。


「よいしょっと」


 もたれかかっていた夕凪ちゃんを、ゆっくりとベッドに寝かせてあげる。


「随分と気持ちよさそうに眠っちゃって、コイツめ」


 ぷにぷにとしたほっぺを軽く突くけど、夕凪ちゃんは目覚める様子は無い。ベッドは奪われちゃったけど、この寝顔に免じて許してあげよう。

 風邪をひいてからは、夕凪ちゃんになかなか構ってあげられなかったもんね。風邪がぶり返しても大変だし、それにベタベタくっついたりするのをやめさせたかったのもあったから、ちょうどいいかな、なんて思ってたんだけど……今日の駄々のこね方はその反動だったのかも。

 でも、私も風邪も治ったし、また明日から今までみたいに一緒に遊ぼうね。

 だから、今日は――


「おやすみ、夕凪ちゃん……」


 返事の無い寝息。

 私にはそれが、おやすみなさいという夕凪ちゃんの声に聞こえた気がした。

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