第30話 お姉さんの気持ち
学校も午前中で終わる土曜日といえど、中間テストが週明けに始まる私達にはあまり関係がない。
私とひばりは学校終わりにファミレスへと直行。頼んだクラブサンドをドリンクバーのドリンクで流し込んで、ランチを味わうのも程ほどに勉強を開始。
いままでの私なら、もっと余裕を持てていたと思う。
テスト期間が終わったらなにをしよう、カラオケかな、それともショッピングかな。そんなことを談笑しながら勉強をしていたに違いない。
だけど今回に至ってはそんな余裕は微塵もなかった。
「…………」
カリカリ、カリカリ。
一心不乱にノートに向かう。
日頃から勉強はしている。しているはずなんだけど……どうにも身になっている実感がない。
夕凪ちゃんとの時間が無くなって、勉強に費やす時間は増えたのは間違いないはず。そのはず、なんだけど。
「ょっと……」
いざ机に向かおうとすれば、しつこい訪問販売がやってきたり、冷蔵庫が不調をきたしたり。コーヒーを入れようものならカップの取っ手が折れるなど、普段滅多に起こらないトラブルばかりが舞い込み、集中させてくれない。
夜遅くまでノートにかじりつくように取り組んでいるけれどいつも集中力は欠けてストレスも溜まるし、睡眠不足なせいか肌も髪も大荒れだ。
「……ってば」
こんな状態、早く抜け出したい。
そのためにはどうすればいいのか。
簡単な事よ、答えは出てる。
そう――さっさとテストを終わらせる。
そのためにもっと勉強を――
「ねえ優奈!」
「えっ……ッ!?」
呼び声に気づいて、勢いよく顔を上げた。
でもその瞬間――
ガッシャーン!
突如、盛大な音が響いた。
「あ……」
顔を上げた時にたまたま私の肘がドリンクのコップにぶつかり倒し、たまたま僅かに残っていたドリンクの中身がこぼれ、そしてたまたま広げてあったノートに氷が溶けて薄まったブドウジュースがぶちまけられた。
つまるところ、テーブルの上は大惨事だ。
「…………ッ」
「優奈……」
店中の人々から一斉に注目を浴びる中、頭を抱える私。
咄嗟に自分のノートだけは持ち上げ守り通したひばりは呟く。
「こりゃダメだ……」
「はい、これ」
テーブルに溢したジュースを拭き終えると、ひばりがドリンクバーから新しくカフェオレを持ってきてくれた。
「ありがと……」
また取っ手が壊れないかと、恐る恐るソーサーごとカップを受け取り一口。
僅かな苦みが口に広がり、遅れてミルクの甘みがゆっくりと染み渡ってくる。カフェオレの熱がお腹の奥をほんのり暖めてくれた。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「………………」
「さっきの空回り具合、呆れるの通り越して心配になるレベルよ」
「ごめん……」
「まさか、なんでもできる優しいお姉さんこと優奈が、こうまでダメになるとは……ある種なかなか見れない一面だっだわね」
「………………」
「せめてツッコミなさいなって」
もうそんな気力もなかった。
頑張ろうとして頑張って、それで周りに迷惑かける。なんて滑稽なんだろう。
「この調子じゃ、テストもまずいんじゃない?」
「………………」
「ねぇ、その不調の原因ってどう考えてもあのワン子でしょ」
ひばりの言うとおりだと思う。
夕凪ちゃんと距離を置いてから、明らかに調子が悪い。それはもうずっと前から分かっている。
分かって、いるんだけれど……。
「犬を飼うと健康になったりストレスが下がって幸福度が上がったりする、なんて医学的にも言われてるらしいけどさ、ペットがいないだけで、まさかその逆になるとはね」
「夕凪ちゃんのこと、ペットだなんて思ってないわよ……」
一旦距離を置いたというのに、いまだに答えが出せていない。
自分は夕凪ちゃんをどう思っているのか、ハッキリとした言葉はでてきていないのだ。
「あれから、会ってないの?」
「うん……」
我ながら返す言葉も力が無かった。俯き覗くカフェオレには、自分がどんな顔をしているのかも映してくれない。
「そんなに辛いなら、会えばいいじゃない。遠距離恋愛の彼氏でもなし、お隣さんなんだから」
「そうなんだけど、ね……」
そんな私に、努めて明るく振る舞おうとするひばり。その優しさが今は少しだけ嬉しかったけど、私の言葉は詰まってしまう。
「なにか理由でもあるの?」
理由か……。
理由は、いくつもある。
自分から言い出したことだとか、タイミングが合わないとか。
実際、一度会いに行こうともしたんだ。でも、一番の理由は……
「夕凪ちゃんとはね、それこそ毎日のように会ってたの……」
思い返す必要が無いくらいずっとそう。
朝も夜も、私達はいつも一緒だった。
「朝は呼んでもいないのにやってきては、寝ている私の布団の上に飛び乗ってくるし、登下校もまるでお散歩のように楽しそうに歩いて。そして私の作った晩ご飯をそれはもう美味しそうに食べてくれる」
周りから見ればただのお隣さん。
せいぜい仲のいい歳の離れた友達同士。
それなのに、こうして何日も会わないことの方が珍しいくらいだ。
「それがまさか、数日会わないだけでこんなことになるなんて……」
「それだけ、優奈にとってあのワン子の存在が大きかったんでしょうね」
そうなのかもしれない。
いや、きっとそうなんだろう。
だけど……。
「いつも駆け寄ってくるのは、夕凪ちゃんの方だった」
子犬のように真っ直ぐ駆け寄ってくる夕凪ちゃん。
私はそれを受け止めて、二人で笑い合う。
それが私達のいつものやりとり、日常の風景。
「どうせしばらく会えないってなっても、きっと夕凪ちゃんは我慢できなくなってやってくるだろうなって、心のどこかで思ってた」
以前、むやみにくっついたりするのをやめようと提案した時もそうだった。急な提案に驚いて泣き出しちゃって。結局は嘘泣きだったけど本心はどうだったのか。
夕凪ちゃんは私のことを、ゆなさんゆなさんと慕ってくれて駆け寄ってくる。
何日も会わなければ、きっと寂しくて耐えられず必ずやってくるだろう。
そして私はまた、やれやれしょうがないな、とため息をつきながらも心のどこかで嬉しそうにするんだろう。
今回だってきっとそうなる。そう思っていた。
そんな日常が続いていたんだから、そう思うのは当たり前じゃない。
「………………」
「でも、夕凪ちゃんが全然来ないってなると、さ……夕凪ちゃんは、今の状況を特になにも感じてないんじゃないかなって、思えて」
こうしてヤキモキしているのは私だけで、夕凪ちゃんは特になにも思わず、普段通りの生活を過ごしているんじゃ無いだろうか。
私は高校生で夕凪ちゃんは小学生。過ごす場所から付き合う人々、生活環境もなにからなにまで違っている。
私が高校でひばりと話をするように、夕凪ちゃんだって小学校で自分の友達との時間を過ごしているだろう。
私と会わなくても、夕凪ちゃんは楽しくやっているのではないだろうか。
私がいなくても、それはそれで満足しているんじゃないだろうか。
もし、そうだとするのなら――
「夕凪ちゃんが今のままでも大丈夫なら、その方が夕凪ちゃんのためなんじゃないかなって、ね……」
お隣同士とはいえ、高校生と小学生。自然と家に上がり込んできて、お風呂の時も勉強している時も関係無しに、主人に飛び掛かってくる大型犬のように、ゆなさんゆなさんと呼んでやってくる。
そんな私達の関係が今までおかしかった。色んな意味で無理があったんだ。
「そう、きっとこれが普通なのよ」
私には私の生活があって、夕凪ちゃんにも夕凪ちゃんの生活がある。それが今までたまたま重なり合っていただけのこと。
そう――こうしてお互いに別な生活を送ることが、普通のことなんだ。
「………………」
手にしていたカフェオレを口に運んでいく。
でもカップの熱は、とっくに残っていなかった。
「ねえ、優奈……」
今まで黙って聞いていたひばりが、徐に口を開く。
カップから顔を上げた私に、彼女は言った。
「アンタ、以外と自惚れてるのね」
あっさりと出てきたのはあまりに意外な一言を。
「う、自惚れてるって……そん」
「そんなつもりない、なんて顔しないでよ。『愛しのあの子は私のこと好きだから、最後には私のところにきてくれる~』なんて、痛いヒロインじゃない。今時の少女マンガにも出て来ないわよ」
「べ、別にそういうわけじゃ」
「それになにより、私にはとてつもなく気にくわない点がある」
とてつもなく、きにくわない点?
「な、なに……?」
「さっきから……ううん違うわね、ずっとよ」
「?」
「優奈はワン子のことばっかり気にしているけど、肝心なことがずっと抜け落ちてるのよ」
肝心な、こと?
それって、一体……
「だから、優奈はどうしたいのかってこと」
私が――どうしたいか?
「夕凪のためだとか、そういうことばっかり口にしているけど、優奈自身はどうしたいの?」
「わ、私は……」
どう、したいんだろう……。
今の不調を改善したいとは思っている。でもそれは夕凪ちゃんとは直接関係の無いことだし、まして自分のために夕凪ちゃんを利用しようなんてそんな都合のいいこと考えてもいない。
夕凪ちゃんには、ただ寂しい思いをさせたくないってだけで……。
………………………………
ううん、そうじゃない。
私自身は、どうしたいんだろう。
分からない。分かりそうなのに……答えが見えない。
「優奈はさ、実際立派だと思うよ」
「?」
「お隣さんってだけで小学生の夕凪の面倒見てさ。それだけじゃなくて調理実習でみんなの手伝いを進んでしたり、こうしてテスト勉強に付き合ってくれたり。夕凪だけじゃなく、私達みんなのお姉さんみたいなもんだよ」
「……………………」
「でもさ、だからって自分の気持ちを押し殺すことはないんじゃない?」
気持ちを、押し殺している……。
私が?
「優奈はさ、もっと素直になっていいのよ」
「素直にって……」
別に私は……。
私は、ただ――
「私はただ、夕凪ちゃんが心配なだけよ」
「そう」
「だって……だってお風呂で走って滑りそうになったり、外で元気よく走り回って倒れたり。そんなにはしゃぐ夕凪ちゃんが映画館で静かにできるかどうか不安になるじゃない」
「ええ、そうね」
ひばりは私の言葉を否定もせず、ずっと相づちを打ってくれている。
「雨の中駆け寄ってきたり、予防注射で泣き出しちゃって、おばさんのことを嫌いって言っちゃって」
「うん、うん」
「いつも私をゆなさんゆなさんって駆け寄ってきて、でも時々、悪戯してきたり……」
言葉が止まらなかった。でもそこでようやく気が付いたことがある。
私の一方的な言葉にひばりがずっと相づちを打ってくれているのは、私の中から言葉を吐き出させるようにしているのだ。
それに気づいても、私は止まらなかった。
出てくるのはどれもこれも、同じ事。
夕凪ちゃんのことばかり。
そうだ、私は――
私はただ夕凪ちゃんと一緒にいたい。
一緒に晩御飯を食べて、一緒に遊んで、一緒にポイッキュアを見て。
そして、夜遅くまでおしゃべりして、一緒の布団で眠りたい。
たまに悪戯や飛びかかられて翻弄されることもたくさんある。
だけど、夕凪ちゃんと楽しい時間を共に過ごしたい。
だから――
「……夕凪ちゃんに、会いたい……ッ」
それだけだった。
ワンコのように人懐っこくて、こっちの都合お構いなしに飛びかかってくる。私の傍を離れずついて回って慕ってくれる、そんな夕凪ちゃんに、会いたい。
会いたくて会いたくて――どうにかなってしまそう。
そう気づいたら、いてもたってもいられなかった。
「……私、行かないと」
「そうしな」
「ごめん、ホントごめんひばり」
「いいから。ほら、さっさと行きなさいって」
テーブルの上で乾かしていたノートやペンケースを慌てて鞄に詰め込んでいく。
そして微笑ましい表情で見送るひばりを置いて、私はファミレスから駆け出した。
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