第18話 ワン子ちゃん、不機嫌

 ポイッキュアが放送が終わると、時間はちょうど美春ちゃんが帰る時間になっていた。

 膝の上で眠っていた美春ちゃんを起こして、夕凪ちゃんと一緒に家まで送り届けた後、今度は夕凪ちゃんと一緒に食べる晩ご飯の買い物のため、スーパーに寄ったのだけれども。


「むー……」


 夕凪ちゃんってば、ずっとむくれたまま。

 普段なら大好きなお菓子やアイスのコーナーの前を通れば、散歩中の主人のリードを引っ張っていく大型犬のように駆け出していくけれど……今日に至っては喜ぶ様子も見せない。


「どうしたの夕凪ちゃん?」

「んっ」

 

 どうも夕凪ちゃんはご機嫌斜めの様子、でも理由が分からない。

 せめて好きなものを作ってあげようと思って、買い物中になに食べたいかを聞いても返事だってほとんど帰ってこないだもの。

 こりゃ本格的に様子がおかしい。

 美春ちゃんを連れてきた時はあんなにはしゃいで嬉しそうだったのに、美春ちゃんを送り届ける前……いやもしかしたらもっと前からかも。ポイッキュアが始まる当たり? ボードゲーム中から? もしかしておやつをおやつを食べ終えた当たりからかな。

 妙に態度が悪いというかなんというか。楽しく無さそう、ってわけじゃないけれど、不機嫌っぽいのよね。

 うーん、どうしたんだろ。






 今日も一緒に晩ご飯。

 普段なら夕凪ちゃんがうるさいくらいに色んな話をしてきたり、あれも美味しいこれも美味しい、と絶賛してくれたりするのだけれども……。


「この唐揚げ、美味しいね」

「…………」

「今度私も作ってみよっかな」

「………………」


 騒がしいくらいの食卓が、今日は静かだ

 カチャカチャと鳴る食器の音だけが虚しく響く。なんだか不思議な感じ。

 食事中に大人しいことはいいんだけれど、これは、ちょっと寂しいなぁ……。

 

「……ねえ夕凪ちゃん、さっきから変だよ。どうしたの?」

「…………」

「美春ちゃんが来てくれて一緒に遊んだのに、楽しくなかった?」

「…………違うもん」 

「じゃあ、もっと遊びたかった?」

「………………」

 

 これも違うのか。

 となると――もしかして外に連れて行けなかったこと? それを拗ねているんだろうか。


「外に行けなかったのは悪かったけど、ほら美春ちゃんもいたでしょ」

「…………」

「美春ちゃん、外で遊んだりするよりも中で遊ぶことが好き、って教えてくれたの夕凪ちゃんじゃない」

「………………」

「せっかく美春ちゃんが来てくれたんだから、美春ちゃんも楽しめることしないと、ね?」


 そうやって言い聞かせるように話してみたけれど……うーん、効果はなさそうだ。


「………………のこ……っか……」


 ?

 夕凪ちゃんがなにか言ったようだけど、声が小さくて聞こえなかった。

 これは困ったな、どうしよう。

 一晩寝れば大概のことは忘れちゃう夕凪ちゃんだから、気にせず放っておいてもいい気がするけど、でも今回はなんだか後引きそうな感じもある。

 かといって、なにかしてあげようにも原因が分からないし、なにより話してくれそうな雰囲気でもない。

 これは、久しぶりに困ったぞ。

 仕方ない、こうなったら最終手段か。


「夕凪ちゃん今日も泊まっていくでしょ。お風呂、一緒に入らない?」

 

 一緒にお風呂にでも入って、せめて気持ちくらいはスッキリしてくれればと思うけど……。


「――!」


 お、夕凪ちゃん、顔はまだ不機嫌そうだけど、体の方はピクリと反応したぞ。 これはもう一押しだな。

 

「私は夕凪ちゃんと入りたいんだけどなぁ」

「…………」

「入ってくれないかなぁ~」


 チラリ。

 さてさて、夕凪ちゃんの反応は――?


「…………しょ、しょーがないな」


 ぶっきらぼうな返事ながら、少しだけ心を開いてくれたようだ。






「じゃ目を瞑って。シャンプー流すよー」


 狭いお風呂場が、私の私の合図を響かせる。

 鏡越しに見る私の前に座る夕凪ちゃんが、目も口も堅く閉じる姿を確認したら、シャワーで勢いよく残った泡を洗い流していく。


「ん!」


 頭の上からシャワーのお湯がかかり、短い声を上げる夕凪ちゃん。

 夕凪ちゃんは、さっきと大きく様子が変わったってわけでもない。それでも、少しは普段通りの感じには戻ってきたのか、私の言うことに大人しくしたがってくれている。むしろ普段よりも騒がしくなくて、お風呂に入れることに苦労しなくて助かるくらいだ。

 そうして一通り洗い終えると、私達は一緒に湯船へ。 


「ふー」


 足の先から全身へ、少し熱めのお湯が染み渡る。

 今日は有名な温泉宿の入浴剤を入れたから、湯船から柚の香りが漂ってきてちょっとした高級宿の気分だ、あー落ち着く。


「気持ちいいねぇ」

「んー」


 夕凪ちゃんも、ほんのり顔を赤くしながら浴槽の縁に顔を乗せて、気持ちよさそうに揺蕩っている。

 これなら……大丈夫かな。

 やっぱりどうして不機嫌なのか聞き出しておきたい。

 もしかしたら、また気分を悪くしちゃうかもしれないけど、今後のためにもちゃんと聞いておきたいし、ね。


「ねえ夕凪ちゃん、今日はホントにどうしたの?」


 浴槽の縁に乗せていた頭が、一瞬ピコンと反応する。

 でも、すぐにシュンとなって唇が尖ってしまう。

 

「……むー……」


 やっぱり、まだ不機嫌そうなままか。

 お風呂に入って気持ちもスッキリすれば、少しは話してくれるかもと思ったけど、これ以上は、難しいそうだな。


「分かった、もう聞かない。夕凪ちゃんが話したくなければ、話さなくていいよ」


 夕凪ちゃんは返事もせず、そっぽを向いたままだ。


「でもね、夕凪ちゃん。話してくれないと、私もなにも分からないの。夕凪ちゃんになにかしてあげたいって思っても、なにをして欲しいのかも分からないし、どうしてあげればいいのかも分からないままだよ?」

「………………」

「ね、夕凪ちゃん。一体なにが不満なの?」

 

 入浴剤の柚の香りと混じり合い、湯船からゆらゆらと湯気が漂う。天井から落ちてくる水滴がチャポンと落ち、湯船に波紋を広げる。

 夕凪ちゃんは――やっぱり黙ったままだった。

 熱いお湯に浸され張りのある肌にも赤みが出てきていて、体も熱くなってきた。これ以上お風呂に入っていたら、のぼせてしまうかもしれない。 

 そろそろ上がろうか。そう声をかけようとしたその時、夕凪ちゃんの口が僅かに動き出した。


「…………外に行かない、って言った」


 外に?

 確かに今日はお家の中にいようとは言ったけど……でも、そんなことで?


「そんなに外で遊びたかったの?」

「そうじゃない」


 犬が体に纏わり付いた水を弾くように、夕凪ちゃんも、ブンブンと大きく顔を横に振る。

 どうやら、外に行きたかったから不機嫌、というわけではなさそうだ。


「お菓子の時も、ボードゲームの時も、ポイッキュア始まった時も……」


 夕凪ちゃんの声が徐々に小さくなっていく。


「ずっと……美春ちゃんのことばっかり……」 


 ああ、そっか。

 不機嫌な理由はそれが理由だったのね。

 私は初めて来た美春ちゃんのことばかり構っていたから、拗ねちゃったのか。

 最初は美春ちゃんを連れてきたことを喜んでいたのに、段々と機嫌が悪くなっていったのはそういうことだったのね。

 普段当然のように夕凪ちゃんを構ってあげていたから、今日くらいは大丈夫と私も思い込んでいたのかもしれない。

 言うなれば、私が夕凪ちゃんに甘えていたんだ。


「ゆなさん、夕凪のこと、忘れちゃったみたいなんだもん……」


 でも、夕凪ちゃんは私に甘えたかった。それって、夕凪ちゃんからしたらてすごく寂しく見えたんだろう。

 そうだな。思い返せば、今日は夕凪ちゃんのことあんまり見てあげられてなかったかも。悪いことしちゃったな。


「夕凪ちゃん」


 大きく手を広げて、夕凪ちゃんを呼んであげる。


「ほら、おいで」


 夕凪ちゃんがチラリと一瞬こちらを見る。躊躇うように、一度はそっぽを向いてしまう。でも、チラリチラリと私の顔を覗き見てから、ゆっくり泳ぐように私の傍へとやってきて、そのまま胸の中へ。私はそのまま優しく抱きしめてあげた。


「……へへっ、ゆなさん」


 夕凪ちゃんがようやく笑ってくれた。

 柔らかくて温かい体だ、洗い立てのシャンプーの香りがまるで夕凪ちゃん自身の香りのように感じる。


「ごめんね、夕凪ちゃん」


 胸の中で蹲る夕凪ちゃんへ、私が優しく伝えていく。


「でも夕凪ちゃんのこと忘れちゃったわけじゃないよ、それは分かってくれる?」

「うん……」


 夕凪ちゃんもきっと頭では分かっていたはずだ。美春ちゃんが緊張しやすい子で、それを私が気にかけてあげようとしていたことを。

 けれど、心の中では私が美春ちゃんばかりを見ていて、自分を見てくれない。そんなやるせない気持が溢れてくる。

 頭で分かっていても心がそれに追いついてこない。そのせめぎ合いでどうしていいのか分からず、不機嫌になってしまっていたのだろう。


「明日は二人で遊ぼうね」

「ん……」

「サッカーは無理だけど、外で一緒に走ろっか」

「うん。ふふっ」

 

 私達の楽しげな声が、お風呂場に響く。

 そうして私達は湯船の中で二人でじゃれ合いながら、のぼせそうになるくらいまで一緒にお風呂に浸かっていた。

 その後二人で食べたアイスクリームは、冷たくてホントに美味しかったものだ。

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