第12話 ワン子ちゃんとサッカー動画
「夕凪ちゃん、本を借りてきたよ」
「本?」
夕凪ちゃんの特訓になんの役にも立てなかった日から数日、私は学校の図書室で借りてきた一冊の本を夕凪ちゃんへと見せてみた。
表紙には私でもテレビで見た覚えのあるサッカー選手が腕組みをしている姿がやたらと目立つ、いわゆるサッカーの教本だ。タイトルは『強い選手の考え方』
普段サッカーに興味をみせない私が、急にそんな本を借りてくるものだから、ひばりには男の影だ~とか、ラブコメの匂いが~とかなんとか、うるさく騒がれたっけ。
まったく、そんなじゃないっての。せめて夕凪ちゃんの力になれたらと思って、こうして借りてきたんだ。
「ね、一緒に読も」
そうして、私達はリビングのソファに並んで座り本を開く。
これが絵本とかだったら、少しは可愛げのある光景なのかもしれないが、内容がサッカーの教本だもんな。
とはいえ、高校の図書室に置いてあるだけあって、内容も書かれ方も高校生向け。私が読み聞かせるようにしないと、小学生の夕凪ちゃんには分からない漢字もあって難しいだろう。
「ほら、こういう時にサイドに向かって走れば、えー味方に、スペース? ができるんだって」
「んー」
「あ、相手をマークする時も体の向きとか大事なんだね」
「…………」
ふむふむ。難しいことはあまり分からないけれど、高校生の図書室に置いてあっただけに、けっこう本格的な内容だ。
これなら、夕凪ちゃんの役に立てるんじゃないかな。
「んー……」
うーん……夕凪ちゃん、ちょっと退屈そう。
普段から本とかはあまり読まないし、というか大人しくしていること自体が苦手だからな。
「ほら夕凪ちゃん頑張ろ? 強くなりたいんでしょ」
「んー、こういうのじゃない!」
あらら……これもダメか。
ぷいっと顔を膨らませて、そっぽ向いちゃった。
「そっか、ゴメンね……」
「………………」
「やっぱり、私じゃ力になってあげられないかも……」
せめて出来ることがあればと思ったんだけどなぁ。
今回ばかりは、なにも出来ることはないようだ。
「……ごめんなさい、ゆなさん」
顔を逸らしていた夕凪ちゃんも、いつの間にかシュンとなっていた。
私がなんとかしようとしていたことは、夕凪ちゃんも分かってくれていたのだろう。私の好意を無下にしてしまったのかも、と思ったようだ。
「ふふっ、いいよ気にしないで、ね?」
でもそんなことくらいで、私も気を悪くすることなんてない。
しょぼんとなった夕凪ちゃんの小さな頭を膝に乗せ優しく撫でてあげる。
亜麻色の髪はサラサラで、触っているこっちも肌触りが気持ちがいい。ゆっくりと撫でていた手を今度は顎へと手を伸ばす。顎の下を軽くコショコショとするとんっ、と夕凪ちゃんが首を伸ばしてくる。
随分と気持ちよさそうだ。それなら今度は両手で頭と顎を一緒にワシャワシャとしてやる。
「んー!」
さっきまでしょぼんとした夕凪ちゃんの顔が、もうこんなにも気持ちよさそうに。
よかった。
「よーし、じゃあせめて、力がつくように美味しい料理作ってあげよう!」
「ほんと、やったー!」
ぱぁっと顔を輝かせ、ソファの上で喜び踊る夕凪ちゃん。
でも、せめてご飯が出来るまでは大人しくしていてほしいな。
けれども、今日はポイッキュアの放送はない。テレビも夕方のニュース番組ばかりで、後は大相撲くらいしかやってないし……夕凪ちゃんが見るようなものはあんまりやっていない時間帯だ。
こうなると、夕凪ちゃんに大人しくしててもらうには……配信サービスから過去のポイッキュアでも見せるか。
「ゆなさん、ゆなさん!」
「ん?」
「動画、動画! 動画見せてー!」
「動画……?」
動画の配信は、たまに夕凪ちゃんと一緒に見ることはある。
でも……一人で見せるのは、ちょっと早い気もするんだよね。
動画って面白いものばかりで、それにのめり込んじゃう子もすごく多い。私の学校でも休み時間に見てる人もいれば、授業中サボって見ている人もいるくらい。それが小学生ともなると、歯止めが利かないって嘆く親御さんもいて、小学校でも少し問題になっているとか。
特に夕凪ちゃんともなれば、好きなものにはかじりついちゃうからな。
あくまでも私はお隣さん。夕凪ちゃんを預かってる立場でしかない以上、教育に悪いことはあまりさせるわけにはいかないのだ。
「ねぇいいでしょ~おねがいおねがい」
んんんんっ、かわいいから了承!
私の袖を掴んでフリフリ振り回されたら断るなんて出来ないでしょ。
でも、その代わり――
「分かった。でも約束が三つ」
「三つ?」
「一つ、動画を見るのは私が料理を作っている間だけ、食べる時は見ちゃダメよ。そして二つ目、私が手伝ってといったら、ちゃんと手伝うこと。途中でもそこでおしまい」
「うん」
「それと三つ目」
一本、二本と伸ばしてきた指を、新たに三本目の指を伸ばす。
「見ていい動画のジャンルは、このなかから選ぶこと」
私は用意したタブレットを操作し、検索欄にとある単語を入力。そして検索されたものを夕凪ちゃんに見せた。
「サッカー?」
「そ」
私が提示したのは、いわゆるサッカーの動画だ。これなら夕凪ちゃんの年齢にそぐわないものを見ることはないし、なにより夕凪ちゃんのサッカー上達にも、なにか役に立つかもしれない。
「約束できる?」
はーい。と元気よく手を上げ答えてくれた夕凪ちゃん。
よしよし。私のいうことには大人しく聞いてくれるし、大丈夫かな。
「さて、と」
夕凪ちゃんにタブレットを貸してリビングで動画を見ていてもらう間、私も晩ご飯の準備だ……といっても、今日は昨日のシチューの残りと後は手早く食べられるパスタにサラダ、その程度だから用意もそう時間はかからない。
お鍋に水を張って塩を少しいれ、お湯を沸かしていく。
「ソースはレトルトだから……今のうちに野菜を切っちゃおうか」
まな板の上に並べた色とりどりの野菜を、包丁で切っていく。トントンと小気味のいい音が台所に響き、夕焼けの光が窓から僅かに射してくる。
夕凪ちゃんがサッカーを上手くなりたいと思っていることは、私もすごく応援している。なにより協力だってしてあげたい。ても、残念ながら今回の私にはしてあげられることはほとんどないだろうな。
夕凪ちゃんの特訓に付き合うことも、サッカーの教本を用意することも夕凪ちゃんにとって役に立ったとは言えないだろう。
だからせめてやれることをしよう。
こうして料理を作って、夕凪ちゃんに美味しいって思ってもらって元気をつけてもらう。
それくらいしか、今の私には出来ることはない。でも、夕凪ちゃんに喜んでもらえることは、とても大事だ。
「さて……お湯も沸いてきたしパスタを茹でるか」
時間的にもそろそろシチューを温め始めていいだろう。
と、そそくさと準備しながら気づいたのだけれど……夕凪ちゃん、やけに静かだな……。
大人しいことはいいことだけど、ここまで静かだと逆に心配にもなる。
「……夕凪ちゃん?」
台所から首だけ伸ばし、リビングの様子を見る。
「……………………」
すると……ああ、やっぱり案の定だった。夕凪ちゃんってばソファーの上で膝を抱えて動画にのめり込んじゃってる。これじゃあこっちの呼び声に気づいてないな。
「夕凪ちゃん?」
「…………んー?」
いつもだったら、私が呼べば飛び上がるような返事をしてそのまま駆け寄ってくるくらいなのに、顔も向けるどころか生返事。
……そんなに面白いのかな。
私は一端火を止め、ソファーの背後からタブレットを覗き見る。
どうやら見ているのは、スーパープレイを集めた動画らしい。映像は古いけど、私も昔テレビの特集とかで見たことのあるプレイが流れていた。
「夕凪ちゃん、その動画面白い?」
「んー…………うーん…………」
私が後ろに近づいても振り返ることもしない。
ある意味すんごい集中力だな。
「そっか……そろそろ準備できるから、夕凪ちゃんお皿並べてくれる」
「はーい……」
と、返事はするものの動かない。
「夕凪ちゃん……約束したでしょ?」
「ん、はーい」
と、不承不承とばかりにソファーから立ち上がる。
なんだか、返事は曖昧だしどことなく気怠げ。大人しく言ったことには従ってくれたけど……なんだろう様子が変な気が……。
反抗期の子を持つ親って、こういう気分なんだろうか。
「……ーン、ポーン、ドー……」
「?」
なんだろ?
夕凪ちゃんが、よく分からない呪文? みたいな言葉を一人で呟いている
え、夕凪ちゃんどうしちゃったの?
「スッと、パ……ダッ、ドド……シュ」
それからお皿を並べても、一緒にいただきますをしてからも、ずーっとその調子。
……やっぱり、一人で動画を見せたのは失敗だったかな。
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