第88話 客室の酒豪
例えば
しかしクメスフォリカは一目見て明らかに所属員ではないとわかる出で立ちをしていると
柚良はその人物について更に詳しい情報をドロスの三姉妹から聞く。
曰く、その人物は長い黒髪を縛っており、まるでタンクトップ・ビキニのように水着と短パンを組み合わせたような露出の女性だったという。
彼女は客室の一室におり、侵入者ではなくエリオンが客人として扱っているようである。
そして次なる報告を耳にした柚良は、思わず出そうになった声をすんでのところで飲み込んだ。
(さ、酒瓶抱えて寝てる? しかもよだれを垂らして爆睡?)
オルタマリアが逃げたことにまだ気がついていないのか、はたまた余裕の表れか――もしくは罠か。
場合によっては隠世堂とはまったくの無関係という可能性すら高まる無防備さだった。
悩んだ柚良はドロスの三姉妹に
そもそも収集した情報を言葉で主人に伝えるという行動も指示があってこそなので、普段のドロスの三姉妹は人語で会話はしない。
それ故に自分の意思で思考し、過去の出来事を言葉にするということは不得手だった。
ただし、もし眠っているなら絶好のチャンスではある。
(
柚良はオルタマリアとヘルに目配せした後、トントンと机を指先で二回叩いた。
事前に決めておいた合図のひとつである。それにより柚良が怪しい人物を見つけたこと、そしてその人物の居場所が把握できていることを
賠償金についてつらつらと話していた口を一旦閉じ、蒼蓉はエイルジークに背中を向ける。
「このままじゃ埒が明かない。エイルジーク、父が友好の証として与えたものがあっただろう? 賠償金に加えてそれを返却してもらうよ」
「そ、そんな……! それは友好関係の破棄も同然――」
「まさにそういうことだ」
蒼蓉は冷ややかな目でエイルジークを見つめた。
そう、見つめただけで睨んではいない。だというのに身の竦むような威圧感にエイルジークはイスから腰を浮かせようとした状態で固まった。
「ボクはね、父とは違うんだよ」
「……!」
「それに父は直接の被害者じゃァない。しかしボクはどうだ? わかるだろう? その上で
そんな組織と友好関係なんて結べるもんか、と蒼蓉は出入り口に向かって歩き出す。
――もちろん、本来なら損害があっても友好な関係を結んでおくことで得られるメリットと天秤にかけることは必須である。そこに蒼蓉個人の感情は挟まない。
少なくともエリオンという組織はそれだけ有力だ。
今回は『友好の証を回収すべく屋敷内を
後ろからエイルジークの慌てる声が聞こえたが、それを無視して蒼蓉は廊下を突き進んだ。
「柚良さん、部屋の位置は?」
「二階の客室です。西の端から二番目ですね、わかります?」
「十分だ。他には?」
「お酒をしこたま飲んで爆睡してるそうです」
「……」
蒼蓉でさえ一瞬足を止めかけた。
しかしそのまま無理やり突き進みながら「なら好都合だね」と頷く。
追い縋るエイルジークの声すら届かなくなった頃、柚良たちは件の客室前まで到着した。途中で演出のためにいくつかのドアを開きっぱなしにし、ドロスの三姉妹に適度に荒らすよう指示したものの、ここまでほとんど直行した形になる。
ドアにカギはかかっておらず、ほんの少し開いた隙間からは豪快な寝息――もといイビキが聞こえてきた。
「本当によく寝てるみたいですね……」
情報通りの女性がソファに背を預け、テーブルの上に両足を放り出して眠っている。
その両手には大きな酒瓶が抱かれており、床やテーブルの上にも空になった酒瓶が並んでいた。柚良はオルタマリアに「この人で合ってますか?」と問う。
『ええ、まさにこの女性ですわ。けどわたくしの元へ来た時にはお酒臭くなかったので……』
「その後にこれだけ飲んだってことですか、酒豪というか何というか……」
しかもそれなりに長時間眠っているのか寝癖が凄まじい。元からそういう奇抜な髪型なのではないか、と思ってしまうほどだった。
何にせよ好都合なことには変わりない。
蒼蓉はイェルハルドを呼び寄せる。他の影は逃走防止のために配置してあるため、自由に動けるのはイェルハルドだけだ。
「あれを捕縛しろ、命があればそれでいい」
イェルハルドはこくりと頷くと足音すらさせずに室内へと入り込む。
ロープで縛るよりも先に腱を切るべく刃を向け――刃先が肌に触れようとしたその瞬間、女性の目が開きソファから飛び退いた。
その両目は紫色をしており白目が真っ黒だった。
ヘルがぶるりと体を震わせ、しかし柚良の護衛という役目を全うしようと前へと出る。その肩にぽんと手を置いた柚良は女性に向かって植物の蔓を伸ばした。
蔓は女性を捕縛すべく目にも留まらぬ速さで襲い掛かったが、固い音をさせて壁に激突する。いつの間にかそこにいたはずの女性が見当たらない。
「オイオイオイ、寝起きにこんな手荒な歓迎されるなんて随分と久しぶりだぞ」
「!」
見ればいつの間にかベッドに腰掛けて足を組んでいた。
そして手に持った酒瓶を傾けて中身を飲もうとしたが、もう一滴も落ちてはこない。
「チッ、全部飲んじまったか」
「素晴らしい精度の幻覚魔法ですね。あなたがクメスフォリカさんですか?」
「おォ……すぐ把握できたか、やっぱ天才は一味違うなァ。そんでもって万化亭はやっぱ耳が早い」
女性、クメスフォリカは酒瓶を投げ捨てると不敵な笑みを浮かべた。
「そこまでわかってンならシラを切る必要もねぇか。アタシはクメスフォリカ、隠世堂の人間だよ」
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