第4話 柚良の初仕事
それでも蒼蓉はまだ十七歳。
負担は大きいが、しかしサポート体制は
万化亭は影響力が大きいが故に表の世界と関わることも多く、そのため幼い頃から『一般人の教養と感覚を身に着けるため』という理由で高校まで通うことになっていたからだ、と蒼蓉は語った。
つまり元からサポートの基盤が整っていたのだ。
ただし裏の世界のことももちろん覚えなくてはならない。
帰宅してからは
表の世界では問題を起こすべからず。
外に出る絶対条件であり、それを忠実に守った末に生まれたのが『大人しい優等生の蒼蓉』だった。
(……ってことは、こっちの姿が素かぁ)
すべては柚良が回復してからということで、しばらくのあいだ屋敷兼店舗の厄介になりながら蒼蓉の様子を観察していたのだが、やはり教室での彼とは似ても似つかない。
質問すれば答えるが常になにかを隠しているように感じられる。
しかも隠していることそのものは強いて伏せようとしない。それすら相手への手札になると考えているようだ。
「どうしたんだ、
「そんな様子カケラもないじゃないですか」
「そうか? 頬のひとつでも赤らめてみせるべきだったか……」
そう半ば真剣な様子で言いながら蒼蓉は帳簿をつける。
その姿はまさに若旦那といった様子だ。
「……教室での姿と随分違うな、と改めて思いまして」
「それは君も負けてないけど?」
「蒼蓉くんほどじゃないですって」
柚良は教室で見かけた蒼蓉の姿を思い返す。
来るもの拒まず去るもの追わず、そんな雰囲気を持つ物静かな少年。
授業で先生に当てられれば卒なく答え、体育ではごく普通で目立たず、クラスの問題児に睨まれた際は困った様子を見せていた。
仲良しグループはいたものの、そのメンバーを柚良は詳しくは知らない。
あれが全部カモフラージュだったとすれば大したものだ、と本人にあけすけに伝えると蒼蓉は肩を竦めた。
「そりゃあ表の学舎には普通に勉強しに行ったわけじゃないからね、ウチには優秀な家庭教師もいたし。犯罪者だけど」
「なるほど……」
「というか糀寺さんの話を聞く限り、高校のボクのことばかりだね?」
柚良はきょとんとして蒼蓉を見る。
「そういえば中学も一緒……でしたっけ?」
「保育園すら一緒だ」
「え!? 本当に!?」
「あはは! なるべく関わらないようにしてきた甲斐があるなぁ!」
そう言って笑う蒼蓉を柚良は更に不思議に感じたが、どう言っていいものかわからず頬を掻く。
柚良は義務教育は『普通に』受けていたが、魔法の才能が明るみに出てからはそうはいかず、魔導師として様々な場所に駆り出されることも多かった。
それは子供にとっては恐ろしいほどの激務で、そして――柚良本人は今はさほど気にしていないものの、人の生死に触れるものばかりだった。
そのため昔の普通の記憶が掻き消されておぼろげで、喋ったこともないクラスメイトのことなどまったく覚えていなかったのだ。
そう説明すべきか否か柚良が迷っていると、蒼蓉が笑みを浮かべたまま言う。
「とりあえず過去のボクのことは忘れてくれ、こういう状況になったからには……」
そのまま蒼蓉は一旦筆を置くと正面から柚良を見た。
「今のボクを見てほしい」
「それは……まあ、いいですけど……」
腑に落ちない気持ちのまま柚良は頷き、しかしそんな返答でも蒼蓉は満足したのか再び筆を手に取った。
「そういえば蒼蓉くん、学校は?」
「今は春休みだ。良いタイミングで堕ちてきてくれて助かったよ。理由のない長期休暇で悪目立ちしたくなかったしね」
「べつにそこまで付きっきりでなくてもいいのに」
「いくらここでもボクがいないと悪さをしに来る奴らがいるかもしれないだろう。あとちょっかいを出してくる奴。君を取られたらボクは困ってしまう」
だから近くで見張りながら回復を待っているらしい。
自分に随分と価値を見出しているんだなというのが柚良の感想だ。
たしかに天才と持て囃されてきたが、世界中を探せば上には上がいるだろう。
それに、皇子殺しとはいえ濡れ衣で詳しく調べもせず簡単に切り捨てられるくらいの存在だったのだ。蒼蓉が言うほどの価値はないんじゃないか、と柚良は思う。
(まあ価値を感じて大切にしてくれる分にはいいか……暗渠街でこんなに普通の生活ができるとは思ってなかったし)
普通どころか至れり尽くせりで高級ホテルにでもいるかのようだ。
おかげで回復も早く、今では魔力も充分に溜まってきた。
(魔導師として力を貸すのも恩返しになる、か……)
柚良は自分から蒼蓉に近づいて言う。
「蒼蓉くん、私、そろそろ魔力も体力も回復してきたんです」
「へえ、朗報だ」
「まだ教鞭をふるえるほどじゃないですけど、なにかお手伝いできることってありますか?」
蒼蓉は一瞬筆を止めると、そのままゆっくりと天井を仰ぎ見てから「なら、糀寺さん」と柚良に微笑みかけた。
「万化亭のおつかい、行ってきてもらえるかな?」
「お……おつかい?」
これが、柚良が万化亭に来てから得た初めての仕事だった。
***
暗渠街内部も区画分けされており、万化亭があるのはコンロン地区の
その隣に表のホクオウ地区に鉄粉と碌でもない薬をまぶしたようなヴァルハラと呼ばれる地区がある。
武器の製造と販売、そして薬の販売者の根城として有名な場所だ、というのが柚良が蒼蓉から得た情報だ。
蒼蓉はそこに居るオーギスという名の老人に届け物をしてほしいという。
届け物は万化亭に彼が頼んだという珍しい果物の種。
恐らく碌でもない薬の材料になるんだろうな、と柚良は思いつつも自分から言い出したことなので断れず、風呂敷片手にヴァルハラへと向かっていた。
(まさか初仕事がこんな運び屋の真似事になるとは……)
口は災いの元である。
幸いにも風呂敷に刺繍された万化亭の紋が魔除けのような効果を発揮しているのか、初めて暗渠街へ来た時のように即絡まれてカツアゲされるなどということはなかった。
しかし念のため正体がバレないようにフードを目深に被り、服もなるべく体のラインが出ないようにしてある。
万化亭への恐ろしさと柚良の賞金を天秤にかけて後者を取る者もいるだろうという予想からだ。
(……とりあえず、厄介なことになりませんように!)
柚良はそう神に祈ったが、その神はしばらく前に柚良を見捨てたところである。
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