第3話 君は自分の価値をわかってない

 蒼蓉ツァンロンに抱かれ連れてこられたのは大きな屋敷だった。

 造りはトウゲン地区でよく見かけるアジアンなもので、柚良ゆらには風通しがよく見える。そこで柚良を下ろした蒼蓉は出迎えた男女に二言三言指示すると背を向けた。

「さあ、とりあえずお風呂に入ってから何か食べるといい。その間にボクは仕事をしてくる。あとは……」

 訊きたいことでも纏めておくといいよ、と蒼蓉は手を振って去っていく。


 残された柚良を浴室へ案内したのは璃花リーファと名乗る四十代ほどのふくよかな女性だった。

 自分で体を洗おうとする柚良を遮って体から髪まで洗ってくれる。やたら広い浴室も相俟ってお姫様にでもなったかのようだ。

「あの、せめて髪くらいは自分で……」

「いいですか、まず貴女は若旦那のお客様です。そして栄養状態が宜しくありません。加えて入浴というものは体力を使うものなのです。お客様にそんな危ないことはさせられません」

「危ないことってそんな」

「本当は初めに栄養補給して頂きたいくらいですよ」

 しかし不衛生なままでは困るので致し方ないということらしい。恐らく体力が目に見えて削れていても柚良がまだはきはきと話せていることから入浴が先でもいいという判断にぎりぎり至ったのだろう。

 柚良は大人しく髪を洗われながら視線を落とす。


(蒼蓉くんは私を匿うって言ってたけど、まさかここまでしてくれるなんて……)


 わざわざ匿うと口にしたということは売る気はないのだろう。

 嘘である可能性もあるが、死相が出るほど弱っていた柚良相手ならどうにでもなるためわざわざ嘘をつくとも思えない。

 回復してから……というパターンも考えたが、その時は魔法も再び自由に使えるようになっているだろう。ならどうとでもなる。

 そこへ璃花の声がかかった。


「この後何をお食べになりたいですか?」

「あ、クミンってあります? お腹が空きすぎて空腹感が無くなってるんで、食欲増進させつつ胃を守りたいなと。できればお粥で。カレーお粥みたいになるかな……他の味付けは合いそうなものでお任せします」

「……」

「あとは水分か、補水液なんて常備してないですよね……水500mlと砂糖20gと塩1.5g、あとレモン汁を25mlくらい混ぜてください。利尿作用のあるお茶は却下で」

「……」

「それとあればブドウ糖。塊でいいです。……どうしました?」

「いえ、想像の五倍ほど具体的だったもので」


 璃花のその答えに目をぱちくりさせた柚良は申し訳なさそうに笑う。

「いやぁ、生きるのに必死で。ほんとはタンパク質を摂りたいからお肉や魚もほしいんですけどね、消化機能が心配なので」

「それなら卵をお粥に混ぜましょうか」

「わ、いいですね! 楽しみにしてま……っとと」

 興奮した柚良は座ったままふらつく。

 やはり回復する時間が必要だ。


(気になることは山ほどあるけど……)


 今は蒼蓉の言っていた通り、質問を纏めておくだけに留めよう。そう改めて考えながら、柚良は久しぶりのお湯の温かさに身を任せた。


     ***


 身なりを整え、温かい食事をし、客室として与えられた一室で手足を伸ばし。

 専用のコート剤で修復された爪を眺めながら時間を潰す。乙女にあるまじき割れ方をしていたというのに便利な道具があるものだ。

 これは「うちの商品のひとつです」と璃花は言っていた。

(ここは何かのお店ってことなのかな?)

 入る際は裏口のような場所を通ったため詳細はわからない。そもそも暗渠街あんきょがいの店などよほど有名でなければ耳にも入らないものである。店名を聞いたところでピンとくることもなかっただろう。

 でも蒼蓉くんが来たら訊ねてみよう、と柚良は頭の中の訊きたいことリストを更新した。

 そこへノックの音が響く。

 家主でもないのにどうぞと口にするのはおかしいかな、と思った柚良はふらつきながらドアに向かうと自ら開けた。


「……おや? 寝てると思ったら起きてたのか」

「寝るのは気になることを消化してからにしようと思いまして。……」


 寝てると思っていたなら何のために来たのだろうか。

 確認だけなら璃花にしてもらえばいいのでは。そう柚良が首を傾げていると蒼蓉は弱々しい子猫でも見るような目をして笑った。

「寝てたら糀寺こうじさんのレアな寝顔を拝めたのに」

「……」

 つまりそれが主目的だった?

 物好きな人もいるものだなと思いながら柚良は蒼蓉を部屋に入れる。

「とりあえず質問を纏めておきました。一つずつ訊ねても?」

「いいよ」

「じゃあまずは……私の素性と指名手配の件を知っててなぜ助けたんです?」

 蒼蓉は予想通りの質問だという顔をすると木製の椅子に座って足を組んだ。

 教室では一度も見せたことのない体勢だ。


「君は自分の価値をわかってないのかな? 弱冠17歳で帝国お抱えの大魔導師になった才能はいくら堕ちようが引く手数多だ。ダイヤモンドが泥の中に落ちようが欲しがる者はいる。逃亡中に一度もスカウトされなかったのか?」

「私を糀寺柚良と認識してるとわかるなりこっちから逃げてたんで何とも……」

「おやおや、中にはスカウトマンも混ざってただろうに」


 柚良はベッドに腰を下ろしつつ蒼蓉を見遣る。

「ってことはつまり、蒼蓉くんは私をスカウトするために助けてくれたんです?」

「理由としては半分正解」

「半分……」

「まあその半分についてなんだけど。ボク、糀寺さんに暗渠街の魔法専門学校の講師をしてもらいたいんだよね」

 講師? と柚良は目を丸くした。

 もっととんでもないことを頼まれるものだと思っていたのだが、存外ソフトな願い事だったのだ。

「というか暗渠街にも魔法専門学校ってあったんですね!?」

 蒼蓉は機嫌よさげに微笑む。


「そう。まあウチが五年前に作ったんだけどね。ここは強大な力を持つ輩がごろごろしてるけど、それでも大半は碌に魔法も使えないロクデナシだ。暴力だけで治められる地じゃないのにこんなんじゃ一部の実力者に負担がかかりすぎる」


 暗渠街は決して良い土地ではない。

 しかしそこに住む者としてはここに無くなられては困る。

 それ故にある程度は管理し取り仕切ることが必要なのだという。


「なるほど、そのために優秀な手駒を私に育成してもらいたい、と」

「大体そういうことかな。もちろん衣食住は提供するし、給金も出す。これは後で契約書を交わそうか」

「わあ、そういうことでしたらぜひ! ……ところでもう半分は一体?」

 柚良の問いに蒼蓉は「そういうのは即答する前に強引に掘り下げないと」と肩を揺らした。

「でもこれは掘り下げてもまだ伏せておこうかな。準備が必要だ」

「じ、準備……じゃあ二つ目の質問を先にしても?」

「もちろんいいよ」

 柚良は姿勢を正して問う。


「蒼蓉くんが「ウチ」って呼ぶここは何のお店なの?」


 暗渠街で魔法専門学校を作れるほどとは思っていなかった。しかも暗渠街にそんなものがあるなんて表の世界では耳にしたことさえない。それだけ完璧に隠されていたわけだ。

 そんなことが出来る規模の店――組織などそういくつもあるわけではない。

 蒼蓉は大きな耳飾りを揺らして顔を傾けると、その答えを口にした。


「ここは望むものがあれば何だって用意する暗渠街のよろず屋――万化亭ばんかてい。ついでに答えるとボクはそこの若旦那だ」


 柚良は目を瞬かせる。

 万化亭。

 それは暗渠街の大部分を取り仕切っていると噂される、この土地最古のよろず屋だった。

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