第8話 お姉さん風邪をひく
多分、大丈夫だろう。
なーんて昨日は思ってたんだけど……甘かった。
「…………ぅー……」
ベッドの上、暖かな布団にくるまれながら私は目覚めた。
時間は……今何時だろ、よく分からない。
少なくともとっくに登校時間は過ぎているのは確かだ。なにせ、今日目覚めるのはこれで三度目なのだ。
「………………」
ダメ、やっぱり起き上がりたくない……。
体は怠いし、頭も痛い。体の内側は熱っぽいのに、外側はひどく寒く感じる。
完全に風邪だ。
「今日は休みなさい。学校には連絡しておくから」
今朝、仕事に行く前のお母さんにそう言われてからずっとベッドで眠り続けていた。
原因は……まあまず間違いなく昨日の雨のせいだろうな。
そんなに雨も強くないから大丈夫と思っていたのが甘かった。こんなことなら素直に傘を買っておけば良かったよ。
(……今、何時だろう?)
再び時間が気になってくる。
携帯を見ればすぐに分かることだけど……ハァ、そんな気力も湧いてこない。
窓から射す陽の光は、昼前に起きた時と変わらず。その時から食欲もあんまりなくて、お腹の減り具合で時間を計ることもちょっとできなさそう。
お母さんは……多分まだ仕事かな。家の中に人の気配を感じない。
「…………」
普段以上に重く感じる体で、なんとか寝返りを打って見つめる部屋のドア。
家に誰もいないから、誰かが開けることもない。
だからドアノブすらも動くこともない。
まるで……世界がこの部屋だけになってしまった気さえしてくる。
「…………」
あー……。
これは、まいったなぁ……。
さすがに、チョット来るものがある。
体調が悪くなると無性に弱気になってきちゃう。
なんだか……うん、そう。
「…………寂しい」
………あーあ。
口に、しちゃった……。
誰も聞いていないのに、出てきてしまった。
言葉にしちゃったせいだろう、フワフワとする体のなかで、感情がぐちゃぐちゃになって溢れ出てきそう。
あぁ……こんなことなら起きなきゃ良かった。
「…………寝よ」
起きてたって仕方がない、体も心も辛いだけ。
ならせめて夢の中に落ちて心を落ち着かせ、体の辛さも薬が効いてくるのを待とう。
一度瞬きをして、ゆっくり瞼を閉じようとする。でもその時だ。
「……?」
部屋の入り口、扉のドアノブが僅かに動いているように見えた。
(お母さん……?)
一瞬そう思った。でもお母さんならノックをしてくるはず。
それに、なんというか、ちょっと奇妙なのだ。
ドアノブの動きが、まるでスローモーションのようにゆっくり動いている。
(ああ、そっか……これ、夢なんだ……)
誰もいない家で、ドアノブがひとりでに動いている。そんなこと普通はありえない。
だからそう、これは夢だ。
風邪を引いた時に見る、変な夢。
そのうち壁や床がぐにゃりと歪んで平衡感覚もなくなってくる。そして部屋のぬいぐるみやインテリアが勝手に動き出し、変な踊りを踊り始めるんだ。
だからそう。気にしても仕方ない。もう、このまま……。
「…………」
そのまま眠気に意識を預けようとした時、開けられた扉の前に誰かがいるのが見えた。
でも、それはやっぱりお母さんではない。
もっと小さくて、子犬みたいな……そう。
「夕凪ちゃん……?」
真っ赤なランドセルを背負った小さな女の子。
やっぱり夢なんだろう、そう思う。
だって、一回瞬きしただけで、映画のワンカットが抜け落ちたみたいに、開いていたドアが閉まってて、夕凪ちゃんも部屋の中にいるんだもの。
でも、そんな夕凪ちゃんの姿はすごくハッキリとしている。まるで現実みたいに。
でもこれは夢なんだろう。熱にうなされているせいで、見る夢。
でも……たとえ夢であっても、それでもいいや。
私の前に来てくれたことが、すごく嬉しかった。
「ゆなさん……」
でも、夕凪ちゃんに元気がない。
いつもの元気の良さはどこにいったんだろう。
どこか悲しげに聞こえてくる。
もしかして……夢じゃなく現実、なのかな。
もしこの夕凪ちゃんが本物なら――
「ゴメンね、夕凪ちゃん…………風邪、うつっちゃうから、ね?」
本物の夕凪ちゃんなら、ここにいたら風邪をうつしちゃう。
来てくれたのは嬉しい、本当に嬉しい。
でもそれ以上に夕凪ちゃんにまで、迷惑はかけられない。
「………………」
そんな心配を知ってか知らずか、扉の前から、とてとてと静かな足取りで近寄ってくる。そして、ワンコのように上半身を布団の上に投げ出し、優しい目でこちらを見つめてくる。
「夕凪ちゃん……今日は」
「ごめんなさい、ゆなさん……」
?
どうしたんだろう夕凪ちゃん。
急に謝るなんて――
「夕凪が、昨日濡れたレインコートでくっついたから……」
ああ、そっか。
夕凪ちゃん、気にしてたんだ。
自分のせいで、私が風邪ひいちゃったんじゃないかって。
なんだか、おかしな気分だ。
「夕凪ちゃんのせいじゃないよ」
「…………」
「昨日は、朝から調子悪かったから……だから気にしないで、ね?」
それでも夕凪ちゃんは離れてくれない。
困ったな。
このままじゃ、ホントに風邪をうつしちゃうよ。
「ん……?」
ふと、夕凪ちゃんの手が布団の中に入ってくる。
まるでなにかを探すように温かい布団の中をかき分け、もぞもぞと動いている。
そして、探していた物をみつけたようだ。小さくて柔らかな手が私の手を優しく握る。
力の抜けた私の手を、夕凪ちゃんの手が少しだけ強く握ってくる。
「夕凪ちゃん……風邪、うつっちゃう……」
「うつっていいもん」
「え?」
「うつしたら、ゆなさん元気になってくれるもん」
夕凪ちゃんってば……。
嬉しい一言だ。風邪で弱った私には、すごく効いてくる。涙まで出そう。
「……そうなったら、今度は夕凪ちゃんが風邪ひいちゃうよ?」
「いい」
「熱が出て、咳もして……学校にも行けないし遊んだりも出来ないんだよ?」
「いいの」
「ダメだよそんなの……」
「いいったらいいの」
「……ホントに?」
「うん」
「……どうして?」
私の疑問に、夕凪ちゃんは答えてくれた。
「だって夕凪が風邪ひいたら……ゆなさんが看病してくれるもん」
「夕凪ちゃん……」
「ゆなさんにリンゴ剥いてもらって、おかゆも作ってもらって。フフッ風邪引いててもゆなさんが居てくれるなら、辛くない」
握られた手が温かい。
手を通して、夕凪ちゃんの体温が私の中に入ってくるようだ。
「そうやって夕凪ちゃんを看病してたら……また私が風邪ひいちゃう」
「そうしたらまた夕凪にうつせばいいよ」
目一杯の笑顔で、夕凪ちゃんが笑ってくれる。
その笑った顔を見ているだけで、体から元気が湧いてくる。
風邪だって吹き飛んじゃいそう。
それになにより、そう――とても心地よい。
「ありがと。ゆうなぎちゃん……」
そうして私は、再び眠りに落ちた。
握った手の感触を感じたまま。
ゆっくりと静かに、深く、深く。
眠りに落ちてからも、その手の感触は不思議とずっと感じていた。
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