第26話 お姉さんどうした?

 学校の予鈴が高らかに鳴る。朝のHRを知らせる鐘だ。

 普段の私ならそれを教室で聞いていただろう。

 ひばりや友人達と宿題のことや、見つけた面白い動画を教え合ったりして盛り上がりながら、予鈴と共に自分の席へ戻り教師を待つ。出席を確認され朝の連絡事項が終わればその日の授業の始まりだ。

 そんな予鈴の鐘を、私は今廊下で耳にしている。

 それも走りながら。


「す、すみません!」


 教室の後ろの扉を勢いよく開けて私は叫ぶ。息を切らしながら教室を見回すと、教師とクラスメイト達が驚きもせずこちらに振り返ってきた。


「姉帯、遅刻だぞ」


 くたびれたシャツを着た男性の担任教師が気怠げに告げる。どうやら出席を取り始めたところだったらしい。


「優等生の姉帯は知らんと思うから、一つアドバイスしてやるよ」

「……?」

「遅刻した時は、扉を勢いよく開けて『遅刻しました!』なんてわざわざ自己主張しないで、もう少し控えめに入ってくるもんだ」

「す、すみませんでした……」


 教室中からクスクスと笑い声が上がる。

 私は気恥ずかしさに包まれながら、体を小さくしつつ自分の席へ。


「珍しいわね、優奈」


 中断された出席確認が続けられる中、前の席に座るひばりが体を捻って話しかけてくる。


「学校を休むことはあっても、遅刻するなんて」


 優奈らしくないわね。などと、苦笑されるのは友人であっても少し恥ずかしい。


「ちょっと、寝坊しちゃって……」

「ふーん」

「な、なによ……」

「その様子、まーたなんかあったわね?」


 意味深に何度も小さく頷くひばりは、どうやらまたなにかを察したようだ。


「……………………」

「はいはい。後で話聞いてあげるから、まずは鞄降ろして座ったら?」


 そう促されて、いやに重く感じる鞄を机の上に置いた。




「なるほどねぇ」


 HRが終わり、最初の授業を迎えるまでの短い時間、皆がいそいそと授業の準備をする中で私はひばりに昨日家に帰った後のことを話した。


「自分の気持ちをはっきりさせたいがために、ワン子と距離を置く、か……」


 授業までそう時間もないので、かいつまんだ内容になってしまったけれど、内容はちゃんと伝わったみたい。


「昨日別れた後、そんなことしてたとはね」

「そうなの……」


 その説明をしただけで、なぜだかすごく疲れた。体がグッタリして朝から自分の机に突っ伏してしまうほど。


「やってることが完全にカップルじゃん」

「………やめて。真剣に悩んでるんだから……」


 おかげで友人の冗談交じりの嘲笑ですら、神経が苛立ってきそうだ。


「それで? それだけ真剣に考えたら、答えの一つも出たんじゃないの?」

「………………」

「なるほど。そりゃあ寝坊もするし遅刻もするか」


 優奈らしいわ、とひばりが笑う。

 そう、まさに彼女の言うとおりだった。

 昨日から、考えて悩んでまた考えて。それを何度も何度も繰り返してテスト勉強どころではなかった。

 仕方ないから諦めて眠りについても同じこと。

 布団の中でも同じような自問自答を繰り返して……果たしてあの時の私は眠っていたのか起きていたのか。それすらも分からない。

 おかげさまで、無事に寝坊からの遅刻という滅多にない経験をしてしまったものだ。


「ま、私もハッキリさせた方がいい、なんて言っちゃったしね。相談には乗ってあげるから」

「ありがと……」


 ともあれ、友人であるひばりの優しさが今は身に染みる。

 ありがたく、その親切を受け取ろう。


「とりあえず悩むのは後にしましょ。今は目の前に立ち塞がるくだらない授業の準備をしないと」

「そうね……」


 もうすぐ授業開始のチャイムが鳴る。

 一限目が移動教室じゃなかったのはホントよかった。今は移動とか立ち上がるとか、そういう言葉ですら煩わしいんだもの。

 とはいえ、はやく授業の準備をしないと……って、あれ?


「どうしたの優奈?」


 授業の準備をしようと鞄のなかを漁っていたんだけど……ない。

 教科書どころか予習復習をしてきたノートまで。鞄の中に入っていないのだ。


「教科書とノート、忘れたみたい……」

「えー!? なにしてるのよ優奈」


 確かに昨日入れたと思ったのに……。


「いや……それだけじゃなくて……」

「?」


 その代わり、なのだろうか。

 どういうわけか、鞄の中には見慣れないものがあった。

 私は、恐る恐るそれを手に取り、鞄から引き出す。


「ねぇ優奈……」

「……………」

「一限目は数学で、家庭科じゃないわよ……」

「分ってるわよ……」

「それじゃあ、なんで――」


 取り出したのは、真っ白で、見慣れた四角い板。


「なんで、フフッ、鞄から、まな板が出てくるわけ?」


 家で使っているまな板が、どういうわけか鞄の中に入ってた。

 そりゃあ、やけに鞄が重いなとは思っていたわよ。

 だからって……だからってなんで鞄の中にまな板が入ってるわけ? いくら教科書やノート忘れても、まな板を入れて来るって、どういうことなの?


「嘘でしょ……」

「アッハハハハハハハハッ!」


 ひばりが声を上げて笑いだす。 


「寝坊に遅刻、その上まな板、まな板持ってくるとか、ギャグマンガじゃないんだから! ハハハハハッ!」

「最悪……」


 予鈴のチャイムは、無情なまでに時間通りに鳴り響いた。

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