第3話 お姉さんとお友達
「ねえ、一言だけ言わせて優奈……イチャつくカップルか!?」
学校の休み時間。
私は一昔前に流行った芸人のようなツッコミをされていた。
「い、イチャつくだなんて、そんな」
「いやいや、いやいやいや!」
大きく手を振ってないないと言わんとする。
私の机の前に座る彼女は、小学生の時からの友達、水無瀬ひばり。
セミロングの髪を緑のリボンで留めたポニーテールに、凛々しく引き締まった目鼻立ちと橙色の瞳。
控えめな胸ながら、細い腰回りと手足が、モデルのような体型で歩く姿は女子の私から見ても綺麗だなって思う。
だけどその中身はと言うと……男勝りというか、ガサツというか……。
「優奈の話はどう聞いても、カップルのノロケにしか聞こえないって」
「夕凪ちゃんは別にそういうのじゃ」
「ホントにぃ~?」
ジトーっといやらしい疑いの目を向けてくる。
椅子の座り方もスカートなのに足を大きく広げちゃって背もたれに肘をつける姿とか……ホント、オヤジくさいのよね。
典型的な黙っていれば美人、ってタイプなのがもったいない。
「ただ家がお隣同士で、両親が共働きだから面倒見ることがよくあるだけよ」
「だからって高校入ってからも面倒見続けるものなの?」
「それは……付き合いも長いし」
「それだけ?」
「それと、一緒にいると楽しいから……」
「……完全にのろけてんじゃないのよ」
やれやれと言わんばかりに、ひばりがため息をつく。
「それに、その悩みのこともそう」
私は今日、彼女にある相談を持ちかけていた。
相談したのは、夕凪ちゃんとのこと。
先日の公園で彼女に飛び掛かられた時、なんというか、こう……抱いてはいけないような、邪な感情が体を駆け巡ってしまったことを相談したかったのだけれど。
「まあ? うちらも華の女子高生なわけですし、そういう劣情を抱くのは健全な証拠だと思うけどねぇ」
「れ、劣情って……」
「それこそ、悶々とするなら一人で処理を――」
「ひばり!?」
いきなり何を言い出すのよ、この子ってば!?
「アハハッ、優奈ってば真っ赤になっちゃって」
「私は真面目に悩んでるだからッ」
「私だって真面目に答えてるわよ」
「そうなの……?」
茶化されてるようにしか聞こえないんだけど。
「ホントよ。今の世の中、色々寛容になりつつあるし、同性同士のカップルだって別に珍しくないでしょ」
「それは、まあ……」
そういう話は私だって耳にする。
男性同士、女性同士。カップルという付き合い方だけでなく、人生のパートナーっていう関係を結ぶ人達もすごく増えているらしい。
「中学まで一緒だった桜井さんって、優奈は覚えてる?」
「覚えてるわよ。たしか水戸の女子校に進学したって聞いたけど」
「この間ね、駅前で見かけて声をかけたのよ。一緒に同じ制服のかわいい子もいて『桜井さんのお友達?』って聞いたら、なんとその子と付き合ってるんだって」
「ええーっ!」
中学の時の桜井さんは、男子が苦手って普段から口にしてたけど、ちょっと猫かぶりなところもあったから、実際はどうなんだろうとか思ってたけど……それがまさか女子と付き合ってるなんて、ちょっと意外だ。
「私も驚いたわよ。やっぱり桜井さんの学校じゃそんなに珍しくないんだって」
「へー、そうなんだ……」
「話を戻すけどさ、優奈も私も女子高生なわけですよ」
「まあ、そうね」
「青春真っ盛りな今なんだから、そういう感情を抱くことだって、なにも不思議なことじゃないでしょ?」
「そ、それは……」
確かにひばりの言う通りだと思う。
そうだとは思うけど、私は――
「とはいえよ、優奈……」
「……?」
「相手が小学生ってのは……ちょーっと業が深いんじゃない?」
ご、業!?
そりゃ相手が小学生なんて犯罪スレスレだけど、ってそうじゃなくて!?
「だ、だから、私と夕凪ちゃんはそういうのじゃないの!?」
だから困っているのに……。
この友人ときたら、まったく!
「ほら、私はただ、小さい子の面倒を見てあげてるだけで」
「言い訳が既に犯罪者のそれなんだけど」
「違うってば。本当にそれだけなの!」
「へーホントにぃ?」
「ええそうよ。この間だって――」
「ん? 映画を見に行きたいの?」
ある日のこと、いつものように夕凪ちゃんの面倒を見ていた時、夕凪ちゃんがそんなことを言い出してきた。
「うん、ポイッキュアの映画が見たいの」
夕凪ちゃんの言うポイッキュアというのは、日曜の朝に放送している、女の子がワンコに変身して戦う女児向けアニメ『ワンと飛び出せ、ポイッキュア』のことだ。
私もたまに夕凪ちゃんと一緒にアニメを見ることがあるから知っているけど、たしかちょうど今、映画を公開していたはずだ。
「映画館かぁ……」
うーん、ちょっと心配だなぁ……。
映画を見るだけならなにも問題はないんだよね、実際家では夕凪ちゃんと一緒に見ることはよくあるし。
ただ、それが映画館でとなると、うーん……。
夕凪ちゃんは、とにかく大人しくしているのが苦手だ。家でアニメを見ていても、すぐにソファから立ち上がってはしゃぎ回ったり騒ぎ出したり。
家の中ならよくても、他のお客さんもいる映画館となると、騒がず大人しく席に座っていられるかどうか。
「うーん……映画館じゃなくて家で見るのは、どう?」
一つ前に公開していた同じポイッキュアの映画なら、配信サービスで見ることができるはず。最新作ではないが、それで我慢してくれないだろうか。
「ヤダヤダ、新しい映画が見たいの」
だよねぇ。
わざわざそんなことを言いだしてくるんだから当然か。
でも、やっぱり夕凪ちゃんには映画館はまだ早い気がするんだよな。
夕凪ちゃんには、悪いけどここは……。
「おかーさんにもお願いしたの」
夕凪ちゃんの顔が、ションボリとなる。
「でもね、お仕事だから一緒に行けないのって言われちゃって……」
「………………」
ああ、そうだ。
その気持ちは、私もすごく分かる。
私も両親が共働きで、同級生達が見に行った映画や、遊びに行った遊園地の話を聞く度、羨ましく思ってたっけ。
でも、お父さんとお母さんは仕事が忙しいからなかなか連れて行ってもらえなくて。それが寂しくて寂しくて、泣いちゃうことも子供の頃にはあったな。
私もまだ高校生で、出来ることも決して多くはない。それでも、出来得る限り夕凪ちゃんには同じ思いはさせたくはない……。
「だからお願い、ゆなさん」
夕凪ちゃんがスカートの端を掴んでフリフリ揺らす。その上、涙目の上目遣い。
この生物、可愛すぎる! この可愛さはいずれ癌に効くに違いない。
「はあ……分かった」
仕方ない、ここは私が面倒見よう。
※
そう決意して、次の休日――
私達は一緒にバスに乗って、映画館が併設されたショッピングモールへ。
「映画館だー!」
シックな雰囲気の映画館のロビーを前にして、夕凪ちゃんは目をキラキラさせてすごく喜んでいる。
うん、今日は来て良かったな。きっと夕凪ちゃんも楽しんでくれるに違いない。
でも、その前に――
「ちょっと待って夕凪ちゃん」
駆け出そうとする夕凪ちゃんを呼び止め、目線を合わせて問いかける。
「私との約束、覚えてる?」
「えっと……」
少し悩む様子を見せてから、夕凪ちゃんの小さな唇が答えた。
「大人しく、座って見る」
そうね、と私も大きく頷く。
「映画館には夕凪ちゃん以外にもポイッキュアを楽しみに見に来る子がたくさん来るからね。それと?」
「えと、えっと……騒いだり、おしゃべりしたりしない」
「うん、正解。ちゃんと覚えてて偉いね、夕凪ちゃん」
「えへへ」
「約束、ちゃんと守れる?」
彼女は元気よく答えた。
「うん!」
その素直さが眩しいくらい。これなら大丈夫かな。
「よし。じゃ行こっか」
夕凪ちゃんの小さな手を握り、私達は一緒に歩き出す。
予約していたチケットを受け取ったら、今日はうちのお母さんと夕凪ちゃんのおばさんからお小遣いをもらっているので、飲み物だけじゃなく贅沢にポップコーンも買って劇場へ。
薄暗い劇場のなかで席につくと、夕凪ちゃんは普段見慣れない場所に少しソワソワしている。
そんな夕凪ちゃんに、私は小さく囁いた。
「夕凪ちゃん、夕凪ちゃん」
「なーに、ゆなさん?」
「実はね、私も今日の映画楽しみだったの」
「ゆなさんも!? やったー!」
夕凪ちゃんがキラキラした笑顔で喜びだす。
ワクワクする夕凪ちゃんとそれを見て微笑む私。
やがて明かりが落ちて場内が暗くなる。
「ほら、始まるよ」
「ゆなさん、しーっ!」
と、小さな唇に当てて指を立てる夕凪ちゃん。
「そうだった、しー」
二人で笑い合う中、映画の告知が流れていく。
「うわぁ」
夕凪ちゃんは改めて目を輝かせていた。
初めての映画館、大きなスクリーンに大迫力の音響。家では味わえない感覚に驚きと興奮がせめぎ合っているみたい。
暗さに目が慣れた頃、見計らったかのようについに映画が始まった。
『ワン ワン ワン ワン。ワンと飛び出せ――ポイッキュアー!』
タイトルコールと同時、流れ出す主題歌。
テレビのオープニングと同じ曲だけど、後ろで流れる映像は普段とはちょっと違っている。
さて、まずは第一関門だ。
アニメのオープニングが流れ出すと、夕凪ちゃんはいつも元気に歌い出すんだけど……さてさて、今日は大人しくしてくれているだろうか。
「………………」
おー。
チラリと横目で見た夕凪ちゃんは、いつもみたいに口ずさみたい様子が窺える。だけどそれを我慢してるみたいに小さな顔を上下に振って、リズムに乗って楽しそう。
初めての映画館で興奮しないか心配だったけど……うん。これなら問題なさそうだ。
それからの夕凪ちゃんは大人しくはしていたが、それでも表情の移り変わりは様々だ。
「アハハハハッ!」
悪役のドジなシーンでは大きく笑い。
「あぁっ!」
ポイッキュアがピンチに陥れば、心配そうに眺めたり。
なんとかピンチを脱し、大逆転を果たしたら、目をキラキラと輝かせる。
「………………」
そして最後の感動シーン。瞬き一つせずスクリーンを見つめ続けた夕凪ちゃん。
映画の内容以上に、そんな夕凪ちゃんの表情を見ていただけでも、なんだか楽しい一日になった気がするな。
※
「お願い、一言言わせて優奈…………付き合いたてのカップルか!?」
またしても飛んでくる、ひばりのするどいツッコミ。
「なによ、映画の上映中何度も相手の表情見つめてたって。完全にカップルのソレじゃない!?」
「そ、そんなことないって。私はただ夕凪ちゃんが大人しくしてるか心配で」
「そもそも、女児向けの映画は、多少子供達が騒いでもいいように作られてるものなのよ!?」
そ、そうなの?
「アニメのキャラクター達が呼びかけたり、入場特典のアイテムで一緒に応援したりして小さい子達が飽きないように、色々工夫して作ってあるの!」
なぜか普段よりも早口のひばりがまくし立てる。
「今作のポイッキュアだってそう。ポイッキュア達がピンチになった時に『みんなのかけ声で、ポイッキュアを応援して欲しいッポイ!』ってパートナーのワン子が呼びかけてきたでしょ!?」
「え、えーっと……」
お、覚えてない……。
そんなシーンあった気もするけど……ずっと夕凪ちゃんの様子見てたからなぁ。
「え、なに? まさか優奈、応援してないの?」
「あー…………ア、アハハハ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?」
ひばりの叫びが教室中に響き渡る。
「アンタなにしに行ったのよ? 地球の危機、ポイッキュア達のピンチだったのよ、喧嘩売ってんの?」
怖い怖い。いつものひばりじゃないよ。
「ひばり、なんでそんな詳しいの?」
「見てるからに、決まってるでしょッ!」
幼稚園からの付き合いだけど、こんな趣味があったとは……。
親友の知らぬ一面を見てしまった気がする。
今度からこの手の話題は気をつけよう。
「まあいい。ポイッキュアのことは後で言及するとして」
言及されるのは確定なの?
「認めなさい。あんた絶対そっち側よ」
「そっち側って……?」
「だから……御下品な言葉を使わず、綺麗な言葉で言うなら――」
ニチャア、とひばりの顔がいやらしく歪む。
「?」
「百合よ、百合」
ゆ、百合って……それってつまり同性同士の……!?
「ち、違う違う!?」
私はそういう趣味じゃないって!
「違うも何もアンタの話聞いてたらそうとしか思えないわよ」
「そんな――」
「貴方は完璧百合よ、それも子供好きの」
「そこ強調しないで!?」
「認めなさい、アハハハハッ!」
私は普通の女子高生よ!
なんともオヤジくさい笑い声とチャイムの音が、教室に響き渡った。
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